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ジェイムズ・ボールドウィン (James Baldwin) ③

  • 2011-10-13 (Thu) 07:42
  • 総合

 この国では奴隷制度の廃止か否かが対立の一つの要因となり、南北戦争(1861-65年)が戦われ、南部の農園などで隷属的立場にあった黒人は自由人となった。しかし、その後も黒人に対する人種差別は続き、彼らが晴れて白人と同様の権利を獲得するには1950年代から60年代にかけての公民権運動が成就するまで待たなければならなかった。
 だからこそ、race riot と呼ばれる人種暴動の「火種」は全米各地でくすぶり続けてきたし、ある意味、今もそうかもしれない。多様な人種で構成されるアメリカで今も黒人が社会の最下層にあることは多くの統計資料が示している。
 それはさておき、南北戦争後、さらには第1次大戦後、多くの黒人が「豊かな暮らし」を夢見て、南部諸州から北部諸州にやって来る。ボールドウィンの父親(実際には育ての親であり養父)も南部ルイジアナ州ニューオーリンズからニューヨークにやって来た一人だった。だが、北部の暮らしが心地よいものだったとは言えないようだ。
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 アメリカの黒人作家のことを紹介した作品に “Native Sons” (邦訳『アメリカの息子たち』)という本がある。ニューヨークの大学教授のエドワード・マーゴリーズ氏が1969年に著した本で、ボールドウィンの項で次のように書いている。
 In the South, at least, a Negro knew where he stood, however barren and bitter his place. Above all, there existed in the South a pattern of interpersonal relationships among whites and Negroes—rooted, to be sure, in racial preconceptions, but for all that occasionally warm and recognizable—so closely interwoven had been the lives of both races over the centuries. But the white Northerner, when he was not downright hostile, treated Negroes with cold and faceless indifference. If he granted them greater self-expression, he seemed at the same time to be saying, “You may amuse me from time to time with your quaint and primitive antics, but in all significant areas of my life please keep away.” For the Southern Negro migrant, the emotional stresses must have been intolerable.(南部では黒人は少なくとも自分がどういう場所にいるか心得ていた。たとえ、それがどんなに殺風景で辛いところであったとしても。南部ではとりわけ、白人と黒人の間に個人的な関係が存在していた。確かに人種的な偏見に根差したものではあったが、それでも時として温かく、肌で感じることができるものであった。何世紀にもわたって彼らの暮らしは絡み合ってきたのだから。しかし、北部の白人は頭から敵意があるというわけではなかったが、黒人を冷たく、無表情の無関心さで扱った。仮に黒人に自己表現の機会をより多く与えたとしても同時に次のように言っているような感じだった。「お前さんは時々、そのお前さんの奇妙かつ原始的な芸当で私を楽しませてもよかろう。だが、私の人生の大切な分野では私の前からお引き取り願えるかな」。南部から仕事を求めてやって来た黒人の精神的なストレスは耐えられないものであったろう)
 (写真は、ハーレムのレストラン。週末ともなれば観光客でかなりの混みようだ)

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