- 2011-10-14 (Fri) 11:13
- 総合
ボールドウィンは生涯の多くの時間をヨーロッパで過ごす。エッセイの中で次にように記している。I left America because I doubted my ability to survive the fury of the color problem here. (Sometimes I still do.) I wanted to prevent myself from becoming merely a Negro; or, even, merely a Negro writer. I wanted to find out in what way the specialness of my experience could be made to connect me with other people instead of dividing me from them.(私がアメリカを去った理由は、私にはアメリカで肌の色の問題がもたらす憤激を乗り切ることができないのではと思ったからだ。〈今も時々そう思うことがある〉。私は自分が単に一人の黒人と色分けされることが嫌だったのだ。いや、黒人の作家として遇されることもだ。私は私が経験してきた私独特のことがどのようにしたなら他の人々の共感を得ることができるものか知りたかった。私と彼らを隔絶することなく)
自分が今で言うゲイであることを含めて、「一個の人格」として世界の人々からどう思われるのか突き詰めてみたいということであろうか。それがある意味、アメリカ以上に多人種が「交錯」するヨーロッパなら可能だったのだろう。
ボールドウィンはヨーロッパの魅力を大意次のようにも述べている。ヨーロッパは一人の男が例えばウエイターであっても、その仕事に誇りを持てる社会であり、被害妄想的な階層意識に縛られていない。アメリカ人作家はだからヨーロッパに来て初めて誰とでも何の気兼ねもなく話をすることができると。何となく分かるような気がしないでもない。
私が “Go Tell It on the Mountain” で気に入ったパラグラフがある。ジョン・スタインベックの “The Grapes of Wrath” でも似たような一節があったかと思う。ジョンの父親の姉、つまりジョンにとっては伯母に当たるフローレンスがジョンの母親のエリザベスに向かって語りかける場面だ。エリザベスはこの時まだ、やがて自分の夫となるフローレンスの弟に出会っておらず、自殺した恋人でジョンの実父を失った悲しみを友人のフローレンスに初めて吐露する。フローレンスはエリザベスを次のように励ます。
“Yes,” said Florence, moving to the window, “the menfolk, they die, all right. And it’s us women who walk around, like the Bible says, and mourn. The menfolk, they die, and it’s over for them, but we women, we have to keep on living and try to forget what they have done to us. Yes, Lord—“(「そうね」とフローレンスは窓の方に近づきながら言った。「男連中はそうやって死んでいくのよ。構やしない。聖書に書いてあるように、その後に残って悲しみに暮れるのはあたしたち女。男連中は死に、それで終わり。でも、あたしたち女はそうはいかないのよ。あたしたちはずっと生き続けなくてはならない。男たちがあたしたちにしたことを忘れるようもがきながらね。ああ、神様」)
(写真は、NYのビジネス街にある「アフリカ人墓地」の国史跡。重労働などで死去した多くの黒人奴隷が人知れず埋まっているのが判明したのは連邦ビル建設工事中の1991年のこと。黒人の人々の運動が実り、国史跡となった。地元高校生は屈託なく記念撮影)