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ウィリアム・フォークナー(William Faulkner)②

  • 2011-11-04 (Fri) 05:22
  • 総合

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 クリスマスは生後間もなく祖父から施設に捨て置かれ、やがて、厳格な農夫夫婦に養子として引き取られる。養父母に隠れて、女遊びと酒を覚えるようになり、自由を求めて家を飛び出す。その後バーデンの屋敷の小屋で暮らし始め、彼女とも男と女の関係になる。バーデンは奴隷制度で成り立ってきたアメリカで、白人であることの罪の意識から解放されることがなく、クリスマスとの関係も単なる男と女の愛憎劇にとどまらない。クリスマスは結局、バーデンを殺害して逃走するが、捕まることを「期待」しているかのようにほどなく逮捕され、最後は白人の在郷軍人のグループにより射殺される。
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 次のシーンが印象に残っている。バーデンの祖父と異母兄が奴隷制度支持者により殺害された後、彼女の父親は二人を埋葬したが、その場所が地元の人々に分からないようにして埋葬したエピソードが明らかにされる。地元民が墓を掘り返し、遺体を冒涜することを恐れたからだ。クリスマスは次のように応じる。
 “Oh,” Christmas said. “They might have done that? Dug them up after they were already killed, dead? Just when do men that have different blood in them stop hating one another?”(「何ということだ」とクリスマスは言った。「連中がそうしたかもしれないって?二人は既に殺され、死んでしまっているのに、墓を掘り返したかもしれないって?いったいいつになったら、連中は血筋が違うからといってお互いを憎しみ合うのをやめることができるんだ?」
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 クリスマスの嘆きはその通りだ。一体、我々はいつになったら、人種や宗教、思想の違いによる憎しみ、不信感を克服することができるのだろうか。
 作家が亡くなる1962年まで住んでいた家は記念館として残されていた。邸宅は質素な二階建てで、木立に囲まれ、住み心地の良さそうな家だった。中に入り、最初に目についた陳列棚にはウイスキーの瓶があった。自分の「商売」には「紙とタバコと食料、それに少しのウイスキー」があればそれで事足りると語った作家の言葉が紹介されていた。
 私が訪れた時、他に来館者が数人いた。受付(案内)は男性が一人だけで、私が日本人と知ると興味を示し、「あなたは長野出身ではないですか」と聞いてきた。作家が1955年夏に長野県を訪れていたことぐらいは承知していたので、この質問には驚かなかった。
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 作家が長野県を訪れた時、すでにノーベル文学賞を受賞して氏の名声が高まり、彼は米国を代表する作家として遇されていた。米政府が作家を訪日させ、フォークナーは長野県で日本の大学教授や有識者と懇談する。その際、米文学の現状について尋ねられた作家は「私は文学者ではありませんから分かりません。私は農民です。田舎者です。書くことが好きですが、書いていない時は馬を繁殖させ、育てています」と答えたと伝記にある。ポーズでも謙遜でもなく、そう自分のことを思っていたようだ。
 (写真は上から、フォークナー邸。作家が作品を書いた部屋。真ん中にタイプライターが見える。書斎として使っていた部屋。本棚は作家自らが作り上げた。娘さんの部屋)

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