柚のかくし味 by 柚


2004-10-15 運命の足音

運命の足音(五木 寛之) いつも出かける時は、文庫本を持ち歩くのだが、先日持って出るのを忘れたので、姉の本棚から拝借したのが五木寛之の『運命の足音』幻冬舎文庫である。文章に少し雑なところがあるが、心にひっかかってきたいくつか。

たとえば「深夜に近づいてくる音」。深夜自分にしか聞こえない音があるという。五木さんが聞くのは「コツコツ」という人の足音のようなものであるらしい。これはわたしにもある。しんと静まった夜更けにふと目が覚めることがある。何かの気配を感じて。その音はとてもかすかで、サラサラと何かがすれあい、ふれあう音。ある時はすぐ近くで、ある時は遙か彼方から、その音は聞こえてくる。音の正体を確かめたいとは思わない。静かにじっと聞いていると落ち着いてきて、また眠りが訪れてくれるからだ。

また、ある牧場の話がある。五木さんが見た光景は、牛たちの鼻先につながれた電線にふれるとびくりとする牛や、鎖に鼻先をつながれて一定の時間に円を描いて運動をさせられている牛の悲しい目などだ。

わたしも同じような思いを抱く。たとえばどうしても、猿回しや熊の演技をまともに見ることができない。彼らになぜ、演技をさせないといけないのだろうと思ってしまう。人間が自分たちの楽しみのために彼らにそれを強いている、そうとしか思えない。つい、自然の中にいるときの彼らの姿を想像してしまい、いたたまれない気持ちになる。人間に媚びて生きていくしかない彼らの運命を思い、暗澹とした思いにとらえられるからだ。

担当者から、生涯面倒を見ると自慢げにいわれても、それでお金を稼いできたのだから当然、彼らが今更どこに行けるというのだろう。


2004-10-16 江口章子のふるさと

  なにゆえに/うらぶれはてて/故郷へはかへり来し

これは、大分県が生んだ悲劇の女性詩人江口章子が残した唯一の詩集『追分の心』の中の一編「ふるさと」の部分である。

大分県の人と話していて、突然、章子のふるさと大分県西国東郡香々地町にある長崎鼻の海触洞穴を思い出した。その一番大きな洞穴には、石窟寺院があり、石仏が納められている。洞窟内に立つと潮の満ち干によって潮が吹き上げられ、洞内にはまるで仏のつぶやきのように波の音が響くのである。

長崎鼻には、故郷の座敷牢でさびしい死を遂げた北原白秋第二夫人江口章子の詩碑が建っている。章子は、白秋の詩人としての基礎を築いた伴侶であったといわれている人。その波乱の生涯については、原田種夫や田辺聖子の小説に詳しい。

ふるさとに帰りながら、ふるさとから見捨てられ、もっともふるさとから遠い心を抱いて死んでいった章子の心のように、長崎鼻は、寂しい場所である。

詩集『追分の心』が発刊されたのは昭和九年、章子が狂死したのは二十一年、五十九歳のとき。まるでその最期を意識したかのような詩である。この詩はさらに次のように続く。

  いまさらにうらぶれの身の/かえるまじきは/ふるさとと/砂白き浜にしるさむ


2004-10-21 台風とロウソク

台風の日、一日こもって、吹きすぎていく風の動きをみていた。

ふと思いついて押入れの整理をしていたら、古びたバッグの隅にそっと押し込んである小さな包みを見つけた。最近使うことのなくなったロウソクとマッチである。

子どものころは雷が落ちたり、台風がきたりするたびに停電したが、どういうわけか、夕食の最中というのが多かった。そのときは決まって母が手探りでロウソクを取り出し、マッチで火をつけた。復旧するまでは三十分はかかるので、薄ぼんやりした灯りで中断した食事を再開するのである。

あるとき、理由は覚えていないが、父が大きな声で弟を叱った。とたん、いつものように停電が始まった。私は即座に大声を出した。「かあちゃん、ロウソクはどこ?」

母があわててロウソクを灯すと、ぼんやりした炎が食卓と家族の顔を映し出し、兄がふざけて、ロウソクの炎にアカンベエの顔をかざしてみせた。どっと笑いが起り、それきり父はなにも言わなかった。

自分の家族を持ってからは、私も押入れの隅に懐中電灯ではなく、必ずロウソクとマッチを用意していた。停電することなどほとんどなくなって、使うことのなくなったロウソクは今でもしまわれたままだ。

たまには停電で、慌ててロウソクを灯すなどということもあっていいのにと勝手なことを思ったりした。便利になったことで失っていくものも多いのだと、ぼんやりとした思いにとらわれながら。


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