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ジョン・スタインベック(John Steinbeck)②

  • 2011-07-02 (Sat) 13:49
  • 総合

 『怒りの葡萄』が如実に示したのは、世界大恐慌が米国のダストボール(dust bowl)と呼ばれたオクラホマやアーカンソー、カンザス州など中南部の砂嵐の甚大な被害を受けた乾燥平原地帯に住む農民にもたらした苦悩だ。それとともに、彼らが最後の望みを託してやってきたカリフォルニア州がもはや「約束の地」(a Promised Land)ではないこと、そうした神話は崩壊したものであることを示したとも言えるだろう。
 小説が当時のカリフォルニア住民の同胞に対する冷酷な仕打ちを描いているゆえ、スタインベックはカリフォルニアの多くの人々から疎まれ、小説自体も発禁処分を受けたり、州内の多くの図書館の前で焼かれるなどしたという。しかし、スタインベックが1962年にはノーベル文学賞を受賞するなどの名声を得たことや、68年の死去後、時代が推移したこともあり、評価は徐々に好転。サリナスの主要観光名所の一つとなっている国立スタインベックセンターがそれを象徴する。私が泊まっているホテルの前はジョン・ストリートという通りだが、これも作家のファースト・ネームを冠しているのだろう。
 カリフォルニア州は日本を含めたアジアや中南米から多くの移民を吸収し、成長してきた。サリナスもしかりだ。国立スタインベックセンターに展示されている資料の中に、作家が少年時代を振り返った次の一節がある。
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 “I remember Salinas best when it had a population of between four and five thousand. Then you could walk down Main Street and speak to everyone you met.”(私の一番いいサリナスの思い出は、町の人口が4千人から5千人の間だったころのことだ。そのころはメインストリートを歩けば、言葉を掛け合わない人など誰もいなかったものだ)
 現在のサリナスではそうはいかないだろう。スタインベック図書館に立ち寄り、サリナスの人口を尋ねたところ、昨年の国勢調査の数字を教えてくれた。それによると、サリナスの人口は現在約15万人。このうちの73%がヒスパニック系という。メキシコからの移民が多いことがこの数字からも分かる。町を歩いていてもヒスパニック系の人々を数多く見かけた。黒人は3%に満たない結果が出ており、ロサンゼルスの通りに比べれば黒人の姿を見かけることは格段に少なかった。
 町自体は高層のビルは皆無に近く、二三階建ての建物ばかりで平面的な印象の町だ。とても15万人の都市とは思えない。郊外に住宅街が広がっているからだ。オールド・タウンとも称されるサリナスのダウンタウンを歩いたが、道行く人は少なかった。
 少年スタインベックが闊歩した上記のメインストリートでカフェを営むジム・ライリーさんは「サリナスは郊外に大きなモールがあって、大多数の住民はほとんどこのダウンタウンにはやってこない。私の両親は生前のスタインベックをよく知っているが、彼が育った時はこのメインストリートが町のすべてとも言える存在だった」と説明してくれた。今、メインストリートをかつての賑わいに戻すべく商店街の有志で打開策を協議しているところだという。
 (写真は、サリナスのダウンタウンのメインストリート。いつも閑散としていた)

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