- 2011-12-13 (Tue) 02:56
- 総合
前回エルパソが人口約60万人の大都市だと書いた。どうもそれよりももう少し大きいようだ。市の公式統計によると、人口782,541人。このうち、663.002人がメキシコなどのヒスパニック系であり、白人は81,652人、黒人が21,713人となっている。実に全人口の85%がヒスパニック系ということになる。
郊外のホテルから毎日バスに乗ってダウンタウンに行き、街の様子を見学した。バスの乗客も当然のことながら圧倒的にヒスパニック系の人々だ。スペイン語が飛び交っている。乗り合わせた青年、ロレンゾ君はエルパソの生まれ。彼は「自分の両親はメキシコ出身。子供の時は何度も行ったことがあるが、今のような危険な状況になってからは一度も行ったことがない。残念な状況だけど、貧しいメキシコの若者にとって、麻薬に手を染めれば、大金が手に入る。貧困が根底にあるから、簡単には片付かない問題です」と語った。
エルパソのダウンタウンを歩いていて、残念だったのは、ゆっくり腰を落ち着けるカフェやパブの類が皆無に近かったことだ。先に書いたように古びたシャッターが下りたり、テナントが逃げ出したようなビルも少なくないので、寂寥感は一層募る。
歩き疲れたころ、一軒の店が目に入った。パブのような感じだ。ドアを開けると、「いらっしゃい」と元気の良い声が飛んできた。小用をしたく、そう告げると、店の裏側にトイレがあると鍵を渡してくれた。店の裏に行くと、表からは分からなかったが、このビルが由緒ある建物であることがすぐに見てとれた。用を足し、店に戻り、カウンターの中にいる若者にこの感想を伝えると、彼は嬉しそうに店の入っているビルの歴史を語り始めた。
キップス君。31歳。彼はこの店をテナントして借りている経営者だった。「このビルはもともとホテルとして1926年に建てられました。1963年にはケネディ大統領が訪れてスピーチしています。今はオフィスビルとなっています。上の階のロビーを案内しましょう。当時の雰囲気がよく分かりますよ」
キップス君の店を出て周辺のビルを見上げる。右手には「プラザホテル」の高いビルが見える。1930年にオープンした当時は「ヒルトンホテル」と呼ばれ、コンラッド・ヒルトン氏が世界大恐慌の真っただ中、建設した最初のヒルトンだ。今は、新しくこのビルを購入した人がマンション兼オフィスビルとして改装していると聞いた。
「僕はエルパソの生まれではありませんが、ここが気に入って商売を始めました。よく思うんですよ。エルパソは例えて言えば、裏のガレージに捨て置かれたまま、誰もその価値に気づかない素晴らしいクラシックカーのようなものだと。エルパソのダウンタウンでは今、かつての賑わいを取り戻す動きもあるので、あなたが5年後に再訪したら、きっと驚くように変貌していますよ」とキップス君は語った。そうなっていればいい。
(写真は上から、ビルのロビーを案内してくれたキップス君。かつては「ヒルトンホテル」の第1号だったビル。メキシコの街の灯が見渡せる丘で出会ったアメリカインディアンの血を引く子供たち。親の了解を得て写真を撮らせてもらったら、この笑顔だった)