化粧女王を探す長い旅 by 大王

2005-09-13 【国家健全化計画2005】11 嘘だ!不健全行為40回

【国家健全化計画】11 嘘だ!不健全行為40回

画像の説明

 鼻声ぶつぶつ男は、芋縄に忠告を続ける。

 「6人の同期のうち5人が刑務所にいるんら。これは、ほんとうら。おれの同期にかぎらず、おれたち作業員が刑務所に入る確率は高い」

 「どうしてですか」

 「おれたちは、消耗品ら。作業員なので、よほどのことがないかぎり昇進することもない。主査と係長は、国家健全省の花形のスターみたいなもんら。女性取締り官は、新聞や電視台によって宣伝されているし、人気の職業のひとつら。モデルしてたり、ミスやってた女がたくさん入ってくるら。そうして国家健全省のエリートと結婚してやめてゆくら。そういうやつらに、おれらが恋をしたときが、いちばん面倒なことになるらよ」

 「どうなるんです」

 「とびきりの美人とペアを組んで、刈り込みして、エッチ現場に踏み込み、摘発する作業ら。ずっとみていたら、おかしな気分にもなるらよ。それで、ときたま、上司と部下の一線を踏み越えてしまうこともあるら。そんときが、まずいんら」

 「国家健全省職員が犯罪を犯すなんてことがあるんれすか」

 芋縄は、ぶつぶつ鼻声男のくちぐせが移ってしまった。

 「ゆるされんことだが、あるんら。国家健全省職員も人の子ら。欲望もあるら」

 「ふーん」

 「去年、逮捕された同期のDは、国家健全省観察官によって、現行犯逮捕されたら。上司の主査に襲いかかった罪で、内偵されていたら。刈り込み中に、そういう反健全行為にふけっていたというから、おどろくべきことではないか」

 「主査と合意の上だったのではないのですか」

 「合意があろうとなかろうと、問題にはならんら。結婚の予定がない男女の不健全行為は、すべてが法律違反ら。摘発によるとやつは、その不健全行為を前後四十回も、その主査と繰り返していたというら。ゆるされんら。ぜったいにゆるされんら。よりによって上司とそんな関係を四十回も、するなんて、断じてゆるされんら」

 こぶしを握り締める鼻声ぶつぶつ男は、まるで私憤を爆発させているかのようだった。

 「そうして、彼は刑務所に。。。主査は、どうしているんですか」

 「主査か。。」

 鼻声ぶつぶつ男は、それこそが最も聞いてほしかったことだと、いわんばかりに、芋縄を見てこう告げた。

 「主査は、その後、昇進して係長になった。おまえがペアを組んでいる第1係長が、そのときの主査だ」

 絶句する芋縄。うそだ。そんなのはうそだ。

 「でまかせを言わないでくれ」

 「でまかせじゃ、ないら。だから俺は忠告しているんら。気をつけろ、いい気になるなと」

 「ほんとうだとすれば、彼女はなぜ逮捕されなかったんだ」 芋縄は、顔に狼狽の色こそ出さなかったものの必死だった。

 「あいつ、いや、係長は国家健全省きってのスターだ。係長にあこがれて、毎年二千人からの女性取締り官採用試験に応募者が殺到するほどだ。そんなスターを潰す気になるか。国家が。しかもだ。係長の結婚予定者は、大臣の三男だぞ。あの男は、すべてを知って、係長を許したんだ。まもなく来年1月には結婚するら。係長は11月までで退職するはずら。すべては不問に付したまま、なにもかも丸くおさまるってことさ」

 芋縄は混乱した頭のままで、部屋を出た。頭の中を、四十回とか、不健全行為とかいう言葉が乱れとんでいた。

        (以下次回)


2005-09-26 早良郡日記

[早良郡風景]昭和44年12月原団地〜壱岐〜拾六町

原団地の誕生

画像の説明 旧早良郡の最初の大型団地は、旧原村北方の田園地帯を整地して出現した、原団地だったと思います。鉄筋コンクリート5階建てが林立する公団様式でした。

画像の説明 田圃の中に突如とて出現した団地は、周囲の田園風景の中に、とても違和感をかもしだしていました。友人の自宅から、飯盛山方向を眺めています。バスの停留所は、原団地前ではなく、舟底橋といっていました。系統番号13番の西鉄バスが走っていました。廃船の材料を転用して作った橋だったのでしょうか。

若宮神社

画像の説明 旧早良郡壱岐村にある若宮神社です。背後には、原団地、室見団地に続いて建設された室住団地が建っています。

画像の説明 田園の中にひっそりと建つ神社の社殿には、絵馬が奉納してあります

画像の説明 刈り入れがすんだあとの秋の田園です。愛宕山まで完全に見通せるほど、田んぼ以外はなにもない風景でした。

 撮影場所は、十郎川の土手からだったような気もします。画像の説明 田のなかに藁が積んであります。藁の内部は暖かいので、冬になると子供たちがよくあそんでいました。藁こづみ、といっていたけど、遊んでいるうちに藁が崩れて脱出できなくなることもありました。

 亡くなる子供もいたので、冬休みに入る前は、学校から「藁こづみでは遊ばないように!」と注意されていました。

 また水田には、不思議な樹木が残っている場所があり、たいてい、そこには、石碑があったりなぞの場所だったりしています。

木の橋

画像の説明 十郎川にかかる木の橋です。早良郡内の川にかかる橋の多くはこのように木の橋でした。

画像の説明 遠景に生きの松原の松林が見え、その向こう側は旧早良郡能古島村です。まるで地続きのように見えていました。

造成中の「生きの松原団地?

画像の説明遠景に長垂山が見えているので、生きの松原団地周辺の造成中の光景でしょうか。宅地開発が、はじまっていました。画像の説明 空き地には冬なのに雑草が茂っています。外来種植物の繁殖が問題になり始めていました。

十郎川の土手

画像の説明 つつじヶ丘、という住宅地が現在のどこを指すのかは不明です。看板があるので、近在なのでしょう。

 小さな集落が見えています。背後の松原の前に、煙があがっています。このあたりに国鉄筑肥線が走っており、当時はまだ蒸気機関車が走っていたでしょうか?それとも、田焼きの煙かもしれません。

画像の説明 早良郡原村に戻ってきました。お寺の夕景です。

月が出た出た月が出た

画像の説明 月が出た出た。月が出た。この歌は大好きです。九州人なら、ヨサコイなんかはやめにして、これを踊りまくってほしいです。

 月が差し込む、あばらやも、かわいいサマちゃんと、いっしょなら。。。この歌詞の続きを知っていたら教えてください。

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2005-09-28 早良郡日記

[早良郡風景]昭和46年10月24日飯盛山登山隊

飯盛山登山隊

画像の説明 飯盛山は、上る人が少なくなっていたので、登山道が雑草に覆われて、なかなかわかりにくくなっていた。地元の人に聞けば、わかるはなしなのだが、あくまで自力登山を目指していたわれわれ飯盛山登山隊(隊長と隊員の2名)は、手探りで道を発見しながら登ることにした。

画像の説明 ふもとの、旧早良郡金武村大字飯盛付近で、農耕馬に出会った。かつては、どの農家にも農耕用の駄馬や、牛がいたものである。

 荷車を引いていた馬でした。

池?沼?水面があった

画像の説明 飯盛神社からの山道をそのまま登ると、いきなり水面にでくわし、この池を眺めながら進むのだが、誰もいない森の中に突然のように出現する水面には、ちょっとぎょっとする。

画像の説明 現在も、この池があるものかどうか、わからないのだが、登山道の途中ではなく、どこか別の場所の池だったかもしれない。

 農業用水地が、早良郡内にはあちこちあったので、その池のひとつなのだろう。池というのは底が知れないところがあり、どうも苦手だ。

池をテーマに小説も

画像の説明 隊長とは、同じ小学校の同級生だったので、中学は別々なところにいったけど、高校時代まで交流があり、このときに眺めた池を舞台に、陰気な小説とかを作ったような気もする。

画像の説明 飯盛山がこの位置に見えるということは、これはやはり、登山道の途中ではなく、別な場所のようだ。

 山の隈の一角を仕切ればたちどころに池ができあがる。そんな地形なのかもしれない。

飯盛山遠景

画像の説明 カメラがフィルムを空巻取りしてしまい、2重露光になってしまっている。当時のカメラにはよくあった事故で、それでもいちおう写っているところが、いろいろな場面を回想して思い出しているようで、不思議な写真になっている。

登山を開始

画像の説明 登山を開始する前の、隊長の雄姿。軽装なのだが、この後、隊長は準備していたヤッケなどの重装備となる。登山は、命がけという気持ちだったので、非常用食料となる、チョコレートなども携帯していた。

画像の説明 晴天だったが、山の天気は変わりやすいので、着衣がぬれてもよいように、いろんなものを持っていった。今は、60過ぎのおじちゃんおばちゃんが、ほいほい上っているが、そんなやさしい山ではない!今でもそう思っている。

中腹に巨岩あり

画像の説明 中腹にさしかかったとき、まるで山の門みたいに巨岩ふたつが立っている場所に出た。そこからは早良平野が一望できる。

 博多湾に浮かぶ能古島を足で踏みつけにしている、豪快さを強調した記念写真も撮影した。

画像の説明 そこは樹木が伐採されていて、視界が開けている。2本の杉が残っていて爽快な風景画だが。。。

 そこで、道は途切れていた。そこから先は、山道がみつからない。藪を分け入ってもいけないし、谷川には伐採した樹木の残骸が、いったいどのくらいの深さがあるものか、たまっていて、歩いてはゆけないようなのだ。

重装備で記念写真

画像の説明 無念!今回は登頂を断念するしかない。隊長の重装備もむなしく、その場所で、記念撮影をした。

 せっかく気合をいれてきたのに!2週間ぐらいかけて、計画を練ったのに。道がないので怖くなって断念しました。

画像の説明 いったい飯盛山の頂上に立てる日はくるんだろうか。まったく難航不落の名山なり!二人とも真剣にそう思って引き返したのでした。

 そこでおにぎりをたべていると、ふもとから、ヤギが鳴く声が響いてきました。ヤギの鳴き声ってこんなところまで響くんだ。感心したのを覚えています。


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