- 2011-10-28 (Fri) 07:56
- 総合
アトランタにある「マーガレット・ミッチェル邸」及び記念館では、1939年制作の大ヒットした同名の映画 “Gone with the Wind” の難航した俳優選考の逸話や撮影の苦労話などをビデオやパネルで紹介している。
同年12月15日にアトランタの劇場に出演の俳優、スタッフが集い、この映画は封切られ、アトランタは歓喜に包まれるが、マミー役を演じた女優のハッティ・マクダニエルなど黒人俳優陣は参加できなかった。当時はまだ激しい人種差別の時代であり、劇場で黒人が白人と一緒に座ることはタブーだったからだ。マクダニエルはマミー役の演技が評価され、この年のアカデミー賞の助演女優賞を受賞する。式典で彼女が謝辞を述べるシーンを見たが、受賞の喜びよりも晴れの舞台に白人と同席している戸惑いを強く感じた。
この小説の物語の力強さ、瑞々しさを否定するものではないが、首を傾げたくなる記述にも何回か「遭遇」したように思う。例えば、次のような記述だ。これはスカーレットの幼馴染で北部軍の追及を逃れてきた人物が戦況不利を憂え、発する言葉だ。
“Soon we’ll be having nigger judges, nigger legislators—black apes out of the jungle—“ (「すぐに我々は黒んぼの裁判官や黒んぼの議員を仰ぐことになるだろう。連中はジャングルから出て来たばかりの黒いサルだというのに」)
これがどれだけひどい表現であるかは説明するまでもないだろう。
この国でKKKの通称で呼ばれる、悪名高い黒人排斥の秘密結社、クー・クラックス・クランが南部諸州で誕生した経緯については次のように「肯定的」に描かれている。
It was the large number of outrages on women and ever-present fear for the safety of their wives and daughters that drove Southern men to cold and trembling fury and caused the Ku Klux Klan to spring up overnight. And it was against this nocturnal organization that the newspapers of the North cried out most loudly, never realizing the tragic necessity that brought it into being.(南部の男たちが身を切るような怒りに体を震わせながら、クー・クラックス・クランを一夜にして成立させたのは、南部の女性に対する数多い凌辱行為が頻発したことや、自分たちの妻や娘の身の安全への不安感をぬぐいきれなかったからだ。北部の新聞各紙は夜間に密かにうごめくこの組織が発足せざるを得なかった痛ましい必然性が理解できず、声高に非難したのであった)
KKKは白人優位主義、人種差別主義の時代の米社会が生んだ醜悪な落とし子だ。中西部を含めて、今回の旅で立ち寄ったいくつかの博物館では、その地方で一時期暗躍したKKKについてきちんと記録、紹介していた。全身白装束で頭巾をかぶった不気味な彼らの集合写真を目にする度、見てはならない人間の憎しみの深みを垣間見たような気がした。
(写真は上が、「アンダーグラウンド・アトランタ」と呼ばれるダウンタウンの商店街。アトランタは米国の中でも太った女性が目立つ印象。下は、コカ・コーラ社の土地の寄贈を受け、公民権や人権の大切さを訴えるセンターができるダウンタウンの建設予定地)