Home > 総合 > アーネスト・ヘミングウェイ (Ernest Hemingway) ①

アーネスト・ヘミングウェイ (Ernest Hemingway) ①

  • 2011-11-17 (Thu) 04:11
  • 総合

 私は正直に言うと、アーネスト・ヘミングウェイ(1899-1961)の作品は若い時にはなぜか読んだことがなかった。ワイルドライフの好きな彼は東アフリカでも猛獣狩りのサファリに出かけ、そうしたサファリの中からアフリカの断面を切り取った作品を描いている。”Green Hills of Africa” (邦訳『アフリカの緑の丘』1935年)が印象に残っている。
 これがきっかけになって私は “A Farewell to Arms” (邦訳『武器よさらば』1929年)、”For Whom the Bell Tolls” (邦訳『誰がために鐘は鳴る』1940年) などの作品を読んだ。
null
 今回の旅では、彼の晩年の代表作 ”The Old Man and the Sea” (邦訳『老人と海』1952年)を念頭に、キーウエストを訪れている。作品の舞台となっているのはキューバであり、ヘミングウェイはキューバに近いこのキーウエストで1931年から9年間、暮らしているからだ。キーウエストに “the southernmost point in the continental US” という地点があり、そこからだとフロリダ湾の向こうにあるキューバまでわずか90マイル(約144キロ)と表示されている。
null
 ヘミングウェイは1899年、ミッドウエストのイリノイ州シカゴの近郊にあるオークパークに生まれた。若いころから行動的だったようだ。高校を卒業後、一時新聞社に就職し、物書きとなる基礎を学ぶと、第一次大戦にイタリア軍付き赤十字の救急車要員として参加。前線での負傷者搬送中に砲撃を受け、負傷し、病院入院を余儀なくされる。入院生活で年上の英国人看護婦と恋に落ち、破局するが、この時の一連の体験が『武器よさらば』となって結実する。
 彼は生涯4人の妻をめとっているが、キーウエストでは2人目の妻だったポーリーンと暮らした。その家が博物館となって残っている。作家として充実した日々を送っていたのだろう。この家で先述の『誰がために鐘は鳴る』を含む著作の半分以上を書いている。
 さあ、とりあえず、その家の博物館に足を運ぼう。私はあまり地図を読むのが得意ではない。気が付くと、だいたい目的地の反対の方角に向かって進んでいる。だが、今回のキーウエストはさすがに小さい島だから、自転車に乗ってうろちょろしていたら、運よく、博物館にぶつかった。入場料12ドルを払って邸内へ。思った以上に観光客が多い。中年かその上の世代のご夫婦がキーウエスト観光のついでに立ち寄ったという感じだ。丁度折よく、ガイドの案内が始まるところだったので、お尻に付いて回った。
null
 屋敷は二階建てで別棟の二階が作家が執筆に使った書斎となっていた。いや、至るところに猫がいる。ガイド氏は「この屋敷には44匹の猫が生活しています。どれも、ヘミングウェイが可愛がっていた猫の子孫です」と説明する。猫大好きの私は猫に出会う度、のど仏をさするが、観光客慣れしているのかあまり嬉しそうでもなく、かといって、拒絶もしないといった風情。
 (写真は上から、米本土最南端の地であることを示す表示。記念撮影のスポットになっていた。ヘミングウェイ博物館となっている彼がかつて住んでいた家。名作が書かれた書斎。左のイスの上で猫が気持ちよさそうに寝そべっていた)

このアイテムは閲覧専用です。コメントの投稿、投票はできません。

Home > 総合 > アーネスト・ヘミングウェイ (Ernest Hemingway) ①

Search
Feeds

Page Top