柚のかくし味 by 柚 |
高橋克彦の『緋い記憶』を読んだ時の、心に深く入り込んできた、記憶というものの美しい恐怖を忘れられなかった。
そして、見つけた、今回の『蒼い記憶』もまた、様々な記憶の不思議に彩られた高橋のその後の短編集である。記憶がよみがえるきっかけは幾つもある。もっともありそうなのが匂いや音である。匂いや音はどうも記憶の襞の奥深くに納められているものらしい。
高橋が紡ぎ出す小説の、不意によみがえってくる記憶は、人を悲しみへと導いてしまう事もある。思い出さないほうがいい記憶というものがあるのだ。
ジッポーのぱちんと閉める音で亡くなった母親の悲しい恋が浮き彫りになる「炎の記憶」や、床屋の鏡によみがえる恐ろしい殺人の記憶など、ミステリー仕立ての作品も多く、やはりスリリングである。
題名に惹かれて買った本。恩田陸という人をそんなには知らない。新聞で紹介されていたのを読んだだけだったが、これを読んで謎解きの得意な作家である。
なかでも、「象と耳鳴り」はおもしろかった。象を見ると耳鳴りがするという老婦人の話の話である。そう書くと、とても単純な話のようだが、そうではない。象の話をすると、つらい体験を思い出してしまうのだが、実はそのつらい体験もまた、フィクションなのである。象は死の象徴であり、象の訪れを畏怖を感じながらも待っている。そんな話である。象を待っているのはどうやら彼女だけではなさそうなのだが。
人はいつも何かを待っているもののようである。死を待つとは言いたくも思いたくもないので、死を何かになぞらえる。どうせ待つのなら、死ではなく、別のものを待ちたい。と、いうことだろうか。
『象と耳鳴り』(祥伝社文庫)
暖かい冬ではあるけれど、朝はやはり寒い。だから朝は、日のあたる場所を探して歩くのだが、これが意外と少ない。
子供のころ、田舎で育ったので、道路は広く、朝晩学校に通う道はどちら側かはいつも日があたっていた。あ、そうか、家々の軒も低かったからだ、と気づく。どの家も南側に窓が大きく開かれ、日のあたらない家などなかった。それがあたりまえだったのに、都会で暮らすと、道路は高いビルに囲まれ、そのビルが日をさえぎる。そんなことは歩かないとわからない。
『陽のあたる坂道』石坂洋次郎の青春もの。ずっと昔に読んだ。これは後に映画にもなっていて、石原裕次郎と北原三枝のゴールデンコンビの共演だった。
音楽では「朝日のあたる家」ベンチャーズとアニマルズのヒット曲。実はちあきなおみのニューアルバムのタイトルでもある。
ほかに『日のあたる白い壁』という江國香織の美術エッセーもあった。
映画「陽のあたる場所」はモンゴメリー・クリフトとエリザベス・テイラー主演の名画。実際にアメリカで起こった事件を元に書かれた『アメリカの悲劇』の映画化だという。まさに陽にあたる場所に出るために選んだ愛と打算。人生を誤った貧しい青年の物語である。野望のために殺人を犯してしまう貧しいアメリカ青年をアロン・ドロンが演じた「太陽がいっぱい」を髣髴とさせる。
ライターという言葉について考えた。先月のことだけど、宣伝会議の編集・ライティング講座で「本づくり」のことについて話した。そのおかげで、忘年会に呼んでもらった。夜の9時過ぎからだというのに、たくさんの受講生たちが集まった。
なんとそこに13年前、わが社で働いていた江崎君がいた。当時は手書き原稿用紙で何度も何度も書き直したし、その上、「あんなことをいわれた」「こんなことをいわれた」と彼はよく覚えている。そうだった。あの頃はワープロもパソコンもなく、すべては原稿用紙とレイアウト用紙。赤字が入れば、また一から書き直すしかない。
話しているうちに、本を作りたいと一途に思っていた頃に戻っていった。フリー校正からフリーライターに。そして、いつしか、本当の出版社を始めるにいたったのだが、ここに集まっている人たちの何人が自分の夢を実現できるのだろう。結局は、一歩前に出るしかないのだけれど。
フリーライターと書いたが、この言葉はコピーライターと区別して使われていたように思う。つまり、商業コピーを書く人がコピーライターで、それ以外はライター。私が思っていただけだろうが。でも私は心のどこかで、ライターという言葉にずっとなじめないでいる。もの書きといったほうがあたっているかもしれないなどと思うのだ。以前、肩書きをどうしましょうかといわれたとき、困った。詩人、コラムニスト、エッセイスト、ライター、どれも違う。編集者というのもねえ、とそのときは結局詩人に落ち着いたのだったけれど。
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