- 2011-09-18 (Sun) 08:37
- 総合
フィッツジェラルドはこの作品に着手する前も書き終えた後も、かなりの手応えを感じていたようだ。当時住んでいたパリからアメリカの編集者に書き送った手紙には、”I think that at last I’ve done something really my own.” (私はついに真に私自身のものと呼べるものを完成させたと思う)と述べている。
しかし、1925年の刊行直後の書評はあまり芳しくなかった。ある批評家は ”We are quite convinced after reading The Great Gatsby that Mr Fitzgerald is not one of the great American writers of today.” (The Great Gatsbyを読み終えて、フィッツジェラルド氏が今日、アメリカの偉大な作家の一人とは言えないことを私たちは思い知った)とまで酷評したという。そこまで言うか。売れ行きも思わしくなかった。
彼の晩年もあまり静穏なものではなかったようだ。熱情的恋愛で結ばれ、パリで暮らすなど派手な生活を一緒に送った愛妻は精神を病み、最後には施設に収容された。彼は西海岸のハリウッドで映画のシナリオを書く仕事に就き、病妻や一人娘の生活を支えたが、時に酒に溺れる日々もあったという。最後まで創作意欲は衰えなかったものの、1940年、持病のようになっていた心臓発作で死去。皮肉にも死去後、作家と彼の代表作に対する評価は一気に高まっていった。
NY在住でフィッツジェラルド協会の代表でもあるルス・プリゴリ教授は小説を読み解くかぎは、南北戦争を経て第一次大戦後の米社会で起きていた、農業国から工業国への、さらに大資本ビジネスが勃興する激しい変化にあると指摘する。「誰もが成功を求めてNYのある東を目指したのです。主要登場人物が中西部出身である必然性があったのです。語り手のニックは結局、ギャッツビーが敗れ去った華やかさの陰の部分や腐敗に辟易して、一時的にせよ、中西部に戻ることになるわけです」
私がNYに来て公立図書館でたまたま借り出して読んだ ”The Great Gatsby” (1998年版)はプリゴリ教授がIntroductionを書いていた。その中で教授はその序論を “ At the end, despite the powerful image of loss, we share Gatsby’s romantic hope; like him we are beating against the current. Surely that image of the individual pursuing his destiny, however fruitless that pursuit may prove, is the greatness of Gatsby, and perhaps of us all. (最終的に喪失の大きなイメージにもかかわらず、我々はギャッツビーのロマンチックな希望を共有している。彼のように我々も流れに抗して突き進んでいる。疑うことなく、個人が自分自身の運命を追求する姿は、その探求がいかに実りのないものであったとしても、ギャッツビーの偉大さと重なるものであり、それは我々すべての者にとって等しく言えることだ)と締め括っている。
先に紹介したドライサーの “An American Tragedy” も同じ1925年の刊行だ。悲劇をテーマにした名作二つの読後感は極めて異なる。
(写真は、作品にも出てくる33番街のペンステーション)