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ゲティスバーグ

  • 2011-10-19 (Wed) 23:53
  • 総合

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 ペンシルベニア州にあるゲティスバーグ。南北戦争で米国の歴史上最も凄惨を極めた戦いが繰り広げられた地で、この戦いの4か月後、リンカーン大統領が当地を訪れ、これも歴史に残る「人民の人民による人民のための政治」という表現で知られる演説を行った。
 現地の国立墓地に立つ記念碑の文言を改めて読んでみると、”It is rather for us to be here dedicated to the great task remaining before us—and that government of the people, by the people, for the people, shall not perish from the earth.” とある。
 日本語に正しく訳すのは難儀そうな名文だ。
 リンカーンがここを訪れたのは戦争勃発3年後の1863年11月のこと。ゲティスバーグでは両軍がこの年の7月1日から3日間激突し、総計5万人前後の兵士が死傷、捕虜、行方不明になったと言われる。南北戦争自体、60万人以上が死亡した凄まじい内戦だが、ゲティスバーグでは少なくとも7000体の放置された兵士の死体に5000頭ほどの馬の死体も加わり、鼻を衝く死臭が戦いの数か月後まで漂ったという。
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 南北戦争勃発から数えると今年が150年に当たるため、ゆかりの地では多くの記念行事が催され、米国民の関心も高いようだ。私がこの日加わったゲティスバーグの史跡を訪ねるツアーバスの乗客約40人の大半も米国内各地からやって来たシニアのご夫婦だった。バスの中ではゲティスバーグの戦いを史実に沿って再現した歴史ビデオが上映されていた。南軍兵士が隊列を組んで進んでいく。丘の上では大砲や銃を構えた北軍兵士が待ち構える。南軍兵士の不利は歴然だ。当然のことながら、南軍の兵士は次々に倒れていく。私が思わず、「これは(集団)自殺行為だ!」と後部座席の初老の男性に叫ぶと、彼は「イエス、カミカゼ攻撃」と応じた。
 ツアーガイドは以下のことを述べていた。ゲティスバーグの戦いは南軍を率いるロバート・リー将軍がここで北軍に大打撃を与えることにより、和平、早期終戦の道を模索する思惑があり、あえて、北部の要衝の地まで進軍。それまで彼が連勝を続けてきたのは戦いの地が南部だったからであり、ペンシルベニアの兵士も参加したゲティスバーグでの勝利を望むには無理があった。リー将軍はこの戦いの後、南部に退却し、戦略を練り直すが、以降は敗色濃厚になり、1865年に降伏を余儀なくされる。
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 紅葉に時に目を奪われたツアーでは、両軍兵士の死体が散乱した「死の谷」と呼ばれる草地や、北軍が大砲の陣地を敷いた場所、当時のままに残る民家などを訪れた。
 余談を一つ。現地で手にした観光案内に「南北戦争資料館ではリンカーン大統領の演説が聞ける」と記されていた。私のツアーのプログラムにはない。昼食の時間に急いでその資料館に走ってみると、「いや、生録音ではありません。現代のテープです」との由。
 がっかり。リンカーン大統領の演説は時間にして2分間ほど。ガイドの男性は大統領の声は重厚ではなく、むしろ甲高かったと説明していた。ぜひ、聴いてみたかった。
 (写真は上から、南北戦争の戦跡が広がるゲティスバーグ。「死の谷」を眼下にする丘の上。リンカーン大統領の歴史的演説が刻まれた国立墓地の記念碑)

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