柚のかくし味 by 柚 |
長崎に原爆が落ちたその日、原子力発電所で事故は起こった。その思いがけない符号に暗澹とした気持ちになった。その日、ビアガーデンに集った人としばし、自然の摂理について話した。このところ、起こるいろんなことが、人間の傲慢さに対する自然界からの鉄槌であるかのような気がする、と。
天神に向かうバスの中で出会った若い男性は、不思議な存在感を持っていた。長い髪をひっつめにし、ジーパンは両膝がぱっくり開いて、いた。どうみても、昔懐かしい言葉でいえば、ヒッピーという雰囲気なのである。友人と話す会話が耳にはいり、聞くともなしに聞いてしまった。産大を卒業したのだが、思う仕事がない。それなら、もう一度大学に行こうと猛勉強を始めたという。「私立は高いので、九大に入ることしか考えていない」と。受かるという保証はないが、受かりそうな気がすると、彼はいう。そうか、彼はきっと来春には晴れて九大生になっているだろう。そんな思いをいだかせた。その自由さがいいなあと、ちょっと思ったのだった。こんな風に軽々と生きられる、それもまた今という時代なのだ。
お盆休みというのに、親孝行も先祖供養もできずに終わってしまった。この間、韓国で日韓詩人アンソロジーの翻訳作業の確認をするために釜山で過ごすことになったのだ。150人ほどの詩を日本の詩は韓国語に韓国語の詩は日本語に訳してもらう。日本語の微妙なニュアンスを理解してもらうのはとても難しい。特に日本の詩は、「読めばなんとなくわかる」では、相手にわかってもらうことができない。けっこういい勉強になった。戻って今日は別のほんの最後の原稿をチェックした。けたたましく忙しかった日々。でも、なんとか落ち着いてきそうだ。8月が終われば。
夕方、精霊流しに向かうのだろう人々に何人も会った。このあたりでは、迎え火と送り火にアシガラを使う。私のふるさとでは、どうだったろう。確かに迎え火と送り火を焚いた。アシガラなどはなかったので、小さな木ぎれだったか。精霊流しは墓からの帰りに蓮の葉を摘んできてそこにお供えを包んで川まで流しに行った。ナスで作った牛、キュウリで作った馬、酸漿、落雁・・・・。そんなことどもを思い浮かべながら、歩いた。やはり、盆はふるさとで迎えるのが一番だろう。
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