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セオドア・ドライサー(Theodore Dreiser)⑤

  • 2011-08-27 (Sat) 12:13
  • 総合

 ”An American Tragedy ” は20世紀初頭のアメリカの貧富の差が背景にある作品だが、米国民の貧富の差は今日に至っても歴然としているようだ。いや、その差は拡大しているとの新聞報道をつい最近見かけた。その記事は、この国の会社役員給与と社員平均給与の格差がこの30年の間に42対1から300対1に拡大したと憂えていた。
 また、日本同様、若者にとって仕事を見つけることが大変な状況がこのところずっと続いている。高校や大学を卒業したら、両親の元を去り、社会人となり独立するという図式が当てはまらなくなっているようだ。大学卒業後、親元に戻り、一緒に生活しながら、仕事の口を探す傾向が定着しつつあると聞いた。日本だったら、そう珍しくないが、この国では一昔前には考えられなかったことだと思う。
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 閑話休題、”An American Tragedy ” は石川達三の著書『青春の蹉跌』に似ているとどこかで読んだような記憶がある。彼は私が昔好きだった作家だ。学生時代に読んだ記憶があるが、もう大方忘れている。再読してみた。年齢を重ねて同じ作品に接すると、時として若い時には感じなかったことに気づいたり、新たな発見があったりするものだ。読書の魅力の一つだろう。『青春の蹉跌』もそうだった。興味深く再読することができた。
 この作品の主人公、江藤賢一郎は「立身出世は自分に当然約束されているもののように思っている」大学生であり、母一人子一人の貧しい暮らしからの脱却を夢見て、学問、それも専攻する法律分野だけの学問に励み、見事に難関の司法試験に合格する。それまでの学費を支援してきた後ろ盾の裕福な伯父には気位の高いお嬢様の娘の康子がおり、賢一郎の母親や伯父はこの娘との結婚を望む。ここまでは前途洋洋だったが、賢一郎には抗しがたい肉体の欲求から手を出した家庭教師時代の教え子の少女がいて、この少女が妊娠する。
 少女は家庭的な不幸もあって、賢一郎に必死に結婚を迫る。康子との内祝言を控え、自分が描いてきた「立身出世」の夢が崩壊することを恐れた賢一郎は転落への道を歩んでしまう。人間としての情を感じない賢一郎の性格や生き方に終始、憂鬱な気持ちで読んでいった。クライドに対して感じたのと酷似した憂鬱さだ。こちらの方は最高学府で学んでいるのだから、より「罪」が深いかもしれない。
 40年以上前の1968年に書かれた『青春の蹉跌』の底流にある青年期のエゴイズムは ”An American Tragedy ” 同様、普遍的なものなのだろう。
 余談になるが、私は新聞記者に成り立てのころ、東京・田園調布に住む石川達三邸を(文化部記者の助言でマスクメロン2個を手土産に)訪ね、自分が手がけていた連載企画の関連で取材したことがある。今は亡き大作家は私が恐る恐る口にした拙い質問に慈父のように穏やかに答えてくれた。あの時のことを懐かしく思い出す。
 (写真は、シカゴの中心部の昼下がり。ここで「不況」を感じることは難しい)

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