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ハーマン・メルビル (Herman Melville) ②

  • 2011-09-26 (Mon) 04:03
  • 総合

 ニューベッドフォードに来たら、ここに行こうと決めていた。ダウンタウンにある捕鯨博物館だ。一階の受付で訪問の意図を告げると、入場料を免除してくれた。クジラについて色々と学んだ。leviathan (リバイアサン、海獣)とも称される地球上で最大の動物のクジラが大きいことは承知していたが、巨大なクジラになると、人間2500人分、ゾウの40頭分に当たる200トンの重さになるという。
 目指すは『白鯨』のコーナー。作家のメルビルは1819年に生まれ、1891年に没している。彼が生きた時代はニューベッドフォードが先に書いたように世界の捕鯨業の中心地として栄えた時代とぴったり重なる。NY生まれの彼は生活苦から1940年にニューベッドフォードに来て、小説の語り手イシュメールのように捕鯨船の船員となる。
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 「メルビルがここに来た時は21歳の背の高い、十分な教育を受けていない男でした。彼の船は1941年1月に出港し、彼は途中で航海の厳しさから船から逃げ出すなど苦労を重ね、3年後の44年に帰港。船中で手に入るあらゆる本を読みふけり、帰港後も歴史から宗教、自然科学など幅広く勉強して、作家として独り立ちしました」「小説は二人の男の探求の物語です。自分の左足を食いちぎった白鯨を執念で追うエイハブ船長と、神秘に満ちたクジラと人生の真理を追うイシュメールの物語です」などと紹介されていた。
 再び図書館。小説をめくっていて、思い出した。私がこの小説を読破できたのは7、8年前のことだが、以下のようなクジラを食する国民として興味深い章に出くわして、この章がもっと早く出てきていたなら、もっと早い時期に読破できていたのではと思ったことを。「料理としてのクジラ」(The Whale as a Dish)というタイトルの第65章だ。
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 It is upon record, that three centuries ago the tongue of the Right Whale was esteemed a great delicacy in France, and commanded large prices there. (300年ほど昔、フランスではセミクジラの舌は大いなる美味として珍重され、高価な値がつけられたことが記録として残っている)The fact is, that among his hunters at least, the whale would by all hands be considered a noble dish, were there not so much of him; but when you come to sit down before a meat-pie nearly one hundred feet long, it takes away your appetite. (実は、捕鯨に携わる者の間では少なくとも、誰に聞いても、クジラが立派な料理であると認めることだろう。あれだけの量でないとしたらの話だが。30メートルも長さのあるミートパイを前にしたら、誰でも食欲が失せるというものだ)
 正直、私は欧米諸国が捕鯨に精を出したのは、クジラの肉を求めてのことだとずっと思っていた。だから、灯油あるいは潤滑油としての鯨油が目当てだったとこの小説で初めて知った。だから、第65章を読み終えた時は、思わず、「そうだろ。日本とノルウェーの捕鯨を少しは理解して欲しいよな」と心の内でつぶやいたものだ。
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(写真は上から、小説ではWhaleman’s Chapel と記されているSeamen’s Bethel教会。説教壇が船の舳先のようだ。メルビルが実際に座った信者席だという表示もあった)

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