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スコット・フィッツジェラルド(F. Scott Fitzgerald)②

  • 2011-09-14 (Wed) 08:25
  • 総合

 ギャッツビーがニックに近づいたのは、単にご近所になったからだけではない。彼がずっと恋焦がれていた恋人、デイジーと近しい関係にあったことを知ったからだ。ギャッツビーはこの昔の恋人と再会できるよう取り計らってくれることをニックに懇願する。
 そして、彼の望む通り、二人の仲は復活する。この時すでに、デイジーにはトムという傲岸不遜な夫がいたのだが。だが、夢が長続きすることはなかった。物語の終盤では文字通り、悲劇が待っている。ギャッツビーは富も愛もそして命までも失ってしまう。最愛のデイジーがギャッツビーの元に再び駆け寄ることはなかった。
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 語り手のニックが小説の最後にギャッツビーの短い人生、悲劇を思うシーンは以前に読んだ時には気にも留めていなかったが、再読して改めて考えさせられた。次の場面だ。
 That’s my Middle West – not the wheat or the prairies or the lost Swede towns, but the thrilling returning trains of my youth, and the street lamps and sleigh bells in the frosty dark and the shadows of holly wreaths thrown by lighted windows on the snow. I am part of that,…..I see now that this has been a story of the West, after all – Tom and Gatsby, Daisy and Jordan and I, were all Westerners, and perhaps we possessed some deficiency in common which made us subtly unadaptable to Eastern life.
 (これが僕にとっての中西部だ。小麦やプレーリーでも消滅したスウェーデン人の開拓町でもない。若い時分に胸をときめかせながら、よその町から戻ってきた列車の旅であり、霜の降りた暗い通りに立つ街灯であり、聞こえてくるそりのベルであり、雪の積もった窓辺に見えるクリスマスの花輪の影であった。・・・僕は今はこれがつまるところ、西部の物語だったということが理解できる。トムもギャッツビーも、デイジーもジョーダンも僕も皆西部の人間だった。そしておそらく、我々は皆何か足りないものがあって、だから、東部での暮らしにどこかしらなじめなかったのだということが理解できる)

 これまであまり米国の地域的差異は意識してこなかった。この作品でも語り手のキャラウェイが中西部のどこかの都市の出身であることは理解していた。トムもしかり。デイジーはケンタッキー州のルーイビル。ギャッツビーは作家と同じミネソタ州の出身だった。
 彼らにとってニューヨークは「異国」だったのだろうか。そういえば、今回の旅、珍しい客人として歓待された中西部では、私がやがてNYに行く予定と伝えると、ほぼ誰もが「気をつけなさい。東海岸の人たちは抜け目ないから。言葉も早口で理解に苦しむかもしれない」と「忠告」してくれた。日本とアメリカのそれぞれの土地柄を同じように比較できないだろうが、ニューヨークを東京に置き換えれば、日本の地方出身者が上京して暮らしていこうとする時にとらわれる思いに似てはいないだろうかと思った次第だ。宮崎出身で大学までずっと宮崎だった私は少なくとも就職で上京する際、何とも言えない複雑な思いを抱いたことを昨日のように覚えている。今も少し残っているような気がする。
 (写真は、NY中心部の公園でピンポンに興じる人たち。実に居心地のいい公園だ)

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