- 2011-09-10 (Sat) 23:26
- 総合
フィラデルフィアからアムトラックの列車で北上すること約1時間半、ニューヨーク(NY)に到着した。
行方不明から戻ってきたスーツケースを結局、読売新聞社のNY支局に預かってもらうことにした。これでしばらく身軽に旅ができる。かつての同僚のNY支局長にいろいろ地元事情を説明してもらい、当面の宿に向かう。さすがにNYはホテルが手が出ないほど高い。フィラデルフィアのホテルと同じ系列のホテルを当たってみたが、一晩300ドル(約25,000円)を超す値段だ。こんなホテルに泊まっていたら、懐が干上がってしまう。
それで、若者が泊まるホステルをネットで探したが、それでも一泊70ドル程度。4人が二段ベッドに寝る相部屋で、バストイレは10人以上の同宿者と交代で使う。私がもう少し若ければ何でもないかと思うが、この歳になって20歳代の若者との「共同生活」もなんだかなあと思わないでもないが、懐事情を考えると我慢するしかない。
下らない前置きが長くなった。NYはさすがにNYだ。海外からの観光客で活気にあふれている。この日曜日があの9・11から10周年だ。物々しい警備といった感じではないが、通りには警察官の姿が目立つように感じた。地元の新聞やFMラジオでは11日に「テロの恐れ」とのニュースも流れていた。3人の男がそれぞれ車爆弾を使ったテロをNYで画策している、そういう可能性があるとの報道だった。
NYでは何人かの作家の作品を取り上げたいと考えているが、とにかく、9・11の「グラウンド・ゼロ」に足を運ばなくては。到着翌日の9日、地下鉄を乗り継いで「世界貿易センター」(WTC)のツインタワーが立っていた地点を訪れた。ここもカメラを手にした観光客であふれ返っていた。
「グラウンド・ゼロ」の道をはさんだ向かい側に、セントポール教会が立っていた。ここにも多くの観光客が出入りしているのが見えた。展示物を見ていて分かった。ここは9・11でWTCのビルが崩壊した時、奇跡的に大きな被害を免れたこと。被災者の救出活動が始まると、この教会がそうした献身的活動の前線基地となったことが。観光客の多くは犠牲者を追悼するリボンにメッセージをしたためていた。
ほどなく、教会内で追悼コンサートが始まった。NYの若者グループだ。ピアノの演奏でさまざまなジャンルの歌を披露してくれた。40人ぐらいはいたであろうか。10年前には小学生ぐらいだったのだろう。彼らの顔を見ていて、ふと思った。白人、黒人、アメリカインディアン、ヒスパニック系、アラブ系、日系、中国系、韓国系と、実に多様な顔付きの若者たち。こうした場で彼らに「出自」を尋ねるのは適切ではないだろう。彼らは皆「アメリカ人」なのだ。そしてそれを誇りに思っていることも容易に見てとれた。
(写真は上から、観光客で賑わうNYのタイムズスクエア。「グラウンド・ゼロ」の地点では、新しいビルの工事が進んでいた。セントポール教会で催されていた若者グループのコンサート。木立ちに囲まれた教会の霊園は涼やかで気持ちも癒される感じだった)
- Newer: ニューヨーク雑感
- Older: エドガー・アラン・ポー (Edgar Allan Poe) ③