- 2011-06-28 (Tue) 09:58
- 総合
ロサンゼルスにいるからにはやはり、日系アメリカ人が米本土に根ざす足場となった先人の歴史にも敬意の念を示さないといけないだろう。リトルトーキョーの一角に「全米日系人博物館」(Japanese American National Museum)がある。
米本土の地を踏んだ最初の日本人としては、最初に頭に浮かぶのはジョン万次郎だろうか。英語か社会の教科書でこの名前が出てきたような記憶がある。作家吉村昭氏のノンフィクション「アメリカ彦蔵」で描かれた浜田彦蔵もジョン万次郎に近い世代だ。二人ともに江戸時代、乗っていた船が難破してアメリカの地を踏むことになる。
全米日系博物館は明治維新期以来、日本人が移民としてアメリカを訪れた苦難の歴史を紹介している。1869年(明治2年)には維新の新政府に反発し、福島の会津若松からオランダ系米人に率いられ、約40人の武士や町人がカリフォルニア州に「若松コロニー」を創設するためやって来たことも初めて知った。米本土ではこれが最初の日本からの移民という。
カリフォルニア州はその後、ハワイの日系移民も加わり、1910年代には日系農民は35,000人を数えたという。彼らがいわゆる「一世」と称される人々だ。しかし州政府の日系に対する差別は段々と厳しくなり、1913年に排日土地所有禁止法案が成立し、一世の人々は土地を所有することができなくなり、「二世」の名義で土地を持つようになった。1941年12月の真珠湾攻撃により日米が開戦し、屈辱の強制収容が幕を開ける。
博物館の資料では、日系の人々が当時すでにアメリカを「祖国」と思い、アメリカに対する「忠誠心」は揺るぎのないものであるという米政府の内部調査報告にもかかわらず、米当局はカリフォルニア州を中心とする西海岸に居住していた約12万人の日系人を「敵性外国人」として約10か所の環境劣悪な強制収容所に送り込んだ。同じ「敵性外国人」のドイツ系やイタリア系からは程遠い措置だった。
博物館の資料を見ていると、当時のカリフォルニア州では日系のみならず、中国系、朝鮮系住民に対する強烈な差別がはびこっていたことが理解できる。もちろん、こうした外国人に対する蔑視、差別意識は日本を含め、どの国も歴史の過程で経験したものであり、アメリカ人だけのものでないのだが、複雑な心境にならざるを得ない。
展示資料に見入っていたら、第二次大戦時に「二世」兵士で構成される「第442連隊」の一員だったという日系のお年寄りが「日本の方ですか」と声をかけてきた。話をうかがっていると、そばに小柄な青年が近づいてきた。老人は「私の孫です。四世になります。私は91歳になり、車の運転が心配だからと、家の者が私の外出には孫に運転させているんです」と語った。この青年は日本語は解さないというので、英語で話した。30歳になるという青年は仕事を探している真っ最中で、私がこれから数か月、この国で文学の気ままな旅をするのだと告げると、”Oh, that’s cool.”と関心を示してくれた。
(写真は上が、リトルトーキョーにある全米日系人博物館。下が、ロス散策にも便利な路線バス。自転車もバス前方に乗せることができるのには感心した)
Comments:2
- 原喜 2011-06-28 (Tue) 16:21
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長文のレポート、なかなか力が入っているな、と読みました。この先、いろいろな出会いがあると思います。そのレポートを楽しみにしています。でも体には気をつけて。それと誘惑にも。
- 岡林稔 2011-06-29 (Wed) 14:14
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アメリカ入りして第1回目がバスケの写真で平瀬さん甚く喜んでいましたよ。ワイフの一族(西都市穂北)がかつて移民としてサンタモニカに住んでいたそうです。今度はこの博物館に行ってみます。夏休みにLAに行くつもりでしたが、腰を痛めて延期です。そのうちにハニバルにも行くんですね。楽しみにしています。