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トルーマン・カポーティ (Truman Capote) ④

  • 2011-08-03 (Wed) 14:23
  • 総合

 シャロンさんはガーデンシティで生まれ育った。クラター一家とは面識はなかったが、1959年に隣町のホルカムで起きた事件はよく覚えている。「だって、この辺りは当時、平和そのものだったのですから。家を出る時、誰もドアに鍵などかけなかった。事件後はみんなが鍵をかけるようになった。今日に至るまでそうです」と語る。
 事件後50年以上の時間が経過している。当事者、関係者はほとんどがこの世を去っている。事件の当事者でただ一人の生存者と言えるかもしれない人物に会えることを期待していた。カポーティの作品でも幾度もその名前が出てくるフィニ郡検事(当時)のドゥエイン・ウエストさん。作品では犯人2人を訴追する「野心にあふれたかっぷくのいい28歳の青年、見ようによっては40歳、時には50歳にも思える男性」(an ambitious, portly young man of twenty-eight who looks forty and sometimes fifty”として描かれている。
 ガーデンシティに到着する前からウエストさんとは何度か電話で接触を試みたが、私の携帯番号が正しく伝わらなかったようで連絡はなかった。最終的にガーデンシティのホテルの部屋から彼に電話をし、私の希望を伝えることはできたが、おおよそ次のようなやり取りで実際に会うことはかなわなかった。
 「ぜひ、お目にかかって話をうかがいたいのですが」
 「私は(あの事件に関することでは)話をしたいとは思っていません。カポーティ氏からは著作出版後、サイン入りの本が送られてきました。彼は有能なセールスマンということです。お金を沢山稼いだことでしょう。だが、私にはあの本に社会的価値があるとは思わない。私は間もなく80歳ですが、まだまだやりたいことがあって、申し訳ないが、このことで時間をさく余裕はありません。あなたのこれからの旅が実りあることをお祈りします」
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 幸い、カポーティがガーデンシティで親しく行き来していた女性には会うことができた。ご主人がクラター家の財産管理の弁護士で、自身は地元の新聞社に勤務していたドロレス・ホープさん(86)。ご主人がなくなった今は一人暮らしだが、1男5女の子供たちが交互に世話をしているようだった。私が訪ねた時は一番下の娘さんが来訪していた。
 「彼のことはよく覚えていますよ。頭のとてもいい方でした。彼の幼馴染のハーパー・リー(『アラバマ物語』の著者)が一緒で、彼女がいたからここでの取材がスムーズにはかどったのだと思います。二人を家に招いてクリスマスに食事をしたことがあるのですが、彼が一人で話し続け、夫を含め我々三人はずっと聞き役でした。彼がゲイであることが気にならなかったですかって。私は気にしませんでしたよ。彼の小説が名作であることは誰も否定できないと思いますよ。ただ、彼はあの作品の後は精根尽き果てたかのようになって、作家としての創造力が失せてしまった。私はそんな印象を抱いています」とドロレスさんは懐かしそうに振り返った。
 (写真は、カポーティとの思い出を語るドロレスさん。娘のメガンさんは作家がホープ家を訪れていた当時は生まれていなかったが、両親から当時の話はよく聞かされていた)

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