化粧女王を探す長い旅 by 大王 |
山の大神の話をしておきましょう。もともとの話はざっと10年前にさかのぼります。
そのころ僕は、ある喫茶店に通っていました。そこの御主人が、近所探検を趣味にしているひとで、近隣の神社に詳しい僕に、『どうしても場所がわからん神社があるんやけど』と切り出したのがきっかけです。
地図には載っているけど、それらしい場所が分からないというのです。
地図に載っているなら、すぐわかるんじゃない?
そう甘く見ていたのですが、実際に地図に神社の記号があるのに、その場所がどこか分からないのです。神社の記号は、西新の紅葉八幡の付近にありました。
地図によっては、『山の神』と記載されているところもあれば、無表示で記号だけの地図もあります。
でも、御主人は町の地図付き掲示板の中に『山の大神』という表示を見たといいます。単にその神社?の呼称が『山の神』であれば、それほど心は動かなかったかもしれませんが、『山の大神』という、呼称に心を惹かれました。
紅葉八幡の末社だろうから、きっとあのあたりを探したら、きっと見つかる。そう思い、店を出て、そのまま目標場所を目指したのですが、これが、ほんとうに見つからない。紅葉八幡の境内を重点に探したのが、大きな間違いだと気がついたときには、すっかり日が暮れていました。
きょうは諦めるしかない。実際にはないのかもしれないし。家に戻って早良群志(大正時代発刊の郷土資料)で所在を調べて出直そう。
そうするうちに、仕事も忙しくなったせいもあり、次の機会に!そのうちに!と思っているうちにあっというまに半年くらい過ぎてしまいました。
その頃、知人が藤崎にいたので、あのあたり一帯にはよくでかけていたのですが、わざわざ『山の大神』を探すことを思い当たらずにいました。『山の大神』と、知人のアパートとは、まったく結び付けて考えたことはありませんでした。
知人は、3ヶ月だけ、福岡に居住し、新しい仕事が見つかったので、あっさりマンションを引き払い、引っ越してゆきました。知人もいなくなり、あのあたりに行く用事もなくなったなあ。そう思いながら、西新の裏通りを歩いていたときのことです。
知人が住んでいたマンションの近くを2年ぶりくらいでたまたま通りかかりました。
昔ながらの手製の住居表示板があり、立ち停まって見ていると、住居表示の中に、神社の記号が目に入りました。
紅葉八幡の近くに『山の大神』と表示された場所があったのです。神社の記号がある場所は、ここからすぐ近くです。紅葉八幡とは、少し違う場所に、その神社の位置が記載されています。
でも、おかしいことに、その場所がどこにあるのか、地図を見てもさっぱり理解できないのです。こんな場所があるんだろうか。地図を見て、心を落ち着けて、その場所がどこかのか考えました。でも、わかりません。ただ、周辺の道路のいくつかは、理解できるので、その道路から類推すれば、必ず『山の大神』の場所を探り当てることができるはずです。
住宅地図をあらためてみると、高取焼きの窯元の家の近くであるとか。紅葉八幡に抜ける切り通しの沿道であるとか、分かるのですが、実際にそんなところに神社があったのか。そう考えると、どうしても思い当たらないのです。
知っている道だらけなのに、どうしても『山の大神』の場所を特定することができないのです。
意を決していってみることにしました。周辺の民家で質問してでも、たどりついてみよう。そう決心ました。
地図を眺めるだけでなく、手帳に写して、歩きはじめました。位置は頭の中にも描くことができますが、場所だけはわかりません。
このあたりではないかと、わたりをつけた私は、歩き回るうちに不思議な場所が、マンションの背後に隠れていることに気がつきました。
宅地開発が進み、このあたりにはマンションがたくさん林立しているのですが、紅葉八幡に向かう切り通しのそばに、ひときわ高層のマンションが建っています。
この背後に山林みたいな空間があることに気がつきました。しかしマンションの敷地には入れないので、背後の様子を類推するしかありません。地図を照合すると、このマンションの背後の山林の中に、『山の大神』が存在する可能性がもっとも高そうです。
マンションの敷地に入らずに、背後の山林に入る道がないものか、ぐるぐる歩き回りましたが、そんな通路はありません。
思いきって、マンションのずっと背後に迂回すると、そこにもマンションがありました。しかし、そのマンションの駐車場から、謎の山林が見通せることに気がつきました。
あの山林の中に、きっと『山の大神』がいるに違いない。あとは、駐車場を抜けて、山林目指して歩けばよいだけです。
見つからなかった原因は、その場所の3方向のすべてを、高層マンションが包囲していたからでした。駐車場側以外は、すべてマンションに視界を遮られているので、すっかり外部からは見えない場所に、『山の大神』は鎮座している、というわけでした。
『山の大神』にはじめて相対した時のことは、今でも忘れられません。マンション駐車場から、樹木がしげった場所に来ると、そこに白い鳥居がありました。鳥居には『山の大神』と書いてあります。
探しはじめて7年がたっていました。ずっと気になっていたその場所を、最初から真剣に探していれば、もっと早く知ることができたのでしょうが、それをしないままに、心の中に気掛かりな状態を続けていて、ようやく出会った。という気持ちは、それはそれでうれしいものです。
白い鳥居をくぐり、広葉樹の樹木が茂っている山林に入りました。参道と思われる石段が続いていました。あまり人がお参りをしている形跡はありません。石段の左側は、マンション建築の際にノリ面を削られたのでしょう。参道のすぐそばは崖のように抉られ、かつては、ひとかたまりの小高い山だったはずの『山の大神』の場所は、周囲の宅地開発によって、極限まで、その神域を削られているようにも見えました。
彼はどこにいるのか。石段を踏み締めながらのぼってゆきます。20段ほど歩いた時に少し広い場所に出ました。地蔵様か観音様かは分かりませんが、そういう石像が鎮座している平たんな場所に出て、まだまだ参道は上に続いていました。
マンションに包囲されたこのあたりは、かつてはなだらかな裾野をもつ、小さな山だったに違いありません。山はどこからでものぼることができ、おりることもできた。そういう時代を思わせる周囲の風景でした。しかし、今は、参道は一方向しかなく、この道以外の道順のすべては、マンション建設の際に削られてするどい勾配の斜面になっています。どこにも行けない行き止まりの山になっているのです。
そうして、なだらかで平たんな場所を過ぎ、さらに急な勾配の石段を数段のぼった時のことです。私は、身動きができなくなりました。石が積み上げられた、『山の大神』と、ばったりと出会ってしまった。そういう予期しない形で、その姿に驚いてしまったのです。
そこには社殿もなければ、しめ縄もありませんでした。むき出しの石が積み上げられたように、石塔のように造形されたものでもなく、ただただ石が無造作と思える程に積んである、そのままの状態で、固められた彼の姿が、私の視界に入って来たのです。そうして、石積みは、はるばる訪ねて来た私を見とがめて厳しく、詰問するように、強烈な力を降り注いで来たのです。
福岡市の西の繁華街、西新町からほどない、こんな賑やかな町の一角に、こんな山があり、このような空間があるとは、その瞬間は、ここが、どこなのか、わからなくなるほどの驚きでした。
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