化粧女王を探す長い旅 by 大王 |
気温38度という猛暑の夏だったので、その日のことは今でも鮮明に覚えている。
何をやっても暑いし、汗をかくので、僕は正直なところ、どこにもでかけたくはなかった。
体重110キロという自重の大部分は、下腹部にかなりの皮下脂肪を蓄積させていたせいもあるだろう。
歩くたびに、ぷよぷよと波打つ自分の下腹部のうっとおしさといったら、夏の日だけは歩きたくない。そんな切実な思いになってくる。
できれば、そこらでお茶をして、さっさと家に帰り水風呂をあびて寝る。それこそが、夏の日に僕が望んでいたたったひとつの夢だったのだ。そんなことで、どうするんですか。だらだらだらだら家にいても仕方がないでしょう。汗が出たらタオルで拭けばいいじゃないですか。
拭けばいいとかそんな問題ではなく。なにをするにもおっくうなんです。できれば外出もしたくないし、エアコンが効いた部屋の中で、いつまでもいつまでも、だらだらだらだら、終日、日が暮れるまでじっとしておきたいんですよ。
では、私が氷水を作りますから、この部屋にいてください。エアコンはないけれど、冷蔵庫はありますから。
でも、冷蔵庫の中の製氷室はからっぽだった。しかも水を製氷皿に入れようとすると断水だった。氷はもちろん水もない。
そんな殺生な。勘弁してくれ。
断水してるんですよ。この地域ではよくあることなんです。断水すると3時間も4時間も水が出ません。それでも時折気まぐれのように出ることもあるので、こうして蛇口をひねってみるのです。
でも、出ませんよね、ほとんどの場合は、少しも出ません。出ても赤水だったりすると、飲めないし、こまったものです。
夏場の断水はいやですねえ。飲み水もないんですか。スーパーに水を買いに行くのもいいですけど、スーパーそのものが、ここから遠くて、買いに行くかどうか、とても決断を要するんです。
車でくればよかった。車で来たら水でもなんでも買いに行けたのに。冷蔵庫にもなにもないんですねえ。
あいにくワインしかありません。あとはラーメンのどんぶりと干からびたチーズだけです。
お酒のつまみだけですか。あいにく昼からワインをのむ気にもなれないけど、どうしても喉が乾いたらそのワインを飲みますね。
冷子さんは、水分の補給がないままに机に座って仕事を始めた。僕はすっかり手持ち無沙汰になってしまい、黙って座っていたが、水を飲むこともできず、だらだらと汗が流れてゆくので、水分の喪失は確実に進行していることだけを自覚していた。
冷子さんが器用な手で携帯ストラップを作ってゆくのを、じっと見ていた。そうするほかにすることがないということもあった。
こうしているうちに、下腹部の肉に生じているだぶだぶお肉の間に汗がたまるのが感じられた。いやだなあ。またか。暑い日はこれがあるのでいやなんだ。お風呂にはいるときに、肉ひだをめくってみるのが怖い。こういう経験は冷子さんにはありませんよね。
そんなに水がほしいなら、水を買いに行きましょう。冷子さんは涼しい声でそう話すと、スーパーに行きましょう。
スーパーは遠いけれど、水がそこにあるし、スーパーには冷房もきいていますよ。
そうだ。スーパーは涼しい。その言葉に動かされて冷子さんと部屋をあとにした。もう、できれば、日が暮れるまでこの部屋には戻ってきたくない。
夜の8時をすぎたらここに戻ってきてもいいけど、そのときにはアイスクリームや氷をお腹をこわすくらいにたくさん買い込んでおかないと。
冷子さんは、はやく行きましょう。部屋をあとにしてずんずんずんずん、歩いてゆく。僕ははやくも遅れ気味になった。
汗がだらだらでる。体重が確実に減ったと思う。水分が大きく失われている。
どうしたの?冷子さんは、あいかわらず涼しげに振り向いては落伍した僕が追いついてくるのを待っていたが、下腹部を流れ落ちる汗の量は半端ではなく、パンツはもちろんズボンも汗でびっしょびしょ。
こんな汗まみれ状態で、下半身から水分を浸潤させている僕とともに冷子さんが歩いてくれるなんて、そんな恥ずかしいこともできないだろうと。そういう配慮も少しはあってわざと遅れて歩いた。
でも、ほんとうのところは、冷子さんに追いつけなくなって落伍していたのだけど。
傍らに車が何台も何台も通り過ぎた。あの車内にはエアコンが効いていて、汗を流すこともなく、アクセルを踏んで通過しているのだ。
僕も車できていれば、こんなに遠い距離を炎天下に水を求めて歩くこともなかったのに。一歩ゆくたびにとても後悔した。スーパーがどのくらいの距離にあるのか、事前に聞いておくんだった。いまさら元には戻れないし。
もうだめです。置いていってください。でもスーパーで水を買って戻ってきてください。冷子さんお願いします。僕はもうだめです。
その場にはたりこんだ。熱射病かもしれない。直射日光と路面の輻射熱の挟み撃ちにあって、体感温度はかなり高い。体の水分が蒸発してしまった。
残念ですねえ。いっしょにスーパーに行きたかったのに。冷子さんは笑顔で落胆を口にした。
なんと言われようと、僕はもうごけないよ。それに僕のズボンは失禁したように汗でびしょししょだ。とてもスーパーなんかに入ってゆけないではないか。
冷子さんは、僕の惨状をじっとみていたが、微笑むばかりで特に嫌悪感を持っていないのが救いではあったけど、僕は正直、こんなずぶぬれのような下半身で、冷子さんの隣を歩くわけにもいかないと思っていた。
その後、どうなったのか、実のところ分からない。急激な脱水症状のせいで僕は意識を失ったようなのだ。これから後のことは、冷子さんが夢として出現してきた空想のような気もする。
冷子さんは、涼しげな南方の島の建物の内側にいて、水を手にして微笑んでいた。
水をください。水をください。その水を。僕は懸命に叫ぶけどその声は届かず、冷子さんは、水をもてあそぶようにグラスの中でワインかなにかのようにぐるぐる回転させている。
あれから何年になるのだろう。あの時の道端に倒れたままの僕は、時空を越えて何度も冷子さんの前に出現して、記憶をつぎはぎにしながら、どんどんつなげてゆくことができるようになった。
今では、僕は死んでいるのか、生きているのかそれさえ分からない。
あれから何十年も年月が経過したような気がしますが、実のところ、5年にも満たない時間しかすぎていないことを知って、驚くことがあります。
夏も過ぎた頃、冷子さんが「お茶を飲みに行きたい」というので、まあ、夏も下火になってきたし、汗もそれほどは出ないだろうから、肥満の私にも過ごしやすい季節になりつつあるし、行ってみてもいいよ。
そんな返事をしていました。
とにかくエアコンが効いている室内でないといやですので、できるだけ、こうひんやりとしていて、できればガンガンにエアコンが効いていて、寒くて上着を着たいくらいの状況の中で、熱いお茶を飲む。そういうのならいいよ。
くどいくらいに念をおして、福岡市にある店に行きました。そこで飲んだのは、トウチョウウウロンチャだったと思います。
凍頂烏龍茶と漢字で書いていたと思うのですが、当時の私には、お茶の知識がなくて、トウチョウウウロンチャと認識していました。
せっかく来たんだから、写真も撮って!冷子さんは、そう言ったので、僕はコンビにで当時1200円もした、レンズ付きカメラを買って写したのが、この写真です。
36枚撮りだったか、40枚撮りだったか忘れました。冷子さんは、ときおり、僕のほうに向いて立つのでそれが、シャッターを押すきっかけでした。
ものをつかむ。まっすぐこちらを見てくる。カメラを意識しないようでいて、意識した瞬間をつかみとって、僕はシャッターを押し、押したらジーコジコとフィルムを巻き上げるのです。
夏が終わりそうでよかったね。冷子さんは僕に言いました。
はい。まだ終わったわけじゃないけど。
終わったようなもんだよ。夜になるとずいぶんと寒いし。
でも、油断はできません。この前みたいに、水にありつくまえに道路に倒れてしまって、冷子さんに水をかけてもらうまで、ひからびた蛙のようになっていたなんで、とても恥ずかしい思いをしましたから。
ものすごい水分の喪失でしたよね。ずぶぬれになったズボンが、その後の直射日光で乾いてしまったのにも驚いたけれど。乾くもんなんだね。
まさに、異常な気温でした。あのまま脱水症状で死んでいたかもしれません。
きょうは、大丈夫ですよね。寒いくらいだし。店の中は。
大丈夫です。このくらい効いていると汗も出ません。でも、店の外にでるとこうはいかないですね。まだまだ残暑が厳しそうですから。
正直、少しは悪い予感がした。外に出る羽目になってしまうのではないかと心配した瞬間だった。
これから、どうしようかな。お茶のんでまったりできたから、3時間くらいかけて、次の店にゆきましょうか。
サンジカン?どこにゆくつもりなんですか。
嬉野茶が飲みたくなりました。ええー??嬉野って佐賀県ですか。勘弁してください。遠いよ。
午後5時までには帰らないと。
午後5時になにがあるんですか。
何があるとはいえないけど、とにかく帰らないと。
行きたくない理由を探していませんか。
探していますよ。だって、もっと近くてもいいじゃないですか。喫茶店なら福岡にたくさんあるし。
私の車で行くから、あなたは後部座席で、豚のように寝ていればいいじゃいですか。 ぶ、ぶたのようにって、失礼ですなー。太ってはいるけど、そんな形容はいやです。
すみませんでした。でも、いきましょう。いまからすぐ。
こうして、僕は、後部座席で豚のように寝るのだけはいやだったけれど、一応、同意の上で、嬉野にゆくことになった。僕にももともとの目的があったことを思い出したせいもある。
化粧女王を探す旅。それこそが、一連の旅の目的だったはずだ。冷子さんが、そのことを思い出させてくれた。
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