- 2011-10-13 (Thu) 21:19
- 総合
“Native Sons” を著したマーゴリーズ氏をニューヨークに自宅に訪ね、話を聞いていたところ、彼も1925年生まれの同世代で、しかも、ボストンで育った氏はマルコムXがボストンのナイトクラブや街頭で靴磨きや存在しないスポーツイベントのチケットを売りさばいていた十代のころのマルコムXを覚えていることを知った。
「もちろん当時はまだマルコムXとまだ名乗ってはいませんでした。(肌の色から)ビッグレッドと呼ばれていました」とマーゴリーズ氏は振り返った。ボールドウィン氏とも面識があるが、彼がゲイであることは話題とはならず、むしろ、彼の反ユダヤ感情が物議をかもしていたという。ハーレムでは当時、不動産はユダヤ人が所有し、黒人から容赦なく家賃を取り立てるユダヤ人は時として黒人住民の反感を買っていた。
マルコムXは同じ公民権運動でも非暴力で知られたキング牧師とは対極にある存在のように見られがちだが、彼が帰依したイスラム教の理解を深めるにつれ、白人=悪の図式から脱却し、レイシスト(人種差別主義者)の白人だけが敵であると見なすに至っている。
アレックス・ヘイリーがマルコムXとのインタビューに基づき執筆した「伝記」によると、次のように表現されている。“I don’t speak against the sincere, well-meaning, good white people. I have learned that there are some.I have learned that not all white people are racists. I am speaking and my fight is against the white racists. I firmly believe that Negroes have the right to fight against these racists, by any means that are necessary.”(私は真摯で善意のある善良な白人に反対するものではない。私はそういう白人の人々が少なからずいることを知った。私は白人のレイシストに反対するものであり、白人のレイシストに対して戦うのだ。私は彼らのようなレイシストには必要なあらゆる手段を講じて戦う権利があると固く信じている)
マルコムXは1965年、イスラム教の教団のかつての仲間の凶弾に倒れた。まだ、39歳の若さだった。ハーレムに来て以来、私の中には素朴な疑問があった。ボールドウィンとマルコムXの人生は交差したことがあったのだろうか。”Baldwin’s Harlem” という伝記を2008年に書いた作家のハーブ・ボイド氏に運よく出会うことができた。
「二人は黒人解放をテーマにしたラジオ番組などで対談しています。目指すところは同じでも方法論で異なりますから、時として微妙な関係にあったようですが、マルコムXが暗殺される前のころは二人の間には深い理解が生まれていたと思います。マルコムXの暗殺後、ボールドウィンはハリウッドからマルコムXの生涯を描いた映画制作の仕事を引き受けますが、政治色を薄めようとする制作側の意図に嫌気がさし、マルコムXの『セカンド・アサシネーション』に加担などまっぴらと言って手を引きます」とボイド氏は語った。
(写真は上が、自分の著書を手にしたマーゴリーズ氏。本の写真は氏の若い時のポートレート。この12月で86歳になる。下が、ハーレムで会ったハーブ・ボイド氏。ハーレムに関する著書も多く、インタビュー後、大学で講義があると忙しそうに立ち去った)