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アメリカをさるく
大リーグだけでない野球
- 2011-07-26 (Tue)
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先に、アメリカの野球は文化だと書いた。それは、日本人選手が活躍するメジャーリーグ(MLB)だけでない、野球を心から楽しむ広い「裾野」がこの国にあるからだ。
リンカーンにおあつらえ向きのチームがあった。リンカーン・ソルトドッグス(Lincoln Saltdogs)。ソルトドッグスが属するのは独立リーグの「アメリカン・アソシエーション」。日本では「大リーグ」と呼ばれる最高峰のメジャーリーグや傘下のマイナーリーグには属さず、自分たち自身のチャンピオンシップを目指して戦う。メジャーを目指す若手だけでなく、メジャーから離れたベテランもしのぎを削る。「アメリカン」は中西部を南北に走るテキサスやカンザス、ミネソタなどの主要都市を本拠地に14チームが加盟する。
リンカーンのヘイマーケット球場で行われたナイトゲームに足を運んだ。入口を入ると、すぐにバックネット裏になっていて、こじんまりした印象だが、二階席やガラス窓に仕切られた特設席もある堂々とした球場だ。ボランティアが手助けの必要なお客の相手をしており、リンカーンの市民に支えられた施設であることが分かる。収容人員は約8000人。
試合開始の前に、ソルトドッグスのオフィスを訪れ、レギュラーの一人に話を聞かせてもらっていた。フィル・ホークさん(27)。ルイジアナ州の出身でプロになって6年目。メジャーのチームに属していたこともあったが、2009年からはソルトドッグスに加わり、腕を磨いている。「はい、もちろん、夢はまたメジャーでプレーすることです。でも、このリーグも激しい戦いです。ここに来て良かったと思っています」とフィルさんは語る。
「アメリカン」は北部、中部、南部の3地区に分かれ、年間100試合を戦う。選手はシーズン中は報酬を手にすることができる。ルーキーが手にする報酬は毎月800ドル(約67000円)程度。当然、選手は他に仕事を見つけ、自活しなくてはならない。
「シーズンオフの時は体育や数学を教える臨時教師の仕事をしています。リンカーンの地元でプレーしている時は、チームが世話してくれるホストファミリーの家にお世話になっていますから、宿泊の心配はない。去年はその家の娘さんの結婚式にも参加してお祝いの歌を歌いました。家族の一員のように扱ってくれるし、僕もそう思っています」
フィルさんは一塁を守り、3番を打つ左の強打者。試合半ばに気づいたが、時に時速94マイル(150キロ)を超える速球を投げるピッチャーもいるレベルの高いゲーム。9回裏、3対2で1点を追う、2死ランナーなしの絶体絶命の場面で、フィルさんは打席に立ち、見事、左翼に同点のソロホーマーを放ち、観客の熱狂的声援を受けた。
この日もリンカーンは暑かった。夜9時近くまで西日の名残りがあった。延長戦に入った10時以降も観客の大半はまだ残っている。一緒に観戦していた地元客は「この間、来た時も延長戦になった。日が変わって午前1時になってもゲームは続けられ、客も残って応援を続けていた」と語る。さすが、と言うべきか。
(写真は上から、ソルトドッグスの地元球場。話を聞いたフィル・ホークさん。好青年だった。ゲームの合間には観客を楽しませる多くの余興が行われていた)
ウィラ・キャザー (Willa Cather) ⑤
- 2011-07-25 (Mon)
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ネブラスカに住む人々の大多数は白人であり、彼らはキャザーの作品が描くように、19世紀後半にドイツやフランス、スウェーデン、ボヘミア(チェコ)などヨーロッパからやってきた移民の末裔か、キャザーの家族のように東海岸からさらに西進した白人だ。
しかし、ここはアメリカインディアンがかつては狩猟の場としていた地でもある。ネブラスカ歴史博物館の展示によると、彼らの足跡は12000年前まで遡るという。ネブラスカという地名は彼らの言葉でflat water(浅い水)を意味する。キャザーが住んでいたレッドクラウドの地名は先述したように、ラコタ(スー)族の指導者、レッド・クラウド(1822-1909)に由来する。カリフォルニアの金鉱を目指し、白人が強力な政府軍の支援を受けて西進するのに伴い、アメリカインディアンの生活圏が侵されていく。レッド・クラウドは当初、政府軍と激戦を繰り広げ勇名を馳せるが、自分たちをはるかに凌駕する武力を誇る政府軍に圧倒され、やがてIndian Reservation(インディアン保留地)と呼ばれる居住地に追いやられる。その彼が失意の晩年に語ったと伝えられることばが次の吐露だ。
“I was born a Lakota and I shall die a Lakota. Before the white man came to our country, the Lakotas were a free people. They made their own laws and governed themselves as it seemed good to them. The priests and ministers tell us that we lived wickedly when we lived before the white man came among us. Whose fault was this? We lived right as we were taught it was right. Shall we be punished for this? I am not sure that what these people tell me is true.”(私はラコタとして生まれ、ラコタとして死んでいく。白人がこの国にやって来る前は、我々ラコタは自由な人間だった。我々は自分たちの法律を定め、我々の意にかなうように物事を治めてきた。キリスト教の司祭や牧師は我々に言う。白人がやって来るまでは、我々は邪悪に生きてきたと。一体誰に落ち度があるというのだ?我々は正しいと教えられた通りにずっと生きてきた。我々はそれで罰せられるのであろうか?白人が私に向かって言うことが本当のことであるのか、私は分からない)
キャザーがこよなく愛したレッドクラウドの町や自然もこういう歴史が背景にあることを忘れてはならないだろう。
ネブラスカはアメリカの他の州と比べ、文学作品の舞台となるような魅力がある土地柄とは一般的に思われていなかったようだ。ニューヨークの批評家が当時の雰囲気を伝える次のような一言を発したことをキャザー自身が後年、明かしている。批評家は語ったという。「私はネブラスカで何が起きようが、たとえそれを誰が書こうが、知ったことではない」(“I simply don’t care a damn what happens in Nebraska, no matter who writes about it.”)。彼女のネブラスカに対する愛着が一層増したであろうことは想像に難くない。
(写真は上から、リンカーン郊外の住宅街。見渡す限りのコーン畑。ダウンタウンの古書店の店頭で寝そべる猫君)
ウィラ・キャザー (Willa Cather) ④
- 2011-07-22 (Fri)
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キャザーの「故郷」、レッドクラウド(Red Cloud)にはキャザーの業績を顕彰するウィラ・キャザー財団があり、希望者にはキャザーにまつわる史跡を見学するツアーを催していた。私より少し年配らしきアンジェラさんが案内してくれた。
レッドクラウドが今のような町として基盤が確立したのは1870年のこと。町名はアメリカインディアンのラコタ族の指導者で白人からも畏敬の念を抱かれていた人物、レッド・クラウドに由来するという。彼自身の名前は、生まれた時に空が深紅に染まっていたからこう命名されたとか。
レッドクラウドの目抜き通りはすぐに尽きる感じで、大通りに面したビルにも「空き家」が目立つ印象をぬぐえなかった。「なんか、寂しい感じですね。キャザーが暮らした当時の方が活気があったのではないでしょうか」「そうなんです。私もこの町に生まれ、育ちましたが、昔の方がもっと賑わっていました」。
彼女の説明によると、キャザーが住んでいた1980年当時はレッドクラウドの人口は約2500人。現在は人口1300人ぐらい。
「レッドクラウドの人たちはキャザーに対して、どういう思いを抱いているのでしょうか?」
「彼女が生きていた当時よりも格段にいい思いを抱いていることは間違いありません。私は彼女と実際に会ったことはありませんが、彼女はエキセントリック(eccentric)な人だったと聞いています。男の子のような服装をいつも好んで。無礼な(rude)人だったという風評もあります。通りで人に会っても、自分から挨拶するようなことはしなかったと。でも、彼女が親しくしていた友人たちはいましたし、そういう人たちとは長く友情関係を続けました。彼女がいたからこの町のことも多くの人に知っていただけるわけです。彼女が代表作でレッドクラウドの地名を実際に記したことは一度もありませんが」
キャザーがレッドクラウドの町で最初に住んだ家は現在、財団が管理していて、見学コースになっていた。1879年に建てられた二階建ての小さな家で、キャザー一家は1984年に越してきた。キャザーは7人妹弟の長子。二階の屋根裏部屋で大好きな読書に没頭したであろう彼女のベッドなどが当時のままに残されていた。
見学しながら、思わず「暑い」と口にすると、アンジェラさんは「キャザーが暮らしていた当時も暑かったと思いますよ。夏の夜は外のポーチで子供たちは寝たと聞いています。プレーリーの真っただ中で生きる生活は当時はそれこそ大変だったでしょうが、彼女はそれをロマンチックに描き上げた。だから、多くの読者の心を今につかんでいるのでしょう。年間ここにはざっと1万人ぐらいの見学者が足を運んでくれています」と語った。
(写真は上から、1885年に建てられたオペラハウスの1階にある財団の事務所。キャザーの著書や関連する土産物が並べられていた。上階はキャザーが演劇などに情熱を燃やしたオペラハウスの劇場。キャザーが住んでいたレッドクラウドの最初の家。二階の部屋を案内するアンジェラさん。奥の部屋のベッドをキャザーは使っていた)
車の運転
- 2011-07-22 (Fri)
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キャザーが生涯、心の故郷としたレッドクラウドを訪れた。アフリカでもそうだったが、地図を見ていると、アメリカが日本とは比較にならないぐらい広大な国であることをどこかで忘れていて、頭の中では単に地図上で二つの地点の距離を「測って」しまう。「ふーん、そんなに遠い感じではなさそうだな」と。
リンカーンからレッドクラウドもそうだった。「おお、近いではないか」と。しかし、この二つの距離は148マイル、キロにして239キロ。気軽に出かけられる近さでないことは分かっていただけられるかと思う。
主要都市間なら長距離バスという手もあるが、レッドクラウドのような小さい町を結ぶ便利なバスの便など存在しない。残る手はレンタカーしかない。覚悟を決めていたら、「渡る世間に鬼は無い」でここで出会い、親しくなった男性が仕事がその日は非番だから、自分の車で連れて行ってやると言うではないか。(余談だが、渡鬼で思い出した。日本を離れ残念なのはテレビドラマの「渡鬼」が見れないこと。あのドラマにはこの2年ぐらいはまっている。真は貴子さんとは一緒にならないのだろうか?いや、どうでもいいことだが)
「一石二鳥」だ。運転もさせてもらおう。助手席に交通法規に詳しい人が誰か乗っていてくれれば、助かる。それで、帰途は私に運転させてもらった。最初はさすがに緊張したが、独特の交通規則も丁寧に教えてもらって、だいぶ慣れた。ブライアンからも「お墨付き」をもらった。まあ、ネブラスカは日本で言えば、宮崎のような「田舎町」だから、運転は楽と言えば楽だ。(これは親しみを込めての表現です)
カリフォルニアで列車に乗り込んだ時、相席のご婦人たちが「ネブラスカはコーン畑のほかには何にもないわよ」とのたまっていたが、レッドクラウドの道すがら、いや、コーン畑だけではないことを実感した。行きは見とれていて、帰りは運転に専念したので、写真を撮ることができなかったが、大豆畑や牧草畑が広がり、牛が草をはむ光景は晴れ晴れとするものだった。
九州自動車道を走る時は時速80か90キロ前後で一番遅い車線を走っていたような記憶があるが、ここではインターステートと呼ばれる高速道路は時速75マイル(120キロ)で走ることが許されており、ほとんどの車がこの速度あたりで走行していたような気がする。いたしかたない。本当はゆっくり走りたいのだが、車の流れを無視するわけにはいかない。適当に合わせて走っていたら、2時間半ほどで帰り着いた。日本ならこの時間では片付かないだろう。一つだけ気を遣ったのは、車が市街地に入ると、最高速度が55、45、35マイルと頻繁に切り替わること。慣れない身にはその都度慌てさせられた。
(写真は、レッドクラウドも暑かった。通りの温度表示器は午後1時過ぎ、摂氏35度を表示。帰り際に見たら、37度まで上がっていた)
ウィラ・キャザー (Willa Cather) ③
- 2011-07-20 (Wed)
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『マイ・アントニア』では最初の結婚に失敗した後、貧しい農場の実家に帰り、やがて実直な男と再婚し、11人の健康な子供を育て、一家の大黒柱となる女性、アントニアの姿が描かれている。町の名前はキャザーが育ったレッドクラウドではないが、『おお開拓者たちよ』同様、レッドクラウドでの経験が素地となっている。このヒロインのモデルとなったのはボヘミア(チェコ)からの移民で、キャザーの友人の家でお手伝いさんをしていた女性だったことが分かっている。
物語の語り手である、多少、人生に疲れた感のある弁護士稼業の「私」はアントニアと幼馴染であり、彼女の生気あふれる美しさにいつもまばゆい思いをしてきていた。久しぶりに彼女と再会し、彼女を取り巻く溌剌とした子供たちを目にして「私」は納得する。
「彼女の息子たちが背も高く、真っ直ぐに育っているのは不思議なことではない。彼女はかつて私たちの祖先がそうだったように、生命力の豊かな源泉なのだ」と。It was no wonder that her sons stood tall and straight. She was a rich mine of life, like the founders of early races.
ここでも、たくましく生きる女性が瑞々しく描かれている。ずっと気になっていた素朴な疑問をネブラスカ歴史博物館でキャザー展を担当している学芸員のティナさんにぶつけてみた。「彼女の履歴を見ると、一度も結婚していない。彼女は常に親しい女性の友人と同居の暮らしをしている。彼女は今でいうゲイ(同性愛者)だったのでしょうか」
「おそらくそうでしょう。レッドクラウドでは今も、彼女が髪の毛は男の子のように短く切って、男性がかぶるような帽子を身に付け、女の子からは程遠い装いをしていたことが話題になることがあります」
「今のアメリカは州によっては男であれ、女であれ、ゲイ同士の結婚さえ容認される社会。彼女は生まれたのが1世紀早過ぎたのですね」
「そういうことですね。彼女は小さい時から聡明でシェイクスピアを愛読し、長い詩をそらんじることができたそうです。だから、彼女の母親はウィラを大学に通わせ、その才能を最大限に花咲かせようとしました。リンカーンにあるネブラスカ大学に16歳で入学します。卒業後は大学に残り、教壇に立とうとしましたが、独特の個性ゆえに一部の教授の不興を買ったのかその道を断たれます」
よく考えれば、彼女が生まれた1873年は日本で言えば、明治6年。日本でこのころ、女子に対する教育の大切さがどれほど認識されていたのか私は知らない。
キャザーはやがて女性雑誌の編集の仕事に就き、最終的にはニューヨークに移り、作家としての日々をスタートさせる。作品がヒットし注目を集めるようになっても、彼女はプライバシーを大切にして、脚光を浴びる場に身を置くことは好まなかったという。
(写真は、開催中のキャザー展で作家が好んだ衣服の特徴を説明する学芸員のティナさん。今見ても高価そうな衣服であることが分かる)
▼時折、英語の文章を掲載していますが、これは自分の英語力をひけらかすためではもちろんありません。この旅では旅先で出会うアメリカ人の方々にお世話になっており、彼らに私がなぜアメリカをさるいているのか、この旅でどんなことを感じているのか、理解してもらうために、恥をしのんで英語で書いています。彼らには右端の「Categories」のコーナーに「Random Thoughts」としてまとめたサイトを教えて、読んでもらっています。そういう事情です。私のブログは一つしかないため、「日英混合」となっております。以前にも記しましたが、私の英語はネイティブのチェックが入っていない、言わばJapalish(Japanese-English)の「粗悪品」です。できれば、すっ飛ばして、日本語のブログだけを読んで下さい。タバコではありませんが、「読み過ぎ」ると、皆様の英語力に害をもたらす危険性がありますことをご承知ください。
ウィラ・キャザー (Willa Cather) ②
- 2011-07-20 (Wed)
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『おお開拓者たちよ』は1880年代、ネブラスカの大平原にある小さい町が舞台となっている。バーグソン一家はスウェーデンから米国にやって来た移民だ。町の周辺部は同じスウェーデンやノルウェー、フランス、ボヘミア(現在のチェコ)などヨーロッパからの移民が多く、それぞれ独自のコミュニティーを形成している。バーグソン一家は父親が死の床にあり、父親は農場と一家の行く末を長女のアレクサンドリアに託す。彼女はまだ20歳の若さながら、自分がなすべきことを熟知している。読み進むと彼女が心身の強さだけでなく、美しさも兼ね備えていることが分かる。
彼女には3人の弟がおり、上2人は彼女のような度量もないが、末弟のエミルは容姿端麗に頭の良さも加わった青年に成長し、アレクサンドリアは彼を大学に進学させる。近隣の農家が都市部での安楽な暮らしを夢見て、次々に土地を手放して去っていく中、彼女はやがて大平原が穀倉地帯に変化すると見てとり、実際に、そのように豊かな農場経営者となる。寵愛するエミルの成長に、今や40歳に手が届こうとしている彼女は「お父さんの子供たちの中から、農耕作業に縛られず、農場とは異なる世界で世渡りすることができる者を育てた」と満足し、誇らしく思う。(Out of her father’s children there was one who was fit to cope with the world, who had not been tied to the plow, and who had a personality apart from the soil. And that, she reflected, was what she had worked for. She felt well satisfied with her life.)
しかし、一家の幸せは突然暗転する。エミルは実は人知れず、子供のころから幼馴染で二歳年上のボヘミアの少女、マリアに恋しており、20代半ばになった今も彼女に恋焦がれている。マリアは若気の至りで結婚した夫がいるのだが、もはやかつての愛情は感じていない。二人はお互いに愛を認めた後も自制的日々を送るが、初めて結ばれたその日の夜、嫉妬にかられた夫の銃でエミルとマリアは絶命する。アレクサンドリアはマリアも妹のように可愛がっており、彼女は一度にかけがえのない人を二人も失ってしまう。
アレクサンドリアにもずっと心が通じ合っていた幼馴染の男性で5歳年下のカールがおり、カールは悲嘆の淵にいる彼女に愛の手を差し伸べる。小説の大団円で彼女は彼と結婚して再出発することを決意し、次のように彼に語りかける。「私たちは生まれて、そして死んでゆくわ。でも、土地は常にここに残り続けるのよ。そのことが分かっていて、その土地を愛している人たちだけがそこを所有することを許されるのよ。(生きている)少しの間だけね」(“We come and go, but the land is always here. And the people who love it and understand it are the people who own it—for a little while.”)
新大陸にやって来た移民が形作っていくアメリカ合衆国。彼らの心の拠り所となったのは土地(land)だ。そのことがここに明確に表現されているような気がした。
(写真は上が、リンカーンの街角。下が、ホテルの通りにある温度表示。午後2時過ぎ華氏100度(摂氏37.8度)を記録した。体感温度は40度を超えるだろう。暑い!)
ウィラ・キャザー (Willa Cather) ①
- 2011-07-19 (Tue)
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ずっと昔の学生時代に読後感のとても爽やかなアメリカの小説を読んだ記憶がある。そう思って、今回の旅を前に、その小説を探した。作家の名前も小説のタイトルも恥ずかしながらすっかり忘れてしまっていた。アメリカに関わりのある何人かの人に尋ねたり、ネットで検索したりして探し当てようとしたが、不首尾に終わった。
探している過程で、“O Pioneers!” (邦訳『おお開拓者たちよ』)ではないかという指摘を受けた。1913年の作品だ。読んでみるしかない。どうも違った。同じ作家のもう一つの作品も読んでみた。“My Antonia” (邦訳『マイ・アントニア』)。こちらは1918年の作品だ。これも探していた小説ではなかった。
それでも、この二冊の本に出会えて良かったと思った。著者のウィラ・キャザーは1873年に米南部のヴァージニア州に生まれた。ヴァージニア州は当時まだ南北戦争の傷跡が生々しく、彼女の親類の中には南部の軍に加わって北軍と戦った者もいたが、父親は北軍に加担したため、南部支持派の周辺隣人との関係はかなり険悪だったという。
キャザーが9歳の時、一家は遠く離れたネブラスカ州のレッドクラウドと呼ばれる小さな町に越してきて、彼女はここで大学入学までの思春期を過ごす。大学も州都リンカーンにあるネブラスカ大学に進んでおり、ネブラスカの草原が彼女の魂を育んだ地と言えるだろう。彼女がレッドクラウドとそこに住むヨーロッパからの移民の人々をこよなく愛したことは作品や多くの文献から明らかだ。『マイ・アントニア』のヒロインのモデルとなったボヘミア(現チェコ)の移民の少女とは終生の友となる。
ネブラスカも彼女の功績を認知している。ネブラスカは1867年に合衆国に加わった州で、面積はともかく人口は180万程度小さな州だ。州都リンカーンの青空に一際高くそびえる美しい「ネブラスカ州議会議事堂」に足を運んだ。議事堂内には州の歴史の一端を伝える力強い壁画に囲まれ、州議会(一院制)、州最高裁判所があり、人気の観光スポットともなっている。ホールにはキャザーのブロンズ像も軍人、政治家の像とともに陳列されている。没後15年の1962年にNebraska hall of Fame(ネブラスカの殿堂)に選ばれたのを機に造られた。ブロンズ像の下に『おお開拓者たちよ』の一文が刻まれている。”The history of every country begins in the heart of a man or a woman.”(あらゆる国の歴史はそこに住む男や女の心の中から始まる)
リンカーンを訪れている今、幸運にもダウンタウンにあるネブラスカ歴史博物館で「ウィラ・キャザー展」が催されていた。展示会の副題にA matter of Appearancesと付けられており、彼女が好んで着ていた衣服や装飾品などから、彼女の生きた時代、彼女の人生をたどる企画展だった。しかも無料。この企画を担当したティナ・ケッペさんの説明に耳を傾けながら、しばし、キャザーの世界に浸ることができた。
(写真は上から、ネブラスカ州議会議事堂ホールにあるキャザーのブロンズ像。見とれるような議事堂。議事堂で毎日、来訪者を対象に定時に催されている見学会)
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