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アメリカをさるく

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テネシー・ウィリアムズ (Tennessee Williams)②

 ウィリアムズは1911年にミシシッピ州の町コロンバスに生まれた。2歳上に仲のいい姉がいたが、彼女は若くして精神を病み、彼の人生に影を落とすことになる。1944年に発表して大ヒット、劇作家としての道を確立する作品 ”The Glass Menagerie” (邦訳『ガラスの動物園』)に登場する、劣等感から現実の人生を恐れ、ガラス細工の世界に逃避する気弱な女性ローラは姉をモデルにしているとされる。
 ウィリアムズ自身は幼少時から体が弱く、14歳にして、作家の道を志したという。手元にある米文学案内の小冊子では、自分がゲイ(同性愛者)であると告白して著作活動に励んだ最初の時期の作家であると記されている。
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 その彼が愛して長く住んだのが、ニューオーリンズの町だった。その理由はここに来て理解できたような気がする。何人をも受け入れる土壌がここにはあるように感じるからだ。実際、この都市の「観光課」のような部局を訪ね、担当者のジェニファー・デイさんにいろいろ話をうかがっていたら、彼女はこう語った。
 「テネシー・ウィリアムズはゲイでした。ここはさまざまな個性を受容する風土が昔からあるのです。彼が南部の保守的な町からここに来て、一人の人間としてありのままに生きる喜びを感じたのはごく自然の成り行きだったと思います」
 だいぶ前に「ミズーリー歴史博物館」の項で書いたが、アメリカはニューオーリンズを含むミシシッピ川の一帯を1803年にナポレオン治下のフランスから「ルイジアナ購入」と呼ばれる買収で入手する。アメリカはミシシッピ川を越え、西海岸への領域拡大を狙っており、一方、ナポレオンはこの一帯が憎きイングランドの手に渡るよりは親仏国のアメリカに売却することを選択した。米国領土はこの買収で一気に二倍に拡大した。
 ルイジアナは南部の州であり、黒人奴隷が辛酸をなめた地であることは言うまでもない。南北戦争後も白人の保守層は黒人の権利拡大を頑なに拒否、人種衝突で多くの黒人が惨殺されている。フレンチクオーターにあるルイジアナ州立博物館を訪れると、そうした悲惨な歴史が紹介されている。しかし、ニューオーリンズの人種的、文化的多様性は当時から傑出していたようで、1853年にここを旅した欧州人の感想が展示してある。「あらゆる人種の人々が混在していて、食べ物、習慣、マナー、考え方も多種多様」と記されている。
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 ジェニファーさんは、ニューオーリンズが伝統的に異文化に対して寛容なのは、ここを支配したフランスやスペインのカトリック教の影響も大きいと指摘する。「プロテスタントの人々が酒を遠ざけ、質素な生活を志したのに対し、カトリックの人々は酒を楽しみ、ダンスに興じ、新たに来た人々を歓迎した。その伝統が現在に至るまで息づいているのだと思います。ニューオーリンズでは毎週のようにフェスティバル、パーティーがどこかの通りで催されています。こういう都市は他にはないでしょう」
 (写真は上が、ルイジアナ州立博物館。下が、フレンチクオーターのお店の一軒に飛び込んだら、カラオケバーだった。安くていい店だったが、私よりひどい歌い手もいた)

テネシー・ウィリアムズ (Tennessee Williams)①

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 ルイジアナ州のニューオーリンズ。そのダウンタウンにあるフレンチクオーター。噂には聞いていたが、なるほど、これまで訪れたどの都市とも異なる雰囲気の町だ。ニューオーリンズに行く予定だと言うと、この国の人々は「おお、そうか」と実に羨ましがられた。その理由がここに来た今なんとなく分かる。街角に音楽があふれ、レストランではケイジャン(Cajun)と呼ばれるエスニック料理と酒に酔いしれる。
 名前が示す通り、フレンチクオーターはかつてフランスがルイジアナ州一帯を植民地として支配していた17世紀から18世紀にかけ、フランス人が居住していた地区だ。ニューオーリンズの独特の雰囲気はここから発せられているように感じる。
 ニューオーリンズではミシシッピ州出身の劇作家、テネシー・ウィリアムズの代表作の舞台を訪ねようと思っている。1947年の “A Streetcar Named Desire” (邦訳『欲望という名の電車』)という作品だ。
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 物語は南部の裕福な大農場で育った姉妹を軸に展開する。30歳に手が届く姉のブランチと5歳年下のステラ。ブランチは自由奔放な生活ゆえに教えていた高校の英語の教師の職を追われ、今では結婚している妹のステラの元を訪ねる。ステラは夫のポーランド系のスタンリーを深く愛しており、お腹の中には赤ちゃんを宿している。しかし、ブランチはスタンリーや彼の友人たちが気にいらない。自分たちとは育ちが異なるとして、彼らへの軽蔑感を隠せない。スタンリーが聞いているとは知らず、彼女は妹に対し、スタンリーの人間性を酷評する。いやその表現がすさまじい。
 “Suppose! You can’t have forgotten that much of our bringing up, Stella, that you just suppose that any part of a gentleman’s in his nature! Not one particle, no! Oh, if he was just—ordinary! Just plain—but good and wholesome, but–no. There’s something downright—bestial—about him! You’re hating me saying this, aren’t you?”
 「よく考えてご覧よ。あたしたちがどう育ったか忘れたわけじゃないだろ、ステラ。彼のどこにジェントルマン(紳士)のかけらがあるって言うの?これっぽっちもないでしょ! いいこと、彼がありきたりで、何の取り柄がなくてもいいわよ。善良でまともな性格をしていたとしたら。でも、そうじゃないわ。彼はまるで獣のような男じゃない!あたしがこう言ってるから憎たらしいと思っているでしょ、あんた」

 スタンリーは気に食わないことがあると、ステラに暴力を振るうような男でとても好感は持てないが、こうまで酷評されると、いささかの同情は禁じ得ない。鼻持ちならない女とはブランチのような女のことだろう。彼女に恋心を抱くようになるスタンリーの遊び仲間のミッチに対しては、自分はステラの妹だと平然と年齢を偽るような女でもある。彼女の生活が乱れる原因が後半に明らかになり、多少の憐みは感じるとしてもだ。
 (写真は上が、有名なストリートカー。19世紀末から走っている歴史ある路面電車で、乗っているだけで面白く感じる。下が、こんな感じのバンドがここではそちこちに)

ニューオーリンズへ

 とても居心地の良かったオックスフォードを出て、南のルイジアナ州にあるニューオーリンズに向かう。前にも書いたが、公共交通の便が信じられないほど悪いので、再び北のテネシー州のメンフィスに来ている。ここで一泊して明日の早朝、アムトラックの列車に乗車、約9時間かけてニューオーリンズを目指すことになる。列車の中で夜を過ごすまでには至らないから気は楽だ。チケットも本日、メンフィスに着いて、セントラルステーションで買い求めたら、53ドル(約4400円)ときわめてリーズナブルな値段だった。
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 メンフィスはオックスフォードを訪ねる際にも一泊したが、あの時は深夜着で市内を見学する時間もなかった。今回は半日ほど時間の余裕があったので、市内を少し歩き、古びた路面電車にも乗ってみた。米北部は寒気が押し寄せているようだが、この日のメンフィスはオックスフォード同様、半袖で歩けるほどのぽかぽか陽気。
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 メンフィスで半日しか時間がなければ、足を運ぶ先はやはり、マーティン・ルーサー・キング牧師が1968年に暗殺されたモーテルだろう。今は国立公民権博物館となっていると聞いていたので、早速訪ねてみた。記録映画で何度か目にしたことのあるモーテルは拍子抜けするほど貧弱な感じの2階建ての建物だった。キング牧師が銃弾に倒れたベランダには花輪が飾られている。犯人が通り越しに銃撃したビルも博物館として残されていた。13ドル払って入館、死後制作されたビデオを見た。キング牧師の友人の牧師が聴衆に語りかけるシーンが圧巻だった。キング牧師が抱き続けたのは、肌の色に関係なくすべてのアメリカ人が平等に生きる社会を実現させる「夢」だった。凶弾がキング牧師の命を破壊しても、この夢は誰も破壊することはできないと聴衆に力強く語りかける場面では見学者の白人の人々も涙を浮かべながら見入っていた。
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 メンフィスはエルビス・プレスリーもかつて闊歩したブルースやジャズの町でもある。ダウンタウンのビールストリートでは夕刻ともなると、ネオンサインが輝き、多くのカフェやレストランから賑やかな音楽が流れていた。日本人観光客も多いのだろう。私が日本人と分かると、「こんにちは。いち、にー、さん・・・」などと寄って来て、手にする音楽のCDを売りさばこうとする商売上手の黒人のおじさんたちがいた。
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 お腹がすいたので、ブルース専門のレストランに入り、メニューを見る。ルイ・アームストロング推奨の一品がうまそうに思えたので早速注文。ソーセージとレッドビーンズがたっぷりのクレオール料理のライスと記してある。約13ドル。ソーセージはいけたが、いかんせん、豆がいただけなかった。私は出された料理を残すことはほとんどしないが、これはさすがに平らげることはできなかった。しかしながら、ウエイトレスのサービスも良く、音楽も良かったので、チップをはずんで引き上げた。
 (写真は上から、キング牧師が凶弾に倒れたモーテル。メンフィスの「年代物」の路面電車。ここでも小規模ながら、「ウォール街を占拠せよ」のデモ隊が活動していた。期待外れに終わったクレオールのライス)

ウィリアム・フォークナー(William Faulkner)⑤

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 大作家といえども、生前あるいは大きな賞を取るまでは地元の人々に煙たがられたり、揶揄されたりといったケースも少なくないように思える。フォークナーもそういう時期があったようだ。
 作家として独り立ちする前には、大学の郵便局長として働いていたこともあったが、創作が頭にあったのかほめられるような勤務態度でなく、やがて首になっている。しかし、死去25年後の1987年夏には彼の肖像を描いた郵便切手が発行される栄誉にも浴している。地元で催された記念式典には同じミシシッピ州の作家、ユードラ・ウェルティ(1909-2001)もわざわざ出席し、郷土の先輩作家に敬意を込めたスピーチをしている。
 先に紹介した “Light in August” (邦訳『八月の光』)に戻りたい。物語の最後に、レナが無事に生まれた赤ん坊の父親の逃走先を探してミシシッピ州からさらにテネシー州に向け、気のいい男が運転するトラックでヒッチハイクするシーンが描かれる。レナは無論一人ではない。彼女に一目惚れをした気弱な男のバイロンが付き添っている。トラックの運転手は、「なんでこんな一見してうだつの上がらなさそうな男に若々しい少女がくっついているのだろう」と不思議でならない。二人の関係は傍目にはそのように映っている。
 運転手はやがて、この奇妙な二人が夫婦の関係ではなく、男はまして赤ん坊の父親でもないことを知る。運転手は帰宅後、自分の妻に「いや、今度の旅では面白い体験をしたよ」といった感じで笑いながら寝物語をする。彼にはバイロンがレナに惚れきっていることが分かる。バイロンはレナの気持ちが今一つ理解できないようだが、彼には分かっている。レナが自分を捨てた男の後を追ってなどいないこと。バイロンは自分の半分ほどの年齢のレナにすっかり手玉に取られているが、レナもバイロンと所帯を持つことを覚悟していることを。それで彼は妻に言う。
 “Yes, sir. You cant beat a woman. Because do you know what I think? I think she was just travelling. I dont think she had any idea of finding whoever it was she was following. I dont think she had ever aimed to, only she hadn’t told him yet. I reckon this was the first time she had ever been further away from home than she could walk back before sundown in her life….”(そういうことだよ。女には勝てっこない、ということだよ。俺の考えていること分かるかい?俺が思うに、彼女はあの時ただ旅をしていただけなんだよ。誰でもいいが、誰かの後を追っているなんてことは頭の中にはこれっぽっちもなかったと思う。あの男にはそう言ってなかっただけのことさ。彼女のこれまでの人生で、あんなに遠くまで旅をしたのは初めてだったのさ、きっと。それまでは自分の家から日暮れまでに帰れる距離しか旅したことはなかっただろうさ)
 古今東西、女は強し。
 (写真は、フォークナーが妻とともに眠るオックスフォードの墓地。彼が好きだったウイスキーの瓶が並ぶ。私もウイスキーの小瓶を持参し、少し頂戴した後、作家に捧げた)

ウィリアム・フォークナー(William Faulkner)④

 “Sanctuary” の登場人物は、子連れの妻と結婚した中年の気弱な弁護士のベンボウ、不幸な生い立ちから屈折した性癖を持つ無頼漢のポパイ、ポパイとともに密造酒を手がけている退役軍人で前科のある男グッドウィン、その内縁の妻のルービー、わがままなお嬢様育ちの大学生でポパイの毒牙にかかり、売春宿に幽閉される判事の娘のテンプル。
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 事件はテンプルがボーイフレンドの一人のだらしない大学生とドライブの途中、密造酒が飲みたくなった大学生が顔なじみのグッドウィンたちが住む廃屋のような屋敷に立ち寄り、ポパイがテンプルに目をつけることから始まる。ポパイはテンプルを連れて逃亡する際に、仲間の一人を無慈悲に殺害する。ルービーは事件を保安官に通報するが、保安官はグッドウィンを事件の犯人として逮捕する。グッドウィンとの間にできた乳飲み子を抱えたルービーへの同情の念もあり、ベンボウは無実のグッドウィンの弁護を引き受ける。ベンボウは事件の真実を知るテンプルの存在を突き止めるが、肝心の彼女は事件はグッドウィンの犯行と偽証する。裁判の中で屋敷から逃げ出す前に、テンプルがトウモロコシの穂で凌辱されたことも明らかにされ、グッドウィンは町の人々の一層の憎しみを買い、リンチに遭って惨死する。この凌辱行為も性的不能者のポパイによる蛮行なのだが。
 ポパイはテンプルを幽閉した売春宿でテンプルとの性行為の相手をさせていた男も殺害する。彼は二人の性行為をベッドのそばで見て倒錯した喜びを感じていたような男だったのだ。ポパイは最後に無関係の警察官殺人事件で逮捕され、絞首刑となる。小説の後半になって、彼がなぜ、性的不能で、残忍な性格の男になったのか推察できる生い立ちが明らかにされる。4歳になるころまで歩くことも話すこともできなかったこと、体がとても弱く、医者が定めた以外の食べ物を食べようものならひきつけを起こすような子供だったこと。医者からは「この子は決して男に成長することはないだろう。ある程度の年齢まで生きたとしても、精神的な年齢を重ねることは無理だろう」と宣告されるような少年だった。
 この小説では、読んでいて「肩入れ」することができる人物は一人も登場しない。弁護士のベンボウにしても、グッドウィンがリンチで殺害されることを阻止できず、敗訴後、お互いに愛情があるとは思えない妻のもとにすごすごと帰っていくような男だ。しいて挙げれば、グッドウィンの内縁の妻のルービーには憐みの感情を禁じえなかった。
 次の一節はフォークナーのユーモアか。金のないルービーはグッドウィンの弁護に取り組むベンボウに弁護費用を払えない。それで女である自分の体を提供することをほのめかす。そうなったとしても構わない、事実、あたしは過去にそうやってあの人を救ってきたと語る。ベンボウはこの「申し出」を一蹴して諭す。”God is foolish at times, but at least He’s a gentleman. Don’t you know that?” (神様は時に愚かなことをするが、少なくとも神様は紳士だよ。そんなこと知らなかったのかい?)。これに対し、ルービーは答える。”I always thought of Him as a man.” (あたしはずっと神様は男だとは思ってきたよ)
 (市庁舎そばにある作家の像が座すベンチ。1997年の建立と記されていた)

ウィリアム・フォークナー(William Faulkner)③

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 オックスフォードを訪れた人はほぼ誰もがこの書店に足を運ぶことになるのだろう。「スクエアブックス」。リチャード・ハワースさんが営む書店で、フォークナーはもちろんのこと、ミシシッピ州出身の作家の本も広く扱っており、オックスフォードの情報発信基地のような存在だ。ダウンタウン中心部の広場を囲み、年齢層に合わせた三つの店を構えており、店内は広々と明るく、本に親しむ楽しさが伝わってくるよう。
 書店を訪ね、リチャードさんに声をかける。「ようこそ、オックスフォードへ。ところで毎週木曜の夕刻、私たちの店の一つで読書と音楽のユニークな集いを催しています。来てみませんか」と誘われた。「喜んで」
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 その木曜の夜。陳列図書を壁際に押しやり、空いたスペースに折り畳みイス150席を並べ、コンサート兼読書会のような催し。この夜はジャンルの異なる複数のバンドの演奏が披露され、地元に住む全国紙のコラムニストとノースカロナイナ州の作家が近著のさわりを朗読した。比較的年配の人たちが多かったが、それでも用意した150席はすべて埋まっていた。毎年春と秋の木曜夜にそれぞれ12回、このような集まりを催しているという。「オックスフォードがフォークナーゆかりの地であることで我々は恩恵を受けています。だから、多くの作家やアーティストがここに集ってきている」とリチャードさんは語った。
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 私はこの項の初回で「オックスフォードはこれまでに私が訪れた作家ゆかりの地でまず、ナンバーワンの地だ」とその居心地の良さを書いた。取材を進めると、この雰囲気を醸し出すのに大きく貢献しているのが、リチャードさんが1979年に妻のリサさんと店を開いたスクエアブックスであることが分かった。バーでこの夜出会った男性客は「オックスフォードはミシシッピ州の中でも例外的な都市です。ミシシッピ州は全米一の最貧州。州の南部に行けば、驚くような貧困があります。人種偏見もまだ色濃く残っています。オックスフォードは異例中の異例なんです」と語った。確かにミシシッピ州は南部州の中でも人種差別、偏見による血なまぐさい事件が起きた過去があり、ミシシッピ州という名を聞けば、複雑な思いを抱く米国人は少なくないように思える。
 私はここを去ったら、再びメンフィス経由で今度はルイジアナ州のニューオーリンズに向かうことにしている。ミシシッピ州の他の地区は残念ながら目にする機会がない。
 ミシシッピ州がそうした地だからこそ、フォークナーはミシシッピ州の架空の土地のジェファソンを舞台にして、作品を書き続けたのではないか。時代を同じくする作家の多くが海外も視野に入れた作品を描いた時、フォークナーは最後まで地元の大地に踏ん張り続けた。1931年の小説 “Sanctuary” (邦訳『サンクチュアリ』)もジェファソンを舞台に繰り広げられる悲劇で、爽やかな読後感など縁遠い作品だ。
 (写真は上から、「スクエアブックス」の店内。カウンターに立つ左の男性がリチャードさん。木曜夜に催される読書と音楽の集い。作家の朗読を聞くとその本を買い求めたくなった。集いが終わると、近くのバーで楽しくおしゃべり)

ウィリアム・フォークナー(William Faulkner)②

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 クリスマスは生後間もなく祖父から施設に捨て置かれ、やがて、厳格な農夫夫婦に養子として引き取られる。養父母に隠れて、女遊びと酒を覚えるようになり、自由を求めて家を飛び出す。その後バーデンの屋敷の小屋で暮らし始め、彼女とも男と女の関係になる。バーデンは奴隷制度で成り立ってきたアメリカで、白人であることの罪の意識から解放されることがなく、クリスマスとの関係も単なる男と女の愛憎劇にとどまらない。クリスマスは結局、バーデンを殺害して逃走するが、捕まることを「期待」しているかのようにほどなく逮捕され、最後は白人の在郷軍人のグループにより射殺される。
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 次のシーンが印象に残っている。バーデンの祖父と異母兄が奴隷制度支持者により殺害された後、彼女の父親は二人を埋葬したが、その場所が地元の人々に分からないようにして埋葬したエピソードが明らかにされる。地元民が墓を掘り返し、遺体を冒涜することを恐れたからだ。クリスマスは次のように応じる。
 “Oh,” Christmas said. “They might have done that? Dug them up after they were already killed, dead? Just when do men that have different blood in them stop hating one another?”(「何ということだ」とクリスマスは言った。「連中がそうしたかもしれないって?二人は既に殺され、死んでしまっているのに、墓を掘り返したかもしれないって?いったいいつになったら、連中は血筋が違うからといってお互いを憎しみ合うのをやめることができるんだ?」
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 クリスマスの嘆きはその通りだ。一体、我々はいつになったら、人種や宗教、思想の違いによる憎しみ、不信感を克服することができるのだろうか。
 作家が亡くなる1962年まで住んでいた家は記念館として残されていた。邸宅は質素な二階建てで、木立に囲まれ、住み心地の良さそうな家だった。中に入り、最初に目についた陳列棚にはウイスキーの瓶があった。自分の「商売」には「紙とタバコと食料、それに少しのウイスキー」があればそれで事足りると語った作家の言葉が紹介されていた。
 私が訪れた時、他に来館者が数人いた。受付(案内)は男性が一人だけで、私が日本人と知ると興味を示し、「あなたは長野出身ではないですか」と聞いてきた。作家が1955年夏に長野県を訪れていたことぐらいは承知していたので、この質問には驚かなかった。
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 作家が長野県を訪れた時、すでにノーベル文学賞を受賞して氏の名声が高まり、彼は米国を代表する作家として遇されていた。米政府が作家を訪日させ、フォークナーは長野県で日本の大学教授や有識者と懇談する。その際、米文学の現状について尋ねられた作家は「私は文学者ではありませんから分かりません。私は農民です。田舎者です。書くことが好きですが、書いていない時は馬を繁殖させ、育てています」と答えたと伝記にある。ポーズでも謙遜でもなく、そう自分のことを思っていたようだ。
 (写真は上から、フォークナー邸。作家が作品を書いた部屋。真ん中にタイプライターが見える。書斎として使っていた部屋。本棚は作家自らが作り上げた。娘さんの部屋)

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