柚のかくし味 by 柚 |
仕事始めである。怠惰な正月も終わり。それでもいろいろ考えた。これからの本作りのこと。こんな時代だから、できることを。それだけ。自分の仕事。考えることはたくさんある。心に決めたことも。
これこそが今までできなかったこと。さて、何が書けるのか。年の初めに考えたことである。
昨年末にはばたばたと本を出した。「ホームベジタリアン」「サラリーマンパパの育児は楽しい」そして、「午後の大回廊」。
まったく資質の違うこの三冊の本は、幾分今後の出版についての暗示であるように思う。先の二冊は、生き方の提案。著者は男性と女性。それぞれ、自分というものをよくもっている。最後の一冊は詩集。
本を作るのは実に楽しい。これからいったい何冊作れるのだろう。
今読んでいるのは、カワカミさんの家作りの原稿。そのこだわりが実にいい。自分らしい素敵な暮らしとは、いかにこだわって生きるかと同じである。
「ホームベジタリアン」のコンドオさんは、その柔軟な暮らしぶりにきっと多くの女性が共感するだろう。
「サラリーマンパパの育児は楽しい」の中根さんもまた、少し視点を変えるだけで夫婦の関係もわが子との関係も、何もしないよりずっと楽しめると書く。新しい父親像の提案だ。
「午後の大回廊」の渡辺さんは、わが人生も午後にさしかかったと感じ、それを詩に書くことで自分の人生を肯定しようとしている。
最近、いつもより以上にコーヒーに縁のある暮らしをしている。友人の狩野さん、藤原さんとコーヒーに関する本を出すことにしたのだ。
もともと、コーヒー好きではあるけれど、コーヒーとの出会いは、いまの人たちよりもずっと遅い。田舎に育った私は、18才まで、コーヒーというものを飲んだことも香りをかいだこともなかった。
初めてコーヒーを飲んだときのことは、今でもよく覚えている。大学一年生のとき、福岡に出てきた私は、寮で同じ部屋になった友人と町に出かけて喫茶店に入ったのだ。それは今はもうとっくになくなってしまった喫茶店で、確か、純喫茶と書かれていた。
友人がコーヒーといったので、私もすかさずコーヒーといった。もちろん、私は正直にコーヒーを飲むことなど初めてだといった。友人はびっくりして、「あら、私など、高校のときからよく、喫茶店に行ってたわよ」というので、そのことに私はびっくりしたのだった。
たぶん、初めてあのコーヒーの香りに触れた瞬間から、私のコーヒー好きは始まったのだと思う。
でも、だからといって、狩野さんのように、コーヒーにのめりこんでいくということはなかった。
私はたぶん、コーヒーそのものよりも、コーヒーというイメージに惹かれてしまったのである。コーヒーを飲む喫茶店という空間に。
街でたくさんの振袖を着た若い女性に会った。そうか、成人式なのか。私は福岡に出てきてはじめての正月すぎだった。あのころ福岡市の成人式は19歳だったので。
成人式という儀式に抵抗感があったので、誘われて冬山登山をした。「成人残念会」をしてやろうというのだ。冬山といっても、それほど大げさなものではなく、近場の雷山。今より寒かった冬、雷山にはスキー場があった。スキーこそしなかったけれど、板を借りて、雪の斜面を滑った。爽快だったなあ。忘れられない、一日になった。
自分らしい成人式の迎え方はあると思う。私の場合、おかげで振袖などというものを着るチャンスを逃してしまったけれど。考えると、あのころからすでに、みんなと同じことをするのはいやだったようだ。
だけど、何で残念会だったのだろう。成人になるのは、残念、もう少し、子供でいたい、という思いだったのか。学生だったので、社会人という意識から遠かったのかもしれない。頼りない大人の入り口への入り方だった。考えたら、大学の卒業イコール社会人という意識が強い。今はもっとそうだろう。大学卒業を成人式に代えるという考え方もあっていいのではないか。そんな気もするのだが。
地球の裏側に住む甥のYくんと、このところ頻繁に電話で話している。話す相手を限定してのパソコンを通じての電話である。お互いにパソコンの前に座り、相手を呼び出すのだが、まるでそぐ近くにいるように話せる。彼の住むチリは、まさに地球の裏側。何しろ、今は夏なのだから。ちょうど1年前、チリを訪ねたときのあの、名状しがたい感覚を思い出す。ほとんど2日がかりで飛行機を乗り継ぎ、冬から一気に夏へと下りたった、あの肌に感じた、ひりつくような乾いた空気。
年末にアプリコットの収穫を終わって、一段落らしい。チリの夏はめったに雨が降らない。今年は収量も出来もよいと期待していたのに、思いがけなく季節はずれの雨が降ったのだそうだ。それが結構なダメージだったらしい。アプリコットのような果物の収穫時期には、雨が降らないということが大切なのだと初めて知った。雨は、果実の表皮にダメージを与えたらしい。
そんな話を聞きながら、地球の裏側で暮らす彼らの日々を思う。冬の草原は雨が降らないので、枯れたまま。逆に秋から冬にかけて雨が降るために、青々とした大地が出現するのだと聞いた。自然のままにという言葉は彼らにこそ、当てはまる。私たちの普段のささやかな暮らしは自然から程遠いことを、思い知らされた旅だった。
昭和30年代から40年代にかけての写真を探している。しかも、福岡県内、どこで撮ったかがわかる写真となると、これがほんとうに難しい。
当時はカメラを持ってはいても記念撮影の写真しか撮ってないからだ。自分のも探してみた。やはり、ない。
これはそのころの古い、元岩田屋の写真で、シニアネット福岡のIさんが提供してくださった写真です。貴重ですよねえ。
先日もシニア世代が集まって、今までそれほど深くは考えていなかったけれど、これからは、それを何らかの方法で記録して、残していくことが大事だよねえ、という話になった。
今年は戦後60年という節目の年ですから。自分たちにしか、できないこと。さあ、これから、まず写真探し。いろんな人に声をかけてみなければ。
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