- 2011-09-26 (Mon) 21:35
- 総合
ニューベッドフォードの人々はメルビルに対してどういう思いを抱いているのだろうか。捕鯨博物館の広報担当、アーサー・モッタ氏に尋ねた。
「この町は今も漁業が盛んです。特にホタテガイ(scallop)で知られています。捕鯨は姿を消しましたが、漁業全体の漁獲高では今なお全米一です。多くの人がこの町の名を高めたメルビルに畏敬の念を抱いています。今も高校で“Moby-Dick” を読むことは必須となっています。私も高校時代にその難解さに苦労しました。読破はできませんでしたが」
作家に敬意を表し、博物館では15年前から毎年1月に、“Moby-Dick” を25時間で音読してしまうマラソン・リーディングを催している。今では1月の恒例の行事として定着、世界中からメルビルファンが集う場となっている。「でもご承知のように、この作品は音読も難解。あれだけの長編だからどの部分に自分が当たるか予測も困難。でも、多くの愛好家が集っています」とモッタ氏は語る。
メルビルは自信満々で“Moby-Dick” を発表したが、評判は散々。彼は結局NYで税関に勤め、糊口を凌ぐが、家庭的にも幸福な家族とは言えなかったようだ。1891年に死亡した時、NYタイムズ紙に、「メルビルはとっくに死んでいるものと思っていた」という死亡記事が掲載されたという。彼の作品が再評価されるのは死後20年後のことだった。
メルビルの不幸は “Moby-Dick” で訴えようとしたことが、当時の社会には理解できなかったことだ。私の手元にある米文学案内本には、メルビルが描いた捕鯨は人間が知識を追求する a grand metaphor (壮大な隠喩)であると解説されている。エイハブ船長に率いられた船は白鯨に砕かれ、イシュメールただ一人を除き、藻屑となることが象徴するように、いくら自然科学の知識を身に付け、機械化が進んでも、人間(文明)が白鯨(自然)を凌駕することはないとのメッセージが読み取れると。
捕鯨活動が世界中から疎まれる今日では想像しにくいが、鯨油を求めた捕鯨業は石油が見つかるまでは大事な産業であり、漁港に恵まれたニューベッドフォードのあるニューイングランド地方では都市の発展の原動力となった主力産業だった。その意味ではメルビルが描いている世界は当時はかなりの「普遍性」がある物語だったのだろう。
手元の文学案内はこうも述べている。「小説のエピローグ(結末)は悲劇性を和らげている。メルビルは作品を通し、友情の大切さ、異文化との交流の大切さを強調している。捕鯨船が破壊され、イシュメールが助かるのは彼の友人となった人食い人種で銛打ちのクイークェグが作った棺桶が海面に浮かんでいたからだ。Ismael is rescued from death by an object of death. From death life emerges, in the end. (イシュメールは死の淵から死にまつわる物体により救われる。死から最終的に生命が生まれる)」。メルビルは人間の無限の可能性を最後まで信じていたのかもしれない。
(写真は上から、ニューベッドフォードで遭遇した海の幸を味わうイベント。名産のホタテを揚げているところ。これはグリルしたホタテで一皿7ドル。うまかった)
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Comments:1
- くろまめ 2011-09-27 (Tue) 22:42
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『白鯨』の稿でもびっくりしたり感心したりしています。
江戸時代の日本地図にはてげびっくりしました。故郷の米良(メラ)が載ッチョル!肥後? まこちいろいろ想像して楽しみました。
ところで テレビで開高健のことを観ました。氏のことを<書くように喋る人だ>と紹介していました。
省一さんの風貌と(今は痩せているけんど^^)開高健が重なりました。
日本の調査捕鯨については、難しいことはわかりませんがちょっと思ったりしました。
またちょこちょこっと<さるき>の出合いなど語ってくださいね~。
Good Luck!