- 2011-11-15 (Tue) 08:10
- 総合
ニューオーリンズと言えば、2005年8月のハリケーン・カトリーナで大きな被害を受けたニュースが記憶に新しい。日本同様、先進国のアメリカでも自然の猛威に対しては無力であることを示した災害だった。
ニューオーリンズを訪ねるに際して、カトリーナのことは若干頭にあった。だから、ミシシッピ川沿いのダウンタウンのフレンチクオーターを歩いていて、ハリケーンのつめあとが全然残っていないことに安心もしたし、不思議な感じがしないでもなかった。
②で紹介したジェニファーさんにこのことを尋ねると、「フレンチクオーターがある地区はミシシッピ川が上流から運んできた土壌が長い間に堆積して出来た自然の堤防に守られている地です。だからこそフランス人が入植して来た時に、先住民のアメリカインディアンが彼らを最上の地に連れていったのです。暴風の被害を除けば、フレンチクオーターは大きな被害に遭いませんでした」と彼女は語った。
洪水による大きな被害が出たのはフレンチクオーター以外の低地にある住宅街。ニューオーリンズは南を流れるミシシッピ川と北にある湖の間に複数の運河が築かれており、運河が崩壊して洪水が住宅街に押し寄せたのだという。「運河がきちんと整備されていればあれほどの被害は出なかったでしょう。カトリーナによる甚大な被害は自然災害というよりも、人災の側面が大きいと地元では多くの人が考えています」
それで合点がいった。郊外だと「高床式」とでも呼ぶのだろうか、住宅の床部分をコンクリートなどで地面から60センチ程度、場合によっては大人が通れるほどの高さに上げて建てられた家が目についたからだ。墓地もユニークだった。何と表現するのだろう。地下に埋葬するのではなく、地上に埋葬するため、コンクリート製の廟が「林立」しているのだ。「水難」に対処するための苦肉の埋葬方式なのだろう。
ジェニファーさんはニューオーリンズの人口をカトリーナの前は約40万人、カトリーナ後の現在は34万3千人程度と語っていた。6万人前後の人々は周辺の州の避難先から戻ってきていないことになる。だが、ニューオーリンズの復興は着々と進展しているようだ。復興の大きな力になったのは海外を含む多くのボランティアの支援であり、中にはボランティア活動がきっかけでニューオーリンズに住みついた人も少なくないという。
「ここに住む人々は自分たちの町に誇りを持っています。全国的な旅行雑誌がつい最近、人々の地元への意識を調査した結果を発表しましたが、地元に誇りを持っているナンバーワンはニューオーリンズの人々でした。とてもうれしく思います」
さて、後ろ髪を引かれる思いでニューオーリンズを出て、次の目的地に向かう。
(写真は上から、ニューオーリンズの魅力を語ってくれたジェニファーさんと同僚のセーラさん。真ん中の人形はフェスティバルで使われるマスコットとか。ニューオーリンズの典型的墓地の風景。夕食で食べたオイスター(牡蠣)。美味かった。いつもこんな美味いものを食していると思われたくないのだが)
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