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英語でさるく 那須省一のブログ

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好事魔多し

20170312-1489284585.jpg 宮崎から鹿児島を経由して帰福した。鹿児島・南大隅町ではほぼ2年ぶりに再会した地元の人たちと歓談した。普段控えている酒(焼酎)を2夜にわたってたっぷり頂いた。
 当初の目的は辺塚という地区にある稲尾岳神社に恒例の参拝の山登りをすることだった。新聞社勤務時代の取材が縁となり、毎年のように参拝していたが、ここ数年遠ざかっていた。それで今年こそはと満を持して足を運んだのだが、残念ながら、肝心の参拝は連絡の不手際で前週に終わっていた。残念! また来年再挑戦しよう。
 辺塚地区を旧知のTさんの車で走っていて驚いたことが一つ。猿の群れが住宅地のそばにある田畑を我が物顔で駆け回っていたことだ。佐多岬の周辺で見かけたことはあるが、辺塚周辺では初めて。過疎の集落を見極めたかのように振る舞っていた。私の宮崎の故郷ではまだ山猿の群れを見ていない。時間の問題? 村起こし、地区起こしに使えないものか?
                  ◇
 久しぶりの痛飲とは関係ないかと思うが、どこかに油断があったのだろうか、福岡に戻って直ぐに体調を崩した。どうも風邪を引いたみたいだ。好事魔多し、とはよく言ったものだ。体温を測ると、36.7度。普通の人には平熱に過ぎないかもしれないが、平熱が35.7度の身にはこの1度の差はきつい。本当なら病院に駆け込むべきだったが、何となく尻込みしてしまい、まあ寝てれば直るだろうと見くびったのがいけなかった。
 翌朝に体温が37.7度に上昇。トイレに立つ時、軽い悪寒がした。急いで薬局に走り、風邪薬を買い求めた。この期に及んでも病院に向かわないのが情けない。早く熱を下げないことには仕事にならない。これから新学期の授業の準備を本格化させようと思っているからだ。その前に済ませることが一つあった。これも大事な要件だった。
 その要件とは、これまで教えていた女子大の謝恩会。学生からメールが届き、ぜひ参加してくださいと誘われていた。私はこの大学で4年間、教えてきたが、謝恩会の声がかかったのは初めて。ぜひ、参加しなくてはと思い、今では着ることが皆無に近いスーツをクリーニングにも出していた。革靴も新たに買い求め、準備万端と思っていた矢先の発熱! 前日になっても熱が引かない。唯一の救いは食欲までは失せていないことだった。
 それでしっかり食べ、薬を飲み、寝ることに専念した。謝恩会当日の朝。まだ熱が引かないが、何とかなりそうだ。それで会場に向かった。初めて会った先生方やこの日卒業式を終えたばかりの学生たちと楽しく歓談した。私は週1、2回の授業を担当した非常勤講師に過ぎなく、しかもこの一年間は彼女たちとの授業はなかったので、正直言って、顔と名前が一致する学生は数える程度。それでも、結構顔は見覚えがあるし、名前を聞けば、記憶には残っている。「先生、私のこと覚えていますか?」とか「先生、〇〇の近くに住んでませんか。何回か、先生が歩いているところを見ましたよ」などと言われた。今、このブログを書いていて、思い出した顔もある。平熱だったらもう少しましな対応ができたかも?
 帰宅後、学生たちからもらった花束を花瓶に入れて、芳香を楽しんでいる。花瓶に花を挿すのは随分久しぶりだ。いかに潤いのない暮らしをしているか露呈しているようなものだ。ともあれ、彼女たちの人生に幸あれ、と心から願う。

粗食を決意!

 NHKラジオの語学講座の素晴らしさについて書いたかと思う。本当にいい語学講座が目白押しだ。先週辺りから英語関連の講座もなるべく聞くようにしているが、リスニング力の鍛錬にもなる。時間帯を参考までに記すと、月―金の夜9時台に基礎英語のIからIII、それにラジオ英会話が15分刻みで連続放送されている。テキストがなくても楽しめる。
 韓国語と中国語の講座をはさんで11時台になると、今度は5分10分刻みで少し上級の講座がある。そうした講座の一つで講師が「頑張って!」は英語ではどう表現?と尋ねていた。色々な表現が可能だが、通常のケースなら “Good luck!” でOKと説明していた。なるほどその通り。「勉強頑張って!」なら “Good luck with your studying!”、「試験頑張って!」なら “Good luck with your test!” となる。
 こうした表現は私もそうだが、日本人が比較的苦手とするもの。11時台の講座の一つか二つ、時々暇がある時に耳を傾けるだけでも参考になるかと思う。
                 ◇
 最近少し太り気味で気になり始めている。禁酒は以前続けているのだが、旺盛な食欲があだとなっているようだ。腰回りが情けない。何とかしなくてはいけないと思ってはいるが、どうも今のライフスタイルではいかんともしがたい感じだ。そう思っていた先日、とあるところで『粗食のすすめ レシピ集』(幕内秀夫著 東洋経済新報社)という本を見つけた。パラパラめくってみると、役に立ちそうなことが書いてある。早速買い求めた。
 冒頭の頁に「粗食こそ健康の基本」と訴えている。全く同感。「食生活改善の十か条」として、①ご飯をきちんと食べる②酵素食品を常に食べる③パンの常食はやめる————などと記してある。①は説明の必要がないだろう。②はみそ汁、漬けもの、納豆などの酵素食品を常食するようにしようということ。私はみそ汁は大好きだが、納豆からはずっと遠ざかっていた。それでこの本と出合ったのも「神の摂理」(providence)と考え、これからは朝食には基本、納豆を欠かさないことにした。そうすることにより自然と③のパン食は控えるようにもなる。この本では次のように警告している。「パンはよほど選ばないと、砂糖や油脂類だらけでお菓子と変わりません。副食も野菜炒め、ハムエッグなどと油だらけになりがちです。どうしても食べたかったら日曜日程度にすべきです」と。はい、これからはそうします。
                 ◇
 『変わった家族』というタイトルの韓国のドラマを暇に任せて見ていると少し以前に書いた。あまりにべたな内容にあっけにとられながら見ているということを。いやはや、これが日本のドラマだったら絶対に見ないと思う。絶対に。
 全149回という気の遠くなるような連続ドラマで、私が見始めたのは80回を過ぎていた頃か。初めは韓国語のリスニング力をつけるために時々見ていたのだが、あまりのべたさにいつの間にか毎晩見るようになっていた。今週金曜夜の放送が137回だったから、来週の月―金はいよいよ大団円に近づく。だが、私は残念ながら今週末から一週間かそこら福岡を留守にしなくてはならない。嗚呼残念。帰福したら、もう最終回に近いはずだ。また、想像力を逞しくして留守中の展開をあれこれ推察するしかない!

耐震補強工事が必要な日中関係との説

 新学期からは非常勤講師の仕事先(大学)が変わる。運よく新しい職場を授かった。授業内容もこれまでと少し異なる。それで、新しい授業の場で学生の英語学習に役立つ情報をできるだけ盛り込もうと今、あれこれ考えていて、NHKラジオの語学講座を思い出した。
 はるか昔の高校生時代、私はNHKのラジオ英会話の講座で英語の基礎を鍛えてもらった。今も感謝している。毎月テキストを買って、ラジオの音声に耳を傾けた。今は故人の松本某という日本人の先生と英語ネイティブのアシスタントがテキストを離れてやり取りする雑談が最初は全然理解できず、歯がゆく思ったことを覚えている。
 今でも似たような講座があるみたいだ。それで韓国・中国語の講座を聞くついでに英語関連の講座を幾つか聞いてみた。これが実に楽しくて参考になる。さすがに今は手元にテキストがなくともリスニングに何の支障もない。そうだ。学生にこうした講座を聞くようにアドバイスする手もある。授業にも活かせるかもしれない。
                  ◇
 『新華僑四〇年の履歴書 この日本、愛すればこそ』(岩波現代文庫)。面白く読み終えた。著者の莫邦富(モー・バンフ)氏は上海外語大で日本語を専攻して以来、40年にわたって日中関係の良化を願い、ジャーナリスト・作家として大活躍されていることを知った。
 例によって、マーカーを走らせた個所を列記したい。第17章の<「日中関係」というビルに耐震補強工事を加えよう>という個所から、適宜、途中をはしょって紹介————。
 文化大革命で崩壊寸前の状態に陥った中国経済が見違える成長を続ける。(中略)日本の輝かしい戦後の発展の歴史を振り返れば振り返るほど、日本の停滞ぶりと中国の躍進ぶりに改めて隔世の感がする。アジア一強時代の幕が下ろされ、新世紀の地平線に二強時代の曙が見えた。日本も中国もアジアの他の国々もこの歴史的な流れの変化を敏感に読み取った。それが、日中関係がギクシャクの度合いを増す根本的な原因だ。
 日中友好時代は終わった! しかし、恐れることはない。日中両国の国民がともに力を合わせて、平和的な両国関係を築けばいい。私たちが直面しているのは、歴史問題ばかりではない。やがて訪れてくる東アジア経済共同体、アジア連合(AU)、アジアの共通通貨といった前向きの課題もたくさんある。いずれも日中間の共同認識がないと実現できない。

 二〇年または三〇年後、日中両国が東アジア経済共同体あるいはアジア連合の実現に向けて一緒に汗を流す日がきっと訪れてくれると私は信じたい。
 ハードの分野では、中国に追い付かれて日本が苦労している場面が増えているが、ソフトの面では、日本がまだまだ中国の先を走っている。(中略)国民同士の草の根レベルの交流がより密接に行われる必要がある、と思う。より多くの中国人観光客が日本を訪問することを私が喜ぶ理由もそこにある。旅行などを通して日本社会がもつそのソフトパワーを体感し、日本に学び続ける必要性を理解してもらえると思っているからだ。同じことが日本人に対しても言える。中国を見下すことに慣れた日本と日本人は、猛烈に追いついてきた中国社会の変化を謙虚に受け止め、そこから学ぶべきものを探し出すという意識を持つべきだ。

 全くもって同感。いい本に巡り合ったと感謝したい。谢谢(謝謝)。

母音は五つに過ぎないが・・・

 幾らか春めいてきた気がする。昨日は本当に久しぶりに暖房なしでソファーに寝そべり、読書に勤しんだ。もう何度も書いているが、私の住むマンションの5階は西日が半端ではない。日の光が私のつぶらな瞳を直撃するのを避けるために、ハンチングを目深にかぶり、本に向かった。これからの季節は午後の遅い時間がポカポカとして嬉しい。私にとっては至福に近いひとときだ。
                  ◇
 今読んでいるのは、『新華僑四〇年の履歴書 この日本、愛すればこそ』(岩波現代文庫)。書店でたまたま目にとまった本であり、著者は莫邦富(モー・バンフ)氏。1953年生まれだから私と同世代だ。作家、ジャーナリストで、上海外国語大学卒業後の85年に来日。『新華僑』『蛇頭(スネークヘッド』など著書多数。今回初めて知ったが、日中関係ではかなり知られた人物のようだ。
 莫氏は高校生の頃、あの文化大革命に遭遇する。広く知られている通り、中国の人々が知的欲求を満たすには過酷な時代だった。下放から休みで上海に帰郷した際に、著者は書店で日本語ラジオ講座のテキストに偶然出合う。以下の記述がある。テキストを開けてみた。五十音図がある。ひらがなの「あいうえお」などは訳の分からぬ奇妙な符号にしか見えない。だが、その符号の下にあるローマ字表記は読めると思った。a 、i 、u 、e 、o ・・・すぐ読めたので、かえって不思議に思った。日本語はこれほど簡単でわずか五つしかない母音を使って構成された言語なのか。人間の豊かな感情を表わすのに必要なたくさんの言葉を、日本人はどうやって作り上げたのだろう。この母音の少ない日本語を使って愛という繊細かつ微妙で豊かな感情を若い女性はどうやって吐露するのだろう。
 中国語の独学に苦悶している身として、この述懐にはしばし考えさせられた。母音のくだりは著者の指摘の通りだが、日本語には縦横無尽に使える係助詞がある。だからその分、語順にはそう束縛されることはない。中国語にはそうした自由さはないのではないか。私はいまだに中国語が単語の「ぶつ切り」の寄せ集めにしか思えないことがある。もちろん、そのうちに係助詞などなくとも十分流麗な言語であると感じられるようになるのだろうが。
 著者は上海外大で教えていた81年に日本政府の一か月間の研修招待で初来日する。そして4年後の85年には大学の指示で今度は留学を命じられる。行く先は古都京都の京都外大。京都外大を初めて訪れた際の記述が印象深い。
 著者は昼時のキャンパスを見て、涙をこぼしそうになったという。涙腺が緩くなったわけではない。学生たちがキャンパスで思い思いにランチを頬張り、談笑する光景にショックを覚えたのだ。文化大革命を経験した著者には大学でのそうした光景は考えられないことだった。悔しかったのだ。なぜ私の大学時代にはこうした平和なひとときがなかったのか。それを考えると、自分たちは時代に恵まれていなかったのだと思い、抑えきれず涙がこぼれそうになったのだ。
 先述した通り、私は莫氏と同世代だが、私の学生時代は実にのほほんとしたものだった。莫氏のそれと比較することすら憚られる思いだ。

"Look at me."

 大学の定期試験の評価作業も終わり、新学期が始まるまで静かなときを過ごすことができる。蓄えが豊かであれば、非常勤講師などの仕事に頭を悩ますこともないのだが、そうもいかない。だが、仕事がなければ、世間とは全く没交渉になる。小人閑居して不善をなす。健康である限りは仕事があるだけでありがたく思うべきだろう。とはいえ、しばし自分だけの時間に没頭できるのは嬉しい。
                  ◇
 新聞社勤務時代の同僚からメールが届いた。安倍・トランプ会談の際に両首脳がメディア用に披露した握手の光景(http://www.bbc.com/news/world-europe-38935923)を見たかと。凄く笑えるもののようだ。BBCやCNNが何か流していたのは知っていたが、そう興味もないので、見てはいなかった。それで改めて見ると、確かに爆笑ものだった。思い出すと、今も込み上げてくる笑いを抑えることができない。
 BBCの記事には “Look at me” Trump and Abe’s awkward handshake という見出しが付いていた。日本のメディアがこの握手の光景をどう報じているか知らない。BBCでも awkward と報じていたが、なぜそうなったのかまでは詳述していなかった。事情はこうだ。日本のメディアが写真(動画を含め)撮影のため、「こっちを見てください」と口々に叫んでいたため、日本語を解さないトランプ大統領が安倍首相に「連中は何と言っているんだい?」と尋ねた。安倍首相は、彼らは” “Look at me.” と言っているのだと「手短に」訳した。大統領はこの発言を首相が自分を見てくれと言っているのだと誤解して、にっこり微笑んでしばし首相を見つめた。美女に見つめられるのならともかく、相手がトランプ大統領では・・・。安倍首相の困惑し切った表情がいやはや笑える、笑える。
 願わくは真剣な交渉の場で、致命的な意思疎通のズレが起きないことを。
                  ◇
 前回紹介した定期試験の英訳問題。「あなたはイチロー(選手)を知っていますか」という文章の英訳を課せられたら、おそらく多くの日本人がためらうことなく、次のような英文にするのではないだろうか。“Do you know Ichiro?”
 しかし、これだと「あなたは(個人的に)イチロー選手を知っていますか?」という意味合いとなってしまう。メディアで一挙手一投足が話題になるあのイチロー選手を知っていますかという、普通の意味で尋ねるとしたら、“Do you know who Ichiro is?” あるいは “Have you heard of Ichiro?” と尋ねるのが正解だろう。そうすれば、英語のネイティブスピーカーは “Yes, I know him.” とか “Yes, of course. He’s a famous baseball player.” などと応じるかと思う。
 昔、クレジットカードのCMでプロゴルファーのジャック・ニクラウス氏が “Do you know me?” と視聴者に語りかけるのがあった。あれは本人がテレビ画面を通して直接視聴者に語りかけているのだから不自然ではないのだろう。
 外国語学習には思わぬ「落とし穴」が待ち受けている。中国語を独学していてそう思うことがしばしばだ。中国語では漢字の「トリック」みたいなものだ。

昭和92年なんだ!

 日めくりカレンダーを貰ったので、柱に取り付けている。気づくと何日もめくっていないことがあり、慌てて何枚もめくることがしばしばだ。昨日もそうだった。めくりながら、嗚呼、明日は私の誕生日だ。63歳か。そう思いながら、日めくりカレンダーの上部に目をやると、平成29年、そのわきに昭和92年と記してある。え、昭和が続いていたら、昭和92年になるのか、今年は! 私は昭和29年の生まれだ。今年は平成29年。そして昭和なら昭和92年。何だか数字のマジックみたいに思えてしばし考え込んだ。
 その平成も天皇陛下の生前退位の希望を受け、やがて新しい元号〇〇になるようだ。平成の世は幕を閉じることになる。平成はどういう時代だったと記憶(記録)されることになるのだろうか。私たちの世代は昭和の世に青春時代を送り、平成の世に仕事に精を出した。やがて来る〇〇の世に高齢者として生きることになる。昭和の世は紛れもなく戦争の時代であり、アジアの民衆に現在に至る禍根を残すこととなった。平成は幸いにも戦争を経験することなく泰平の世ではあった。新しい〇〇の世は政府・民間レベルで近隣諸国と親密な友好関係を構築することができるのだろうか。
 私は新元号の〇〇29年まで生きていることはないだろうが、(本当は生き長らえているのではないかとも思えて仕方がないのだが)その時に社会の第一線で活躍している人たちが、私の世代とは全く異なる感慨を抱いていて欲しいと切に願いたい。
                 ◇
 長年愛用してきた冬物のジャケット。左ひじのところが少し綻びてきた。着心地が良くて温かいのでお気に入りのジャケットだった。少し虫食いもあり、もう捨てるしかないかと思ったが、捨てるにしのびず、ジーンズの修復を頼んだことのあるリフォーム店に持って行き、相談してみた。そのお店のおばちゃんと話していて気づいた。私はそのジャケットをもう30年以上も着ていることを。東京にいる頃購入して、アフリカ特派員だった時代にこれを着て南アフリカ取材にも出かけたことをよく覚えている。
 30年以上も着続けることができたのだから、もう十分もとは取ったと言えるだろう。それでも、目立つ綻びさえ上手く隠せれば、普段着としてならまだ十分利用可能。断捨離で不要なものは少しずつ捨ててきているものの、なぜかこれは・・・。
                 ◇
 平成25年4月以来教えていた大学での非常勤講師職が今月で終わる。私が教えていた学科の廃止に伴う措置で、残念ながらのお別れだ。先週最後の定期試験を実施した。丁度4年が経過したことになり、私も「卒業」の春を迎えることとなった次第。
 この4年間の非常勤講師職は非常に勉強になった。学生よりも私の方がより多くのことを学んだのではないかとさえ思っている。私なりに一生懸命に教えたつもりだ。少しでも役に立ったことを祈りたい・・・。定期試験で出した英訳問題を一つ。「あなたはイチロー(選手)を知っていますか」。これは英文ではどう表現するのだろうか。英語を教える教壇に立っていなかったなら、こうした問いを真剣に考えることもなかったのではないかと思う。教えることは学ぶことでもあった。

I throat sore.?

 中国語と韓国語の独学に勤しむようになって以来、NHKのFM放送や音楽CDに耳を傾けること、それと小説の類の読書に割く時間が激減している。残念な気がしないでもないが、一日の日の長さと個人の能力には限界があるので致し方ない。
 先日、とあるところから、2月中旬に佐賀市で催される文学のイベントに行きませんかとのお誘いのメールが届いた。芥川賞受賞作家と直木賞候補作家という二人の女性作家による公開対談があるのだという。恥ずかしながら二人とも初めて目にした名前で、その作品は当然、読んだことがない。まあ、佐賀だと遠いし、読んだことのない作家だから、出かけることはないかと思っていたら、福岡から車で行くので同乗可ですよとの「二の矢」のメールが飛んできた。
 あ、それなら行こう。私に運転をさせてもらおう。久しく福岡周辺ではハンドルを握っていない。ナビがありさえすれば、佐賀へのドライブも快適だろう。
 それで、さすがに作品を読んでおこうと思い、図書館から手頃な本を借りてきて読んだ。これからの活躍が期待されている作家のようだ。藤野可織氏と千早茜氏。藤野氏は2013年に芥川賞を『爪と目』で受賞。千早氏は同年に『あとかた』で島清恋愛文学賞を受賞している。どちらも読み応えのある作品で面白く読んだ。『あとかた』の淡々とした性描写が印象に残った。裏表紙に目をやって気づいた。二人ともに私が新聞社に入社した頃に生を受けている。光陰矢の如し。出典の中国語だと「光阴似箭」。箭は「矢」。声調を無視してあえて乱暴にカタカナ表記すると、「グアンイン スージエン」。
                 ◇
 その中国語。最近気になったのは次の文章。我嗓子疼。まず、嬉しいのは句点の 。が日本語と同様の 。であることだ。世界広しといえども、文章を区切る際にこの 。を使っているのは日本語と中国語だけではないかと思う。(他にもあるかもしれないが・・・)
 「嗓子」は「喉」を意味する。「疼」は「痛い」。我嗓子疼。これも声調を無視して乱暴にカタカナ表記すると、「ウォサンズトゥン」。日本語だと「私は喉が痛い」となる。英語にそのまま落とすと、I throat sore. となる。もちろん、これは直訳的に該当する語を当てはめただけであり、自然な英文にすると、I have a sore throat. とか My throat hurts. といった文章になるかと思う。
 私が何を言いたいのかと言うと、中国語の我は日本語だと私、英語だとI であり、my ではないということだ。英語では上記の文章でI の直後にthroat と続けることは無理がある。中国語は自然に続けることができる。日本語は係助詞があるので、私「は」喉「が」と言えば、何の差し障りもなく自然な文章となる。この点だけを見れば、日本語を母国語とする我々は中国語により容易に近づくことができると感じる次第だ。英語だとIと冒頭に発すれば、その後にはthroat と続けることができないので、構文をまず考えて言葉を選ばなくてはならない。I …. have a sore throat. と。
 声調・ピンインにてこずってはいるものの、私は今も日々、中国語に「近しみ」を感じつつある。果たしていつまでこの「近しみ」が続くのか不明ではあるが・・・。

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