化粧女王を探す長い旅 by 大王 |
上海に行くんだけど。
そう話したら、じゃ、珈琲を買って来て。と頼まれた。 頼まれたのはいいけど、上海の珈琲なんて有名なんだっけ?中華人民共和国の珈琲なんて、あまりきいたことはない。
インスタントはだめだからね。マメでないと。
そう釘をさされたので、国慶節の上海を珈琲豆を探してうろうろすることになった。
でも、インスタントはあるけど、本物の珈琲はすくない。デパートにゆくと確かにある。
しかし、それはブラジルであったり、グアテマラであったり、中国産ではないからだめだ。
どんなにおいしくなくても、中国国産のものでなければ!
小学生のころ、『未来の日本を描いてください』とかいうと、必ず描いていた、にょきにょきとのびる塔とか、ビルとか高速道路の絵とか好きにかいて、これが未来だぜえええええ。ってみんなでかきまくっていたその絵が。
現実のものになっているのが上海です。魔都だった共同租界の付近から海岸に出ると対岸にすごおおおおおい、絵に描いたような未来が、開けているのにびっくりします。
いったい何がおきてるんだあ。たかだか人口120万人の地方からきた僕には、この光景だけで圧倒された。
どっかの家族にカメラのシャッターおしてえええ!せがまれたので押しました。
対岸の未来都市に渡ろうとするけど、渡船とか、どこからのるのかわからないし、歩いてゆこうにも、近くに見えてとてつもなく遠いのが中国だ。
日本みたいにちまちましたビルではないので、ひとつひとつがでかい。それで近くに見えていても、ちっとも近くないのが中国の地理なのである。
結局地下鉄でいったけど、歩いていたらとんでもないことになっていた。それほど、遠かったのです。
対岸から見えていたタワーは「東方明珠塔」といって、近くかだだとでかすぎて全景が撮影できない。にあがる。
地上350mのところに展望台がある。ばかでかい塔で。塔はやっぱああたかければたかいほどいいのでしょうか。
ぎょええええええええ。
すごく高いタワーから上海の街を見ていたら、上から人が6にんぐらい降りてきたのでびっくりした。窓にとまって、いきなり、ふきそうじをはじめたんだ。
これってパフォーマンスなんだろうか。人力で掃除してます!って観光客向けのアトラクションなのかな。
そうおもいたくなるほど、命綱をつけた六人の男たちは、ぞうきんを手に、腰にさげたポリバケツに、ぞうきんをひたしては、窓をふく!
東洋一高いとかいう割には、こういうところは人力の人海戦術なんだあああ。
なんか、宇宙船「神舟1号」なみに怪しいのである。
漢字で書きまくった宇宙船が、ほんとに宇宙にいったのかあ。
日本も見習え!横文字つけて打ち上げるから失敗するんだあ。
それはともかくとして、外国人観光客が圧倒される中、窓にへばりついた掃除人たちは、どんどん窓を拭き終えると、どんどん下の部分に降りてゆくんだけど、いったいどこまでぶらさがるんだ。
時給いくらなんだろ。気になりました。
現在上海市の人口は1614万人に達しており、中国の4直轄市のうちトップの重慶市3090万人に次いで、第2位である。。。。。
ええええええー上海よりでかい都会が同じ中国にあるのかよおおお。
この人影がいないベンチシートをなぜ撮影したかというと! それは、視界の中にただ一人も人がいない場面って、この一瞬しかなかったからです。
もーしにそうなくらいに人がおおい。この風景も撮影する直前迄ひとがぎっしりと座っていたのだ。
たまたま地上に向かうエレベータがきて、みいいいんなそれにのって降りていったし、のぼって来た客はとりあえずは展望しに上にむかうので、その一瞬だけ、ひとがいなくなった。
しかし、巨大都市の上海は、その新しさと、ビルのでかさのてんでは、日本のどんな都市ががんばってもかなわない。
たった20年そこらで、こんなに高層ビルがにょきにょきできたのかとおもうと、共産主義はすごいぜ!
日本が30年がかりで道路をひろげて、ちまちま二車線作っている間に、あっちは、」たった5ねんやそこらで、片側六車線の高速道路でない一般道路をつくりまくるのである。
午後10時なんでっせ。午前10時の出勤風景ではなく、夜の10時すぎに、こんなに人がうぢゃあああああっといるのです。
どこまであるいても、このひとごみから逃れることはできません。裏路地にはいったとしても、同じです。
歩くだけでへとへとになります。
しかも、こんな風船をもった一群がいて、風船トンカチを手にした一群同志がすれ違うと、トンカチであいてをぶったたいてもよい、という暗黙の決まりがあるようなのです。
あちこちで派手な笑い声とともに、ぶったたきあいが始まります。
1体1とか二体二とかささやかな場合はそうでもないのですが、男ばかりの20人規模と、20人規模同志がぶつかりあったときなんか、すごいことになります。
まるで喧嘩みたいなありさまになるのです。
でも、すかさず警官隊がやってきて、笛をふいて、解散を命じられます。警官がどこにでもいて、始まると出て来る。
群集は逃げちる。
その警察官も雑踏警備につかれるのでしょう。通行禁止にした歩道橋の上にゆくと、警官隊がすわりこんで休養している姿を何度か目にしました。
まるで、箱崎の放生やが、どこまでいっても続いている。あるいは、阪神優勝の道頓堀近くの歩道が三時間あるいても続いている。
それほどの雑踏が延々と夜中迄続いているのです。
国家の建国を祝う祝祭なのですが、そういう国家的なスローガンは、役所とか、官公庁のところに、申し訳程度に「中国共産党のもとで祖国躍進に力を注ごう」なんて、赤い横断幕がさがっているだけ。
あとは、深夜営業のデパートとか、土産物やとかが、怒濤の営業をしています。
もー、元気そのもので、もともとが元気でない、俺には、それみているだけで、くたくたになるくらいの爆発した表情でいろんな人が、じいさんから子供迄あるきまわっているのです。
いったいどうなってるんだあ。上海
歩いていると屋台があったんで、焼いてあるものを買って食べました。なんの肉だったか覚えてないけど。母娘でやっている屋台です。
写真とらせてくださいーと頼むと、ふたりでポーズとってくれました。ありがとおお。
どこかでは、宝石店の開店セールにでくわしました。香港宝石をなのる店が大量に出店していて、あっちでもこっちでも、若い男女のカップルがはいっていましたけど、中国人って、こんなに宝石すきなんだ。
店はどこもどでかいとこばかりです。
人込みにへとへとになって、部屋でそのまま寝込み、翌朝再び通りにでてみると、新たな人がたくさんでていて、おのぼりさんだけでも上海に350万人くらいやってきているらしいぞ。
こどももじいさんもばあさんも、道に座り込んでごはんたべてるけど、彼等は野宿したのだろうか。
へんてこな風船を背景に、家族連れた写真をとりまくっていました。
そして、さらに新しい宝石店の開店にでくわしました。宝石店の出店競争が激化しているのでしょうか。さっきのはアトラクションが中国古典演劇みたいだったけど、こっちば、吹奏楽団です。
しっかし、その前に社長のあいさつが30分もあったぞ。いつかいてんするんだあああ。って音楽が始まる迄そこにいてしまいました。
上海のエネルギーは、負の力では勝てないです。阪神優勝したときの関西人くらいしかかてねえんぢゃねえのか。俺には無理です。
ぶらぶら歩いていると、公園の中に、茶店がありました。喫茶店みたいなものでしょうか、『茶』の旗が出ています。
中に入ると、薄暗いのですが、おおぜいのひとがお茶を飲んでいます。
いったい、どこに座ったものか、まごまごしていると、こっちですよ!中国語で案内されて、一番奥の蓮池がみえる席に案内されました。
蓮池はすでに暗闇の中なので、まっくらです。
烏龍茶を頼んで、最初の一杯はいれてもらいました。
デジカメで写真撮っていいかな?質問すると、いいよーっと答えてくれたので、撮影していると、記念写真も撮って、メールでおくってほしいといわれたので、日本から写真付きメールでおくってもみれるのかいな?
みれるよ。中国は日本より発達してるんだから。インターネットが。
そうなんだああ。
そうだよ。
へーしんじられない。。
ちょうど、中秋の名月の時期でした。そのときは、有名な月餅専門店で、月餅を買って家で食べるのが上海の流行のようです。
どんな店にも月餅があるんだけど、ひときわ、通りに迄行列がはみだしていたのが、有名月餅専門店でしrた。
このときばかりは、並びました。30分くらい並んで、やっと自分の番がきたああああああ。
って、がんばるんだけど、もーすざましい。隣から後ろから、どんどん割り込まれて、このままでは、買えないまま行列からはじきだされてしまう!
必死で注文して、ひとつたのむところが、気合いで2つくれえええええ。て叫んでました。
だって、みんな月餅12個入りのカンを一人で10缶とか15缶とかかってゆくんです。
そんなに月餅たべまくってどうすんぢゃああ
月餅を購入したあと、本気で珈琲をさがしにゆきました。
ほんとに、どこにもない。まずマメがないんです。どこも、案内されるのは、インスタント珈琲のコーナーばっかし。
高級品で国産で本物の豆はないのああ????
通行人とか、別の店とかいろんなひとに、ききまくったら、なんと午前0時を過ぎても営業している、食品マーケットの一角でついに発見しました。
中国の珈琲です。海南島産で、ばいせんは深煎りか。とってもにがそうな色でしたが、まー本物なんだから!
さっそく300グラムかって、みやげにしました。どんな味がするんだろ。
でも、普通のビニールとかにいれてくれるんで、こんなんぢゃ、香がぬけてしまううう。って心配してたけど、もともと香りはあまりありませんでした。
日本に戻り、約束とおりに珈琲すきな知人に、中国産珈琲をプレゼントして感想をききました。
なにしろ、ぼくはhttp://www.nishinippon.co.jp/media/A-3000/9712/cafe/cafe3/saikyo-top.html
ここでも述べているように、珈琲が苦手なので。苦いし。通が鑑定した中国珈琲の味とは!それは。。。。
苦かった!
おいしかった?
苦かった。
それっておいしいってこと?
苦くてねえ。
また飲みたい?
たくさんあまってるから。
ええええええーおれが わざわざ上海に珈琲をかうだけのためにいったというのにいいいい。そんな感想なんってえええ。もっとさああ。真剣に感想してくれええええええええ。
苦い。
化粧女王を探しているなら、大分から熊本に抜ける茶屋に行くといいよ。
思わぬ情報をもらったので、さっそく峠の団子屋を訪ねた。うまそうな団子が焼いてあるので、ひとつください!
声をかけたら、なんと、化粧している男が売っていたのだ。えええー。なにこれ?ここは日本デスカ?
ココハー。ニポンデスカ?
店員全員がタヌキかキツネの化粧をしていて、普通に会話するときに、「ありがとうだコーン」
とかキツネ言葉で会話するんだけど、なんか、すごく濃いよねええ。
「化粧とったら美人なんだってコーン」
「ほんとなんすか?」 「んまああああ。失礼だコーン」
いやいや。そういう意味ではなくて。 化粧していても、おきれいということだピョーン。
ところで、ポンキチさんも、コーンなんですね。
「おいらを撮影すると高いでコーン」
はい、すみません。
実は、みなさんに隠していたのですけど、宮崎県小林市にある「日本一怪しい公園」のすぐそばに、日本一怪しい公園なみに怪しいドライブインがあるのです。
とりあえず、道路にそって、こんなものが突然に出現します。
太陽を背にしているので、圧倒的にまばゆい。
高さは五メートルくらいあるでしょうか。巨大な人物が、ばんばん立っています。
日本の神話を題材にした造形物なのですが、怪しさは、あの公園を越えているかも。。
神話を再現した造形がドライブインの庭に並んでいるのですが、客寄せにしては強烈な破壊力です。
客もあとずさりするほどの破壊力は、お茶目な造形なのに、どこか恐いという点です。
この孫悟空は、猿ではなくて、人間の姿をしているのですが、表情が、妙にこずるいのです。
世間の風にふかれているうちにすっかり不純な人間になってしまったのでしょうか。
なんだか、沼地にでもはまっているような、活力のなさです。腰迄はまってしまい、どうしたらいいものか、かんがえあぐねています。
傍らでは、女性が意味もなくセクシーポーズをとっています。上半身裸なのですが、優美という感じはしません。
なにしろ、沼なので。どよどよしています。
ドライブインは、『しし料理の店』なので、どこからともなく、ひょっとして池の中から、豚の悲鳴みたいな声を何度も聞きましたが、声の発生源がどこなのか、確かめていません。
北朝鮮の偉大な指導者みたいな像も、指差しています。神話にもとづく創作公園とでもいうのですが、日本の神話も中国のもごっちゃになっています。
日本一怪しい公園の経営者のおじさんに訪ねたところ。『これは、私が作りました』とあっさり回答されました。
コンセプトが似ているけれど、細部の造形が違うと、考えていたのは、あれは最初のころに作ったものだったから、ということなのです。
また、おじさんがバブル経済の中で経営していた事業が順調だったころに、経営していたドライブインの庭に、造形をはじめたのが、きかけだったのです。
『つまり、自分の店の庭に、客寄せになればと、自分で作っていました』
でも、会社が倒産してしまい、店を手放すことになったとき、店で働いていた従業員に譲ったのが、この店だったのです。
しし料理だけでなく、うどん、そばコーナーもありますが、客がいる気配はどこにもありません。
ほんとうに客寄せになっているのでしょうか。
口の中が妙にリアルな牛とかもあります。ペンキの塗りが新しいので、おじさんがメンテナンスしてるのかな。
股間を隠した縄文人?の夫婦の後ろで、ウルトラマンがポーズをとってます。
しげみの中から怪しい人物がいます。妙に明るいカッパにひょっとこもいます。
あれから30年は過ぎたのですが、毎年、この11月になると、必ず思い出すできごとがありました。
まだ子供のころの記憶なので、それが現実のことだったのか、それとも夢の中のできごとだったのか。まったくよくわからないのですが、ひとつだけ強烈に覚えている光景があるのです。
それは、秋がかなり深まった肌寒い日だったのですが、当時、小学生だった僕が、家族で海岸ぞいのホテルに宿泊した記憶です。
しかも、それはどう思い出しても平日で、週末や祝日ではなかったのです。なぜ、曖昧な記憶の中で、曜日だけは、平日だったとハっきり覚えているのは、謎なのですが、確かに平日に、海岸ぞいのホテルに泊まったことは間違いありません。
この話を始めると、たいていの看護婦さんは、また始まったとばかりに『はいはい。はーいはい。ケンオンしましょう。はーい、何度も聞きましたよ』
さっぱり相手にしてくれないのですが、一人だけ、僕の夢の記憶を粘り強く聞いてくれる看護婦さん。
それが、キツギさんでした。
今は、『看護婦』さんではなくて、男女共通の職業になったせいでしょうか。看護婦とは呼べなくなり、看護師と呼ぶことになっていますから、女性看護師であったり、婦人看護師なのですが、僕の記憶の中では、キツギさんは、やはり、看護師ではなくて、看護婦なのです。
だから、いろいろと御批判はアリマショウケレドモ、僕はキツギさんのことを、今もずっと看護婦さん。そう呼ぶことにしています。
第一に、あれはどこのなんというホテルだったのでしょう。海岸ぞいにあるホテルなどは、ざらにあります。しかし、夢の中のホテルは、僕の記憶の内部にだけ存在するようなもので、実在しないかもしれないので、探すにも手がかりがありません。
キツギ看護婦は、ケンオンで僕の病室に入って来るたびに、僕が、キョウハココマデ思い出しました!小学生時代に僕が両親と宿泊した海岸ぞいのホテルの話を飽きもせずに聞いてくれる点が、ほかの看護婦さんと違っていたのです。
いったい、そのホテルはどこにあったのでしょうね。ケンオンするときに、時間があるから、ケンオンしながら、いっしょに考えてみましょう。 キツギ看護婦は、ケンオンしながら、目をつぶって、僕のためにホテルの場所をあちこち考えてくれるので、僕は、その横がヲをうっとりと眺めているだけで、いつまでたっても、ホテルの場所を思い出すことがなかったのです。
しかし、キツギ看護婦のケンオンの日が、二日連続で続いたときだったでしょうか。キツギ看護婦の頭の中に描いた、ホテルの光景が、僕の頭にはいってきて、ああ、ここだ、ここです。ここですよ。間違いありません。
静かに語りかけると、キツギ看護婦は、いつものように、微笑むだけで、そのまま、後ろ姿となり、病室から外にでて、夢の中のホテルの中に溶け込むように入っていくのを、僕は確かにみました。
キツギ看護婦は、僕の記憶をたどるように、奥へ奥へと入ってゆきます。
ホテルはすでに廃虚になっていました。30年もすれば、経営が悪化して倒産して閉鎖したなんてこともざらにある世の中ですから、それはそんなに驚くことではないのですが。
あのホテルは、30年前に開業してほどなく倒産したようでした。新品のまま、誰が引き取るでもなく、風雨に打たれて、ぼろぼろの残骸になるまで、たったの30年という時間しか、かからなかったといえます。
床が抜け落ちて危うい状態なのですが、キツギさんは、屋根も半分崩れている部屋に入りました。
そこは、従業員専用の宿舎だったようです。六畳一間だったお思われる間取りが、4つ並んでいました。すでに畳もはがされ、風雨にうたれるままに、荒れ果てていたのですが、一番奥の押し入れの周辺だけは、まるで新築したように新しかったのが意外でした。
昭和47年の日付けがある朝日新聞の古新聞が、押し入れの中に残っていました。 ホテルは、そのあたりまで営業し、やがて経営不振で倒産したのでしょう。
『キツギさん!』
僕は声をかけましたが、強い風が吹いていて、僕の力がない声は届きませんでした。
『キツギさん!』
もう一度呼び掛けました。
彼女の現実の中から、消えてしまったように、僕の存在も、声も、差し伸べる手も、彼女に何も届かなくなっていることに気がついたのは、この時からです。
キツギさんは、無言のまま、視線をあちこちに動かすのですが、視線の先には、僕の姿を一度も捕らえることがなく、言葉はなにひとつかえってきません。
僕は、キツギさんを『呼び戻す』ことを諦め、彼女のあとをついていって、子供のころの記憶を呼び覚ますことに努めました。
従業員宿舎には、何の記憶の手がかりもありません。
昔、たくさんの人が集まっていた場所が、今は訪れる人もいない。その荒んだ光景の中にたっていると、現実感がどんどん薄れてゆくものです。
やがて海が見える丘のような場所に出ました。キツギさんは、眼下に広がる池のような構造物の廃虚を眺めていました。
それが、何の廃虚だったのか、みているうちに思い出しました。そこは、海に面したホテルの専用プールだったのです。
防火用水のように、濁った水が沈澱しているプールの水は、強い風にあおられて凶悪にさざめいています。
キツギ看護婦の足下が、靴下も靴も、白ではないことに気が着いたのは、この時でした。病院の規則では、必ず白の靴下と、白の看護婦シューズであることが決められていたはずです。
怪訝に思う事はありませんでした。このときは、かつて宿泊したホテルが廃虚と化していた現実の方に驚いていたからです。
全国には、巨大な廃虚を好んで訪ねて写真を撮影する趣味の人も多いようです。たとえば、このホテルの残骸を、インターネットで検索してみますと、すでに、訪問して写真におさめて報告している人も数多くいました。
廃虚を訪問する趣味の人々の間では、このホテルも、名所というわけなのです。
ホテルの名前は『串崎ケープホテル』と言いました。覚えていたからではなく、ホテルの外壁に、かつての正式名称が、この残骸の今は唯一の誇りであるかのように付されていたからです。
串崎という岬に位置するホテル。岬は、二方向に対して眺望が開けているのですが、もっとも突き出した岬の突端は、険しい山と樹木に遮られて、海は見えません。
キツギ看護婦を追い掛けているために、ホテルの全貌をなかなかおみせできないのが残念ですが、廃虚を訪問するのが、僕の目的ではないので、廃虚趣味の人は勘弁してください。
それにしても、無言で先を急ぐキヅキ看護婦の白衣が、何度も光に輝いてみえるのは、不思議なことでした。
この日は、雨まじりの強風が吹き付ける廃虚にとっては、とても無気味な世界になっていて、ろくに太陽もなく、まるで暗鬱な北国の冬のような風景なのでした。それなのに、わずかな太陽光線を拾い集めて反射しているかのように白衣が輝いていたのです。
『どこまで行くのですか』
僕は内心こわくなっていました。 かつて滞在したホテルとはいえ、あの時と今とではなにもかもが違っています。
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