- 2011-09-06 (Tue) 13:29
- 総合
1809年にボストンで生まれ、1849年にボルティモアで没しているから、19世紀前半のアメリカを駆け抜けた作家だ。彼に酔心して「江戸川乱歩」と名乗った日本人推理作家を通して、ポーに出会った人もいるかもしれない。正直に言うと、幾つかの短編以外はどうも理解しづらいところがあり、私には難解な作家だ。
ポーの一般的イメージとしては、「破滅的な生活を送った詩人」あるいは「怪奇な幻想的世界を構築した作家」「推理小説のジャンルを確立した才人」などといったところだろうか。阿片中毒説や人格破綻者といった中傷などから、本国では世紀が変わり、第1次大戦後まで正当に評価されることはなかったが、フランスを中心に海外では熱心な信奉者がいた。
私は前回記したように、1974年に留学していた時、たまたまフィラデルフィアでポーが住んでいた家を訪れたことがあった。その時の「恩義」があり、今回の文学紀行の題材の一つにした次第だ。
ポーはともに旅役者のアイルランド系の父親とイングリッシュ系の母親の間に誕生。しかし、父親は生後すぐにいなくなり、母親も彼が2歳の時に死亡したため、彼は養父母の元で育てられる。厳格な養父とは後年そりが合わなくなったようで、特にポーが酒が飲めない体質なのに酒を覚え、ギャンブルに手を出すようになってからは二人の関係は冷え切ってしまう。その後、伯母のクレム夫人の寵愛を受け、ポーは33年、まだ13歳だったクレム夫人の娘でいとこにあたるヴァージニアと結婚する。
養父の庇護にあった時は大学や士官学校で学んだこともあったが、雑誌の編集の仕事を経て、本格的に作家の道を目指す。ただ、作家としてその名が広く知られるようになってからも貧窮の中での生活を絶えず余儀なくされたようだ。
彼が結婚後にフィラデルフィアで住んでいた家の一つが今では国の史跡に指定され、記念館のようになっている。独立宣言にまつわる史跡を見学する観光客で賑わう中心街から7番通りを北に向かって歩く。段々と人通りが少なくなる。歩いている人はほとんど見かけなくなる。夕暮れにはあまり周辺は散策したくないような印象だ。”Edgar Allan Poe National Historic Site” という案内表示が見えてきた。おお、ここだ、ここだった。
説明文を読むと、ポーは1843年から44年にかけ、この家でクレム夫人、ヴァージニアの三人で暮らしていた。この家に住んでいた時、彼の代表作の一つと見なされる短編『黒猫』(The Black Cat)や『黄金虫』(The Gold-Bug) が発表された。ポーがここで暮らした日々は彼の短い人生で最も幸せな期間であったのだろう。だが間もなく、病弱のヴァージニアは当時不治の病だった「結核」で寝たきりの生活に追い込まれていく。妻の病気もあり、ポーは控えていた酒に再び手を出すようになり、彼自身が「狂気」と「ひどい正気」 “horrible sanity” の連鎖と呼んだ日々にさいなまれていく。
(写真は上が、国の史跡になっているフィラデルフィアの一角にあるポーの住居を示した案内表示。下が、その家。来訪者はドアノッカーを一度たたくことになっていた)
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