- 2011-09-13 (Tue) 10:28
- 総合
以前にも書いたことがあるが、一度読んだ本は大事な要素はもちろん、粗筋など大半の部分は承知していると思いがちだ。何かの折に再読してみて、「おや、こんな記述があったのか」などと意外に思いながら、読み進むこともままある。アメリカ文学の傑作の一つと目されているこの本、”The Great Gatsby” (邦訳『偉大なるギャッツビー』)は私にとってそういう一冊だった。
この作品は1925年の出版で、1920年代のアメリカ社会のムードを反映していると評されている。第一次大戦が終了して、アメリカが世界に冠たる先進的民主経済国家として自信に満ちていた時代だ。私が読んだ本の背表紙には “The Great Gatsby is a consummate summary of the ‘roaring twenties’ and a devastating expose of the ‘Jazz Age’.(グレートギャッビーは「狂騒の20年代」を余すところなく描き出し、また、「ジャズの時代」を完膚なきまでに暴露している)との紹介文が掲載されていた。”roaring twenties”は私の電子辞書には”the years from 1920 to 1929, considered as a time when people were confident and cheerful”と説明されている。アメリカという国がそして国民が「自信と活気」に満ちていた時代だったのだろう。
冒頭に近い次の一節などは、今読めば、少しく手が止まる部分だ。え、あのニューヨークのマンハッタンにある五番街がそういう牧歌的な雰囲気だったのかと。
We drove over to Fifth Avenue, warm and soft, almost pastoral, on the summer Sunday afternoon. I wouldn’t have been surprised to see a great flock of white sheep turn the corner.(我々はその夏の日曜日の午後、五番街に車で向かった。牧歌的といってもよさそうなほど、日差しが暖かくかつ柔らかだった。通りの角を曲がったところで、白い羊の大群に遭遇しても僕は驚かなかったことだろう)
今は「白い羊の大群」ではなく、デジカメを手にした「観光客の大群」が徘徊している。
物語の語り手であるニック・キャラウエイは主人公のジェイ・ギャッツビーの豪邸の隣に越してきた縁もあり、彼が豪邸で催したパーティーに招かれる。ギャッツビーはその巨万の富の出所が誰にも不思議がられ、やれ、「人を殺した経歴がある」だの「(第一次)戦争中はドイツ軍のスパイだった」だの、ネガティブな謎に包まれた人物だ。目の前にいるギャッツビーが本人だとは気付かずに、ニックは「いや、自分は隣に越してきたんだが、まだ、ホストに会ったことがないんだ。彼のお抱え運転手に招待状を届けられたから足を運んだんだけどね」と出会ったばかりの男に話しかける。その男は言われた言葉が理解できないかのような顔をして、「私がそのギャッツビーだよ」と答える。ニックの当惑は当然だ。取材で電話をかけた相手に話が通せず「失礼ですが、どちら様ですか」と尋ねたりすることがあった私にはこの当惑感はよく分かる。関係ない話だが。
(写真は、NY五番街の賑わい。ここでNYは東西に分かれる。「ウエストサイド物語」はこの西側の物語。何を食ってもうまい私はなぜかウエストサイズ物語になりつつある)
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