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アメリカをさるく

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ハーマン・メルビル (Herman Melville) ①

 “Call me Ishmael.” という書き出しで始まる小説 “Moby-Dick” (『白鯨』)は1851年に書かれた。私は大学1年生の米文学の講義でこの作品に遭遇。いや、難しすぎて、正直に告白すると、最後まで読み通せなかった。それでもレポートは提出した。いや、何を書いたかろくに覚えてもいないから、惨憺たる内容だったことは間違いない。それでも、単位はもらえた。この旅に立つ直前、何十年ぶりに再会した先生にそのことを問うたところ、「いや、君は確かきちんと講義には出席していたと思う」と温かい言葉をかけてもらった。
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 “Moby-Dick” を読破していないことがずっと気になっていた。それで社会人になってからも改めて原書を買い求め、何度となく読み通そうとして、ことごとく「討死」した。文章が難解なのはもちろんだが、捕鯨のテクニカルなことが記述されていて、途中で投げ出したくなり、事実、投げ出したのだ。今回の旅で出会った読書好きの人々にも、あなたは“Moby-Dick” を読んだことがありますかと尋ねた。多くの人が、いや、途中で読むのをやめたと言った。私だけではない。ネイティブの人でも苦労するのだ。少し気が晴れた。
 ニューベッドフォードに着いて、図書館で改めて“Moby-Dick” を借り出してぱらぱらとページをめくってみる。以下のような文章に出会うと、思わず、ほほが緩むというものだ。
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 So, wherever you go, Ishmael, said I to myself, as I stood in the middle of a dreary street shouldering my bag, and comparing the gloom towards the north with the darkness towards the south—wherever in your wisdom you may conclude to lodge for the night, my dear Ishmael, be sure to inquire the price, and don’t be too particular.
 (お前さんがどこに行こうと、イシュメールよ、と僕はバッグを肩にして憂鬱な通りに立ち、北の陰気さと南の暗さを比較しながら、自分に向かって言ったんだ。お前さんが知恵を働かせて今宵の宿を決める際には、親愛なるイシュメールよ、必ず、値段を確認することだ、細部にこだわってはならないよと)

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 今の私と全く同じだ。私はイシュメールのように、葬式の列に出合うと最後尾について歩きたくなったり、また表に飛び出すと歩いている人たちの帽子を次々にはたき落としたくなったりして、そういう気分の時に無性に海を目指したくなる性分ではない。だが、今回の旅に出て以来、ほぼ連日、ホテルやホテル斡旋業者にメールや電話で一番安い値段を聞いている。ホテルの予約はネットでするのが一番安い。直接電話ですると、割高になる。だが、所詮アナログ人間の私はこれが苦手で、しょっちゅう「ネットがどうもうまくいかない。お願いだから、ネットと同じ値段でこの電話で予約させていただけないか」と泣き付く。2回に1回はこの手が通じる。とここまで書いて、作品の話とは全然関係ないことにふと気づく。この作品は難解だから、私にはあまり書けることはない。
 (写真は上から、次回に書く捕鯨博物館。クジラの骨組みが天井から吊るされていた。展示物の一つで、日本の難波漁船から見つかった江戸時代(1791年)の日本地図。「日向」の上の方に「米良」の地名が逆さに記してある。私の出身地の旧地名で正直驚いた)

モービー・ディックの町へ

 NYを出て、ニューイングランドと呼ばれる北東部に来ている。今いるところはニューベッドフォード。ハーマン・メルビルの名作『モービー・ディック』(Moby-Dick)の舞台となった町だ。
 長距離バスでこの町の停車場に降り立った時は、うら寂しい町に来たなという印象を抱いた。それでも、この町は人口10万人近いマサチューセッツ州南部の中心都市だという。
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 街を歩く。石畳があり、いかにも歴史を感じさせる。通りには町の歴利を説明した案内表示があり、それを読むと、この町が19世紀から20世紀初めにかけ、捕鯨(whaling)で栄えたことが分かる。観光案内所のような事務所を訪れると、町の歴史を20分間のビデオにまとめたものを見せてくれた。タイトルは “The City That Lit the World”(世界を照らした町)。かつて世界の捕鯨の中心地だった誇りがビデオから伝わってきた。
 “Lit” という表現が使われているのは、かつては、クジラの脂肪油である鯨油が灯油として、またロウソクの原料として活用され、世界の夜を照らしたからだ。特にマッコウクジラ(sperm whale)の頭部から採取された sperm oil と呼ばれる潤滑油が重宝された。だが、それも石油の発見で需要が激減し、ここでは1925年を最後に捕鯨船は姿を消す。
 タクシーに乗って、郊外の安ホテルに向かう。ダウンタウンに宿泊したいのだが、ここでも手が出ない。運転手さんが言う。ダウンタウンにいる時はバッグに気をつけて。ドラッグでいかれている連中が多いからとのこと。ここでも図書館をのぞく。いや、ここも無料で私のような者にも本を読ませてくれるし、ラップトップも使わせてくれる。いや、第一、私が地元の住民か旅行者かどうかもほとんど気にしていないようだ。このあたりの懐の深さがさすがアメリカ――。
 図書館受付のわきにパソコンが置いてあって、顔写真付きで名前、住所、人種、髪の毛の色、身長、体重などが付記された画面が次々に変わっていく。何だろうと思ってのぞきこむと、”This individual is not wanted by the police.” (この人は警察が行方を追っている人ではありません) と画面の一番上に書かれている。画面の下には主に幼児・少年・女性に対する性的暴行事件の犯罪歴が記されている。そばに立っていた中年男性が「驚いたかい?ここにはこういう恥ずべき連中が300人ぐらいいると聞いているよ」と声をかけてきた。こうした「告知」が図書館のような公的施設でなされるのもアメリカの現実か。
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 ニューベッドフォードに着いてから、毎朝、朝食を食べに足を運んでいたダウンタウンのレストランがある。パソコンも使えるし、居心地がいい。なぜか夕方は6時で店仕舞い。もったいない。お店の若者に夜もやれば繁盛するのにと言うと、「前は夜8時までやっていたけど、最近は誰も夜はこの辺りは歩いていないので、6時で店仕舞いにした」と語る。
 (写真は上が、ニューベッドフォードのダウンタウン。観光客を対象にしたツアーガイドに何度も遭遇した。下が、図書館前に立つ捕鯨の歴史を象徴するアート)

J.D.サリンジャー(J.D. Salinger)④

 私はこの小説を読んだのは50歳代になってからだが、爽やかな読後感とともに、時代背景も国も異なるが、不思議とイメージが重なる小説を思い浮かべた。19世紀のロシアの作家、ドストエフスキーの長編小説『カラマーゾフの兄弟』だ。
 小説の大団円でカラマーゾフ家の三男アレクセイ(アリョーシャ)が少年たちを集めて激励する場面がある。彼らの友人が夭折したことを受け、その少年の死を無駄にしないよう長く記憶にとどめておくことを訴える感動的シーンだ。彼は自分たちが将来どのような人生を送ることになろうと、今共にしている少年時代は純真な心を持ち合わせていたことを忘れることのないよう力説する。友情で結ばれた少年たちも熱烈に応える。
 私はホールデンが妹のフィービーに対し、「将来は小さな子供たちを危険から守る」仕事をしたいという主旨の希望を語る場面に接して、なぜか、アレクセイの姿が頭に浮かんだ。
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 サリンジャー研究で知られる気鋭の大学教授に話を聞く機会を手にしたので、この先生に尋ねてみた。NYから電車で2時間近い距離にあるニューヘイブンという地にある名門エール大学で文学を教えるエイミー・ハンガーフォード教授だ。
 「私はこの小説を読んで、『カラマーゾフの兄弟』を想起しました。私には青春賛歌に感じました。アメリカの読者はどういう印象を抱いているのでしょうか」
 「アメリカでもそういう風に読み取る向きは昔からあります。ただ、作品自体は当時の社会階級の問題が人間関係に及ぼす緊張、確執が色濃く反映されています。スーツケースの質の違いがルームメートにもたらした微妙な感情(注)についてホールデンが語る場面を覚えていますか。あれなど象徴的な場面です」
 「サリンジャーはこの作品で名声を得て、その後、1960年代以降は世間から隔絶した生活を2010年に死去するまで続けますが、何がそういう隠遁生活を選ばせたのでしょうか。第二次大戦で米軍の情報将校として働き、ナチスの収容所など人間の愚かさについて強烈な経験をしたことが一因していると言われていますが」
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 「そういうこともあるかとは思います。ただ、彼の他の作品を合わせ読むと良く分かるのですが、サリンジャーは彼自身の家族に向けて言葉を発する、つまり、作品を書き続けたのだと思います。彼には名声など迷惑な話だったのです。だから、ずっと、親しい家族にだけ顔を向けて、言葉を発し続けることを選択したのでしょう」
 「他の著名の作家のように、将来、サリンジャー記念館のようなものができる可能性はあるのでしょうか。あるいは、あっと驚くような自伝が出てくるような可能性は」
「私の知る限り、ないかと思います。彼はプライバシーをどこまでも頑なに守る作家でした。作品一切に対し、あらゆる法的な縛りをかけています。当面は彼に関する驚くような新たな書が刊行される可能性は皆無に近いと思います」
 (写真は上が、ハンガーフォード教授。下が、彼女が教える大学のキャンパス。ブッシュ前大統領が先輩だねと学生に声をかけると、あまりありがたくない顔付きをされた)

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ところで図書館が素晴らしい

 アメリカの旅をスタートして、早くも3か月が過ぎた。あと半分だ。何だかアフリカからずっとこの旅を続けている感じがする時もある。
 ブログを更新しながらの旅だが、さすが、アメリカ、泊まるホテルはほぼ無線ランを装備している。ここ最近NYで泊まっていたYMCAは部屋を替わった途端、ネットの調子が悪くなった。一階のロビーに降りると、同じ悩みを抱えた宿泊客がひざに置いたラップトップに向かっている。だが、私のパソコンはここでも無線ランが通じない。隣のイスに座っていたドイツ人の少女に相談すると、彼女は自分のも最初調子が悪かった、揺さぶっていたら直った、みたいなことを言う。本当かな、と思いながら、ロビーに立ってパソコンを揺すってみたが、何の効果もない。赤ちゃんでもあるまいし。
 フロントの黒人のお兄さんに相談してみる。「私のパソコン、昨日まではネットが使えたのに、今日は全然通じない。どうしたんだろう。Wimaxがオフになっているという表示が出るんだけど、私には何のことやら分からない。ヘルプミー、プリーズ」。この男性は黙って聞いていた。らちが明かないので、パソコンのキーをあちこち触っていたら、突然、インターネットのアクセスが再びできるようになった。
 どうやらパソコンの左側面にこのWimaxとかいうもののスイッチがあり、私は何かの拍子でこれを触り、勝手にオフにしていたらしい。ただ、それだけのことだった。だいたい、そんなスイッチがあることさえ知らなかった。くだんの男性スタッフに「直った」と言うと、「そうだろう。今、そのことを指摘しようと思っていたんだ」とのたまうではないか。
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 NYでは特にそうだが、行く先々でカメラを手にした観光客がにぎやかに楽しんでいる光景はほっとする。写真を撮り放題だ。アフリカでもこうだったら写真を撮るのが楽だったのにと思わざるを得ない。
 NYではNYPL (New York Public Library) と呼ばれる図書館で調べものやパソコンに向かうことが多かった。私のような観光客にも期間限定のメンバー証を即座に作ってくれるから、本は自由に館内貸し出しが可能になる。閲覧申し込みを書くと、5分後には手元にその本が来た。持ち込みのラップトップを使用するための広い部屋があり、ネットも使い放題。何よりもすべて無料。館外に出ても図書館が立つ公園内なら無線ランでネットにアクセスできた。私の知る限りこのような図書館は初めて。さすがだ。
 さらに驚いたのは、パソコンに向かって、これから訪れる地のホテル探しや列車、バスの便を探っているそばを、カメラを手にした観光客の人々がひっきりなしに通り、書棚の本やパソコンに向かっている私たちの写真を撮りまくっているのだ。写真を撮りたい気持ちは分からないでもないが、こんな写真は撮っても意味ないだろうになあ・・・。
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 (その意味のない写真が上、これだけのスペースがあれば、いつ足を運んでも、空いているスペースがあった。そのありがたいNYPL図書館の外観)  

J.D.サリンジャー(J.D. Salinger)③

 これまでの高校生活でただ一人自分を理解してくれると思われた若いアントリニ先生の家を訪ね、ホールデンが先生と交わす会話も興味深い。彼の行く末を案じる先生はいろいろとホールデンを諭す。先生はホールデンがすでにして「転落」の人生を歩んでいるのではないかと危惧する。30歳になるころには、どこかのバーで酒浸りになっており、入ってくるお客の誰に対しても嫉妬や敵意を抱くようなさもしい男になっているのではと。
 例えば、そのお客が自分通えなかったような大学で(花形スポーツの)アメフトをやっていたように見えるとか、あるいは、逆に例えば、正しい文法の英語表現では ”It’s a secret between him and me.” (それは彼と私との間の秘密なのです)というような場面で、”It’s a secret between he and I.” と語るようなお客だったりしたら。
 彼には10歳になる仲のいい妹フィービーがいる。なかなか大人びている妹で、深夜に泥棒猫のようにこっそり帰宅した兄が成績不振で高校を退学になったことを察知すると、六つも年上の兄を手厳しく追及する。お父さん(富裕な弁護士)が今回の退学を知ったら、お兄さんは殺されるわよ、お兄さんは人生で好きなことってあるの、いったい、将来は何になろうとしているの? ホールデンはたじたじとなりながらも、真剣に考え、通りで子供が口ずさんでいた歌(詩)を念頭に、将来は、広大なライムギ畑で遊んでいる大勢の小さな子供たちが崖から落ちないように見守っていて、落ちそうな子がいたら、キャッチするんだと答える。署名の “the catcher in the rye” がここで登場する。なかなか深い表現だ。
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 小説の末尾でホールデンとフィービーとのやり取りが描かれる。一人で家出するという兄についていくため、妹は昼食で帰った自宅から自分の衣服を詰め込んだスーツケースをひきずって来る。ホールデンは妹について来るんじゃない、午後の授業に戻れと諌めるが、妹は頑として聞き入れない。仕方なくホールデンは家出をしないことを妹に約束する。二人は回転木馬がある場所に歩き、ホールデンはフィービーに木馬に乗らせる。彼女は昔から木馬が大好きなのだ。仲直りした妹が乗る回転木馬を見ていると、バケツをひっくり返したような雨が降ってくる。雨に打たれながら、ホールデンはなぜか、幸福な気分に浸る。
 I felt so damn happy all of a sudden, the way old Phoebe kept going round and round. I was damn near bawling. I felt so damn happy, if you want to know the truth. I don’t know why. It was just that she looked so damn nice, the way she kept going round and round, in her blue coat and all. God, I wish you could’ve been there. (僕はフィービーのやつが木馬に乗って何度も何度も回っていくのを見ていて、突然とても幸せな気分になった。ほとんど叫びだしたいくらいだった。本当なんだ。とても幸福に感じたんだよ。なぜだか自分でも分からない。妹は青いコートを羽織っていて、何度も何度も回っているんだが、見栄えが抜群に良かった。ほんと、みんな一緒にいたらいいのにと心から思ったよ)
 (写真は、リバティー島からグラウンド・ゼロのあるマンハッタンの高層ビル群を望む。この写真ではそうでもないが、絵葉書のように美しい光景だった)

J.D.サリンジャー(J.D. Salinger)②

 ホールデンはさらに寂しさから昔多少の付き合いのあった美少女のサリーをデートに誘い、スケート場のバーで駆け落ちのようなことをやろうと語りかける。もちろん、サリーは全然乗って来ず、ホールデンは急に相手に対する気持ちが冷めてしまい、席を立つ。よせばいいのに、その際、次のような痛烈な一言を発してしまう。
 “C’mon, let’s get outa here,’ I said. “You give me a royal pain in the ass, if you want to know the truth.”
 この ”a royal pain in the ass” も強烈な表現だ。3日続けて痛飲すると、通院したくなるほどの「痔主」の兆候がある私には、単に “a pain in the ass” だけで十分恐れおののきたくなる気分だ。 ”royal” (王室の)という箔が付いたところで、うれしくもなんともない。字面通りの訳ははばかられる。幸い、辞書には ”a pain in the ass” は「頭痛の種」という訳が出ている。ここはおとなしく、次のような訳でいいのだろう。
 「さあ、ここを出よう」と僕は彼女に言ったんだ。「今の自分の気持ちを正直に言うと、君は今の僕にとってうんざりするほどの厄介者だよ」
 ここまで侮辱されて、サリーが怒髪天を衝いたのは当然だろう。ホールデンは平身低頭、謝罪するが、彼女は許してくれない。
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 この小説ではホールデンや他の登場人物のいわゆるswear word(ののしりの言葉、口汚い言葉)が頻出する。“ya goddam moron” とか “For Chrissake” (Christ’s sake)、あるいは sonuvabitch (son of a bitch) などといった表現だ。このあたりが若者の当時の「肉声」を反映して、注目を集めた一因かもしれない。
 ホールデンは酒は飲むわ、たばこも吸うわ、落第するわと優等生からは程遠い少年だが、一本心が通っている少年だ。彼は世間一般でまかり通っているphony(いんちき野郎)やそうした人々のphoneyな言動が許せない。以前に通っていた高校では、身なりの良い裕福な親とは笑顔を振りまいていくらでも話に花を咲かせるが、そうでない親とは単に握手をしてさっと過ぎ去ってしまう校長先生に我慢ができなかった。彼は男であれ、女であれ、そういう人たちを見ると、嫌悪感を抑えきれず、吐き気さえ感じてしまう。そこに読者は共感を覚えるのだろう。
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 小説が発表されたのは1951年のこと。サリンジャーは1919年の生まれだから、当時32歳の若さ。小説は発表後すぐにベストセラーとなり、サリンジャーは一躍流行作家となる。普通なら、理想的な展開だろう。ところが、これはサリンジャーにとって全然好ましくない展開だった。彼はこの後も作品を執筆、発表するが、段々と表舞台から遠のいていく。1963年以降は彼の作品が出版されることもなくなり、隠遁生活の作家として名を馳せることになる。昨年1月、91歳で死去。
 (写真は上が、小説にも出てくるメトロポリタン美術館。ここも多くの観光客で賑わっていた。下は、そこで見かけた19世紀の油絵の一つ。これを見ただけでも訪れた甲斐があった)

J.D.サリンジャー(J.D. Salinger)①

 サリンジャーと言えば、『ライムギ畑でつかまえて』だろうか。英語のタイトルは ”The Catcher in the Rye” という。私ははるか昔の学生時代に英語科の後輩がこの作品を卒論のテーマに選んでいることを知っていたが、実際に読んだことはなかった。ふと思い立ち、読んだのはつい数年前のような気がする。
 こんなに面白い作品だとは思わなかった。抱腹絶倒といったら言い過ぎだろうが、思わず吹き出したくなるシーンが幾度かあった。絶対に今回の旅の中に含めたかった小説だ。
 物語は、ニューヨークに住む16歳の少年、ホールデン・コールフィールドが自分の人生を読者に語りかける形で進んでいく。冒頭のシーンではホールデンが成績不振で四つ目の高校を退学することになったため、恩師の一人、スペンサー先生を自宅に訪ね、別れの挨拶をする。この老齢の恩師はホールデンの話にうなずきながら聞いていたが、そのうちに鼻をほじりだす。ホールデンはさすがに愉快には感じない。
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 Old Spencer started nodding again. He also started picking his nose. He made out like he was only pinching it, but he was really getting the old thumb right in there. I guess he thought it was all right to do because it was only me that was in the room. I didn’t care, except that it’s pretty disgusting to watch somebody pick their nose.
 (スペンサー老は再びうなずき始め、それから鼻をほじりだしたんだ。鼻をつねっているだけだかのように装っていたが、実際には自分と同い年の親指を鼻孔に入れていたんだよ。部屋の中にはいたのは僕だけだったので、先生は許される行為だと思ったのだろう。僕はまあどうでも良かったが、人が鼻をほじるのを目の当たりにするのはあまり気分がいいものではないよな)

 次のシーンでも本当に声に出して笑ってしまった。ホールデンが退学処分を受けた高校を去って、ニューヨークの実家に帰る前に繁華街に遊びに行く場面だ。ホールデンは泊まったホテルのバーで有名芸能人見たさに西海岸のシアトルからやって来た、あまり愛想の良くない3人のお姉ちゃんたちと、退屈しのぎにダンスをしようと悪戦苦闘する。
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 I danced with them all – the whole three of them – one at a time. The one ugly one, Laverne, wasn’t too bad a dancer, but the other one, old Marty, was murder. Old Marty was like dragging the Statue of Liberty around the floor. (僕は彼女たち三人全員と一人ずつ踊った。ラベルネという名の一人だけ見てくれの良くない子は踊りはそう悪くなかったが、もう一人のマーティーという子はいやはや凄かった。彼女と踊るのは、自由の女神像をダンスフロアで引きずり回すようなものだったよ)
 (写真は、これがニューヨーク港内のリバティ島にそびえ立つ、本当の「自由の女神像」(Statue of Liberty)。合衆国独立100年を記念してフランスが寄贈。アメリカの自由と民主主義を象徴している。台座から上の像自体の高さだけでも46メートル。これを引きずり回すのは大変だ。フェリーで訪れる観光客にも連日大人気)

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