- 2011-10-27 (Thu) 07:59
- 総合
日本でも今なお人気のある小説 “Gone with the Wind”(邦訳『風と共に去りぬ』) は南北戦争の嵐が吹き荒れたアトランタが舞台となった作品だ。アトランタ生まれの作家マーガレット・ミッチェルが1936年に発表した。刊行直後に大ベストセラーとなり、3年後の1939年にはビビアン・リー、クラーク・ゲーブル主演で映画化され、これも大ヒットしたことは改めて説明するまでもないだろう。作品を読んだことのない人でも映画は見たことがある人は多いことかと思う。
この物語の書き出しは1861年4月で、奴隷制度の是非などを巡り、北部と南部が戦火を交える南北戦争の前夜だ。プランテーションと呼ばれる綿花を栽培する大農園で暮らすヒロインのスカーレット・オハラはフランス系の母親エレンとアイルランド系の父親ジェラードの血を引く16歳の美貌の少女。少年のように元気よく溌剌とした彼女の唯一の不満は自分が密かに思いを寄せている幼馴染でどこから見ても非の打ちどころのない好青年、アシュレーが全然自分を振り向いてくれないことぐらいだ。
スカーレットが生まれ育っている北ジョージアではサバンナやオーガスタ、チャールストンなど海岸部の都市と異なり、教育を受けているとか洗練されているとかは重要視されず、いい綿花を栽培するとか、乗馬がうまいとか、射撃の腕があるとか、ダンスに秀でているとか、実務的才があれば、それで十分に評価された。奴隷制度真っただ中の州であり、黒人そのものが例えば、黒人奴隷100人を抱えた白人農園主の元で雇用されていれば、その黒人奴隷の社会的ステータスは保障されているようなものであり、少人数の黒人奴隷しか雇用できない白人の小農園主を多くの黒人奴隷を抱えた農園で働く黒人は小馬鹿にしていたとも記されている。そういう時代だったのだろう。
誤解を恐れずに言えば、そういう大農園でこき使われる黒人奴隷、特に農園主の白人の子供たちとその世話をする黒人奴隷との関係は、単に「白人の主人と奴隷」以上の親密な関係にあった。ニューヨークで先日 ”The Help” という同じ南部のミシシッピ州の町を舞台にした映画を見たが、黒人に対する人種差別が依然として残る1960年代に、白人の女性が自分を愛情豊かに「育てて」くれた黒人の乳母に思いを馳せるシーンが、作品の大切な伏線となって描かれていた。“Gone with the Wind” で言えば、スカーレットと黒人奴隷の乳母、マミーの関係だ。南部のレディーとして逸脱した行動に出るスカーレットをことあるごとに厳しくかつ温かく諌めるたくましさの塊のようなマミー。これは当時の北部では考えられなかったような白人と黒人の「親密さ」だろう。
かつての奴隷制度や人種差別時代の米社会を「擁護」しているわけでは毛頭ない。小説自体、”nigger” とか “darky” といった現代から見ればタブーの表現や、黒人社会には到底受け入れることのできない記述も少なからずあり、そうした点は次に触れたい。
(写真は上が、当時作家が住んでいた「マーガレット・ミッチェル邸」。下が、展示品の一つで、彼女は当時このようなタイプライターで代表作を書き上げた)
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