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セオドア・ドライサー(Theodore Dreiser)③

  • 2011-08-26 (Fri) 00:19
  • 総合

 クライドは結果的にこの行為が「完全犯罪」となることを願い、ソンドラの元に走るが、「犯行」はすぐに露呈し、彼は逮捕され、伯父が雇ってくれた敏腕弁護士の詭弁に近い巧みな弁護も及ばず、死刑判決を受け、電気椅子に送られる。収監されたクライドは「俺は確かにロバータの溺死を目論んだ。しかし、実際に手を下したわけではない。ボートが転覆したのは偶然だった。溺れる彼女に救いの手を差しださなかったのは事実だ。しかし、俺はあの時、頭が混乱の極みにあったのだ」などと、罪の意識から逃れようとする。
 収監されたクライドが母親に祈りを託された牧師から罪を悔い改めるよう求められた後、次のように思う場面がある。
 But then again, there was the fact or truth of those very strong impulses and desires within himself that were so very, very hard to overcome. He had thought of those, too, and then of the fact that many other people like his mother, his uncle, his cousin, and this minister here, did not seem to be troubled by them. And yet also he was given to imagining at times that perhaps it was because of superior mental and moral courage in the face of passions and desire, equivalent to his own, which led these others to do so much better. (自分の中にある非常に強烈な衝動、欲望。確かに、これらのものを克服することは彼にとって、この上なく困難であることは事実であったし、真実でもあった。彼は過去にこのことに思いをはせたことがあった。なぜ、彼の母親や伯父、いとこ、そして今ここで相手をしてくれている牧師など、他の多くの人たちはそうした衝動、欲望に悩まされることがないのであろうかと。そのうえでなお彼は時にこうも想像してみたりした。自分が抱いたような情熱や欲望に駆られた時であっても、他の人たちは自分よりも優れた精神的かつ道徳的勇気を持ち合わせているから、自分のような愚かしいことはしないで済むのだろうと)
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 この青年、クライドの生き方に好感が持てないと①で嘆いた。好感が持てる人はおそらくいないだろう。だが、上記のシーンに至った時、私は彼に対し、少なからぬ同情の念を禁じ得なかった。私の人生も「衝動」と「欲望」に振り回されてきて、現在に至っているのではないか。私にはクライドの転落を批判する資格などないのではないか。いかん、この辺りでやめておこう。
 この小説は実際に米国で1906年にニューヨーク州で起きた事件がモデルになっているという。工場で働く青年が妊娠した恋人を殺害した事件で、青年は1908年に殺人罪で処刑された。ドライサーは1920年に執筆を開始し、中断時期を経て、1923年には事件現場や事件を裁いた裁判所にまで足を運んで取材を重ねたという。
 (写真は、シカゴはCTAと呼ばれる列車が市内を縦横に走っており便利。ホームも板張りで不思議な温もりを感じる。混み合うこともなく、のんびりした雰囲気がいい)

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