化粧女王を探す長い旅 by 大王 |
なにしろ、65年ぶりのことです。前例は高齢者の記憶の中にしかなく、当時と同じ手順を正確に再現することは、もはや不可能でした。
しかし、心の中に脈々と受け継がれていた式典の精神というものは、不思議なもので、語り継ぎ、実地に指導をうけなくとも、そのように体が動いてしまうのが不思議な点でもありました。
寺の境内にやってきた3人は、もっとも後輩にあたる一人の頭に直にカエル帽子をかぶせることで、新たな同志の誕生を祝福することになるのですが、これには、少しばかり手順があるのです。
何かを語りかけるのですが、それは当事者でないとあかせない秘儀になっていて、必ず口伝されるために、記録することはできません。
そして、なごやかな午後の時間を近くの集落の訪問の時間にあてます。青年壮年の男子は、すべてこの式典の最中は、国土防衛総合大演習に動員されていて、平和台練兵場で演習をしています。
村に残るのは、工芸や技能に優れ、兵役を免除されている青少年のみです。老人はいますが、ひっそりと奥にいるため、表には出て来ません。
どこをどのように唐突に訪問しようが、すべては、彼女達の自由です。どの家にいっても、縁側から室内に入り込み、茶菓の接待を受けることになっています。
さて、この3人は、どこにでかけるのか、出かける先はわかりません、わかりませんが、訪問をうけた家は、このイチネン。幸福が続くと言われます。大歓迎されるわけです。
しかし、おおはしゃぎで歓迎してはなりません。訪問を受けた側は、声を出すこともはばかられ、ひそやかに幸福をかみしめるだけなのです。
ここに紹介する福岡県のある村の場合、訪問を受けたのは、村で木工業を営むある職人の家となりました。もちろん、この瞬間、どこにゆくのか、誰にもわかっていたわけではありませんでした。
節分の正午から始まった式典は、日本国内どこでも行われ、それぞれの土地で、かえる帽をかぶった少女たちが町や野原を歩いていたのです。
新聞やテレビなどの報道は、政府通達によって禁じられ、写真などの撮影もカエル帽をかぶっている本人に限り、記念撮影のみの構図に限り認められていたのです。
この福岡県の地方で行われた式典の様子は、特に、全国かえる化推進本部が派遣した内閣記録班の撮影によるもので、とても貴重な記録映像となりました。
ある一級河川の川土手に集まったカエル少女たちは、思い思いの姿で、カメラの前におさまっています。
タイショウ時代当時の式典の様子がほとんど現存していないのですが、当時を体験した当事者たちのあいだに、いまだに強烈な記憶とともに思い出すのが、こういうなにげない時間の経過だということは、福岡県所在の留川スルさんの記憶でも明らかです。
スルさんが思い出すには、「郡役場から特に指名された私は、天子さまからちょうだいしたカエル帽子とカエルショールを身につけて、朝から村の神社にでかけました。春だったと思います。桜の花が咲いていて、それはもう。。。人生でもっとも幸せな時間でしたねえ」
スルさんは、目を細めながら、遠い昔を振り返っていました。
スルさんが体験した至福の時間を、同じように体験できるようになった。平成16年に生きる我々は、なんという幸福な時代をいきているのでしょうか。
やがて、大人になり、子供を育て、いつしか、カエル帽子をかぶれない時代になったとしても、彼女たちの心の中に、かえる帽子をかぶっていたあの瞬間のことが、永遠に刻印されるのです。
彼女達の目的地のひとつは、神社または、寺院。それとも両方でもかまいません。神仏にいきている時間を感謝し、カエル帽をかぶる幸せをかみしめることです。
タイショウ時代と同じように、65年ぶりに、神社の境内と寺の境内に、かえる帽子をかぶった少女達が集まるのです。
神仏もまた感激の極みにいるにちがいありません。
いよいよ週明けからは、参議院での法案審議が始まります。かえる帽子着用義務化法案が、無事に成立するでしょうか。われわれは、街頭で職場で法案の成立を、願わなければなりません。
小泉首相に抵抗するすべての野党勢力を排除し、全国をカエル化する崇高な使命のもとに、カエル帽子の進撃を、きょう、この瞬間からはじめるのです。
今から65年ほど前、日本女性は必ずカエル帽をかぶらなくてはならなかった時代があった。
そんな時代があったこと自体、すっかり忘却の彼方に去ってしまったような現代だが、祖母や祖父に聞いてみると、『そういう時期があったねえ』目を細めて、思い浮かべて微笑んでくれるだろう。
あれは、タイショウ時代の中ごろだったかねえ。
その懐かしい時代が、平成16年の2月3日の節分の日をもって、66日間だけ復活することになった。
1月13日づけの新聞各紙とテレビニュースなどで、大きく報じられたため、承知している人も多いと思うが、いまなお、知らない人もいるというので、あらためて、その実情を報告しておこうとおもう。
きょうは、そうした全国一斉の行動の中から、特に、福岡県下のある村で行われた、カエル帽子戴冠式典の模様を報告しておきたいと思う。
なにしろ65年ぶりのできごとなので、日本全国は、この日のために、準備したカエル帽子を娘のために着せようと、父も母も競うように、手縫いのカエル帽子を作っていた。
その、両親の力作を娘達は誇るように頭に戴いた。その感動的なできごとが、2月3日の節分の日だったわけです。
街でも、村でも、正午のサイレンとともに、一斉にカエル帽子をかぶる姿があふれました。男性は、正午から3時間。屋外に出ることを禁じられ、お年寄りと乳幼児は、健全院で母親と昼寝をする規則になっていたため、どこを歩いても、カエル帽子をかぶった少女だけが街を歩いていました。
もちろん、その光景を眺めることができるのは、カエル帽子をかぶった少女たち自身に限られ、たまに屋内にやってきたときだけ、男性や母も、カエル帽に彩られたその姿をおがむことができたのです。
今となっては、よくよく思い出さないと、どんな状況だったか日々おぼろげになってゆくばかりです。
忘れないうちに、というよりも、ときおり化粧女王を探す旅の目的をあらすじにしておかないと、ここを熱心に讀んでくださっている方々の興味も減衰しようというものです。
あれは確か、およそ1年も前のことになるでしょうか。このページはもともと、化粧女王様が、日々の化粧ぶりを紹介するコーナーでした。
しかし、その日のメイクは化粧女王様にとっては、納得が行くものではなく。
「もっと完璧な化粧をしたところを、日記にしたい」という願いとともに、いったん自宅へ戻り、化粧をし直してから、再び我々の前に姿をあらわす。そういう話からはじまったのでした。
そのまま行方不明になった化粧女王を探して、化粧の続きを語ってもらおうと、捜索の旅にでかけたのは、去年の春の終わりでしたでしょうか。
マレーシアにゆき、その後は江戸に伊豆にもでかけて、宮崎にも行き、怪しい公園めぐりから、えーっと、どこにいったんだっっけか。。。
化粧女王の姿をもとめて、由布院にはゆく、謎の小学校にもでかける。髭男にも道をたずね、廃虚をたずね、正月には化粧をしたり、次々に新しい場所を求めているのも、みんな化粧女王を探すためなのです。
けっして好きでぶらぶらしているわけではありません。化粧女王を探し出す、崇高な使命をまっとうするために、日々、旅から旅へと旅の空。
いまだに探し出すことができません。さらに、捜索の旅を続けることにします。
というわけで、みなさんの疑問も氷解したところで、次は、どこかに旅に出て来ましたので、次回から、新しい日記をはじめたいとおもいます。
今回、この日記の本来の主人公である、化粧女王のお姿を、1年ぶりに紹介することにより、このページの単なる代理人にすぎない私の決意にかえさせていただきたいとおもいます。
石油ストーブの残りがすくなくなってきました。石油を給油するのは、おっくうなものです。
トイレにはいればといれっとぺえぱあを交換しなければばらず、ホチキスでとめようとしたら、針がきれている。コピーしようとしたら、紙つまりで直すはめに。
サランラップは、残り少なくていきなりおわってしまうし。プリンタがちょうどカートリッジの残量がなくなってしまう。
自分ばかり、どうしてこんなものごとの切れ目にぶちあたってしまうんだろう。そう思った事はありませんか。
トイレットペーパーで紙を交換する場面にたちあうことが異常におおいと感じているあなた、それは僕と同じ症状です。
もう、交換しなければいいのだ。僕だけが交換している一方で、いつもトイレットペーパーは十分な量だけ残っており、ホチキスの玉はきれたことがない。プリンタのインクはだれかが交換したばかり。
コピー機は、前のひとが「つまってたから直したよ」という、偶然にもとんとんびょうしの人生があるとするなら。それは、きっと自分でしなければいいのです。
もう断固として交換拒否。トイレットペーパーがきれていたら、迷わずにとなりに入り直し、そこもきれていたら、別の場所のトイレにゆきます。
不運の連続と不幸の連続は誰かに譲り、不運を呼び込む親切をやめにすると、不思議にいいことが続くではありませんか。
その一方では「糞をしたのに、紙がきれてるううう」とか、だれだああ。紙をつまらせやがって。
いらいらする声も聞こえてくるのですが、それはいままで俺がやってあげてたからだよん。でも、これからは自分でしてね。そんなもんです。
みなさん。きょうは一日が無事に終わりました。箱の中に、みんなが消えてゆきます。
さようなら。ごきげんよう。またあうひまで、和服の一日は過ぎ、そうして過ぎたままにいったい何年の歳月が流れたものでしょうか。
化粧女王を探す旅は、まだまだ続くのですが、このページを本来、運営していた女王を訪ねて、過去の記憶の中に入ってゆくのは、この新年和服の会が過ぎてしばらくしてからのことでした。
タクシーの運転手さんに「どこかてきとうなところでおろしてください」と質問したとき、たいていの運転手さんは「え?」と答えるでしょう。
まあ、それがあたりまえだから。でも、この日に乗った運転手さんは、違っていました。
無言で、走った後、わずかに料金が750円のところだったでしょうか。
「ここに神社があります。ここにしましょう」 「え?こんなに近くていいんですか」
「いいよ。正月だし。晴れ着だし。晴れ着で有名な神社ゆくよりも、もう何年も晴れ着のおんなのひととか、来たことがない田舎の小さな神社だから。きっと神々は喜ぶよ。田舎の神様は退屈しているから。せいぜいたのしませてやってくれ」
運転手は、そういって、田舎の集落の中にある神社の前で、ぼくらを置き去りにしました。
運転手さんの話も理解できるような気がします。正月だというのに、注連縄はあたらしいものの、にぎわっている風はありません。
清水で手と口を清めて、参拝します。参道にもひとかげがありません。いったい人々は家の中でひっそりと息を潜めているのでしょうか。
傘寿、福うらら、芋香、はしるんは、それぞれ花をいけおわりました。
きょうの主題はなんでしょう。できばえは、いかがですか。僕は質問しましたが、みんな笑っているだけで、さあ、どういでしょう。あいまいな答えをよこすばかりです。
それぞれがいけた花の正面にたち、花をほめます。ほめあうのが人間関係のこつというわけでもなく、花をいけたら、花をほめる。
よい花ですねえ。姿が美しい。いやあ、こちらもすばらしい。この枝振りがなんともいえませんねえ。
おほほほほほほほほほほほほほほほほ。ほほほほほほほ、ほほおおおおお。
ああ。正月からなんて縁起がよいことでしょう。
さあ、お酒にしませう。まあ、いっぱいどうですか。いや、ほんの少しですから。
それでは、遠慮しないでいただきます。まあ、ぐうううっといっぱい。
正月の酒になりました。
みんなで、二升はのんだでしょうか。二升といえば、一升瓶2本 です。たいした量だと思いますが、どんどん飲めるので、誰も赤くはならないし。どんどんどんどん、飲み続けました。
その年の正月は、暖かい日々が続いたのを今も思い出します。 どこの座敷に上がりこんだのか、よく覚えていないのですが、全員は一列縦隊となり、かけ声も勇ましく、華道師範の家を訪ねて、座敷きにあがったのでした。
障子ごしにかなり暖かい太陽が差し込んでいることを、僕は覚えています。全員は、花器に剣山を置いて、水を入れ、活けはじめの時間をまっていました。
最初に僕に気がついたのは、ぴい巛さんでした。ひとりスーツ姿の彼は、僕に直接はなしかけ、その言葉を横で聞いて、よほどおかしかったのか、福うららさんが笑顔になったことを覚えています。
ぴい巛さんは、真面目な顔でこういいました。
『この花の命を活けられたら、松翁軒のチョコラーテを一本まるごと食べてみたいと思っております』
ショウオウケンノチョコラーテ??
あまりの突然さに意表をつかれた僕は、何と答えてよいのか絶句していました。
華道師範が、ぴい巛さんのそばにきて指導をはじめたので、その言葉の真意を尋ねることができなくなりました。
福うららさんに、言葉の意味を尋ねましたが、彼女は僕には気がついていないので、まったく反応がありません。
しかし、ショウオウケンノチョコラーテは、福うららさんが花を活けながら、妙な歌を歌っているので、忘れられない。
ショウオウケンノチョコラーテ。でんでらりゅうが、でてくるばってん、でーーられんけん、でんでられんけん、でーん、でん
ショウオウケンノチョコラーテ。モモノカステラ、カキゾエサンガ、ギンコノニカイデ、ブッコケテ、ソバノアンシャンノ、ヒザノウエあ、よーいよい
福うららさんは、さっきから、歌を歌いまくりながら生け花をしているのですが、その歌声は、僕にしか聞こえないようです。
ほかの誰もが、華道師範でさえも、特に耳を傾けたり、彼女の歌の騒々しさを非難したりもしません。
みょうな歌ですねえ。福うららさん。
僕は、言葉の意味をとても知りたいと思ったのですが、さっきの、ぴい巛さんの言葉と同じように、誰に尋ねることもできずに残念でした。
せめて、僕に顔があったらと思うのです。
できましたよ。しんねんの花が。
はしるん、と、ぴい巛さんが、合唱しました。新年の花なんだろうなあ。みんなの言葉を聴いていると、どれもが、ひらがなのままなので、勝手に頭の中で漢字にして把握しようと思うのですが、油断すると、ぜんぶが、しんねんのはな。になってしまいます。
うつくしいものですね。僕は誰にもきこえないように、心の中で感想を述べました。
心の中で述べただけなのに、福うららさんと、はしるん、ぴい巛さんには聞こえたのか、一斉に、僕のほうを見てきたのには驚きました。
モモカステイラですよ。最後のラは、上顎にべろをくっつけて発音してくださいね。
福うららさんが、そのように指導してくれました。
つまらないなあ。仕事はじめの日に、会社から戻って翌日は休日だったので、本堂でごろごろうたた寝をしていた。
かなりの時間がたったようにも思えるし、少しの時間だったかもしれない。本堂には、一匹の蠅がいて、顔のうえで、ぶんぶん飛ぶものだから、騒々しくて目が醒めたというわけだ。
でも、今は冬だし、蠅がいるなんてことがあるのか。地球温暖化とかでいるかもしれないけど。けったいな蠅だなあ。
むっくり、起上がると、本堂に人が座っているのにびっくりした。正月の田舎の寺に新年から初詣があるとは思えないけれど、現実に人がいて本堂がたいした華やぎぶりでしたので、やっぱり人がいるんだ。
目を開けてみると、四人の着物の人たちが座って、寝転んでいる僕をみて、微笑んでいるので、ほんとうに驚いてしまった。
しんらんさまの歌を子供のころに歌ったことがありますか。しんらんさま。子供の頃は、さま、だけは敬称だとしっていたけど、しんらんさま、がどんな様なのか、さっぱりわからなかったけれど、歌を覚えていて踊っていた記憶があります。
四人の着物姿の女性達は、傘寿、福うらら、芋香、はしるん、と呼び合っていて、誰がだれやら区別はつきません。
そよかぜわたる あさのまど。
しんらんさまは、にこやかに
わたしのとなりにいらっしゃる
歌を歌いながら舞っていルのです。
寝転びから目覚めたものの、ただちに立ち上がってよいものか、まったくどうしようもなくなっていました。
夢の続きなのでしょうか。お寺の本堂には冬の陽が差し込んでいるのですが、現実とも思えない光景が繰り広げられているからです。
立ち上がったとたんに、すべては幻のように消失するかもしれません。だから、ゆめならゆめで、このままに寝転んでおこうと、そう考えました。
にょらいだいひの おんとくは みをこにしても ほうずべし
ししゅちしきの おんとくも ほねをくだきても しゃすべし
傘寿、福うらら、芋香、はしるん、四人とは別に一人は男性がいるようでした。歌を歌いながら、そこらへんをくるくると舞い踊っています。
鐘付き堂のほうにでかけたので、僕は幽体離脱しながら、境内に出てゆきました。
男は、ぴい巛さんといって、四人の踊りに囲まれながら中心になって、踊りの結末を形にします。
そのありさまは、四人の菩薩に囲まれて幸福至極の最中にあるようでした。ああ。なんて、うらやましい光景でしょう。
菩薩の中心に形成された、天然の美。どこでもみれるものではありません。大自然の不可思議。またとない絶好の機会に、是非とも、御購入されて、決して損はいたしません。ミルは永遠の得、見ざるは、永遠の損であります。
さあ。あなたは、どうしますか。どうしたいんですか。ナンでも決めて下さい。
ぴい巛さんは、はしるんと対称を為した姿勢で、僕に決断を迫ります。
いったい、どうしたいのだろう、決断の時がやってきました。僕は畳の上から身をおこし、これから始まる、冬の不思議な一日の始まりに、決断の時をまっていたのです。
五人さえあらわれなければ、僕は寂しいままで寝転んでいるだけで、何も変わらない一日を過ごしていたと思うのです。でも、五人は見事に僕の前にあらわれて、決断を迫ってきたのでした。
棕櫚の木は、不思議な木です。途中に枝がなく頂上にすべての葉が茂っていてとても高い。
冬はとんびが周囲を編隊でぐるぐる回っていたりします。 以前は早良郡の農村のどこにでもあった棕櫚ですが、最近は建物の邪魔になるのか、どんどん伐採されてみかけなくなりました。
野の地蔵もそうです、昔は田畑ばかりだったので、どこでも眼に着いたのですが、最近は宅地に埋没したり、お参りするおばあさんが少なくなったのか、簡単に見つけることはできません。
この地蔵には顔が描いてありました。
飯盛山が最初のように、飯盛の姿に見えた時、僕らはあそこをのぼって降りて来たんだなあ、のぼりはじめた時の新しい気持ちが懐かしくなるのは、この時です。
夕暮れが近付きました。サイロの影がだんだん深く陰影を刻みます。このあたりでタクシーをつかまえようと思うのですが流しのタクシーはちっともつかまりません。
こんな田舎道を流している物好きなタクシーもいないからでしょう。
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