化粧女王を探す長い旅 by 大王 |
飯盛山は、上る人が少なくなっていたので、登山道が雑草に覆われて、なかなかわかりにくくなっていた。地元の人に聞けば、わかるはなしなのだが、あくまで自力登山を目指していたわれわれ飯盛山登山隊(隊長と隊員の2名)は、手探りで道を発見しながら登ることにした。
ふもとの、旧早良郡金武村大字飯盛付近で、農耕馬に出会った。かつては、どの農家にも農耕用の駄馬や、牛がいたものである。
荷車を引いていた馬でした。
飯盛神社からの山道をそのまま登ると、いきなり水面にでくわし、この池を眺めながら進むのだが、誰もいない森の中に突然のように出現する水面には、ちょっとぎょっとする。
現在も、この池があるものかどうか、わからないのだが、登山道の途中ではなく、どこか別の場所の池だったかもしれない。
農業用水地が、早良郡内にはあちこちあったので、その池のひとつなのだろう。池というのは底が知れないところがあり、どうも苦手だ。
隊長とは、同じ小学校の同級生だったので、中学は別々なところにいったけど、高校時代まで交流があり、このときに眺めた池を舞台に、陰気な小説とかを作ったような気もする。
飯盛山がこの位置に見えるということは、これはやはり、登山道の途中ではなく、別な場所のようだ。
山の隈の一角を仕切ればたちどころに池ができあがる。そんな地形なのかもしれない。
カメラがフィルムを空巻取りしてしまい、2重露光になってしまっている。当時のカメラにはよくあった事故で、それでもいちおう写っているところが、いろいろな場面を回想して思い出しているようで、不思議な写真になっている。
登山を開始する前の、隊長の雄姿。軽装なのだが、この後、隊長は準備していたヤッケなどの重装備となる。登山は、命がけという気持ちだったので、非常用食料となる、チョコレートなども携帯していた。
晴天だったが、山の天気は変わりやすいので、着衣がぬれてもよいように、いろんなものを持っていった。今は、60過ぎのおじちゃんおばちゃんが、ほいほい上っているが、そんなやさしい山ではない!今でもそう思っている。
旧早良郡の最初の大型団地は、旧原村北方の田園地帯を整地して出現した、原団地だったと思います。鉄筋コンクリート5階建てが林立する公団様式でした。
田圃の中に突如とて出現した団地は、周囲の田園風景の中に、とても違和感をかもしだしていました。友人の自宅から、飯盛山方向を眺めています。バスの停留所は、原団地前ではなく、舟底橋といっていました。系統番号13番の西鉄バスが走っていました。廃船の材料を転用して作った橋だったのでしょうか。
刈り入れがすんだあとの秋の田園です。愛宕山まで完全に見通せるほど、田んぼ以外はなにもない風景でした。
撮影場所は、十郎川の土手からだったような気もします。 田のなかに藁が積んであります。藁の内部は暖かいので、冬になると子供たちがよくあそんでいました。藁こづみ、といっていたけど、遊んでいるうちに藁が崩れて脱出できなくなることもありました。
亡くなる子供もいたので、冬休みに入る前は、学校から「藁こづみでは遊ばないように!」と注意されていました。
また水田には、不思議な樹木が残っている場所があり、たいてい、そこには、石碑があったりなぞの場所だったりしています。
遠景に長垂山が見えているので、生きの松原団地周辺の造成中の光景でしょうか。宅地開発が、はじまっていました。 空き地には冬なのに雑草が茂っています。外来種植物の繁殖が問題になり始めていました。
「6人の同期のうち5人が刑務所にいるんら。これは、ほんとうら。おれの同期にかぎらず、おれたち作業員が刑務所に入る確率は高い」
「おれたちは、消耗品ら。作業員なので、よほどのことがないかぎり昇進することもない。主査と係長は、国家健全省の花形のスターみたいなもんら。女性取締り官は、新聞や電視台によって宣伝されているし、人気の職業のひとつら。モデルしてたり、ミスやってた女がたくさん入ってくるら。そうして国家健全省のエリートと結婚してやめてゆくら。そういうやつらに、おれらが恋をしたときが、いちばん面倒なことになるらよ」
「とびきりの美人とペアを組んで、刈り込みして、エッチ現場に踏み込み、摘発する作業ら。ずっとみていたら、おかしな気分にもなるらよ。それで、ときたま、上司と部下の一線を踏み越えてしまうこともあるら。そんときが、まずいんら」
「ゆるされんことだが、あるんら。国家健全省職員も人の子ら。欲望もあるら」
「去年、逮捕された同期のDは、国家健全省観察官によって、現行犯逮捕されたら。上司の主査に襲いかかった罪で、内偵されていたら。刈り込み中に、そういう反健全行為にふけっていたというから、おどろくべきことではないか」
「合意があろうとなかろうと、問題にはならんら。結婚の予定がない男女の不健全行為は、すべてが法律違反ら。摘発によるとやつは、その不健全行為を前後四十回も、その主査と繰り返していたというら。ゆるされんら。ぜったいにゆるされんら。よりによって上司とそんな関係を四十回も、するなんて、断じてゆるされんら」
こぶしを握り締める鼻声ぶつぶつ男は、まるで私憤を爆発させているかのようだった。
「そうして、彼は刑務所に。。。主査は、どうしているんですか」
鼻声ぶつぶつ男は、それこそが最も聞いてほしかったことだと、いわんばかりに、芋縄を見てこう告げた。
「主査は、その後、昇進して係長になった。おまえがペアを組んでいる第1係長が、そのときの主査だ」
「でまかせじゃ、ないら。だから俺は忠告しているんら。気をつけろ、いい気になるなと」
「ほんとうだとすれば、彼女はなぜ逮捕されなかったんだ」 芋縄は、顔に狼狽の色こそ出さなかったものの必死だった。
「あいつ、いや、係長は国家健全省きってのスターだ。係長にあこがれて、毎年二千人からの女性取締り官採用試験に応募者が殺到するほどだ。そんなスターを潰す気になるか。国家が。しかもだ。係長の結婚予定者は、大臣の三男だぞ。あの男は、すべてを知って、係長を許したんだ。まもなく来年1月には結婚するら。係長は11月までで退職するはずら。すべては不問に付したまま、なにもかも丸くおさまるってことさ」
芋縄が西区愛宕山の刈り込みでたてた手柄によって、芋縄は、国家健全推進章を受章することになった。受章式は、7月3日だ。
「おイモくん、あすは受章式ね」 「はい」
係長は、濃紺の半袖制服を着ている。下は制服のタイトスカートなのだが、係長が着ると、まるで超ミニを着ているように、あられもない姿である。
「きょうは、午後から帰宅していいよ。受章式に備えて、ゆっくりしないとね。あすは、大臣も来るからね。入って2ヶ月で、受章する職員は、これまでいなかったということよ」
「はあ」
身長161センチ、体重76キロの芋縄の前に、身長169センチ、体重52キロの係長が立つ。
「おイモくん、嫉妬されないようにしないとね。同僚たちは、あなたのことをうらやましく思っているはずよ」
「はあ。。」
芋縄は、仕事以外では、係長に意思表示が満足にできない。
長い髪の奥からきらららっと輝く係長の瞳でみつめられて話しかけられると、それだけで何も言えなくなってしまうのだ。
「おイモくんって、おなかが出ているんだね」
係長は、芋縄の腹部を見つめて笑った。芋縄はあわてて息を吸い込み、おなかをひっこめた。
「それじゃ、きょうは帰りなさい。あすの式典には第1種制服で来るのよ。その帽子、貸しなさいよ。あたしが明日までにアイロンかけといてあげるから」
係長は芋縄の帽子をすばやくむしりとり、そのまま部屋を出て行った。
芋縄は、誰もいなくなった係長室を出ると、作業員詰所に戻った。そこには、鼻声ぶつぶつ男が待っていた。
「おまへ。言っておきたいことがあるろ」
無帽の芋縄をじろじろと眺めながら、鼻声ぶつぶつ男が厳しい視線で口を開いた。
「なんでしょうか」
「おまへは、係長に惚れたりはしていないだろうな」
「とんでもありません。服務規律で禁止されています」
「受章するからと言って、いい気にらるなよ」
受章を嫉妬しているのかな。芋縄は、一瞬そう思った。
「これらけは言っておくろ。おれたち作業班は、やつら管理職とは違うんら。住む世界も違うということら。おまへの上司は、おそろしい女らろ」
恐ろしい?係長が?
「その意味はおまへにはわからんらろ」
「分かりません」
「おれは50年組ら。同期で6人入った。しかし、5年間続けて働いているのは、おれひとりら」
「ほかの5人はどうしたんですか」
「採精刑務所にいるら」
「採精刑務所。。なぜ職員が」
「5人とも上司に手を出してしまったんら」
(以下次回)
鼻声ぶつぶつ男が、いきなり持場を離れた芋縄を見て、何かを叫んだ。芋縄は、そんなことに構ってはおれない、と、声の方向に走り出したが、あたりは雨も降っているし、真っ暗である。手にした携帯電気のあかりも、闇に吸いとられて遠くまで届かない。
係長は、武道の心得もあると聞いていた。だいじょうぶとは思うが、姿が見えないのは気になる。
鼻声ぶつぶつ男は、芋縄を追ってきた。
『持場をはなれるら。どこへゆふつもりら』
『か、係長が。係長がいない』
『持場にもどれ。俺が捜す』
『悲鳴が聞えるんだ』
『なにも、きこへないろ』
『聞える』
波打ちぎわに影が動いたような気がした。
『あそこだ!』
芋縄は、再び走った。波打ち際に、人間の影がかすかに動いていた。
携帯電気が届くところに来ると、芋縄は、すべてを把握した。下半身むきだし男が、係長に馬乗りになっている。
とんでもない犯罪者だ。抵抗する上に係長を襲うなんて。芋縄の身体に怒りがみなぎった。
しかし、芋縄は相手に向かって怒りを爆発させる前に、係長が砂浜に落としていた採精バキュームに足を取られて、ぶったおれてしまった。
急速にぶったおれたために、馬乗りになっている犯罪者の頭めがけて、芋縄の頭が、ハンマーのように、ぶったたくような形になった。
ごつううっ。相撲取りが立ち会いに頭同士ぶちあたるような、ものすごい音がした。
芋縄の頭は、ハンマーではなくて、生身の頭である。うぎゃああー。芋縄は奇声をあげて、その場に昏倒してしまった。
しかし犯罪者も、係長に馬乗りしているところに、力任せに芋縄が頭突きを喰わせられた形になった。
うぎゃあああああーいてえええええ。雨音を裂いてすざましい叫びをあげる犯罪者。今度は、態勢を立て直した係長が反撃する番だった。
頭を抱えてのたうちまわる犯罪者の顔面にハイキックを喰わせてぶったおすと、係長は犯罪者に宣告した。
『国家健全省職員に危害を加えた場合、どうなるか分かっているんでしょうね』
『ゆるしてください。出来心だったんです』
『重採精処分になるわ。そのくらい元気が余っているならあなたならちょうどいいかもしれないわね』
『やめてください』
あれほど凶暴だった犯罪者は、いまはしおれていた。
『この世の見納めに、私が採精してあげるわ』
係長は、芋縄がけつまずいて砂まみれになった採精バキュームを手にして、あわただしくその男から採精した。
ノズルの先端部分は、砂にまみれているので、犯罪者は痛くてしかたがないはずだった。だが、ノズル先端部分のふくよかなゴム状蠕動装置の作動に感応して、いやがおうでも採精されてしまう犯罪男の悲しいさが。。
鼻声ぶつぶつ男が、駆けつけてきた。
『ちょうど良かった。こいつをお願い。2度採精したから、もうだいじょうぶと思うけど、抵抗したら、電撃昏倒器(スタンガン)かけてちょうだい』
係長は、すぶ濡れのまま、そう命じると、砂浜に倒れている芋縄のもとにかけよって抱き起こした。
芋縄は、したたかに頭を打ち付けたので、でこに巨大なたんこぶが盛り上がって行く。携帯電気を照らすと、こぶが急速に成長することが分かる。
『芋縄くん。芋縄くん。だいじょうぶ。だいじょうぶよね』
係長は、倒れている芋縄を抱き起こすが、意識は戻らない。
係長は、芋縄をぎゅーっと抱き締めた。
そのひょうしに、係長が抱えていた採精バキュームのノズル先端部が芋縄の顔面に、ぎゅーっと押し付けてしまった。
バキュームは破損していたようだ。採精したカートリッジから、逆流したのか、ノズルを通じて、芋縄の顔面にぼとぼと、採りたての粘液がしたたり落ちる。
係長は、あわてて採精バキュームを投げ捨てて、あらためて芋縄を抱いた。
その光景を、鼻声ぶつぶつ男は、じっと羨ましそうに見る。そうして、おずおずと係長に語りかけた。
『ははりひょう。芋縄は、わらしにまかせて、係の指揮をほっへくらはい』
この日以来、係長が芋縄に寄せる信頼は、抜群のものとなった。芋縄は、係長専属の職員のように、扱われ、芋縄自身、いっかいの平の職員に過ぎないのに、うやうやしく扱われることが増えた。
だが、芋縄をねたむ職員も当然、増えてくる。
あるとき、鼻声ぶつぶつ男が、芋縄に忠告をしたことがあった。
(以下次回)
芋縄は、かねてからの疑問を係長に直接尋ねてしまった。ぶつぶつ鼻声男の忠告を無視して。
『係長が、バキュームで吸い取ったあれは、どうするんですか?捨てているんですか』
ほかにもいろいろ知りたいことはたくさんある。
採精刑務所では何が行われているのか。子孫繁栄養殖場とは何か。そうした一連の疑問を次々にききだせるチャンスだと、芋縄は思った。
無邪気なほどに無防備な寝起きの係長の顔をみて、いまなら教えてくれそうな気がしたのだ。
だが。。。
『あなた、そんなこと私に聞いてどうするの。私は答えるとでも思っているの。余計なことは聞かないことね。2度とそんな質問はしないでちょうだい。さ、車を出すのよ』
返ってきた言葉は、それだけだった。
いろいろと詮索すると、まずいらしい。それだけは分かったが、何もかも疑問だらけだ。
下っ端は、そうした疑問を探ろうとはせずに、黙々と働くことこそただ一つの任務なのだな。
係長の怒りの言葉から、芋縄は、そう自分なりに理解するしかなかった。
係長は帰還する車の中で、一言も口をきいてくれなかった。
変な質問で、係長の機嫌を損ねてしまった。
しかし芋縄は、それからほどない7月13日の夜。東区海の中道の海岸で行われた刈り込みで、たちどころに係長の信頼を取り戻した。
その日は、激しい雨の夜だった。第一係は、海の中道をパトロール中に、あやしい車両を発見して包囲した。
車両はマイクロバスなのだが、中が見えないようにカーテンを下ろしたまま、どしゃぶりの雨の中、一切のライトを消している。
エンジンだけはかけたままである。
気がつかれると逃走の恐れがあるので、鼻声ぶつぶつ男が、3人のベテランを連れて、徒歩で車両に近付いた。
そうして、手にした金属製の鎮圧ピッケルで運転席の窓をいきなりたたき壊して、車内に発煙弾を投げ込んだ。かなりの荒っぽさである。
それを合図に包囲していた第一係の車両8台は、一斉にヘッドライトを点灯する。中から男女が出てきた。
大部分は観念して大人しく逮捕されたが、逃走を図る者もいた。
マイクロバスの中で大胆にも集団性行為をしていたのだ。
逃げ出す男女は電撃銃で撃ち倒されて、次々と逮捕されてしまう。
係長は、いつもの手際の良さで、この雨の中、びしょ濡れになりながら、2人を採精した。
2人目は、逃走を図ろうとしたものの観念したのか、かなり海岸部まで追いかけられて採精バキュームをかけられた。
だが、この男は、精力があり余っていた。
採精された直後に、元気を回復して、係長に襲いかかってきたのだ。
雨足が激しいのと波の音で『きゃー、なにするのよ!』と叫んだ声が、どこにも届かない。
『どうせ。俺は採精刑務所行だ。おまえも巻き添えにしてやる』
男は、係長を押し倒して、もともとむき出しの下半身を押し付けようとする。
激しい雨音と、波の音、風の音を通して、芋縄の耳は、かすかに届く係長の悲鳴を感知した。
それは、芋縄がたえず係長のことを注意していていたからこそ、かすかな悲鳴を聞き分けられたのだと、あとから思った。
その時は夢中で、芋縄は悲鳴の方向を察知して走った。
(以下次回)
刈り込みをしない日でも、仕事はある。街宣課の本来の仕事は、刈り込みという公権力の行使ではなく、文字どおりの街宣活動だ。
まだ街宣課が、逮捕権を持たなかったころ、街宣活動は街宣課にとって、最大にして唯一の業務だった。
しかし、逮捕権を得た街宣課にとっては、逮捕権の行使が主たる職務で、かつての中心業務だったはずの街宣活動は、今やそれほど魅力がない従の職務に変質していたようだ。
この日は、国家健全省の第一係全員は、いちゃつくカップルで充満している、7月7日午後10時過ぎのベイサイドに繰り出した。
『何をやるんですか』
『犯罪の予防と、国家健全思想の徹底よ』
係長に質問したが、具体的には、何も説明してくれなかった。
半分どうでもいいという顔をしていたので『刈り込みほどには、緊張しない仕事だな』ということだけは理解できた。
『それじゃ、あなたたち、お願いね』
なんだ、係長は車の中で待機するらしい。
芋縄たちを後目に、係長は助手席を倒して、はやくも仮眠の態勢である。
真っ白な肌がのぞくえりもとがまぶしい。
ああ、自分は何を考えているんだろう。
芋縄は、自分を戒めながら街宣に出た。
『何をやるんすか?』
『まあ、みとひなはい』
鼻声男は、そう言って、国家健全音頭を口ずさむ。
はあー、国家健全、国家健全、健全音頭だみんなで踊れ あーよいよいほほい
芋縄たちは、鼻声男を先頭に総勢8人。いずれも無法マツ印のとっこう服に身を包みさっそうたる足取りで、ベイサイドの緑色にあやしく輝く海が広がる場所に来た。
そうしてベンチに座り愛を語らうカップルの背後にしのびより、全員で国家健全音頭を歌う。ただそれだけである。
みこんのえっちは法律いはん、あーほれほれ、
みせいねんならたいへんだ。結婚資格は剥奪で
いっしょう国家の発電機
びくつくカップルは、キスはおろか手をつなぐ気力も萎えるのか、げんなりとした表情でこちらを振り向く。
たらこ唇とあだ名されている長身の職員が、携帯マイクを取り出して、カップルに言ってきかせる風を装いながら、ベイサイドに集まるカップル全員に演説を始めた。
『こちらは国家健全省です。金曜日の晩をいかがお過ごしでしょうか。国家の承認を受けた結婚予定者とともに、楽しいデイトにうち興じる。それもまた有意義なことと思います。しかし国家健全省は、ここでいちゃつくすべてのカップルに、さらなる有意義な提案をいたしたいのです』
何を提案しようというのだろう。
芋縄も耳を傾けた。
だが、ベイサイドの大半のカップルは、その提案を聞き飽きていると見えて、ばらばらと遠くの方へ退避してゆく。
『大切な未来を、一時期の激情のために見失い、手を触れ合うことから、キッスへ、さらには、大胆なる無届け性交渉を行うことになったら、われわれに摘発されて、親兄弟も嘆き悲しむことになります。そこで、親愛なる男女のみなさま。感情が盛り上がりそうになったとき、われわれとともに、国家健全体操をして、むらむら気分を一掃しましょう。さあーいっしょにまいりましょう』
夜中に流れる毒々しい音楽とともに、たらこ唇男が踊り出した。
このたこ踊りみたいなけったいな踊りが、国家健全体操なのだろうか。
芋縄は、自分もこの体操を覚えて、たらこ唇先輩のように、人前で踊れるようにならねば、と考えた。 街宣活動は30分ほどで終わり、芋縄が車に戻ると、係長は助手席で無防備に熟睡している。
ねこのように丸くなって、なぜだかシフトレバーを握りしめて寝ていた。
『疲れているのかな』
芋縄が、車を発進させようか、どうしようか迷っていると、係長は目をさました。
『あ、終わったの。ほかのみんなは?』
『全車、戻りました』
『そうなの。じゃ、帰りましょう』
あーあ、のびをした係長は、ついでにあくびをした。
あくびをするとぴったりしている第一種制服は身体の線をはっきりと浮き上がらせてしまい目のやり場に困る。
ちらっと顔を見ると、あくびしたついでに涙が出たのか、係長の目が水分でうるうるしていた。
『係長』
『なあに?』
うるうるした瞳のまま、係長は芋縄を見つめ返してきた。
『尋ねたいことがあるんですけど』
(以下次回)
『先輩』
『なんら?』
あるとき、芋縄は、鼻声ぶつぶつ男の先輩に尋ねたことがあった。
採精バキュームのノズルの清掃は、芋縄たち平職員の仕事である。ノズルは1回の刈り込みで多数の犯罪者から吸い取ったとしても、そのまま使い続ける。犯罪者に対して衛生管理は必要がないと、いうわけだ。
このため、愛宕山刈り込みのように、第一係長が9人もの採精を反復したときも、連続使用したため、ノズルはどろどろずるずるの状態である。
不衛生このうえない。
最初に採精されれば、まだ良いが、8人目9人目ともなると、他人の粘液でどろどろ状態なので、吐き気を催すほどに不潔なのだ。それを使われる犯罪者もたまったものではないと思うのだが、逮捕されるかどうかの切迫した状況なので、犯罪者たちは気になるもくそもないのであろうか。
こんな不衛生な器具で採精される現実を知っていたら、だれも自家用車内での無届性行為(カーエッチ)などしたくはないと思いそうなものだが、世の中はそうは行かないらしい。芋縄たち職員が連日出動するほどなので、世に犯罪の種は尽きないのだ。
『ノズルは、こうして俺らが磨きあげてますけどね』
『。。。。』
『カートリッジの中身は、いったいどこに行くんですか』
『。。。。』
『この前、係長がカートリッジあふれるくらい集めていたけど、どうするんでしょう。自分で捨てるのかな』
鼻声の先輩は、周囲をちらっと見回してから、芋縄をにらみつけた。
『おまへ。よへいなことに、きょうみほ、もつんらないろ』
『え?』
『おれらち、平ろ職員は、ひらなくてもひひ、ということだ』
カートリッジの行方については、鼻声の先輩は、それ以上語ろうとしなかった。
国家健全省の中には、謎が多すぎる。係長クラスは超美人の女ばかりだ。課長だけは、芋縄と同じように、決して異性からは興味の対象にされそうにない、超一級のぶ男だったが。。
『おまへ、妙なこと考えると、犯罪者とおなじように、採精刑務所おくりらろ』
『はい』
鼻声の先輩はいつになく、厳しく芋縄をしかった。
配属1ヶ月で、国家健全推進章の受章が内定した上に、芋縄があの第一係長に、可愛がられているという評判が立っているせいか、鼻声男の気持ちのなかに羨望と嫉妬が入り混じっていたのかもしれなかった。
(以下次回)
【国家健全化計画2005】5 粘液まみれの幸福男
芋縄が運転する国家健全省のランティス2000は、前部のエンジン部がぐしゃぐりゃにつぶれた。シートベルトを付ける暇がなかったため、エアバッグは開いたものの、左前方に投げ出された芋縄は、ダッシュボードでしたたかに顔面を強打し、このときに額を切って血がだらだらだらだらと流れでた。
しかし、ドアの開閉ができたので、車を降りて職務に忠実に、容疑車両に向かった。携帯電灯で闇を切り裂きながら、まず先頭車両の車内を照射する。
先頭車両の運転席にいた女は、事故で負傷したのか、身動きしない。男がどこかにいるはずだが、見当たらなかった。
車外を見ると、下半身丸裸の男が、車のかげから走り出そうとしていた。 「待て。逃亡すると即決裁判だぞ」
自分でも考えられないようなでかい声を出して、一瞬の間に車を乗り越えて、男に飛び掛かる。
抵抗するので、芋縄は電撃銃を使って男を倒した。
芋縄は必死だった。ざっと見ても車両は9台はいる。まともに突破させると、一人の身柄さえも確保できないだろう。
第1係長のメンツは丸潰れだ。刈り込みをぶざまな失敗に終わらせたことで、報告を受けるであろう陰気なずりむけ課長の皮肉な笑みが、美しい係長に向かってむけられることを考えると、耐えられなかった。
芋縄は、自分の存在を誇示するように、逃走を図った先頭車両に飛び乗り、後続の車の中で息をひそめているカップルに向かい、自分の血まみれの顔を下から電灯で照らした。
「その場を動くな。動けば、どうなるか分かるだろうな。府府府府不夫婦ふふふふふふふふふふふふふふふふ」
どのくらいの威嚇になるかは疑問だが、車のやつらが少しでもひるんでくれればいい。そんな願いからだったが、これが奏功したようだ。
芋縄は追い付いて来た係長とともに、車両点検を始めた、電撃銃で倒した男には足に手錠をかけて放置した。意識がないので採精バキュームはつかえない。
女は、事故で負傷しているようなので逃げられないだろう。
2台目の車両にも、男がいなかった。運転席に女がいるだけだ。
「検査する。脱げ」
怒鳴ると、運転席の女は、芋縄を見て哀願した。
「見逃してください。わたしたち、来月結婚するんです。結婚予定証明書もあります」
「そうか。結婚予定証明書があるのですか」
芋縄は、わざとていねいな言葉で応対した。
「そうです。見逃してください。ほんのできごころだったんです」
「わかりました。上司と相談してみましょう。彼氏はどこに」
「トランクです。あの中にいます」
「では、トランクルームを開けてください」
「はい」
トランクルームが開くと、芋縄は、素早く運転席のキーを抜き取り、女を電撃銃で打ち倒して、後ろに回った。トランクの中には男がいた。
「出ろ。国家健全法違反容疑で逮捕する」
下半身を隠しながら、男は哀願していた。
「ぼくたち、結婚するんです。ほんとうです」
「ほんとうらしいな」
芋縄は結婚予定証明書をかざして、薄笑いを浮かべ、そして破り捨てた。我ながら非情な取締り官を演出することが出来たと満足した。そして係長を呼ぶ。
「この男に採精バキュームお願いします」
言い残して、次の車両に向かう。
運転席はがっちりとした体格の男だった。
「僕らは何もしていません」
助手席の女の子をかばうように、男は容疑を否認した。
「分かった、それなら検査してみよう。時間を取らせるな、脱げ」
芋縄は自分でも恐ろしいくらいの迫力で、助手席の女に言った。顔からは血がだらだらだらだらと流れている。それが一層のすごみを持って相手に威圧感を与えているらしい。
芋縄は上着から、試薬を取り出して、女性の◎◎にすばやく張り付けた。人形を使って訓練を積んでいるので、手慣れたものである。
試薬をはがし携帯電気で照らすと、色は濃緑だ。
「粘液濃度測定による感度は6.3以上だ。国家健全法違反は明らかだ」 係長を呼ぶ。
「男は採精してください。女は検挙します」
芋縄と係長は、この後、9台の車両のカップル9組を検査し、7組を国家健全法違反の現行犯で逮捕。1組を道路交通法違反容疑で警察に引き渡した。残る1組は未遂だったために放免したが、たった二人で短時間にこれだけの検挙を成し遂げた例は、これまでない。
「芋縄、あたし、バキュームの替えのカートリッジ持ってきてないから、もう、あふれちゃうよ。バッテリー切れの警告サインも出てるしさ、手動で採精するなんてやだからね。それにもう、くたくた、誰も応援にきてくれないしさ」
係長は、多数の容疑者から採精したために、粘液でどろどろになったノズルを手にしたまま、芋縄に、ぶーたれた。
芋縄も係長に報告した。
「係長、わたしも、試薬を予備まですべて使い切りました」
額からの出血が、芋縄の体力を急速に消耗させたのだろう。報告しながら、芋縄は、ふらふらと係長にもたれかかるように倒れ込んだ。
応援部隊がようやく到着し、南側車道を封鎖していた第2係も、不審に思って前進してきたので、芋縄と係長が処置した検挙者は次々に収容されたが、たった2人で、違反者を一網打尽にしてしまったことを知り、だれもがあっけに取られていた。
係長もくたくたに疲れていた。手袋もコスチュームも、連続した採精作業のために、べとべとに汚れていたが、芋縄が地面に倒れこまないように力を振り絞って抱きとめていた。
血まみれの芋縄は、係長の胸に抱きとめられる幸せと同時に、あせって抱きとめた係長が、持っていたバキュームのノズルを、芋縄の口の中に、むにゅーっと入れてしまい、おぞましさも味あわねばならなかった。
「あ、ノズルが芋縄の口にはいっちゃったー。ごめんねー。でも、まあいいか−。汚いけど男同士のだからいいよねー」
芋縄は血まみれの口に、バキュームのノズルを差し込まれながらも、仕事を成し遂げてほっとしたのか、満足げな表情で係長に抱かれていた。
(以下次回)
【国家健全化計画】4 西区愛宕山刈り込み
国家健全省の中での芋縄の仕事を語るうえで、忘れることができないできごとがある。
「あのときの、あなたはすごかったよ」
係長は、国家健全推進章を申請する書類を準備しながら、芋縄の顔をうっとりと眺めた。
係長に見つめられた、このときの陶酔のような時間を、芋縄は生涯忘れないと、そのときに誓っている。
「自分は、係長に褒められることなら、なんでもしたい。そうして、もう一度、うっとりと眺められながら褒めてもらいたい」
そんなあからさまな願いを、芋縄はこのとき思い描いた。
「わたしも必死だったけど、あなたは、もっと必死だった。課長も本部長に褒められたと喜んでいたし、健全推進章授章は確実ね。配属2カ月で手にする職員なんで、今までだれもいないよ」
「はい、ありがとうございます」
「あなたって、すごいね」
「必死だったものですから」
係長のために。そう言いたいところを芋縄はぐっとがまんした。
「ねえねえ、お願いがあるんだけど」
「なんでしょうか」
「あなたの試用期間は今月いっぱいで終わりよ。だから、別の主査とペア組むのが本当なんだけど、新人が来るまで、あたしとペア組んでいてほしいの。そう課長に希望してくれる?」
「はい、そりゃもう、喜んで」
ああー、もう死んでもいい。でも死んだら係長と会えないので、死なない程度にある程度の悲惨な目にあってもいいな。芋縄はそう思った。
採精バキュームを自在にあやつる係長の手が、今は芋縄の健全推進章の申請書類を作るためにパソコンのキーボードの上をかけめぐっている。
芋縄の名前を全省に轟かせた、あの日のできごとを記録するために。。。
6月1日、第1係は、福岡市西区愛宕山駐車場の刈り込みに向かっていた。住民からの通報で、数日前から、数組のアベックが出没し車の中で無届け、無許可行為に及んでいるらしいことが、分かっていた。
1係は2係と合同で、午後9時、2手に分かれて配備についた。愛宕山山頂駐車場に向かう車道は2カ所しかない。
それぞれの出口を封鎖して、駐車場でいちゃつくカップルを急襲し、摘発する。
いつもながらのありふれた刈り込みとなるはずだった。
しかし、午後8時50分、国家健全推進車両が、するすると前進して、所定の位置に着いたものの、第1係の車両10台のうち2台目の収容車両が道路の入り口のカーブでエンストしたまま動かなくなってしまった。
先頭の係長と芋縄の車両だけは気がつかずに前進する。
午後9時、配置についた係長が後続車両が来ていないことに気付いた。
「無線封鎖解除して。定時に全車が所定位置につけなかったら、刈り込みは中止する。ぶざまな結果だけは避けたいからね」
芋縄が運転席の無線ロックを解除して、マイクを係長に手渡そうとしたときだった。突然、すでに駐車場に侵入していた、国家健全推進車両が大音量の国家健全音頭を流し始めた。予定時間前だ。
「あ、どうしたのかしら。まだ9時1分なのに」 その直後から、駐車場にいた車11台が動き始めた。逃走を図るようだ。しかもまずいことに、大部分の車が係長と芋縄の車両しか到着していない北側道路に向かって一斉に走りこんでくる。
「こっちに来るよ。あっちの道なら2係がいるのにね。こっちは、わたしたちだけよ。芋縄、なんとかするのよ」
「係長、バキューム持ってますよね」
「持ってる。予備のカートリッジとバッテリーはトランクの中だけど」
「それ持って、ここで待っててください。来ます。やつら、すごいスピードだ」
「どうするの」
「いいから、降りて」
芋縄は係長を、車から降ろすと、向かって来る先頭車両めがけて、車を急発進させて、つっこんだ。どどどどどどおおおおおおおおおおんというものすごい衝撃音がした。
(以下次回)
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