化粧女王を探す長い旅 by 大王 |
最近、湯●院のわけがわからない熊ハウスショップとか、猫グッズショップとか、なんとか美術館とか、トルコアイスの店とか、オランダでもないのに、オランダ村とか、スペイン村とか、わけがわかんない日本のテーマパークや温泉地のいかがわしい風景とかを見なれているので、『日本一怪しい公園』に着いた時、あああああ。ここが日本の風景だぜえええってとっても落ち着きました。
ここより心が落ち着く場所があったら教えてほしいぜ。えー。どうなんだ。まいったか●布院。てえ、別に湯布●には恨みはないんですが、俺なんかひねくれもんが、一人や二人、変だぜ湯布●http://www.caramelpot.com/10ws/16.php↑詳しくはここ読んでくれ。
とか叫んでも、何の影響もないだろうから、かんべんしてくれ。その湯布院にくらベたら、はるかに自然だぜ。ここは。
とにかく入り口に20分くらいいたでしょうか。なかなか中に入らずに、豚とかいろいろ眺めていました。
建物が入り口なのですが、ちょっとどきどきします。お客は、いまんとこ僕ひとりみたいだし、すっごく変わった人が受付にいて、とんでもないとこだったら、どうしよう。
きっとすごい変人に違いない。この公園作っている人は。
そう確信しているので、余計にどきどきします。笑い顔を振りまいている豚たちですが、僕には、笑顔には見えずに、なんか心の叫びみたいなのを感じました。
公園全体がそうなんですが、笑顔と教訓に満ちているのに、そこには悲しみがつきまとっていたのです。何の悲しみかよくわからないのですが。
でも、この悲しみこそが、この公園の存在なのであり、いつまでも心に残って離れない力になっているのは事実です。
きっと、この公園の風景に恐さを感じる人がいるとしたら、それは知らないうちに、僕が感じた悲しみを、恐いと感じているからでしょう。
でも、僕には、笑顔に満ちた悲しみが、心にひっかかり、いったいどうして、この公園はできているのだろう。興味を深めました。
入場料は300円でした。大人一人だから、かなり安い。受付には、ひとくせありそうな、おじさんがいました。この人が、きっと変人?経営者なのでしょう。無言で入場料を払いました。 話はあとにして、まずは見学です。
300円はいいなあ。ここまでくるのに、交通機関と宿泊料金含めて、総額2万円くらいかかってるからなあ。僕は、わざわざ、この公園にきたんだよ!
建物は、かつてドライブインだったとこを転用してつかっているようです。かつての名残りを思わせる、カウンターとか、座席配置とかに、昔のこの建物の記憶を思い起こしてくれます。
豚と並んで、この公園の重要なキャラクターである、ダルマが、園内の最初で出迎えてくれます。
なぜ、だるまなのか。それはあとからわかってくるのですが、もちろんこの段階ではわかりません。
それにしても彫刻にしては、ひび割れているし、金属でもなさそうだし。不思議な素材で、豚やダルマができています。
バンジー美女だそうです。ここを引いて下さい。自転車の車輪に金具がとりつけてあり、ここを引くのだそうです。
のんきに覚悟しながら、引いたら、むちゃくちゃにびっくりしました。白目をむいた美女?が落ちて来て、目の前にぶらあああんとたれながったから。。しかも足を骨折しとるです。
ひいいい。勘弁してくれええ。ってぶったまげます。絶叫したのは、おれのほうだぜ。
ブロンズでもないし、いったいどんな素材で作ってるんだろう。たくさんの像を。
微妙にひび割れができていて、そこをパテで埋めているのが余計に、まがまがしさを強調している像が多いのでした。
お腹に教訓を彫り込んである、ひょうたんだと、それなりにユーモラスなのですが、子供の全身がパテ埋めで補強してあったりすると、フランケンシュタインみたいで恐い。
ひえー。引きぎみに歩いていると、説明書きがあって、その通りにしてゆくと、ひび割れ少年の、ちんちんから、勢いよく水が出て来て、こちらの顔面にみごとにひっかかるのです。照準じているとこがすごいぜ。
また、力一杯ペダルを踏むと、地下から、こんな顔面が出て消えるという仕組みの人形もあります。
タイヤホイールを集めたオブジェがありました。夏の強烈な光線に照射されて、とても美しかったです。
この公園のシンボルは、間違いなく、豚だとおもいます。空から何かが降ってくるなあ。そう思っていると、頭上に豚が、べろをベロンベロンしながら、落下してきました。
石製のタマちゃん石。たまたま、こんなかたちだったのか。たくみにニュース性を取り入れることも忘れてないわけです。このタマちゃん石だけは、ちょっと異質で、負のオーラを感じませんでした。
これ以外のものはすべて、なにかものすごい負の力を帯びていたのに。
教訓をおなかに刻んだ『瓢箪太郎』です。笑顔の裏側にどんな、辛い事があるのか。じっと見ていると、笑顔ではなくて、彼の内面のつらさを味わいます。
お腹に「元気」文字を刻んだ、ナゾの生物。です。元気の文字は、自分自身にいいきかせているのかな。 玉のこし車です。変則の四輪で、荷台に玉が乗っています。作りものも、公園の大きな特徴です。廃物の自転車を使い、いろいろな動くものが作られています。実際に動くと思います。
園内で、もっとも『こわい』と感じたのは、実はこの豚です。上着はスーツみたいなジャケットで、耳の先が割れている。首をかしげて、とっても凶暴です。
すべての豚が笑顔ないしは、無害さを主張しているのに、この豚だけは、むき出しの凶暴な表情で、こちらをうかがってきます。どこにいても、彼の視線から逃れられないキがしました。 これも、恐い部類です。姫だるまと、鬼だるまが表裏一体につくってあり、回転させてとまると、あなたの運勢が。。。鬼のような心にも優しい気持ちが裏にあり、やさしくとも、裏側は鬼の心か。
存在そのものが教訓めいています。何度まわしても鬼が正面に出るといやになりますが、姫だるまが正面にきても、裏は鬼かあ、とキになってしまいます。
頭に急須をのせたまっかな豚です。急須の熱さで、全身がゆであがっているのでしょうか。
入り口にいた公園の経営者に、どんなことを聞こう。このころに少しづつ考えはじめました。でも、彼の作品をもっと見ておかないと。
左右非対称が人間の顔ですが、公園の人物や像の顔面は、左右で極端に違っている点も特徴です。表裏一体もの、と同じ様に、人間の存在や人生の先行きには、かならず二面性がつきまとうという教訓なのかな。
バンジー美女のような、大胆に動くものもすごいのですが、しずかに佇むこれらのものに囲まれた空間にいると、ここに立つために、わざわざやってきたことを忘れてしまいます。
もー。ここにこうして、わざわざやってきたのが運命だったようなキまでしてきますね。
作品はどでも、微妙にひび割れができていて、それがまた無気味感を増しているのですが、古い時期にできたものほど、ひび割れているというわけではなくて、新しいものでもじっくりみると微妙にひびがはしっています。
古い自転車やタイヤ、水道管かガス管の廃棄物を転用して手製でつくっています。もともと、こういう工作物が趣味なひとなのかな。工場とか経営しているひととか、発明マニアとか。そういう職業を想像していました。
実は、公園全体にいくつもの音楽が流れています。入り口にも、自動演奏の楽器があるし、公園内部にもあるのです。流れている音楽は、手製の自動演奏楽器がかなでる、夕焼けこやけであるとか、童謡系がおおいですが、なんとも物悲しさがみなぎっているのも、この鉄管再利用の廃物再生鍵盤楽器によるところが大きいです。
あとは、ブロンズ風の不思議な素材でつくられたカッパと昆虫。昆虫もすきなのかな。脈絡があるようでないのです。
公園の全景です。客は、僕しかいません。じっとしていても、汗が吹き出す夏の日でした。なんだって、こんな日に、ここに立っているのか。これが前世から定められた運命だというなら、僕は、じっくりとここを味あわなければ。
蛙であるような、ないような寝そべりカエルです。豚からカエルに移行はしなかったらしいですが、カエルがいました。でも、作者特有のデフォルメされたカエルで、豚ほどの存在感はありません。
きょうは暑いですね。おじさんは、いろいろやってみましたか。僕に語りかけてくれました。夏の日差しが容赦なく照りつけて、倒れそうな暑さでした。 この展示物は全部手製なんですか。 そうですよ。みんな作りました。 器用ですね。昔からこんなお仕事を?
いいえ、昔は普通に働いていました。
そうですか。では、趣味が高じて、というわけですね。
ええ、そんなものです。
ここでかかっている経費は、ほとんと元手がかかっていません。
へえ。
廃物をもらってくるんですよ。古い自転車とか、タイヤとか、たくさんありますからね。
それをもとに作るんですね。この像たちは、ブロンズなんですか?
いいえ、これは鉄筋コンクリートなんですよ。鉄筋にセメントやモルタルで、造形しているんです。
この微妙なひび割れの原因は、鉄筋コンクリートだったからなんだ。でも、なんでそんなに手のこんだ造型をするんだろう。
鉄筋コンクリートなら作りやすいと思ったんですが、最近、石を直接刻む事も覚えました。そしたら、石はけっこう簡単にけずれるんですね。
最初からわかっていたら、石で作ったんですけど。
でも、このひび割れに味わいがあっていいですよ。
ひとつひとつが、立っているのをみてみるのもいいですが、こうした造型ぶつが並び立つのを眺めているのも、ちょっと廃虚感があっていいです。
それから、このバンジー美女。すごいですねえ。白目むいているうえに、足を骨折しているのがいいです。すごく恐い。
足は最初から骨折していたわけではないんですよ。最初はふつうになってました。
えー途中からなんですか。
なんか、こうなっててね。このままにしています。
わざとでないとしても、白目とかはおじさんのセンスだろうし。足がぶらぶらなままなのも、おじさんの意図には違いありません。
バンジー美女に象徴されていますが、びっくりしたあとは、自分で始末をつけなければならない。そこが、また大人の公園なんです。
こしぬかすくらいに、びっくりしてびびれあがったとしても、そのあと、あーびっくりしたなああ。とかぶつぶついいながら、元の位置に戻すのに力がいります。
バンジー美女を頭上はるかまで、ひっぱりあげ、しかも、最後の段階ではかなりの力で、ぐううううっと自転車車輪をまわさないと、直立しないのです。
園内に親子三人の客がはいってきました。バンジー美女は、倒れ込みおじさんの次に出現する最初の大きなイベントです。
家族のうちの誰かが、『なんだろ、これ。ひいてみよ』と留め金を引き抜くと、まったく予想もしない眼前に上から逆さおとしの美女が、白目むいて落ちてくるので、ぎゃあああああああああああああああああああああああああああああああああああっつはははははははははははは
って、びっくりと爆笑が混在する複雑なリアクションで、家族の母親が地上にぶったおれるのでした。
これこそが!バンジー美女に代表される、この公園の主題なのです。無気味さと懐かしさ。びっくりと大笑いです。
母親がびっくりたまげて、地上にぶったおれながら、笑い続けていて、だんなと息子が、それをみて、苦笑してたり大笑いしたり。
これこそ、日本一怪しい公園だぜ。バンジー美女は、この公園が生み出した最大のスターなのかもしれません。
ところで、おじさんの正体は、なんなんでしょう。これで、この公園だけで生計をたてているのでしょうか。
趣味が嵩じて、そういうわけでもなさそうでした。おじさんは、あいまいな笑顔を残したまま、新しい作品を入り口に展示するために、離れてゆきました。
ここのあるすべてのモノは、おじさんの心の中に描かれた理想的な生き物だったのでしょうか。こわいものと、うちひしがれたような笑顔、そういうものがごちゃまぜになって存在しているとき、その公園の中にたっていると、おじさんの心の中が、伝わって来て、どうしたらいいでしょう。
ここに一人で来たことが、よかったなあ。そう思えて来たのです。誰にも気兼ねしないで、この空間にたたずむことができたから。
入って来た時に感じた嫌悪感が急激に薄れてゆきました。おじさんの心の中であると同時に、ここは、おじさんの理想郷でもあったからです。
今年は、大学生の出足が悪いなあ。おじさんがこぼしていました。 大学生がくるんですか。そうだねえ。夏休みに入ると、訪ねて来る人がいるし、何人かのグループでくるひともいるねえ。天候が悪いからですかねえ。
見慣れた園内の豚は、僕のお気に入りになりました。夏の太陽を浴びて、天上から水を吐きながら落下してくる豚。涼し気でとってもシュールです。しかも、形が美しい。何度みても飽きません。
でも、この場所でお客さん来ますか?駐車場が広いけど通過されてしまうのでは?
年間2万人くらいはきていますよ。その数字は、この道路を通過する車両の1%から2%くらいではないでしょうか。
田子作を地下から地上に露出させながら、おじさんはいいました。
頭上にはバンジー美女が白目をむいて、やってきたひとを驚かそうと、立ち姿でいます。
おじさんは、話を続けました。 元ではほとんどかかっていませんからね。
ここで廃品をいろいろ加工しているから、制作費は自分が作るからいらないし。
ここですか?この場所にうつって来たのは2年前です。それまでは山の中でやっていたけど、なかなかお客さんがこなくてねえ。 古いドライブインが、廃虚になっていたので、ここを借りました。
なるほど、入って来た時から感じていた建物の廃虚感は、ここが廃虚だったからです。
20年間も空家だったので、もう、女房とふたりでおれるようにするのに、清掃が大変でした。なんとか、ここまでしたんだけど、すごかったよ。
昭和50年代後期の仕様で、ドライブインは開店からほどなく廃業し、その後は、入居する人もなく、野ざらしになっていたということです。
レストランの名前は『オハイオ』 アメリカの南部の町の名前ですね。
オハイオかあああ。はるかアメリカの土地を思い浮かべるのですが、僕が感じたのは『オハイオ』で行こう!つぶれた店の命名をしたひとの、決意のほどだけでした。
メロンみたいな穴からしゃぼんだまを吹き出すカエル。何度もいっていますが、ここでの造形は豚が一番で、カエルは存在感が薄いのです。
これはね。こうするんです。 おじさんは、水車で自動演奏を続ける鍵盤楽器の後ろにまわって両手をかざしました。
おおおおおおお、おじさんが四本手になって楽器を演奏しているうううう。 だから『四手楽器』というのです。そうなんだああ。おじさんは、昔はなにをしていたんでしょう。
昔ですか、普通にはたらいていましたよ。バブル崩壊前迄は、会社をもっていました。
そうでしたか。では、これはまるきり趣味だったんですね。
趣味ではなく、本業です。会社していたころから、こういうことが好きだったんですか。いいえ。これは会社をやめてからはじめました。
おじさんがバブル崩壊から今迄どんな人生をたどってきたのか、それは、公園に立つと伝わって来ます。
この公園が、訪問してかなりの時間が経過してもなお、心の中に永遠の風景のように刻まれている原因は、それは、会社をやめたおじさんが、これらの造形を作るにいたった心の動きが、ひとつひとつの造形に刻まれているから。
だからこそ、忘れられないのです。 奥さんがおべんとうをもってきてくれました。おじさんのために。
四手ピアノの前から、おじさんが消え、二手ピアノに戻りました。 そうして、僕は、いつまでも、二手ピアノの前で、ああ。ここにきてよかったなあ。いつまでも、そう思っているのでした。
日本一怪しい公園。ここで過ごした時間にもやがて終わりが迫っていました。
おじさんは、公共交通機関で来た僕のために、国鉄小林駅まで送ってくれるといってくれました。
蒸気機関車は走っているのでしょうか。
公園を出るときに、おじさんが「たまちゃん石は、こうして、水をかけるとそれらしくみえるんだよ」と、水をかけてくれました。 入口の看板にあった「たまちゃんいし出来ました」の紹介文が、この石だったわけです。石を削って作るのがこんなに簡単だと思わなかったよ。石は硬くて大変だとおもってたから、セメントとモルタルでいろいろ作ってたんだけど、こんなに容易だったら、ほかのも石で作っていればよかった。
まるで空中を浮遊しているように、あてがなくゆらゆらゆれている、仙人の頭部に、ヘリコプターみたいな羽がついています。 恐竜と豚と仙人が、広い駐車場に並べてありました。
入口にはインパクトが必要だからね。何と何を並べるか考えている。おじさんは、説明してくれました。
さようなら。おじさん。帰りの時刻が迫っていました。ものごとには、始まりがあって終わりがあります。でも、終わりの時間は、始まったときから確実に時を刻みつづけ、ほんとうに終わりの時間を迎えるのです。
2時間以上前、永遠の時間の始まりのように思って、この公園にたったときが、今ははるかに遠く思いだされました。
それきり、夏の終わりとともに、日本一怪しい公園の記憶は、どんどんどんどん昔になってゆくばかりなのですが、僕の頭の中には、右の耳の先端がちぎれた背広を着た豚が、小首をかしげて、こっちを見ている姿が、突然に思い浮かぶことがあります。
ダイジョウブナノカ。おまえダイジョウブカ。おまえだけでなく、ほかのやつらもホントウニダイジョウブなんだろうなあ。
猜疑に満ち、われわれの不幸を渇望するような青緑色の豚の視線を、今もときおり感じるのです。
イイデスカ。とにかく時間がありません。到着は午後二時。湯布院は閉店する時間が夕方午後五時という設定が多いので、滞在時間三時間のうちに、どこまで回れるか!そこが勝負です。
いいですね、無駄な時間はありませんよ。
帰ったらさっそく資料をまとめて、週末には、試作を作り、来週そうそうの打ち合わせに間に合わせて。。。
お腹が減ったんですけど。ごはん食べる時間はありませんか?
最近、急激に太りはじめて体重が80キロを超えた。この10年間で30キロも増えたことになる。そのことと関係しているのか。このところ、まるでダイニジセイチョウキの中学生のように腹が減るのだ。とにかく、なにしろ腹が減る。巨大な体重を維持するためには、たくさん食べないとならないのだが、そんな時間はあるのだろうか。
時間はありません。
ひいいいいい。
すぐに食べれる蕎麦ならいいですよ。
蕎麦ですね、とほほほ、腹がへるなあ。肉を五キロくらいたべたいものだぜ。おにぎりとか、キムチなべとかでもいいし。
空腹と走るのだけは勘弁してくれないなかあ。汗をかくと腹が減るし、へたばるから走らないような展開だといいなあ。
ノコピイさんは、その間にも着々とスケジュールをたてています。いったい今日は、どこをどう行けばいいのか、すべてはお任せなのですが、時間がないので走る!汗をかく。そういう展開になることだけを願って蕎麦を食べました。
だったのですが、もっと食べたい。お代りはだめですか?だめです。時間がないですから。ここを15分以内で切り上げて次の場所に行きます。いいですね。
えええええー。蕎麦湯はああ?10秒以内で一気のみできればいいですよ。
やけどするよおお。時間がないです。さあ。飲むか飲まないか、五秒以内に決めてください。
蕎麦屋から、湯布院盆地が一望にできる。店の前に立つと、眼下に広がる温泉の湯気が、あちこちにたちのぼり、うっとりするほど優雅なながめです。
それにしてもこの蕎麦屋。蕎麦やさんというイメージと懸け離れていて、店内に光が溢れている。 しかも値段が安いのが驚く。有名な旅館が開業した蕎麦屋なので、ざるが1500円くらいしてもおかしくないと思うのだが、意外に安い。前回、湯布院に一人で来た時に、別な蕎麦屋でたいしてうまくもない蕎麦を食べたときにくらべると、とても心地がよい。
時間があったら、もっとゆっくりと蕎麦を楽しみたいが、予定の時間が来たので、蕎麦湯を一気のみして、席を立ちました。
山椒、七味など五種類の薬味が、ついてきた。どれを選んでもいいのだ。ちょっとうれしい。 つゆも九州の蕎麦屋にありがちな甘めではなく、しっかしと出しがきいた関東風の辛口なのも気に入った。 噛み締めるように、蕎麦を食べ、
時間ですよ。さあ、次に行きましょう!促されて席を立つ。少しお腹にものが入ったので、元気がでる。
しかし、この日、これほどまでに駆け足で湯布院を走ろうとは、誰が思ったのだろうか。体重80キロの我が身が恨めしいのである。
蕎麦屋のそばに、わたくし美術館という建物がありました。自宅を改造したような民家風の内部は、いろいろな展示物に溢れていて、不思議な気持ちにさせてくれます。
いきなり気に入ったのが、『逃亡』です。入り口にあって、逃亡の後ろめたさと怪しさを表現してくれています。素材は段ボールなのか。
それにしても、この絵のタッチ。狙って描いているとしたらかなりの腕だぜ。狙ってないとすれば、無心の人物が放った、無欲の勝利みたいな絵柄です。
逃亡にみとれていると、これまた謎めいた眼鏡をかけた郵便配達の人が脇をすり抜けてゆきました。
湯布院に来た記念に、ぜひ写真を撮らせて下さい。 えー私が記念になりましょうか。
なりますとも!
私は、体重80キロの腹部を郵便配達に押しつけながら、写真を撮りました。うれしいような、勘弁してほしいような曖昧な表情をしているのは、キットと、そのせいです。
顔面になっている壷がいくつかありました。これらの壷を、部屋にたくさんおいていると、寂しくないかもしれないけど、気になって眠れなくなるかもしれません。
この顔壷も、印象的でした。顔は毎日、この美術館で、静かに買われてゆくのを待ち続けているのでしょうか。そんなことは、どうでもいいんだ。壷は、そうつぶやいているようでもあります。
買われてしまうと、ここにいられなくなるぢゃないか。
それもそうだ。
壷と対面している時間的なゆとりがないのが残念でした。ノコピイさんが、遠くから、時間がないのよ。そういって、視線をおくっていたからです。
俺を買ったりするなよ。狐面は、そう叫んでいたので、買う気にはなれなかったけど、あってみる気にはなりました。 幸いなことに、ノコピイさんが、二階にあがってゆきましたので、まだ時間があるんだな。そう理解して、狐面の前にゆくことができたのです。
しかし、気が焦っているし、すでに、ここまで小走りに近い歩きかたで、わたくし美術館の中をあるきまわっているせいで。全身から汗が吹き出して来ます。 気ばかり焦る私の前に、万華鏡を説明するおじさんが現れました。ここの館長のようです。
展示物にあまり脈絡はありません。窓辺に並べてある女性の胴体や、ガラス細工のステンドグラスみたいな作品は、太陽光を背にしてすかしてみるようになっていて、きれいです。
太陽光を意識して作品が配列しているところが、普通の美術館と異なる点でしょうか。
太陽を受けた作品を見ていると、実際以上に存在感が増すものがあり、このおじさんの表情とか、女性の胴体とかはその部類です。
まだ、それほど時間がたってませんよね。 いえ。すでに15分が過ぎていますよ、そろそろ、ここを出て次にゆかなくては。
外は暑いでしょうねえ。 暑いですよ。 残暑厳しい折柄ですよね。 30度はありますね。
ひえー汗びっしょりになるなあ。肥満な肉体がうらめしいぜえ。呼吸をするたびに、ひゅうううううう。ひゅううううう。とへんなすきま風みたいな音が出てしまうんですが、当然、それは僕の意思ではありません。
意思ではなくとも、そういう音がでるんだから仕方ないではありませんか。暑苦しいとかおもわないでほしいです。 思っていませんよ。 狐面の前で、ノコピイさんが笑いました。
けっこう気にしているんですよ。気にしているわりに、汗はだらだら、呼吸は、ひゅうううううううううう。足取りはよたよたで、すきあれば話し掛けて、少しでも休もうとする。
ノコピイさんに遅れないようにほとんど駆け足に近い速さで歩きます。 肥満体にはつらい速度です。太陽もじりじりと強くなっている時間でもあるし。 やがて、だめだああ。もう歩けない。 ノコピイさんを追うのを諦めて、小学校のような妙な建物の中に入ると、そこは湯布院美術館だったのです。 とにかく座るところはないのか。周囲をよく見渡さないままに、座り込む場所を探しているうちに、妙な光景が目に入りました。
気がつくと、どんどん先に行ったと思っていたノコピイさんが、不思議な望遠鏡みたいなものを通じて、僕と同じものを見ているようです。
縦笛や横笛、フルートに東洋の管楽器。ありとあらゆる形の笛を手にした女性の集団が、たくさんいるのです。 なんぢゃあああこりゃああ。 しかし、肥満体から滴り落ちる汗で、視界にも涙のようにあせが入り込むのでまともに見えません。
笛集団が笛を吹きながらあちこちに散らばりはじめました。 縦笛は縦笛の方法で、横笛は横笛の奏法で、古典の笛はそのように、フルートはそのように。 てんでに統一なしに、笛をふきまくっているのです。 音楽のようでもあるのですが、特に旋律はないようです。自分の意思で吹き、合図があるまではやめない。建物のあちこちを吹きながら歩くのです。
いったいなんなのでしょう?笛を吹く人々が前を横切るたびに小さな声で尋ねるのですが、誰も答えてはくれません。
笛を吹くのに集中しているので。
ノコピイさああん、いったいこれはなんなのでしょう。ぜいぜい、しながら、僕は尋ねましたが、ノコピイさんは、何も答えず、ただノコピイさんの足が、太陽光を反射して輝いていたことだけが、今となっては記憶に残っているすべてです。
なぜなんだろう。どうして笛なんだろう。そして、ここでなにをしているんだあ。 噴き出す汗。したたりおちて、まぶたの内側までびっしょりです。こんなに疲れてなければなああ。笛の音にかきけされているものの、僕ののどは、さっきから、ひゅうううううう。ひゅうううううう。呼吸をするたびに、風が通過するような音が発生していたのです。
やがて、唐突に、笛吹きは終わりました。女性達は、笛を手にして、あっさりと最初の場所に戻って来ます。
おつかれさまでした。全員が一礼したあと、いったいなんなのだろう。追う気力はありませんが、好奇心に満ちた僕をはぐらかすかのように、さっさといなくなってしまいました。
由布院美術館は、木造でてきでいます。教室みたいな場所とか、講堂を思わせる場所とか。全体的に昔の小学校のような、印象が思い浮かぶようになっているのですが、その構造は複雑です。
由布岳の山頂に雲がかかりました。 そろそろ次に行かないと。ノコピイさんが、塔を降りはじめました。どこにゆくのか、とにかくついてゆかなくては。
太った身体にもっともきついことは階段ののぼりおりです。ひざはがくがくで、汗だらだらの時間が再び始まりました。
さあ、遅れないでついてきてくださいね。
ノコピイさんが、いきなり遅れはじめた僕の方をむいてそう言いました。
木造の螺旋階段がどこまでも続きます。いったいどこまで続くんだ。足がもつれてよれよれになりながら、やっと螺旋階段を抜けると、さらに階段がありました。
しかも、確か木造校舎の三階くらいにいたはずなのに、いつのまにか地上にでています。
階段が延々と続いていて、僕はもう、ノコピイさん、もう歩けません。昼に食べた蕎麦が、のどから逆流しそうです。
そして、ああー冷たいビールでも、ぐぐううううううううううううっとのみたいなあああ。
ぼやきながら山をのぼりました。
やがて、ノコピイさんの姿が遠くになってゆきました。 単に僕が遅れているだけなのですが、もう永遠に彼女に追いつけないような気がしました。
めまいがするし、汗はかきつくして、シャツもズボンも汗でどろどろです。
山頂についたら、だれがなんといおうと、山下清さんといわれようとも、芦屋がんのすけ、といわれようとも、上半身はだかになって、へたりこむぞ。
はうようにしてたどりついたのが、この山頂です。小学校の塔から、こんな場所まで道が続いていたのに驚きですが、そこに、汗ひとつかかずに、ノコピイさんが立っていたのにも驚きました。
なんと軽やかな身のこなしなのでしょう。全身汗まみれで、肥満した腹部が、だらしなく波打っている、おのれとなんという違いなのでしょう。
げふうううう。げっぷ。もう歩けませんでした。
丘の上に着いた時、僕はもうたまらずに上半身はだかになって、ごろごろ横になりました。
もう、世間体とか考えないことにします。だって、きついよ。
由布岳がきれいですねえ。
ノコピイさんが話し掛けますが、答えることはできません。由布岳の方向をみようとすると、自分自身の巨大な腹部がなみうっているだけで、由布岳ではなく、おのれの腹岳がみえてしまうのが情けない限りです。
では、私はしたの展示室にいますからね。 できるだけ、早くきてくださいね。
ノコピイさんが言うので、はあはあ。ぜいぜい。腹が波打つのをおさえながら、少し元気を回復したところで、身体をひきづるようにして、地下に降りてゆきました。
丘の内部に展示室があるなんて驚くことばかりです。
由布院で没した、放浪の詩人画家・佐藤溪(けい)さんのことを知っていますか?
いいえ。身体がきつくてかなわないので、ノコピイさんに返事をするときは、床に座り込んでいました。
上半身は実は裸のままなのです。裸の大将。ハダカノタイショウ。うつろに言葉が頭の中で反響していると、なんと壁の絵に、裸の日本髷を結った女性が、下半身の要所をお面で隠して踊っている絵に視線がとまりました。
ああー。おれとおんなじぢゃん。
ふははははは。ちょっとおかしくなりまして、笑いますと、絵もいっしょにわらっているようです。
隣の絵の人はちょっと恐いけど、頭に印象が残る絵です。
由布院で没した、放浪の詩人画家・佐藤溪(けい)。。。ノコピイさんの言葉が、読み方を表記した状態で再現されました。
壁一面は、この佐藤さんの作品なのだ。どうしてまた、あちこち放浪して、ここにたどりついたんだろう。
いいでしょう。時間は12分間ですよ。アイスにするか、お茶にするか。決めて下さい。冷たい飲み物はだめですよ。すぐに汗になりますから。
はい。では、梅アイスにします。
ところで、あの美術館は、由布院で没した、放浪の詩人画家・佐藤溪(けい)のために建てたというのは、ほんとうですか。
その通りです。 しかも、由布院で没した、放浪の詩人画家・佐藤溪(けい)は、あの美術館の建築が、彼を世に残したといっても過言ではないのです。
作品のすばらしさと同時に、彼の作品を展示している、あの不可思議な空間こそが、彼への愛情で溢れている。しかも、独特の建物なのです。
ノコピイさんは熱弁をふるって、由布院で没した、放浪の詩人画家・佐藤溪(けい)について語りはじめました。
このろこになると、僕の丸裸の上半身からは汗がひいていて、エアコンの心地よい風に吹かれていたのですが、ノコピイさんは、そんな、でぶでぶの吾が上半身をまるでみていないかのように、話を続けるのが、どこかおかしくもありました。
ノコピイさんの熱弁は、きっちり11分で終わりになりました。演説の途中で、あれほどの熱弁を続けていた放浪の詩人画家・佐藤溪(けい)への思いは、唐突に終わりになりました。
ノコピイさんが、一礼します。ありがとうございました。まるで道場から退出する柔道の選手みたいな一礼をすると、いきなり早足で、歩き出したのです。
こ、こ、こんどはどこへ?僕は唐突な出発についてゆくべく、汗まみれでよれよれのシャツを手にして後を追いました。
ノコピイさんの写真に後ろ姿が多いのは、走って前にまわるなどという軽やかな身のこなしができないからです。
ノコピイさんは、川にそって、ぞんぞんぞんぞん。づんづんづんづん。歩いてゆきました。
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早良郡日記
2005-09-13
【国家健全化計画2005】11 嘘だ!不健全行為40回
2005-08-04
【国家健全化計画2005】10国家健全推進章を受章
2005-07-09
【国家健全化計画2005】9巨大たん瘤の巻
2005-07-04
【国家健全化計画2005】8集団行為の摘発の巻
2005-06-30
【国家健全化計画2005】7 健全思想の徹底の巻
2005-06-27
【国家健全化計画2005】6
2005-06-20
【国家健全化計画2005】5 粘液まみれの幸福男
2005-06-17
【国家健全化計画2005】4 西区愛宕山刈り込み
2005-06-15
【国家健全化計画2005】3 採精バキューム、の巻
2005-06-13
【国家健全化計画2005】2 油山展望台に出動す、の巻
2005-06-06
【国家健全化計画2005】1 辞令交付さる、の巻
2005-03-30
謎のファッション男久々に登場
2005-01-13
そうなんだと思い当たる
2004-12-17
作品紹介
2004-12-06
黄金のキューピーの巻
2004-11-29
顔出しはイヤの巻
2004-11-14
おっしゃれえ
2004-11-11
ファッション命