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ジェイムズ・ボールドウィン (James Baldwin) ②

  • 2011-10-12 (Wed) 21:06
  • 総合

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 先に、アメリカという国で黒人に生まれるということがどういうことを意味するのか、と書いた。ボールドウィンが書いたエッセイに次のような一節がある。
 第二次大戦中のことだ。作家はニューヨークの南にあるニュージャージー州の工場で働き始める。工場の同僚は米南部出身の人々であり、ハーレムで育ったボールドウィンにとっては南部の人々と接する初めての体験だった。次のように振り返っている。
 I learned in New Jersey that to be a Negro meant, precisely, that one was never looked at but was simply at the mercy of the reflexes the color of one’s skin caused in other people.(私はニュージャージーで黒人であることはまさに一顧だに値せず、肌の色が他の人々にもたらす反射神経のなすがままにあるということを身を持って学んだ)
 ボールドウィンにとっては辛い体験だった。ナイトクラブ、ボーリング場、レストラン、どこに行っても、相手にしてもらえず、黙って立ち去ることを求められるようになる。そのうちに彼は町中で目立つ存在となる。
 I very shortly became notorious and children giggled behind me when I passed and their elders whispered or shouted—they really believed that I was mad.(私はほどなく悪名をはせ、私がそばを通り過ぎると、子供たちはくくっと笑い、大人はささやき合うか私の背後から罵声を浴びせた。彼らは私が気が狂っていると本気で信じていた)
 誰でもこのような経験をすれば、トラウマに陥ることだろう。
 There is not a Negro alive who does not have this rage in his blood—one has the choice, merely, of living with it consciously or surrendering to it. As for me, this fever has recurred in me, and does, and will until the day I die.(生きている黒人でこうした激しい怒りがその血管の中に流れていない者はいない。それを意識しながら生きていくか、それに身を委ねるかしか選択の余地はない。私はこの怒りの熱病にその後も何度もとらわれ、今もそうだ。私が死ぬ日までこれから解放されることはないだろう)
 私は強烈な人種差別的経験はない。強いて言えば、まだ、アパルトヘイト(人種隔離制度)のあった南アフリカで黒人の取材対象者とレストランで食事していたら、周囲の白人客から憎悪に満ちた視線を浴びたことぐらいだ。食欲が失せるぐらいの敵意を感じた。アメリカの黒人の人々は公民権運動が実り、人種差別的な制度がなくなる1960年代までこうした視線を常に感じながら暮らしてきたのだろう。
 ボールドウィンは “Go Tell It on the Mountain” でデビューし、その後もアメリカ文学に足跡を残す作品を発表していく。その後に続いた黒人の若者たちに「黒人であっても作家になりうる」ことを示した功績は大と言えるだろう。彼はまた同性愛者であることも隠さず、続く作品の中で露骨な性描写も厭わなかった。
 (写真は、ハーレムにある観光名所のアポロシアター。毎週水曜日夜は今も「アマチュアナイト」と称して、明日のスターを目指す若者が歌やダンスなどの技量を競っている)

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