- 2011-09-04 (Sun) 09:27
- 総合
首都ワシントンは思ったよりのびのびした印象の都市だった。一つには、シカゴで見かけた超高層ビルが皆無だったことに起因しているのかもしれない。何でも、昔から法令により、中心部のモールの一角に立つThe Capitolと呼ばれる国会議事堂より高いビルは建築できないようになっているとか。
それもあって、都市全体の見通しがよく、緑や公園も多く、何だか、ほっとした気分にさせられる感じなのだ。このあたりの都市計画はさすがと言うべきだろうか。
数日間の滞在だったから、欲張らずにかなりの時間をスミソニアン博物館の中の一つ、国立自然博物館 (National Museum of Natural History) で過ごした。ここ一つだけをじっくり見学するだけでも二三日必要かと思うほどの中身の濃さだった。私が特に興味深く見たのは、Race と題した特別展示だった。
すでに何度も書いたと思うが、私は人種(レイス)、民族(ネーション)、部族(トライブ)、エスニシティーと呼ばれるものにずっと関心を抱いている。人はなぜ、肌の色が異なるだけで違和感を覚えるのか、不信感を抱くのか。アメリカに関して言えば、白人はなぜ、黒人やアメリカインディアン、アジア系の人々を差別してきたのか。
特別展では、人は皆、同じ祖先を持つとの観点から、人種的差異にこだわることの無意味さ、愚かしさを指摘する一方、歴史的には目に見える人種的差異から奴隷制度が生まれ、民族迫害が至るところで起きたことを紹介していた。さまざまな肌の色のアメリカ人が自分の人生を振り返るビデオ映像のコーナーで見た白人男性の回想が印象に残った。1951年南部ミシシッピ州生まれのこの男性は自分が6歳の時に何気なく体験し、それが自分のその後の人生を「規定」したエピソードを語っていた。以下がその概略だ。
暑い夏の日、クリスチャンで教養豊かで心優しい近所の婦人の家で、黒人の庭師と話をしていた。ジョーという名の70歳代の庭師だった。婦人が近づいてきて、何を話しているのと尋ねた。当時、私たち子供は目上の人には男性ならMr、女性なら Mrsと名前の前に付けることを躾けられていたので、私は “I was talking with Mr Joe….” と説明し始めたら、優しさの塊のような婦人は顔をしかめて私に、”Joe is not a Mr. Joe is a n―.” という今ではタブーのNワードを使って、黒人にMrの敬称を付けて呼ぶことをたしなめた。私は6歳のこの時、自分たち白人は黒人より優れていて、彼らより優位な立場を享受するのは理の当然なのだと認識した。そしてその認識のまま、何の罪悪感もなく大人となった。1988年、キング牧師暗殺20周年の特集番組をテレビで見ていて、60年代にキング牧師や黒人の人権活動家を罵っていた白人の群衆が映し出された。彼らは私の父であり、伯父であり、そして私自身だった。私は自分が「加担」してきた罪に初めて気づかされた。
私の側では黒人の女性が一人、頷きながらこのビデオに見入っていた。
(写真は、ワシントン中心部の公園にあるキング牧師の像。今夏完成したばかり。多くの観光客で賑わっていた。首都の新たな観光名所の一つとなることは間違いないようだ)
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