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アメリカをさるく

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アーネスト・ヘミングウェイ (Ernest Hemingway) ④

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 『老人と海』では84日間も魚を獲ることができなかったサンチャゴ老人が85日目にその生涯で初めて出くわした巨大なカジキマグロを釣ることに成功する。だが、自分が乗っている小舟より大きい全長6メートルの大物だ。3日間の「格闘」の末、ようやく仕留めることができたが、船体に縛りつけて港に引き揚げる途中、幾度となくサメに襲われ、サンチャゴの必死の抵抗も空しく、カジキマグロは骨格だけになってしまう。
 骨だけになったカジキマグロとともに、疲労困憊のサンチャゴは夜の港に帰港。はうようにして戻った自分の小屋で倒れ込んで眠る。サンチャゴの身を案じていたマノリンは翌朝、まだ寝入っているサンチャゴを見て、泣き出すのを抑えきれない。目覚めたサンチャゴに向かい、マノリンはこれからはまた一緒に漁に出ようと語りかける。サンチャゴも少年の執拗さに押し切られ、一緒に漁に出ることを承諾する。
 『老人と海』は簡潔な文章が淡々と繰り出されていく。冗長な記述は皆無に近い。例えば、次のような文章に私は最初、戸惑った。He was feeling better since the water and he knew he would not go away and his head was clear. この部分を私が日本語に訳すとすると、次のようになる。老人は先ほど一口飲んだ水で元気を少し回復していた。仕留めた獲物が逃げ出すこともない。混乱していた頭もすっきりしていた。どう見ても、ヘミングウェイの原文の英語に比べ、実に「余計な」表現が入っている気がしてならない。だが、その「余計な」表現をはしょると、日本語としては分かりづらい文章になる。翻訳者泣かせの名文なのだろう。
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 ヘミングウェイの文体は③で述べたように、一般には「アイスバーグ論」とも呼ばれていることを今回の旅で知った。彼が日本の「俳句」の影響を受けていることを指摘する批評家がいることも知った。次のような文章に出会うと、なるほどと感じないこともない。
 It was cold after the sun went down and the old man’s sweat dried cold on his back and his arms and his old legs.(日が沈むと寒くなった。老人の汗も背中で乾き、寒さを覚えた。腕もしかり。年老いた足もしかり)
 Then the fish came alive, with his death in him, and rose high out of the water showing all his great length and width and all his power and his beauty.(その魚は息絶える直前、生気をみなぎらせ、水面高く跳ね上がった。その体の大いなる長さ、幅の広さ、力強さ、そして美しさを誇るかのように)
 なぜか、この作家は and という接続詞を多用する。普通はコンマ「,」を使用するところだろう。ずっと昔、中学校か高校の英語の授業で and を多用して文章を書くと、稚拙と言われたような記憶があったような。ヘミングウェイが先生だったら、一味もふた味も違った授業になっていたことだろう。
 (写真は上が、キーウエストのビーチ。下は、町の通り。レンタル自転車、人力車のほか、観光客が利用できるさまざまなユニークな乗り物で賑わっていた)

アーネスト・ヘミングウェイ (Ernest Hemingway) ③

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 ヘミングウェイはその文体の簡潔さでも知られ、後の世代の作家に大きな影響を与えたと言われている。無駄な部分をそぎ落としたような文体である。彼が高校卒業後、一時、カンザスシティー(ミズーリー州)の新聞社に勤務していたことと関係があるのだろうか。
 ヘミングウェイの文体について言えば、”Death in the afternoon” (邦訳『午後の死』1932年)の中で興味深いことを作家は述べている。If a writer of prose knows enough about what he is writing about he may omit things that he knows and the reader, if the write is writing truly enough, will have a feeling of those things as strongly as though the writer had stated them. The dignity of movement of an ice-berg is due to not only one-eighth of it being above water.(作家が自分が書いているものを十分承知しているとするなら、彼は承知している事柄を省略しても構わない。その作家が真実を書いているなら、読者は省略した部分が実際に書いてあるかのように、作家と同じ強い思いを抱くであろう。氷山のたたずまいの気高さは水面に出ている八分の一によるものだけでない)
 まさにその通りだろう。
 ヘミングウェイはさらに次のように続ける。
 A writer who omits things because he does not know them only makes hollow places in his writing. A writer who appreciates the seriousness of writing so little that he is anxious to make people see he is formally educated, cultured or well-bred is merely a popinjay. And this too remember; a serious writer is not to be confounded with a solemn writer. A serious writer may be a hawk or a buzzard or even a popinjay, but a solemn writer is always a bloody owl.(自分が知らないからといって事柄を省略する作家は作品に空虚な陥穽を作っているに過ぎない。物を書くということの真剣さが理解できていない作家は自分のことを他の人々に立派な教育を受けているとか、教養があるとか、育ちが良いとか分かってもらおうとあがいているようなものであり、気取り屋に過ぎない。次のことを覚えていて欲しい。真剣な作家をもったいぶった作家と混同してはならないということだ。真剣な作家は勇猛なタカかもしれないし、狡猾なノスリかもしれないし、あるいは気取り屋でもありうる。だが、もったいぶった作家が真剣な作家と決定的に異なるのは、彼らは常に逆立ちしても我慢のならない存在なのだ。辟易させられるフクロウのように)
 この辺りは新聞記者の仕事についても同じことが言える。私は文章を書くことについて一般の人に話をすることがあれば次のように語っている。
 「7取材して(調べて)5程度を書くと、奥行きのあるいい記事が書ける。時に破綻するのは5取材して5書こうとすること。決してやってならないのは、3取材して5書こうとすること」。新聞記者として取材から執筆の過程で幾度となく苦しんだ末の結論だ。
 (写真は、キーウエストの夕暮れ。写真ではその美しさを活写できないことがしばしばだが、これは例外か。写真の方が現実に目にした光景よりもより感動的に見える)

アーネスト・ヘミングウェイ (Ernest Hemingway) ②

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 『老人と海』は短い中編小説と呼べる作品だろう。主要登場人物は老いてはいるがまだ頑健な漁師のサンチャゴと老人を慕う少年のマノリンの二人だけ。
 小説の冒頭、老人について、次のような描写がある。
 The old man’s head was very old though and with his eyes closed there was no life in his face. (老人の頭はしかし彼がとても高齢であることを物語っており、目を閉じた顔には生気は感じられなかった)。我々が英作文で上記の文章のように、old という単語を一つの文章で二度使うと、稚拙な文章と見なされるのだろう。事件事故を報じる場合以外は新聞記事でも、同じ単語(表現)が一つの文章あるいは近接した場所に出てくることはまれだろう。ヘミングウェイのこの文章だとそういう印象は抱かせない。
 それで、目を閉じている時の老人に生気が感じられないのは、先にこういう文章があるからだ。Everything about him was old except his eyes and they were the same color as the sea and were cheerful and undefeated. (その男は目以外はすべて年老いているのが見て取れた。だが、彼の目は海の色と同じで、元気にあふれ、不屈の魂が宿っていた)
 物語はキューバが舞台である。博物館のガイド氏は老人のモデルとなった人物がいて、その老人は2002年に104歳で死去したと語っていた。ヘミングウェイは1940年にキーウエストを引き上げて三度目の結婚の後はキューバに移っており、この時にこの老人と親交を深め、彼の漁師としての話に耳を傾け、小説の題材を得たものと思われる。
 次のような表現もある。老人が夢の中でアフリカのにおいを感じたことを述べている部分だ。He smelled the smell of Africa. 私はキーウエストに着いた時に、若干アフリカのにおいを感じた。「あ、何だか似ている」と。私はキューバには行ったことがないが、キーウエスト以上にアフリカ的空気が濃厚なのだろう。だから、この描写にはヘミングウェイの体験も多分に投影されているのではと考えた。
 『老人と海』を再読していて、印象に残ったのは、老人が釣った巨大な魚と体力の限界近くまで「格闘」を続けながら、少年と一緒に以前に釣り上げた大きな魚のことを回想するシーンだった。彼らは一対のカジキマグロのうち、メスを釣り上げた。オスは常にレディーファーストでメスにエサを食させていたからだ。メスは半狂乱になって抵抗した末に、水面に引き上げられ、老人にこん棒で頭部を殴られ、仕留められてしまう。この間、オスはメスの身を案じるかのようにずっと船に寄り添い、メスが船上で息絶えると、最後にそのメスの姿を見納めるかのように空中高くジャンプして、海中に姿を消した。That was the saddest thing I ever saw with them, the old man thought. The boy was sad too and we begged her pardon and butchered her promptly. (あれほど悲しい光景は目にしたことがないと老人は思った。少年も同じ思いだった。二人はメスのカジキマグロに許しを請い、素早く、解体した)
 (写真は、博物館に飾られているヘミングウェイの時代ごとの写真)

アーネスト・ヘミングウェイ (Ernest Hemingway) ①

 私は正直に言うと、アーネスト・ヘミングウェイ(1899-1961)の作品は若い時にはなぜか読んだことがなかった。ワイルドライフの好きな彼は東アフリカでも猛獣狩りのサファリに出かけ、そうしたサファリの中からアフリカの断面を切り取った作品を描いている。”Green Hills of Africa” (邦訳『アフリカの緑の丘』1935年)が印象に残っている。
 これがきっかけになって私は “A Farewell to Arms” (邦訳『武器よさらば』1929年)、”For Whom the Bell Tolls” (邦訳『誰がために鐘は鳴る』1940年) などの作品を読んだ。
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 今回の旅では、彼の晩年の代表作 ”The Old Man and the Sea” (邦訳『老人と海』1952年)を念頭に、キーウエストを訪れている。作品の舞台となっているのはキューバであり、ヘミングウェイはキューバに近いこのキーウエストで1931年から9年間、暮らしているからだ。キーウエストに “the southernmost point in the continental US” という地点があり、そこからだとフロリダ湾の向こうにあるキューバまでわずか90マイル(約144キロ)と表示されている。
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 ヘミングウェイは1899年、ミッドウエストのイリノイ州シカゴの近郊にあるオークパークに生まれた。若いころから行動的だったようだ。高校を卒業後、一時新聞社に就職し、物書きとなる基礎を学ぶと、第一次大戦にイタリア軍付き赤十字の救急車要員として参加。前線での負傷者搬送中に砲撃を受け、負傷し、病院入院を余儀なくされる。入院生活で年上の英国人看護婦と恋に落ち、破局するが、この時の一連の体験が『武器よさらば』となって結実する。
 彼は生涯4人の妻をめとっているが、キーウエストでは2人目の妻だったポーリーンと暮らした。その家が博物館となって残っている。作家として充実した日々を送っていたのだろう。この家で先述の『誰がために鐘は鳴る』を含む著作の半分以上を書いている。
 さあ、とりあえず、その家の博物館に足を運ぼう。私はあまり地図を読むのが得意ではない。気が付くと、だいたい目的地の反対の方角に向かって進んでいる。だが、今回のキーウエストはさすがに小さい島だから、自転車に乗ってうろちょろしていたら、運よく、博物館にぶつかった。入場料12ドルを払って邸内へ。思った以上に観光客が多い。中年かその上の世代のご夫婦がキーウエスト観光のついでに立ち寄ったという感じだ。丁度折よく、ガイドの案内が始まるところだったので、お尻に付いて回った。
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 屋敷は二階建てで別棟の二階が作家が執筆に使った書斎となっていた。いや、至るところに猫がいる。ガイド氏は「この屋敷には44匹の猫が生活しています。どれも、ヘミングウェイが可愛がっていた猫の子孫です」と説明する。猫大好きの私は猫に出会う度、のど仏をさするが、観光客慣れしているのかあまり嬉しそうでもなく、かといって、拒絶もしないといった風情。
 (写真は上から、米本土最南端の地であることを示す表示。記念撮影のスポットになっていた。ヘミングウェイ博物館となっている彼がかつて住んでいた家。名作が書かれた書斎。左のイスの上で猫が気持ちよさそうに寝そべっていた)

キーウエストに

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 ニューオーリンズを出て、延々、1日と8時間かけて、目指すフロリダ州のキーウエストに到着した。今回のグレイハウンドのバスの旅は割と快適だった。一つにはそう混んでいなかったこと。私は相席の客もなく、2人分の席でゆっくりできた。夜はあまり眠ることができなかったが、うつらうつらはできた。
 途中のバス停で、前の席に座っていた若い女性が隣の若者の足が触っていやらしいとクレームをつけ、それで少し目が覚めた。二人とも黒人だったが、女性はFワードを繰り出して、凄い剣幕で怒っていた。男の方はたじたじとなり、バスが発車した時は席を替わってもらっていた。その若者に少しだけ同情した。件の女性はすごく太っていた。おそらく、彼女の足が自分の席にはみ出してきていたのだろう。知らず知らず、足が普通以上に「触れ合った」のでないか。まあ、彼女から見たら、普通以上に彼の足が「密着」していたのかもしれない。それはそれとして、女性が男性に対して怒ることのできる社会を私はいいと思う。
 キーウエスト。フロリダ州南端のフロリダキーズと呼ばれる弧状列島の先端にある都市で、米国本土最南端の地でもある。マイアミから約250キロの距離にあり、途中の島々は大小42の橋で結ばれている。キーウエスト自体は大ざっぱに言うと、東西6.4キロ、南北3.2キロ、面積約20平方キロの小さい島だ。
 ニューオーリンズに到着した時、よくぞ、ここを後半に予定して良かったと思った。居心地のいいところだったから、ニューオーリンズを最初の訪問地にしていたら、それ以降の旅が物足りなく思うのではと感じたからだ。そして今、キーウエストに着いて、よくぞここを最終地にしたものだと自分をほめたくなる。いや、ほめるほどのことでもないが。
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 第一、11月も中旬だというのに、暖かい。正確には汗ばむ陽気である。到着した昨日は曇り空だったが、軽く汗ばんだ。ホテルに結構な大きさのプールがあり、それに飛び込みたくなったほどだ。実際、飛び込んで久ぶりに泳いだ。聞くと、年中こんな陽気だという。もちろん、7月、8月が一番暑いらしいが。
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 第二、レンタル自転車に乗れば、キーウエストはどこでも行ける。レンタル料金も10ドルと良心的な値段だ。風を切って自転車に乗れば、涼やかな気分に浸れる。自転車に乗ったのは学生時代以来のことではなかろうか。実に久しぶり。
 難点は観光地だけに、ホテルやインが結構高いということだ。今はシーズンオフらしいが、それでも繁華街のダウンタウンだと税抜きで一泊150ドルぐらいは当たり前のような感じだ。円高といっても、限度がある。
 キーウエストはもちろん、アーネスト・ヘミングウエイゆかりの地で有名だから足を運んだ。これから、少しヘミングウエイについて書いてみたいと思っている。
 (写真は上から、キーウエストの海岸。ダウンタウンのレストラン。暑いので、水を噴霧して涼しさを演出していた。大きい通りでは、ちゃんと自転車道も指定してある)

グッバイ・ニューオーリンズ

 ニューオーリンズと言えば、2005年8月のハリケーン・カトリーナで大きな被害を受けたニュースが記憶に新しい。日本同様、先進国のアメリカでも自然の猛威に対しては無力であることを示した災害だった。
 ニューオーリンズを訪ねるに際して、カトリーナのことは若干頭にあった。だから、ミシシッピ川沿いのダウンタウンのフレンチクオーターを歩いていて、ハリケーンのつめあとが全然残っていないことに安心もしたし、不思議な感じがしないでもなかった。
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 ②で紹介したジェニファーさんにこのことを尋ねると、「フレンチクオーターがある地区はミシシッピ川が上流から運んできた土壌が長い間に堆積して出来た自然の堤防に守られている地です。だからこそフランス人が入植して来た時に、先住民のアメリカインディアンが彼らを最上の地に連れていったのです。暴風の被害を除けば、フレンチクオーターは大きな被害に遭いませんでした」と彼女は語った。
 洪水による大きな被害が出たのはフレンチクオーター以外の低地にある住宅街。ニューオーリンズは南を流れるミシシッピ川と北にある湖の間に複数の運河が築かれており、運河が崩壊して洪水が住宅街に押し寄せたのだという。「運河がきちんと整備されていればあれほどの被害は出なかったでしょう。カトリーナによる甚大な被害は自然災害というよりも、人災の側面が大きいと地元では多くの人が考えています」
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 それで合点がいった。郊外だと「高床式」とでも呼ぶのだろうか、住宅の床部分をコンクリートなどで地面から60センチ程度、場合によっては大人が通れるほどの高さに上げて建てられた家が目についたからだ。墓地もユニークだった。何と表現するのだろう。地下に埋葬するのではなく、地上に埋葬するため、コンクリート製の廟が「林立」しているのだ。「水難」に対処するための苦肉の埋葬方式なのだろう。
 ジェニファーさんはニューオーリンズの人口をカトリーナの前は約40万人、カトリーナ後の現在は34万3千人程度と語っていた。6万人前後の人々は周辺の州の避難先から戻ってきていないことになる。だが、ニューオーリンズの復興は着々と進展しているようだ。復興の大きな力になったのは海外を含む多くのボランティアの支援であり、中にはボランティア活動がきっかけでニューオーリンズに住みついた人も少なくないという。
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 「ここに住む人々は自分たちの町に誇りを持っています。全国的な旅行雑誌がつい最近、人々の地元への意識を調査した結果を発表しましたが、地元に誇りを持っているナンバーワンはニューオーリンズの人々でした。とてもうれしく思います」
 さて、後ろ髪を引かれる思いでニューオーリンズを出て、次の目的地に向かう。
 (写真は上から、ニューオーリンズの魅力を語ってくれたジェニファーさんと同僚のセーラさん。真ん中の人形はフェスティバルで使われるマスコットとか。ニューオーリンズの典型的墓地の風景。夕食で食べたオイスター(牡蠣)。美味かった。いつもこんな美味いものを食していると思われたくないのだが)

テネシー・ウィリアムズ (Tennessee Williams)④

 “A Streetcar Named Desire” を読み終えた時は気が滅入った。救いがない結末。爽快感は皆無だ。人間の業(ごう)の性愛、暴力、見栄・・・。これを実際に劇場で観れば、また異なった感慨を抱くのだろうか。
 上記の代表作は劇場で観たことはないが、ウィリアムズのもう一つの戯曲 “The Glass Menagerie”(邦訳『ガラスの動物園』)は二度ほど観たことがある。一度はロンドンで、さらに東京で邦訳劇として。これも暗い、陰鬱な劇だった。“Streetcar” と異なり、性的なシーンや暴力的な描写はなく、亭主に逃げられた母親のアマンダ夫人は二人の子供たちに経済的成功を願い、悲しくなるまでの徒労に走る。24歳の息子トムは靴工場に働き、一家の暮らしを支えているのだが、夜になると映画館に向かい、まだ見ぬ世界を夢見る若者だった。彼は父親のように一日も早く家を出ることを考え、そして実際に逃げ出す。25歳の娘ローラは足が不自由でそのことをずっと気にしており、とても内気な性格で友達もできず、高校も途中で退学する。彼女の唯一の楽しみは小さなガラス細工を集めて楽しむ、母親が「ガラスの動物園」と呼ぶコレクションだった。
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 実際に作品を読んでも、劇の中でも、ローラと呼ばれるこの優しい娘に対しては同情の念を禁じえなかったが、それより、やはり、「現実」を直視せずに、多くの奉公人にかしずかれて育った昔の裕福な暮らしが忘れられず、娘の心中を理解することなく、かつての豊かな暮らしを一方的に彼女に託すアマンダ夫人の虚栄心、愚かさが痛かった。劇作家が自分自身の母親と精神を病んだ姉をモデルに書いた自伝的要素の強い作品だ。ウィリアムズ自身、劇作家として世間に認知される前に靴工場で働き、その単調な仕事に辟易しており、トムにも当時の自分自身の姿が投影されているのだろう。現実の劇作家は終生自分の姉の行く末を心にかけ、自分の死後も彼女が苦労なく生きることができるよう手を打っていた。
 話は横道にそれるが、この戯曲の中で、アマンダ夫人がトムにローラの結婚相手となるような育ちのいい有望な若者を職場から探して連れて来るよう懇願し、トムが職場で親しくなった同僚を連れて来ると告げるシーンがある。その同僚がそばかすだらけで鼻もそんなに高くないと言うと、アマンダ夫人は「でも、ひどくぶさいくな容貌というわけではないんだろう?」と尋ねる。原作では“He’s not right-down homely, though?” となっている。
 英米でニュアンス、場合によっては意味合いが全く異なる言葉があるが、このhomelyもその典型的一例だろう。私が使っているOxford Advanced Learner’s Dictionary によると、英国英語では①アットホームな②気取らない③気さくな、といずれもポジティブな表現と記され、最後に米国英語では、④容貌に秀でていない(not attractive) という意味合いのネガティブな表現となると説明されている。このアメリカをさるく旅でも何人かにhomelyという言葉の意味合いを尋ねたが、全員が④と答えた。この国では少なくとも人物描写に関しては使わない方がベターなようだ。
 (写真は、ニューオーリンズのフレンチクオーター。至るところに音楽があった)

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