化粧女王を探す長い旅 by 大王 |
飯盛山にしょっちゅう通っていたので、金武村大字飯盛付近の農村にいた山羊とはすっかり顔なじみになった。 とはいっても、山羊はわれわれのことなんて、ちっとも思っていなかったろうけど。顔なじみだなんて。
山羊の背後は、養鶏場か養豚場だったと思う。早良郡の集落には、ありふれた風景だった。 廃神社の社殿。神社が廃止されることなんてあるんだろうか。ほんとうに廃神社だったのかどうかは、実のところよくわからない。
河川敷にブルドーザが入っていた。かつては河川敷は、雑草や月見草などが茂っていて、どこから川面になっているか判然としていなかった。このあたり唯一のコンクリート橋の橋本橋の周囲に砂煙があがっている、未舗装道路が堤防上に開通していたので、自動車が通過する砂塵だとおもわれる。
川はこのように流れていて、とても美しかった。遠景に見えるのは、対岸の若八幡神社の森だとおもうので、これは団地側の堤防から写したものだろう。
橋本は、水路で囲まれた美しい集落で、水路は神社の前にも通っていた。当時は柵も、コンクリートで水路と道路が判然と区別されていなかったので、石が通路に渡してあった。 橋本から十郎川に向かう道筋には、人家がほとんどなく、誰にもあうことがなく水田の中をゆくことができた。
水田ごしに博多湾に浮かぶ島が、まるで水田から立つ山のようにみえている。
飯盛山は夏の光をあびている姿。このころの夏は、いまよりももっとぎらぎらしていて、暑かったような気がする。
夏草が茂る風景の中を自転車で走っていると、草のにおいがたちこめる場所に出て、あせをぬぐうと、飯盛山がみえた。
水田以外は、雑草や林が茂っている。そこには水があるかもしれないし。塚や石碑が立っているかもしれない。 子供にとってはなぞに満ちたあいまいな場所だった。
自転車で長い距離を走った。農道を延々とゆくと、筑肥線の線路を越えて、生き松原の神社に出た。
壱岐村の範囲はとても広大で、大部分は水田だったが、北部には神社がある。かつては一面の松林で、この神社も松林の中にあったはずだが、そのときはすでに松枯れの被害が広がり始めていたと思う。
赤く枯れた松が拝殿の両側に残っていた。
室見川の土手道も、かつては、こうだった。このときすでに室見川の土手道は開削されて道路になりつつあったので、その当時をしのぶための代役として、十郎川にその面影を求めて自転車で撮影にいったときが、この写真だ。
この時間のことはとても鮮明に覚えている。遠景に飯盛山を入れて撮影した。飯盛山は早良郡のどこからでも見える郷土の山だった。 はるかに続く、土手道を歩くのは、とても楽しかった。十郎川の土手に、松が1本枯れている場所があり、そこには石があった。
丸い自然石の塚には、江戸時代の年号が刻んであった。 誰かの墓石かもしれない。この当時、墓の場所とはかけはなれたところに、一人墓石をつくり眠っている人は、どんな人なのか、石の裏側をみればよかったが、詩のために年号だけを記録して、そのばを去った。
目印に植えたに違いない一本松もこのときに枯れて、やがて道路の改修工事のときに、石も別な場所に移転されたと思う。
なぞの塚の存在は、ながく心にとどまっていて、今もあのときの風景とともに思い出す。
野方の集落のはずれだったと思う。集落を見下ろす高台にあった山王神社。早良郡内のどの神社も、つつましいながら、大切にされていたと思うが、ここは、訪れた当時はひときわ荒れていた。 農道から、飯盛山を望む。農村の里山であった飯盛山は、このように、茶わんにご飯を持ったような形状をしている。山の北側から見ない限り、おおむねこのように見えていた。
小田部橋は、最初は橋脚部分まで含めて完全に木造橋だった。自動車が途中ですれ違うための、橋のふくらみが設けられていた。
その後、橋脚部分だけがコンクリート製に変更された。欄干が低いので、川を覗き込んでいたり、自転車で通過するときには、転落するのではないかと気になった。
飯盛神社前の水田。田植え前は、どの田圃もレンゲ草や菜の花でうまっていた。レンゲ草の水田は見通しがきくので中にはいってよく遊んだ。
肥壷。肥えたご。どんべんだご。とかいっていた人糞を肥料化するためのためます。落ちたら大変なことになった。
早良郡の水田には、いたるところ、こえたごがあった。 飯盛神社の拝殿。たくさんの絵馬が奉納されていた。肖像画もあった。気軽に拝殿にあがり、長い時間絵馬をながめていた。
神社以外に、興味はあまりなかった。神社の中で過ごしていると、300年くらいの時間を、ずっと過ごして来た、土地の歴史と一体化できるので、幸福な時間だった。
田園の中には孤立した樹木がある。たいていそこには、祠や地蔵、ときとしては墓地があった。
かんかん照りの田園の中にあって、日陰がある場所でもあった。 春は、土筆が生えていて、たくさん摘んで佃煮にしたりしたが、すぐに成長するので、隣のスギナになってしまう。
4月なので耕運機で田んぼを耕す人もいる。中央の樹木は棕櫚の木で、早良郡の農村には、かならず植えられていた植物だ。たかいものは15メートルくらいあり、夕暮れや早朝に、トンビなどの鳥が群れをなして周回していることもあった。
遠方の知人でも、親戚でも、連れてゆくところはみんな同じところにしていた。文殊堂もそのうちのひとつで、感動してくれたかどうかは疑問です。 十三仏の泉も、定番スポットでした。能舞台も、この時期までは、なんの建物か分からないところでした。
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