柚のかくし味 by 柚 |
毎日、ハラハラと散る桜の木の下を歩くと、ぷーんとかぐわしい香りに包まれる。木の種類によって香りの種類が違うことも最近になってわかってきた。今ごろになって、という気もするけれど、人間、急に何かに気付くことがあるものだ。
「ライターズネットワーク」という組織がある。フリーライター、フリー編集者、イラストレーター、それに出版社に属する人などの集まりで、本部は東京。わたしもその役員をしていて、「ライターズネットワーク」のホームページ製作と会員管理を受け持っている。その集まりに出るようになってかれこれ5年。東京での出版活動の現場の話を聞くことが多い。ライターのほとんどが自分の本を出したいと思っていて、企画の売り込みをする。どこの出版社もいい企画といい書き手を欲しがっているのも確かで、うまく成立すれば、出版にこぎつけることが出来る。
でも、地元福岡ではまだまだ、自分の本を出したいと思っているライターは少ない。むしろ、今まで本どころか、原稿といったものをほとんど書いたことがないという人の方が企画もいいものを持っているし、押さえどころもいいということがあるのだ。私がいままで、企画編集した本でも、そんなものが多い。
二十代の若さで、くも膜下出血で倒れ、奇跡的に回復した有田直子さんの著作『晴れのちくも膜下』や、母親の在宅介護の実態を、楽しくユーモラスに伝える坂口久美子さんの『超人バッキー』はいい例。二冊ともとてもいい本だ。
二冊に共通しているのは、著者の意欲だ。どうしても本にしたい、みんなに伝えたい。そんな思いが切々と伝わってくる。編集者としての楽しみは、著者の思いを共有すること。文章の上手下手も確かに気になることだが、先ずテーマありきである。テーマこそが大事なのだ。いいテーマさえあれば、文章など、後からついてくる。
もちろん、この二冊の著者の文章はとてもいい。しかし、もっと良かったのはテーマだろう。本はときに万人が読みたいと思うジャンルである必要はないのかも知れない。いえ、世の中に関心のある人が1万人いて、その1割か2割ぐらいの人が買ってくれれば、そこから始められるし、もうそれだけで、成立する世界なのだから。
気持ちよい毎日が続いている。昨日昼間、お花見をした。こんなに近くにいながら、西公園はゆっくり歩いたことがなかった。月曜日の昼というのは、けっこう狙い目だったようだ。朝晩がまだ涼しいせいか、桜はしばらく楽しめそう。
杉林せいこさんの二冊の本『めぐり合う人も日も自分では決められない』と『早く気づけばそれだけ早く幸せがくる』は、原稿を見せていただいたとき、杉林さんは、1冊にまとめるつもりだった。
しかし、読んでみてわたしはつぎのように提案した。
300ページを超える内容のエッセイはいくらおもしろくても読んでいて疲れる。テーマも、おおよそ、恋愛と人間関係の二つに分けられそうだったから。こうして二冊の本はそれぞれ、160ページ、ちょうど読みやすく持ち歩きしやすい厚さになった。本を持ったときの手触り感は微妙だけど、とても大切なのだ。最近は紙の種類が増え、色も質感も沢山の種類がある。少しザラっとしていて、軽く感じられる紙もある。そんな紙を使うと少しボリューム感が出たりもする。
杉林さんの本は地道だけど、確実に出て行く。こういう生き方の本は迷ったときに読みたくなるので、誰にでもフィットするわけではないが、フッと読みたくなることがあるらしい。実はこの本があるカップルを生み出したのだ。この本を買った人がほんとうにこの本をきっかけにパートナーにめぐり合って、最近結婚してしまったのである。そういう効果もあるのかと、不思議な思いで眺めている。
この本もまた、不思議なめぐり合わせの本である。著者の藤原ゆきえさんは、ライターズネットワークで知り合ったとてもいい関係の友人。新版としたのは、以前別の出版社で出版したのだが、この出版社がなくなった。せっかくいい本だったのに、と元々自分で編集した本だけに残念だったのだが、今回、ぴのこの「そうだ、これこそ、書肆侃侃房で」という提案で、藤原さんと相談。新しく生まれ変わることになったのだ。これも、藤原さんの人柄がにじみ出るような内容で、この本を読むと、家事をするのに何の抵抗もない気分にさせられるはずだ。やさしく、丁寧に説明が行き届いていて、衣・食・住・育児の「いろは」がすっきり一冊に納まっている。結婚の贈物や一人暮らしを始める人にもいい。
表紙挿画の末房志野さんの絵がとてもいい。「焦がしアート」というオリジナルの手法で描かれていて、ほんわかと暖かい。この今後が楽しみなアーティストの末房さんと藤原さんの三人で、表紙のデザインを決めるのに集まったのは、横浜のすてきな喫茶店「カヲリの木」。オーナーの狩野さんともすっかりコーヒーの話で盛り上がり、今度コーヒーの本を一緒につくりましょうなんて話になっている。是非実現させなければ。
このように本づくりは正に出会いである。昨日も本をつくりたいという若い人に出会った。話していると、いつの間にか本の形が見えてくるのだから、不思議だ。ただ、暖めているだけでなく、言葉にして、誰かに話してみることだろうなと、いう気がする。
珍しく早く帰れたので、NHKの「ためしてガッテン」というテレビ番組をみた。脳の鍛え方についての話だったけど、このなかでとくに心に残った事柄があった。「痴呆の老人」は例外なく前頭前野の活動が衰えていることだ。番組によれば、前頭前野の仕事とは、「判断」「計画」「割りふり」が出来ることだという。痴呆がすすんだ末に亡くなった母は、まさにこの番組で医師が指摘したように、「痴呆がすすむ方向」にまっしぐらという感じだった。日々のささやかなことがどんどん出来なくなっていった。というよりはする必要がなくなっていったといったほうがいいのかも知れない。それが痴呆にすすむ可能性があることなど、そのころは誰も知らなかった。
・ いわゆる読み書きそろばん 読書、新聞を読むこと、手紙を書くこと
・ 縫い物 元々、和裁が得意だったのに、洋服を着るようになって、その必要がほと んどなくなった
夫婦二人の暮らしをやめて、子供のところに同居するようになって、これらはことごとく、母の辞書から消えた。引越しをしてから痴呆が始まる人が多いのは、こんなところに原因があるのかも知れないと妙にナットクしたりする。
別に都会に移ったわけではないが、近所づきあいをイチから始めるのは億劫だったのか、人との付き合いもガタッと減った。その前はもっと田舎暮らしだったから、隣人との付き合いはそれなりにあって、毎日人と会話していたのだから。元々苦手だった料理は全くしなくなったし、きっとそのことも災いしたのだろう。
イラクの人質事件が解決しないので、ずっと落ち着かない。このように長引いてくると、必ず出てくるのが誹謗中傷のたぐい。何よりも命が一番大事なのに。それだけに思いを集中すると、やるべきことは見えてくるはずではないか。もし、あれが自分の子供や親兄弟だったら、と考えたとき、どうすればいいかが見えてくるだろう。その決断こそが一国のリーダーの資質ではないか。言うだけでは困る。国の姿勢と人の命とを分けて考えることなどできないのだ。命が助かったら、それからはじめて、次にできることを考えればいい。
田中一村展を見た。奄美で自分の画業を確立した彼の作品を眺めていると、初めて彼の作品を見たときの心をきゅっとわしづかみにされたような思いが、久々にわたしの心に戻ってきた。はじめて田中一村という画家の存在を知ったのは、NHKで放送された「絵に生き絵に死す」の番組だった。年譜で見ると昭和55年のことだったらしい。1980年だから、ほぼ30年も前のことだ。その絵にはじめて出会ったのは、全国巡回展の会場でだった。これが昭和60年だから、25年まえということになる。
彼の絵は、それまで見たどの絵とも違っていた。アダンという変わった植物の存在を知ったのも彼の絵からだったし、ダチュラやクワズイモなど、南国の植物はその鮮やかな色といい、形といい、強烈な印象を持って迫ってきた。一村はもともと日本画を書いていたようだが、奄美で描かれた絵はどのジャンルにも属さず、むしろ、田中一村その人でしかないといってもいいだろう。
いま、またその絵を見ることができて、30年前見えていなかったことが見えてきた気がする。わたしの絵を見る心もまなざしも変化しているのだろうか。絵を通して、一村の生き方を想像してみる。絵の底に流れているのは、一村という一人の孤高の画家の在り方であり、その心であり、生きる姿勢であった。描いた絵を生活のためには売らず、生活の糧は他に求めたという、彼のその姿勢も好きだと改めて思い、ピュアとしか言いようのない絵そのものが醸し出す不思議な透明感に惹きつけられて、しばし満たされた時間を過ごした。
少し前に書いた新聞コラム原稿だけど、この本は、「海外書き人クラブ」というグループに所属している、素敵な人たちが実際に分担して書いた本なので、ファックスの替わりにここにあげておくことに。そうすると、世界にいる人たちの誰もが読むことができる。彼らは実に精力的に活動していて、それこそ、ときに世界を股にかけた話題が飛び交う。それぞれの国で暮らしているうちに気付いたこと、不思議に思うこと、など、話題はつぎつぎに生まれて、これがなかなか楽しいのだ。さて、コラムの内容とは。
三月で無事リタイア、ゆっくりこれからの身の振り方を考えたいという便りがぽつぽつと届く。そういえば、以前チリで会った三人の日本人シニアは、地球の裏側ともいえる新しい地でもう一度、自分の可能性にかけようとしていた。
彼らは異口同音に「遊びと仕事やボランティアをバランスよくこなしてこそ、いい人生というものだ」と答えていた。
選択肢は無数にありそうにみえるけれど、一方では年金改正が気になる。毎年目減りしていて、この分では、先に行くほど不安が募る、と心配の声も多い。そんな折、オーストラリアに家族で移住した若いライター仲間の柳沢友紀夫さん編・著『年金を活かす!海外ロングステイ30都市徹底ガイド』が送られてきた。年金暮らしを有効に楽しめる海外30都市が紹介されている。
実際にその都市で暮らすライターがみんなで書いた本だけに的を射た紹介、格好の指南書といえる。まずは短期滞在から始めてみてはどうかと、柳沢さんは書いている。もう一つの選択肢に加えて見てはどうだろう。世界は広いと実感するのもいいかもしれないではないか。
白石さん兄弟の本、2冊目はお兄さんの一文さんの本『見えないドアと鶴の空』だ。兄弟といってもやはり雰囲気違うなあとまず思った。文郎さんのは、とても真面目に男と女の関係性を解き明かしていく内容だったが、一文さんのは、手法が違う。
ミステリー仕立てなのである。人の心の闇に踏み込む方法として超常現象を使う。つまり、この世にはまだまだ解明できないことがあって、人と人との関係性にもそれが言えるというわけである。
何しろ、ミステリー仕立てなので、詳しい内容を書くわけにはいかない。ただ、ちょっと今風というか、手法としてうまいなあと思う。宮部みゆきがテレパシーやサブリミナル効果をうまく利用したミステリーを発表したときも、あたらしい感覚のミステリーだと思ったけど、どこか似ている。
『見えないドアと鶴の空』は、恋愛関係だけにどろどろとしたものもがあって、宮部の明快さとはやはり違う。
兄弟の小説はそれぞれ一冊読んだだけなので、決め付けてしまうわけにはもちろんいかないけれどが、わたしが考えたのはこうだ。
一文さんは、もっとミステリー色を強くするといいのではないか。
文郎さんのほうは、ちょっと古いけれど、島尾敏雄の『死の棘』のようなとことん男と女の関係性を追及するのがいいのかも知れない
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