英語でさるく 那須省一のブログ
蒸し暑い!(闷热!)
- 2017-09-12 (Tue)
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台北は私にはまだ蒸し暑い。福岡を発つ時は朝夕の空気に秋の気配を感じるようになっていたが、ここはそうでもない印象だ。汗かきの私はなぜかいつもお尻の部分で汗をかく。それでズボンやジーンズのお尻のところが一番濡れる。恥ずかしいほど濡れることがある。かくして私は毎晩、シャワーを浴びた後、洗濯に励む。替えの下着、シャツ、ジーンズをあまり持って来ていないからだ。アフリカの旅でもこんなことはなかったような記憶が。
加えて心配事が一つ。強い台風が台湾に向かっているようだ。日本にいる時は台風が日本以外の土地に向かうことを願っていたが・・・。私が台北を発つ時期と重なる可能性もある。飛行機が飛ばない? 格安便なので帰路の便がどうなるか心配だ。台風自体も心配だが。まさか旅先でも台風に悩まされることになるとは思わなかった。
◇
さて、台北に来た目的は中国語の「実地研修」だ。ホテルのフロントやカフェ、レストラン、果ては道行く人々にもできるだけ声をかけ、できうる限り、中国語を「試して」みている。上手く通じることもあるが、そうでないことも。今日は「蒸し暑い」ことを「闷热」(メンルー)と言うのだが、これがどうも通じない。「メン」も「ルー」も日本語のようにはいかないのだ。それは分かっているのだが・・・。ホテルのテレビを見ていても、台湾語の番組だと全然分からない。中国語だと部分的に「引っかかる」ところがあって、そこから内容を類推することもできるのだが、ここではそうはいかない。
一つだけ、受けていることがある。「ありがとう」という表現だ。中国語ではもちろん、「谢谢」(シェシェ)だが、ここ台北では「多謝」が普通。発音はどうも「ドォシャ」という感じらしい。明らかに外国人(日本人)の私がこの言葉を発すると、「おや、あなた、私たちの言葉をよくご存じで!」と破顔一笑される。こんなことで喜んでいても、仕様がないないのであるが・・・。
◇
日曜日は台北市内でも賑やかさで知られる西門(Ximen)を訪れた。地下鉄で行けばわけなく行けそうだが、土地勘を養うためにホテルから台北駅を経由して歩いてみた。結構な距離はあったが、いい運動になった。台北駅を過ぎて西門に向かおうとしていると、新光三越百貨店の前の路上で、人だかりの中、一人の男性が土下座をして物乞いしている。コンクリートの地面にタオルを敷き、頭を打ち付けるような土下座だ。あれでは疲れるだろうなあと思い、対面の横断歩道を渡り、振り返ると、くだんの男性がいない。あれ、と思って当たりを見やると、近くの段差に足を組んで座り、美味そうにタバコを吸っていた。一休みしていたのか? しばらく見ていたかったが、そうもいかず後にした。
西門はなるほど、若者や家族連れで一杯だった。少し虚を突かれたのは、西門の正面辺り、MRTと呼ばれる地下鉄から地上に出たところで、台湾独立に反対するとともに、旧日本軍が中国で犯した戦争犯罪を糾弾する写真などが展示されていたことだ。遠くから見ただけでは中華人民共和国の国旗と習近平氏の大きな写真が飾られていることは分かったが、日本を糾弾する趣旨の集まりだったことを知り、複雑な気持ちになった。
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ここでも日本食は人気!
- 2017-09-10 (Sun)
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台北の旅でも頼りにしているのは個人的に親しい関係にある福岡市の出版社・書肆侃侃房が出している観光ガイド本の『ぐるぐる台北』。新版も出ているが、私が手にしているのは7年前に出た『ぐるぐる台北』。
地図で見ると、何とか歩いていける距離の所に、「日本人好みの味、台湾生まれの牛肉麺」ということで、林東芳牛肉麺(リンドンファンニウロウミェン)が紹介されていた。
「店頭では大鍋でグツグツと牛骨や牛肉が煮込まれていて、熱気ムンムン! タクシーの運転手御用達の店」と記してある。行かずにおれようか。私が足を運んだ11時過ぎには早くも列ができていた。お昼休みが終われば空いているかと近くを散策して、午後1時過ぎに再訪しても同じような込み具合だった。10人ほどの列の後ろに並んでいると、おばさんが「あなたは1人か?」と私に尋ねるよう。「そう」と頷くと、先に入れてくれた。小さなお店で壁にへばりつくように座って食した。
牛肉麺は正直に書くと、期待していたほどではなかった。汁が甘辛い感じなのは問題ないが、肉が思ったほどには美味くなかった。それでも、お店のおばさんは日本語で色々と私に声をかけ、気をつかってくれていることが分かった。お店の雰囲気も良かった。今後に期待しよう。
お腹を膨らませて歩いていると、ぽつりぽつりと振り出した。天気予報だと雷雨の可能性ありとなっていたが、さすがにその通りに。途中から激しい雷とともに雨脚も強くなり、喫茶店に飛び込んだ。しばしの雨宿り。これも何かの本で台湾はITの先進国でどこでもネット通信ができると読んだ記憶があるが、セキュリティーコードだかパスワードを教えてもらうと、ほとんどの喫茶店でインターネットを使うことができる。
ホテルのすぐ裏手に日本食のレストランがある。夕刻には長蛇の列ができ、いつまでたっても客足が尽きない。ここ台北でも普通、日本食レストランは高い印象だ。入り口に展示してあるメニューを見れば、私のような者には敷居が高過ぎる。例えば、刺身の項で「しめさば」180元、「焼きナス」150元、「アジフライ」180元などと書いてあれば、まず足を踏み入れない。それで、ホテルの裏手の日本食レストランにあれほどの人だかりができるのか不思議に思っていた。
土曜日の昼時。さすがにこの時間帯なら空いているだろうと行ってみると、平日通りの長い行列。引き返そうかと思ったが、中の様子だけでも見てみようと並んだ。店員さんがメニューを持ってきて、事前に注文を書かせる。メニューを見る限り、高くはない、いや、日本の感覚から見ても安い。私は一人だから、ほどなく相席のテーブルに呼ばれた。
周りを見ると、「鰻重」を食べている人が圧倒的に多い。皆、笑顔で嬉しそうに箸を運んでいる。対面の男性客は「鰻重」に加え、焼き鳥2本と冷奴、厚焼き玉子を並べていた。お昼から凄い食欲だ。さすがに厚焼き玉子には手を出せずに、この分は引いてくれとお皿を手にしてレジに立ったようだった。私は「サンマ定食」を食べた。味噌汁も含め、悪くなかった。レジで支払ったのは110元だから413円の勘定になる。なるほど、地元客が押しかける人気なのはよく分かった。
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台北へ
- 2017-09-08 (Fri)
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台北に入った。昨日朝、福岡を発つ時、久しぶりの海外の旅だから、少し億劫になっていた。まだ中国語は全然だし、もう少し勉強が進んでからでもいいのではないかと。でも、当初から大学が夏休みの時期に台湾の旅を考えていたので、諦めるわけにはいかなかった。我が妹から彼女の退職を記念して10万円をもらっていて、妹には有難く台湾旅行に活用すると約束していたこともあり、今さらやめるわけにもいかなかったこともある。
そして今、この項を台北のホテルで書いて(打って)いるが、来て良かったと思う。到着したばかりだからあまりあれこれ記すことは控えたい気もしないでもないが、台北は凄く居心地が良い感じだ。釜山以上かもしれない。第一、街を歩いていても、漢字があふれているから「意味」が分かる。日本人観光客を意識した日本語の看板もよく目にする。
台北空港のホテル案内のカウンターから予約の電話を入れたホテルのフロントスタッフも大変親切で気持ちよくチェックインを済ませた。8泊の予定だから、このホテルでずっといても構わない気がしたが、「素浪人」の私にはいささか宿代が高い。それでホテルスタッフにこれから付近を散策して、私の「身の丈」に合ったホテルが見つかったら、そこに行くかもしれないので、とりあえず、一泊だけと言って、チェックインを済ませた。
晩飯を食べるためにホテルの近く、長安東路の一帯を歩きながら、目に入ったホテルのフロントでシングルルームの価格を尋ねた。そのうちの一軒はチェックインを済ませたホテルよりもはるかに安かった。「背に腹は代えられない」心境だ。相済まないが、明日朝、宿を変えようと思っている。
台北空港で私はとりあえず、5万円を台湾ドル(元)に両替した。13,315元となった。手数料を無視して換算すると、1元が3,755円になる勘定だ。参考までにこのレートでホテル代を計算すると、最初にチェックインしたホテルは一泊8,940円。これから移るホテルは4,882円。インターネット環境も問題ないとなれば、私にはこの差は大きい。釜山でも毎回、似たような宿代のホテルに投宿していた。
ホテルの近くにあるコーヒーショップ。ホットが一杯45元(168円)。どこかの本で台北では物価は7掛けという指摘を読んだ記憶があるが、確かに日本(福岡)よりはずっと安そうだ。コーヒーを飲みながら道行く人を眺める。やたらバイクが目につく。小さいお店だから、テーブルも少なく、イスも少しだけ。2人の中年男性が入ってきた。私が立てば、テーブル席が空き、2人は座れる。十分長居したので、席を立つ。私が日本人だと分かったのだろうか。1人が「どうもありがとうございます」と背中越しに声をかけてきた。
コーヒーショップの斜め向こうに屋台が見えた。私にはよく分からないが、どうも簡単な朝食を売っているようだ。ひっきりなしに通勤客が買い求めている。100元札(375円)を出してお釣りの硬貨を受け取っているから、安いことは間違いないようだ。明日朝は私も食べてみようか!
ところで後にした福岡もまだ暑かったが、台北も暑い。蒸し暑いと言うべきだろうか。ポロシャツを少ししか持参していない。これではコインランドリーでも探して洗濯しないと一週間はもたない。
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"Kim is begging for war"
- 2017-09-05 (Tue)
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北朝鮮情勢が緊迫しているようだ。父親譲りの「瀬戸際外交」(brinkmanship diplomacy)であることを願うが、核兵器が絡んでいるだけに、看過できない。
5日朝、いつものように、パソコンを開き、英BBCと米CNNをのぞくと、“Kim is begging for war” (金正恩は戦争を求めている)という見出しが目に入った。アメリカのニッキー・ヘイリー国連大使が国連安保理の場で、北朝鮮の金正恩政権が続けている一連の強硬な核開発政策を手厳しく批判した発言だ。“beg for” は普通、“He begged for mercy from passersby.”(彼は通行人たちに慈悲を乞うた)といった使い方をするが、上記のような場面でも使用可なのかと勉強になった。彼女は次のようにも述べている。“War is never something the United States wants – we don’t want it now. But our country’s patience is not unlimited. We will defend our allies and our territory.”
「我々の我慢にも限度がある」と、かなり強い口調の警告だ。金正恩氏がどう受け取るのか?
◇
スマホを入手すれば世間でラインとやら呼ばれているものに自動的に加われるものかと思っていたのだが、どうやらそうでもなさそうだ。それで訳が分からないまま、あれこれいじっていたら、何とかラインに入ることができたようだ。期せずして、電話帳に登録していた友人・知人の何人かから「スマホ買ったのですね」というメールがスマホの画面に飛び込んできた。「そうなんですよ。でも使い方が分からず、難儀しています」と返信した。
長年のガラケーを諦め、スマホを購入した理由はいくつかあるが、近々(今週木曜から)台湾に少し旅しようと思っていたこともその一つ。ラインで無料通話やメールができるのであれば、海外から緊急連絡をしたい時に役立つのではないか。実際に無料でできるのかどうかは分からないが・・・。
とにもかくにも台湾に旅する。初めての台湾だ。もちろん、物見遊山が目的ではなく、中国語の実地学習が狙い。台湾でも中国本土で話されている「普通话」と呼ばれる中国語が十分通じるらしい。とりあえず、親日で知られる台湾から始めようと考えている。
◇
福岡―台北間の往復航空券はネットで格安のチケットを購入した。いや、実際に格安かどうかも自信がないが、福岡―宮崎間よりずっと安いのではないかと思う。ホテルもネットで予約を入れようと思ったが、どうもよくやり方が分からず、これは現地に着いてから探すことにした。どうにかなるだろう。一週間程度の旅だし、キャリーバッグにリュック一つの旅支度だから気分は楽だ。
出発日を決めたら、次にすることは冷蔵庫の整理。一週間程度留守にするからには生ものはできるだけ片付けておきたい。大家さんから頂いた家庭菜園のゴーヤ(ニガウリ)は前夜までにはすべて胃袋に収めるつもり。書肆侃侃房のPR小冊子「ほんのひとさじ」の去年春の号に出ていた駒田晶子さんの短歌の心境だ。「旅じたく」をテーマに詠んだ一首だった。
牛乳を飲みきって豆腐食べきって明日この部屋にわたしはいない
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遂に私もスマホ!
- 2017-08-29 (Tue)
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遂にスマホを購入してしまった。すでに数日経過するが、使い方がよく分からなく、ガラケーで十分だったのではないかと少し後悔し始めている。
ラインが便利とか吹き込まれていたが、考えて見ると、私はラインといった類のものからは縁遠い日々だ。アフリカを旅していた7年まえに携帯電話を不覚にも盗まれたこともあり、新聞社勤務時代の同僚の番号もほぼ喪失した。当時のブログをのぞいてみると、次のように付記している。(私と個人的に関わりのある方々へ。日本で使っていた私の携帯は盗難に遭い、今後、電話や携帯メールなど連絡が一切不可能になったことをご了解ください)。そう私の「過去」はあの時、大半が失われたのだ。
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中国語を学習していると、どうしても日本語のことを考えざるを得ない。それで日本語に関する本も拾い読みすることが多くなった。先日は図書館で『図説・日本語の歴史』(今野真二著・河出書房新社)という本を借りた。2015年の刊行だから最近の本だ。著者は大学教授であるだけに博学であることは間違いないが、内容が難しい上に文章が硬く、門外漢の私には読み進めるのに難儀した。
最終第五章の「明治・大正時代」の項で、「明治の文豪」として森鷗外、夏目漱石の文章が紹介されていた。夏目漱石は好きな作家であり、代表作の幾つかは再読したことがあるが、森鷗外は残念ながらそう熱心に読んだ経験はない。上記の書では森鷗外の作品『山椒大夫』が称賛されていた。確かな記憶ではないが、小中か高校のいずれかで、『山椒大夫』のさわりを読まされたような。どうも気になったので、書店で文庫本を買い求めて読んでみた。
著者はこの作品が「平易で落ち着きのある文章で綴られている。それは現代日本語とあまり『距離』を感じさせない文章であり、そうした意味合いにおいては、現代日本語の『書きことば』の源流をこのあたりの時期に求めることができると思われる」と述べている。
少しショックだったのは文庫本に収められていた『阿部一族』。読み進めていて、途中で「あれ、俺、これはいつか読んだことがあるぞ」と気が付いたこと。読んでいたことをすっかり忘れていた。作品で描かれる江戸時代の武家社会の「殉死」の無慈悲、無意味さに腹立たしさを覚えたことも思い出した。まあ、忠臣蔵の討ち入りだってそうではあるが。
『図説・日本語の歴史』は最後に「新しい表現の追究」と題して、芥川龍之介の『羅生門』の文章を紹介していた。私は2年ほど前このブログに記した、芥川の作品『秋』を読んでの感想を思い出した。ブログでは次のように書いている。——独特の文体が印象に残った。次のような文章だ。「彼女は・・・我知れず耳を傾けている彼女自身を見出しがちである」。「夫は夜寒の長火鉢の向うに、いつも晴れ晴れと微笑している彼女の顔を見出した」。「彼女はふと気がつくと、いつも好い加減な返事ばかりしている彼女自身がそこにあった」。英語だと I found myself …. She found her …という構文の文章が頭に浮かぶ。「瑣末な家庭の経済の話に時間を殺すことを覚えだした」という文章もあった。「時間を殺す」は英語のkill time の直訳だろう。作家は英語やフランス語に明るかった印象がある。自然と英仏語の表現を自分の文章に取り込み、活かしていったのだろうと推察される——。
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batcrap crazy
- 2017-08-24 (Thu)
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トランプ米大統領が流血の事態を招いた白人至上主義団体に対する手ぬるい対応ゆえに非難の矢面に立たされている。CNNテレビの報道番組では各パネリストから彼は結局、大統領には「不適格」(not fir for office)ではないかと痛烈に批判されていた。憲法の規定を最大限活用し、ペンス副大統領が大統領から実権を奪取する手続きに着手するべきだとか、大統領の精神状態を専門家にきちんと診てもらうべきだとか、などといった意見も出ていた。
パネリストの一人は “If people around him don’t think this guy is absolutely batcrap crazy, they are mistaken.” (大統領は全くの狂人だ。周辺の人々がそう思わないとしたなら、彼らは間違っている)と述べていた。batcrap とは何ぞや? 直訳は「蝙蝠の糞」。ネットで調べて見ると、教会の鐘楼(belfry)が長い間使われずにいると、蝙蝠(bat)が居つくようになり、鐘楼はやがてその糞(crap)にまみれる。人間の脳を鐘楼に見立て、正気とは思えない人のことを batcrap crazy と形容するらしい。“the craziest of crazy people” とも。
公共の電波でこれほどの罵倒を浴びせられるようになっては、トランプ大統領の「終わり」が始まっているのかもしれない。それはそれで結構なことだが、北朝鮮の核問題が危なっかしい情勢だけに米政権が揺らぐのは「対岸の火事」ではない。
◇
これまで中国語(簡体字)を入力するのに四苦八苦していた。パソコンの画面上で入力する方法を知らなかったので、ネットで何とか、中国語のサイトにとび、簡体字表記を見つけてはコピーして貼り付ける方法でしのいできた。だが、フォントや字体のスタイルが異なったり不自然だったりで、何だかなあと憂鬱な気分で作業を進めていた。
ところが最近、私のパソコンでも中国語による入力が比較的容易にできることに気づいた。やって見ると、実に簡単にできるではないか。これまでの苦労がウソのようだ!
それで今は次のような一文もたちどころに打つことができる。——听说,茶馆能看到变脸等一些表演。—— NHKテキストでは「茶館で変面などの出し物が見られるって聞いたんですけど」という訳文が載っている。听说は「・・・だそうだ」「耳にしている」。茶馆は「茶館」。变脸は「隈取りのお面を一瞬で変える演技」「変面」。表演は「パフォーマンス」。
あえて英語で逐語訳を落とすと、おそらく次のような英文となるだろう。变脸の定訳を知らないのでここでは face-changing としておく。I hear, teahouse can see face-changing, and other performances. これでは teahouse が主体でさまざまなパフォーマンスを見ることができると述べているようだ。正しい英文ならば、I hear, in the teahouse you can see … とするべきだろう。日本語では中国語の逐語訳的な「聞くところによると、茶館は見ることができる、変面やその他幾つかのパフォーマンスを」と言ったとしても、ほぼその意味合いは理解できる。中国語では日本語の語順にほぼ沿った表現が可能という指摘に何回か出合っているが、これもその一つだろう。英語を母国語とする人々は上記の文章には戸惑うのではないか、日本人にはすっと腑に落ちるのに、と私は思った。
上記の文章は先に書いた、日中韓の「話題優越型言語」(topic-prominent language)の特徴である、文頭に主語ではなく、主題がくる例であろう。
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主語について
- 2017-08-18 (Fri)
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田舎に一週間ほど帰省して帰福。長姉が不在の郷里はさすがに寂しかった。人の住まない家は朽ち果てるのが早いという。まさか、長姉の家がこうも早く主不在となるとは思いだにしなかった。甥っ子たちと呑気なひと時を過ごしたが、これからはどうなることやら・・・。
◇
田舎で『中国語のしくみ』(白水社 池田巧著)を読み終え、その後も寝転んで拾い読みした。大いに参考になった。記憶の新しいうちに、幾つか記すと。
日本語でもっとも簡単な会話は、津軽弁の「け!」「く!」(「食え!」「食う!」)だと言われていますが(自分で直接確認していないので、もし違っていたら、ごめんなさい)、試しにこれを中国語に訳してみると、日本語とは違う中国語のしくみがよくわかります。
你吃吧! 我吃!
逐語訳すると左の文は「おまえ/食べろ/よ!」、右の文は「オレ/食べる!」となります。まず気がつくのは、中国語では誰が食べるのかを明示していることです。日本語の「食べる」は「食べます」「食べれば」「食べろ」のように形が変化しますけれども、中国語の‘吃’は、誰の動作であっても、いつ行われても、形も発音も変わりません。(中略)文末の‘吧’は「~なさいよ」「~でしょう?」といった勧めたり推測したりする気持ちを添えていて、これがないと命令口調になってしまいます。
そう中国語は英語に似て、主語を明示することの多い言語のようだ。この点、日本語とはかなり趣を異にしている。挨拶の項では次のようなことが指摘されていた。
中国語の‘你好!’は、日本語の「こんにちは!」に相当すると思いがちですけれども、初対面あるいは久しぶりに会ったときに使うかなりフォーマルなあいさつです。しかも1930年代頃から使われ始めた比較的新しい表現らしく、ロシア語の「ズドラーストヴィチェ」からの翻訳ではなかったかと考えられています。同様に、‘再见!’も、フランス語の「オルヴォワール」あるいはロシア語の「ダスヴィダーニャ」からの翻訳だと言われています。日本語で「こんにちは」「さようなら」を家族に使わないのと同様、‘你好!’や‘再见!’も家族間では使いません。‘谢谢!’も、家族では他人行儀な感じがして、使われることは少ないようです。(中略)目上のひとに対しては、‘(~)老师,您早!’「(~)先生、おはようございます!」のように相手の呼称や名前を添えるのが自然ですし、丁寧な感じがします。相手の名前や呼称を呼ぶのは親しさの表明であり、親しみは敬意につながるという考えかたがあるからです。その極端な例として、学生同士などではあいさつ語抜きであいさつを交わすという面白いコミュニケーションも見られます。たとえば、友人とすれ違ったときに、(相手の)名前だけを呼んで声をかけ合うのです。(ロシア語やフランス語の表現はもちろん、それらの言語でスぺリングが記してあったが、ここでは割愛)
名字だけでなく、フルネームで呼ぶのが丁寧で好感を持たれる呼び方だとも書かれていた。日本では普通、相手をフルネームで呼ぶとかなり奇異な印象を与える。呼称については、例えば大学のキャンパスで「那須先生!」と名字を添えて呼ばれたとしたら、悪い気はしないかと思うが、私の場合は単に「先生!」と呼ばれるのが関の山だ。
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