- 2011-11-22 (Tue) 02:19
- 総合
「ヘミングウェイはキーウエストでポーリーン夫人の富裕な伯父の援助で当時の一般の人々からは考えられない豊かな暮らしをエンジョイします。世界大恐慌の真っただ中のことですから」とキーウエストの図書館に勤務する歴史家、トム・ハンブライトさんは語る。
確かに、記念館となっているヘミングウェイハウスはシャンデリアあり、冷蔵庫あり、プールありといった洒落た住まいだった。当時のスタンダードから見れば、豪勢な暮らしぶりだったことがうかがわれる。「ヘミングウェイがここに住むようになったのはいろいろ偶然が重なってのことですが、今では地元の観光業への貢献大ですね。ヘミングウェイハウスはキーウエストのナンバーワンの観光スポットです」
医師を父親に音楽家を母親に生まれた作家の故郷はキーウエストから遠く離れたイリノイ州シカゴ近郊のオークパーク。生家は記念館として残されているほか、近くにヘミングウェイ博物館もある。博物館の展示品で印象に残ったのは、彼がアーニーと呼ばれた高校時代の卒業写真だ。ハンサムな顔立ちで、遠くを見つめるかのような真剣な眼差し。若きヘミングウェイが自分の人生に抱く希望と自信が見て取れた。写真の下には卒業記念アルバムに記されている文章の一文が紹介されていた。None are to be found more clever that Ernie.” (アーニーよりも賢い生徒は誰もいなかった) 。ずば抜けて聡明な生徒だったようだ。
ヘミングウェイはアメリカを代表する作家となり、『老人と海』を発表した翌年の1953年にピュリッツアー賞を、そして1954年にはノーベル文学賞を受賞する。しかし、華やかな人生は7年後に暗転する。1961年7月、最後の住まいとなったアイダホ州ケッチャムの自宅で彼は猟銃自殺する。ケニアでの動物サファリで遭った飛行機事故で重傷を負い、後遺症に苦しんだことや、精神を病み、うつ病にも悩まされていたという。
『老人と海』でサンチャゴ老人がカジキマグロの大物を仕留め、漁港を目指す途中、サメに襲われ、「応戦」する中であれこれ思うシーンがある。
“But man is not made for defeat,” he said. “A man can be destroyed but not defeated.” (「しかし、人間は打ちのめされるようにはできていないのだ」と彼は自分に言い聞かせた。「人間は命を落とすことはありうる。しかし、打ちのめされることはありえない」)
彼が最後に自死を選択したのは、being destroyedであっても、being defeatedではなかったのだろうか。いや、やはり、being defeated の末の行動だったのだろうか、などと私は上記の文章を目にした時、思いを馳せもした。文豪の苦悩など凡人の私には理解できようはずもないが。
(写真は上から、ヘミングウェイについて語るハンブライトさん。キーウエストは今も緩やかな暮らしに引かれ、移り住む作家が少なくないという。かつて灯台だった塔からヘミングウェイハウス記念館周辺を望む。真ん中の白い屋根がそのハウス。キーウエストの平均海抜は1.5メートルだが、ハウスがある地区は4.8メートルの「高台」ゆえ、過去の幾多のハリケーンによる洪水の被害も免れているとか。作家の高校卒業時の写真)
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