柚のかくし味 by 柚 |
とにかく大変な一日だった。グラッときた時はオフィスにいた。パソコンでメールチェックをしていたのだ。ぐらりと横に揺れはじめて、あとは、棚からぱらぱらと本が降ってきた。私はこれはやばいと思って、大きなテーブルの下にもぐり、じっとしていた。ふっとライトが消えた。また灯ったとき、あわててテレビをつけた。すでにニュースは地震を伝えていて、少しずつ、地震の規模や被害の様子が明らかになっていった。
実は今日、天神近くで会合があることになっていた。携帯はつながらないので、電話をいれた。みんな集まれるかどうかはわからないけど、あるよとのこと。一時ごろ、テレビを見る限り、たいしたことはないように思えたし、天神のあたりがどうなっているか、知りたい気もあった。歩ける距離だったから・・・。
歩き続けると、結構ひどい。ガラスは割れているし、商品は雪崩落ちている。西通りには人があふれていた。会合にはやはり、四人しか来ていなかった。雑談をしていると、友人から電話。近くだったので寄ることに。
「すごいよう。水も出ないし、ガスは止まってる。靴を履いて室内を歩いているんだから。珈琲、飲みたいので、ペットボトルの水を買ってきてね」というのだ。
行ってみた。大きなペットボトルを2本かかえて。すでにマンション入り口では、タイルが剥がれ落ちている。余震が怖いので、9階まで階段で。おー、これはひどい。玄関から始まってどの部屋も足の踏み場もないほどの散乱状態。割れ物がすごい。もっとすごいよといわれた奥の部屋は三つの本棚が倒れ、本が散乱、パソコンもひっくり返っている。
思わず、携帯で写真を撮った。これに比べれば私のところの被害は微々たるもの。ああ、それにしても、まさか、こんな地震が福岡で・・・。だれもが呆然である。
仕事が始まり、続々と被災情報が入ってきた。ビルの構造やちょっとした場所の違いなどで、被災状況はわかれてくるようだ。何せみんな、こんなことになれていない。
倒れてきそうな冷蔵庫や食器棚、本棚を必死で押さえていた、という人が圧倒的に多いのに驚く。これって一番危ないケースではないだろうか。私は子どもの頃、母からとくと、言われていた。逃げられるなら外に飛び出す。建物の中で逃げるのがむずかしいなら、大きな机の下などに隠れるように、といわれていた。
次に多いのが布団をかぶって静まるのを待った。で、聞いてみると、すぐ近くにたんすがあった。あとで気が付いたのだが、あれが落ちてきたら危なかった、と。
なにしろ、福岡に住む人は油断ばかり。災害がもっとも起こりにくいところと思っているからねえ。とにかく、これからは意識を変えなければ。
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