- 2011-08-08 (Mon) 12:28
- 総合
マーク・トウェインの本でまだ読んでいなかった本を読んでいて、これはやはり、セントルイスでミシシッピ川の乗船を体験しておいた方がいいと思いついた。
“Life on the Mississippi”という本だ。ミシシッピ川という単語を今、パソコンで打っていて、この川というか州の名前は昔、英語の試験によく出てきた単語だとふと思い出した。
再び、ミシシッピ川岸のラクリーズ・ランディングに。期待通り、遊覧船が出ている。乗船券は14ドル(約1200円)。乗った船は「トム・ソーヤ」と名付けられていた。カメラを手にした乗船客で賑わっていた。操舵室の係員がマイクを片手に、ミシシッピ川を蒸気船が上り下りしていた19世紀のセントルイスの様子を説明する。南北戦争(1861-65年)で下り坂になるが、それまではミシシッピ川を行き来していた蒸気船がこの都市の発展及び、西部開拓に大きく寄与したという。
トウェインの本名はサミュエル・クレメンズ。作家になる前の一時期、南北戦争直前、蒸気船に乗って働いていた。上記の本の中で、彼が育ったセントルイスから北西約160キロの町ハンニバルでは、子供たちにとってはミシシッピ川の蒸気船のパイロット(水先案内人)になるのが夢であったと書いている。ただし、パイロットの仕事は予想以上に困難極まりなく、彼はこの仕事が一人前に務まるようになるなら、”I’ll be able to raise the dead.”(死人を蘇生させることができるだろう)と嘆いてもいる。セントルイスからニューオーリンズまで約1200マイルのミシシッピ川は昼と夜で大きく異なり、また絶えずその「表情」を変化させる。どこに岩場や障害物が隠れているか熟知していないと、自身と乗客の命の危機を含むとんでもない災難が待ち受けていた。
今はそのような緊迫感は味わえないのだろう。遊覧客の世話をしていた若者に聞いてみた。「それは当時の話です。当時は川幅はもっと広く、全体的に浅かった。今のように、護岸工事もなされていませんでした。パイロットに要求された技量と経験は大変なものだったと思います」と若者は語った。
作家のペンネームは蒸気船が当時、安全に航行できた水深(2フィート、約3・6メートル)に注意を促すため、皆が”Mark twain.”(水深2尋)と叫んだことに由来する。
何気なく、操舵室の係員の説明に耳を傾けていたら、セントルイスに着いた時から気になっていたアーチ状のモニュメントの上部は観覧室になっているとの由。遠目には信じがたい。下船して近くまで行って見ると、観光客の長蛇の列ができていた。セントルイス以西の開拓の歴史を象徴する「ゲートウェイ・アーチ」。1965年の完成で最上部は192メートル。最下部の底部の左右の距離も192メートル。最上部まで左右の底部から計16の卵形のゴンドラのようなリフトで上がることができる。私のような閉所恐怖症には最初ちょっと気持ちが悪いが、最上部の窓からの眺めで相殺される、かな。これは10ドル。
(写真は上から、「トム・ソーヤ」号。「ゲートウェイ・アーチ」。最上部に観覧室の小窓が見える。その観覧室内部。そこから見えたセントルイスのダウンタウンの街並み)
- Newer: ミズーリー歴史博物館
- Older: セントルイス点描