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英語でさるく 那須省一のブログ

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今年も無事発送!

 金曜日。仕事を終えると、一目散に自宅に戻った。イギリスの友人2人にクリスマスプレゼントを送る必要があり、自宅にその小包を取りに戻り、郵便局に走らねばならなかったのだ。郵便局の受付は午後4時まで。高校の授業が終わって残務作業に追われていたら、午後1時を過ぎていた。早く戻らねば。
 国際郵便はパソコンで必要な書類を作成、印刷しておく必要がある。これがアナログ人間の私にはとても厄介。この日は書類と一緒に、箱詰めにした小包を持ってえっさほいさと郵便局に。係りの人が書類をチェックして小包の重さを計り、送料を計算。手渡された請求書は16,300円。1個の送料はほぼ8,000円かかったようだ。中に入れていたのは大半がチョコや日本でしか味わえないようなお菓子類。おそらく8,000円ぐらいの品々だっただろう。送料とほぼ同じか。私は年金生活者であり、もうおしまいにしたいのだが、友人一家にはまだ成長途上の子供がおり、異国から贈られてくる年に一度のお菓子を楽しみにしていると知ると、その楽しみをこちらの都合で奪うわけにもいかない・・・。
 ふと思った。昨年の今頃はこのブログ上でどんなことを書いているだろうかと。日記は付けていないが、ブログをやっていると、こういう時の振り返りに役立つ。次のように書いていた。12月11日の項だ。――またクリスマスのシーズンがやって来た。クリスチャンの端くれを自認している身だが、私はクリスマスだからと気分が高揚することはない。それどころか、気分がふさぐ。こう書いたら神様の罰が当たりそうだ。許してくださいませ! 海外に住む友人にプレゼントを購入して郵送するのが一苦労だ。
 愚禿凡夫の悩みはいつまでも尽きない。古希を過ぎても変わりはないようだ!
                   ◇
 ズームで行っている英語教室。日本の短編小説を読み終え、アメリカのオー・ヘンリー賞を受賞した短編をまた読み始めた。先週取り上げたのは韓国系アメリカ人の作家の作品 “The Arrow”。fuckというfour-letter word が頻出する作品で、ニューヨークで少しでもいい暮らしを手に入れようともがく30代の韓国系アメリカ人の女性の悪銭苦闘の日々が描かれている。彼女は一週間の間に元彼、職場の既婚者の同僚、知り合ったばかりのタトゥーの彫り師の男とセックスにふけり、望まぬ妊娠に至る。このあたりは何だかなぁと思わないでもないが、寂しさゆえの愚行だろう。
 彼女は結局、西海岸に住む母親に電話して助けを求め、母親は自分自身も事実婚で娘を産み、独力で育てた経緯があり、出産を決めた娘の世話に勤しむ。二人はそれまで関係がぎくしゃくしており、母と一人娘の理想的な間柄ではなかったが、娘の妊娠を機に二人の関係は一気に深まっていく。娘はお腹に宿した命が彼女の人生の転機になってくれるのではないかと期待しているが、ある朝、目覚めると流産していることに気づく。母親は西海岸に戻ると告げる。娘は来てくれてありがとうとお礼を言う。そこで作品は終わるのだが、以下のように記されている。… and that the only thing to do in the meantime is to keep on living.
 私の好きな英語表現の一つを思い出した。Life just goes on. 私を含め誰が明日命を落とそうと、地球が滅びない限り、世の中は続いていくと私は解釈している。諸行無常かな!

neoteny(幼形成熟)

20251123-1763873090.jpg 他愛ない話を一つ。忘れる前に書いておきたい。高校の英語のテキストにneoteny という見慣れない語が出ていた。発音も少し難解で意味合いもそう簡単に覚えられそうもない語だ。辞書をひくと、「幼形成熟」という訳語が載っており、「発生が一定の段階で止まり、幼生形のまま生殖腺が成熟して生殖する現象」とある。テキストには、人類に特有の現象であり、大人になっても子供のような特徴を留めているとも説かれていた。人類は他の哺乳類と比べ、大人になった後でも子供の特徴を多く残しているようだ。我々が生涯、好奇心と遊び心を持ち続けているのはその証左だとか。
 私はこのneoteny という語に初めて接した時、妙に納得できた。古希を過ぎても中高生相手に親自虐いや親父ギャグを放っている私は人一倍、幼形成熟の度合いが強いのかもしれない。他の哺乳類との「違い」を感じたのは10年以上前のこと。新聞社を早期退社後、アフリカやアメリカなどを旅していた時、持ち家のない私は家財道具をトランクルームに預け、帰国後は今のアパートからそう遠くないところに住んでいた一人暮らしの高校・大学時代の先輩の社宅に居候させてもらっていた。
 その家に家猫が住まっていた。ハッピーという名だったか。生来の猫好きの私はハッピーともすぐに仲良くなった。当時私はほぼ一日中、パソコンに向かい、旅の最中に書いていたブログに手を入れ、紀行本を出版する作業に精を出していた。そのかたわら、ハッピーの餌やりも任されていた。こちらが餌やりを忘れていると、ハッピーが私のそばに来て、ニャアーと鳴く。「おい、居候よ、俺様の食事の時間だぞ。早く餌を用意しろ」とでも言うように。
 私はもちろん、腰を上げ、餌の入った袋の所に行き、餌を小皿に取り分けていた。だが、時々、いたずら心が沸き、ハッピーがいくら催促しても無視する挙に出た。少しくらい腹を空かさせた方が猫の健康にいいかもしれないと。ハッピーが段々といらついていることが分かった。私が全然動き出さないことにしびれを切らした彼は最後には諦めてふいっと私から離れて行った。その時にハッピーの口から出た音は「フギャッ」という感じの初めて耳にするような鳴き声だった。人間だったら、「くそっ、この野郎め」という強烈な苛立ちの発声だったろう。
 私は心中思っていた。「おいおい、ハッピーよ。冗談だよ。戻って来いよ。さあ、餌をあげよう。ちょっとからかってみただけだよ。俺も一日中部屋に閉じこもっているから退屈してたんだ。お前さんとじゃれあいたかっただけなんだから。そう怒るなよ。俺はお前さんが大好きだよ。お前さんだって俺のこと、嫌いじゃないだろ!」
 その時、何となく感じた。もし猫が人間のような遊び心を少しでも持っていたら、猫と人はもっと仲良くやっていけるのでないだろうか。猫じゃらしを振ったり、畳や壁に日の光を反射して猫がそれを追いかけ回る・・・それ以上の遊びが楽しめるのではないか。遊び疲れた猫が懐に飛び乗ってきて、「おい、今の面白かったぞ。また、一緒に遊ぼうな!」と身体をすり寄せてくるかもしれない。
 いたずらに年齢だけを重ねたような我が人生。この先、どんな歩みが待っているのか。どうなろうとも、「遊び心」はいつまでも持っていたいと願う。

美味い酒と肴

 本当に寒くなってきた。昨夜は、いや正確には本日の未明、明け方にさすがに寒さに我慢できず、掛け布団を引っ張り出した。それまでは温かい羽毛の毛布と普通の毛布の2枚で寝ていたが、はや、掛け布団が必要な季節となったようだ。本日は仕事休みの日で自宅でのんびりできる。ガスストーブを出そうかと考えている。台所から長いガスケーブを引くので、狭い我が家が一段と窮屈になるが致し方ない。その代わりスイッチ一つで部屋がすぐに暖まるのは壁のエアコンの比ではない。大好きな秋を十分に楽しむことなく初冬に入るのは残念だが、今年もそう大きい秋の台風に見舞われることなく初冬を迎えることができるのは幸いとすべきだろう。
 この時期になると頭を悩ますことが一つ二つ。といっても独り身の私ではたかが知れていると言えよう。一つは海外に贈るクリスマスプレゼント。正直に書くと、もうやめたいと思っている。お金がかかるからでは決してない。郵便局の窓口に行って、持ち込んだ小包に送り状を貼り、送料を計算してもらい、お金を払う。これが実に厄介なのだ。去年は何回、足を運んだことだろう。
 要するに覚えの悪い私だからの悩みなのだが、実に面倒くさい。パソコンで送り状とやらを打ち込むのだが、幾度となく失敗する。どこかで手っ取り早くやってくれるなら、多少の追加料金がかかっても喜んで頼みたい。だが、そんなサービスはまだ存在しないようだ。しかたなく、今年もまたほどなくパソコンに向き合うことになる。おっとその前に先方の住所の確認。突然転居していることがあり、送り返されてくると、二度手間になり、割高の送料を再び払わされることになる。これも何度か経験した。私の贈り先はせいぜい二三人だからどうということもないのだが・・・。
                  ◇
 仕事が忙しいこともあり、最近はもっぱら自宅飲みの日々でそれもノンアルのビールばかりを飲んでいる。昔はノンアルなど馬鹿にして手をつけなかったが、今は違う。よくできている。喉越しが本物のビールと変わらないように感じる。週に一度のペースでのぞいている焼き鳥屋でも生ビールや焼酎のロックをやりたい気持ちを自制してノンアルを選択。
 昨夜は久しぶりに小料理屋をのぞいた。この店は本当に肴が美味い。現役の頃、こんな店が会社や自宅近くにあったなら、足繁く通っていたことだろう。安くはないが、超高くもない。まあ、今の私の稼ぎでは週1ぐらいが精々となるが、たまにはこういう店で美味い酒(焼酎)を飲みたいと願う。それで昨夜は本日が仕事休みだったので、臆することなく、ノンアルではなく、日本酒1合と続いてイモ焼酎1合を頂いた。やっぱ美味い! 
 お店の名前を書いても差し支えないのだろうが、控えよう。あて(肴)で頼んで予想以上に良かったのは、うーん、あれはなんという品だったか。確か「自家製豆腐にウニとイクラ乗せ」みたいな一品だった。出てきたのは豆腐というより上品なチーズのような味わいの品。私は乳製品は極力食べないようにしているが、これはチーズとはおそらく別物だろう。焼酎にもよく合っていた。美味い酒(焼酎)に極上の肴が味わえるのはやはり、プロの料理人が仕切っているお店しかない。とここまで書いて、しまった、写真を撮るのを忘れていた! 

Tomorrow will worry about itself!

 大学で非常勤講師をしている時は学期の終わりに際し、期末考査的な試験問題を作成することがあり、パソコンでそうした問題を作っていた。自分一人の講座であり、好きなように問題を作成していた。特段の苦労もなかった。
 今教えている中学校では正職員の先生が問題を作成しているので私はノータッチでよい。高校でもこれまではそうだったが、今学期は期末考査の問題を作成する仕事を任された。問題自体を作成するのはできるのだが、問題用紙や解答用紙をパソコン上で作るのは私にはできない。罫線を引いたり、何と表現したらいいのだろう、問題や解答のスペースをきちんと作ることはできない。作ったことがないからだ。
 新聞記者時代に英字新聞部でも長く勤務した。英字新聞部ではスタッフ記者が自ら紙面のレイアウトから記事や写真の配置に至るまで職場のパソコン上で自由自在にこなしていた。私はデスク、後に編集長という立場にあったため、そうした現場の作業には一切タッチしなかった。少しでもかかわっていたなら、試験問題などの作成はおそらく何とか一人でこなせていたかもしれない。残念ながら、できあがった紙面を見て、見出しの修正とか記事中の誤りとかの指摘はできても、キーボードを操作することはできなかった!
 今にして思う。やっておけば良かったと。やらずとも職務怠慢とは見なされなかったのでやらなかったのである。元来がものぐさ、不器用なため、かかわらなかった。こうやってパソコン上で原稿を書き、自分のブログにその原稿をアップして、時に写真も添付していることぐらいしか、私にはできない。時々写真が天地が逆さまになることがあり、いくらトライしても正常にアップすることができず、写真のアップを断念することもしばしば。前項でも書いたが、これも自業自得の好例だと言えるだろう。深く悔いている自分がいる。
                  ◇
 毎朝、キリスト教の祈祷書を読んでおり、新たな気持ちで一日をスタートさせている。本日(土曜日)の頁は次の言葉で始まっていた。Therefore do not worry about tomorrow, for tomorrow will worry about itself. ネットで検索すると、次のような説明が出てきた。新約聖書マタイによる福音書の一節で「だから明日のことまで思い煩うな。明日のことは明日が思い煩う」とある。実に明快な言葉だ。大いに勇気づけられる。
 もちろん、キリスト十二使徒の一人、マタイは我々に刹那的に生きよと命じているのではない。凡人には予測もつかない明日や将来のことなどに思い悩まず、いまのときを精一杯生きよと諭しているのだろう。そういえば、私の好きな聖書の言葉に似たようなものがあったなとついでに検索をかけてみると、すっと出てきた。そう上記の言葉の少し前にある次の一節だった。 "Look at the birds of the air: They do not sow or reap or store away in the barn, yet your heavenly Father feeds them. Are you not much more valuable than they?" これもネットでは「空の鳥を見よ。まくことも、刈り取ることも、倉に集めることもない。それらも、天のあなたがたの父が養ってくださる。あなたがたは、それらよりも、はるかにすぐれた者ではないか」とある。
 こういう聖書の言葉を読んで励まされない者はいないだろう。

歯は大事!

 仕事が忙しい。何度か書いたかもしれないが、まさか古希を過ぎて、こんなに忙しい思いをするとは思わなかった。午前中は中学校で、午後から高校で教壇に立っている。去年と違い、午前から午後の授業の時間的余裕が割とあるので、駅まで早足で歩く必要はなく、その点では大いに助かっている。
 昔のこのブログをたまたま読んでいてふと思った。忙しいことは忙しいが、やりがいは感じていると。私は新聞社を早期退社後、海外を放浪の旅に出て、企図した名作のゆかりの地を歩き、取材の成果を自分なりの文章にして世に出した後、女子大や専門学校などで教壇に立った。退職金は海外の放浪の旅と自費出版でほぼ費やしてしまっていた。蓄えは少なく、自活の方策をすぐに手にする必要に迫られていた。
 紹介してくれる人があり、先述したように女子大や専門学校などで非常勤講師として英語を教えた。いわゆる文化センターの講師としても勤務した。そうした経験は貴重な体験であり、出会った人たちには感謝の念しかない。ただ、女子大や専門学校などでは教えていて手応えを感じることは少なかったことも事実。だからこそ、高校生のようなまだ「打てば響く」若者に英語を教えたいと願い、県教委や高校に履歴書を送った。
 それで今教えている中学と高校で教壇に立つことと相成った次第だ。もっと速く中高での教師職を選べば良かったのに思わなくもないが、すべては神様の思し召し。今手に仕事があることに感謝しよう。自分がこれから本当に手がけたいことはまた別にあるのだが、それは少し時間がかかる。ステップバイステップ(step by step)で進んで行こう!
 このブログは私にとって備忘録でもあるので、身辺雑記をもう少し記しておきたい。背中の帯状疱疹の違和感は依然続いている。明け方、「夜間頻尿」かどうか分からないが、眼が醒めることがあり、トイレに立つ。その時、背中の帯状疱疹もうずいているような気もするのだが、うつらうつらしているので記憶もあやふや、よく分からない。情けない。
 一つだけ嬉しいことがある。これも実際は恥ずかしいことなのだが、許してもらおう。左奥歯に部分入れ歯を差すようになって久しい。今年の6月末に留め金が緩くなったので、自分でペンチのような器具を使ってきつくしようとしていたら、素人の浅はかさか、留め金が壊れてしまった。急遽、掛り付けの歯科医院で新しいものを作り直してもらった。当初はいいと思っていたのだが、どうもしっくりこない。それで外すことが段々と多くなっていた。そうしたら、今度は奥歯にはめると痛いと感じるようになった。この夏、九州の温泉地を旅している時は不快感にずいぶん悩まされた。一日中はめていない日もあった。
 それでつい最近、上記の歯科医院で留め金を調整してもらったら、ずいぶん楽になった。ひと頃の不快感も消えた。もっと早く調整してもらっておくべきだったと思った。やはり、専門家に任せるべきだったということか。自業自得のようなものだ。「自業自得」は中国語では「自作自受」(zì zuò zì shòu)と表現することは知っている。声調が同じだから、私にも発音しやすい。「自分で作ったものを自分で受ける」ということか。英語では何と言うのだろう。和英辞書をひくと、“You asked for it.” というカジュアルな訳文が載っていた。なるほど、「それ(苦境)って、君が自ら求めたこと(だろう)という意味か。納得!

大リーグ打ち止め!

20251102-1762085558.jpg ワールドシリーズ。ドジャースが見事に逆転勝利でブルージェイズとの対戦成績を4勝3敗として優勝を飾った。昨年に続く優勝であり、ドジャースとしては初の連覇を達成した。
 圧巻だったのは九回一死から救援に立ったエースの山本由伸投手。前日のゲームでは先発し6回を投げ切り、強打のブルージェイズ打線を1点に抑え、このシリーズを3勝3敗のタイに持ち込んだ立役者。この日もマウンドに立った山本投手を大リーグのレジェンドたちは信じられない犠牲の精神の持ち主と最大限の賛辞を惜しまなかった。ある意味、大谷翔平君より高評価かもしれない。
 とにかく救援に回った山本投手は再三のピンチに立ちながらも、ブルージェイズ打線を最後には力で封じた。これでワールドシリーズ3勝目。シリーズのMVPに選出された。文句なしの受賞だろう。
 私はこの日も朝からずっとテレビ観戦。とはいえ、非常勤講師の仕事もあるので、そっちの準備もしながら、横目でテレビを見ていた。正直に書くと、先発の翔平君が三回裏に一死からスリーランホームランを浴びた時には、ああ、負けたなと思った。でも彼らはここまで頑張ってきたのだから、十分だろう、よくやったと思い、それほど悔しさは感じなかった。潔く諦めようとしたのだろう。
 だが、ドジャースはここから驚異的な粘りを発揮する。ホームランや犠牲フライなどで1点ずつ返していき、4対3でリードされた9回表には、私が「最弱打者」と蔑んでいた9番打者の二塁手が奇跡的なホームランを左翼に放ち、同点に追いついた。
 これで延長戦に突入したが、ドジャースは先攻だから、後攻のブルージェイズが依然、優位だろう、熱狂的な観客の後押しもあるしと、私は悲観的見ていた。事実、ブルージェイズの猛攻にドジャースは首の皮一枚で残すという感じだった。このまま行けば、ドジャースが結局はさよなら負けを喫するのだろう。
 とここまで書いて、また戦評を書いているではないか、こんなもの、ブログではないと反省せざるを得ないが、本日は致し方ない。NHKテレビだって先ほど夜7時のニュースのトップでこのゲームのことを報じていたではないか。これは11月2日の日本でも大ニュースなのだと自分を説得した。いや、もうやめよう。疲れた。
 本日、テレビを(英語の副音声で)聴いていて、耳に残ったのは、試合終了後つまり優勝を喜び合うお決まりのシャンパンファイトに際し、ロバーツ監督がヒーローの山本投手の名前とともに「ゴウト(GOAT)」と絶叫していたことだった。なるほど、そういう風に叫ぶのかと思った次第。”Greatest Of All Time”(史上最高の選手)と称えていたのだ。これ以上の誉め言葉はないのではないかと思えてくる。
 山本投手や翔平君らの活躍もあり、大リーグでの日本人選手の評価は高まる一途だろう。今オフにはプロ野球の数名のスター選手たちが大リーグに新天地を求めるとの報道が聞こえている。日本では望めるべくもない高年俸に名声と人気。プロ野球の「地盤沈下」は一層進むのではないかと思えてくる。私はクライマックスシリーズなど無意味としか思えないことをやっているプロ野球はとっくに見限っているから、どうでもいいのだが・・・。

AIが破壊する地球?

 本日(土曜日朝)久しぶりにテレビを見ていて手を叩いた。ワールドシリーズ第6戦。負ければ敗退となる対ブルージェイズ戦でドジャースが3回表、相手好投手から3点をもぎ取った。貴重なタイムリーヒットを放ったのは不調にあえいでいた中心選手の一人、ムーキー・ベッツ。2人のランナーが生還する場面で思わず拍手していた。まだ3回表ながら3対0。ドジャースの先発はエースの山本由伸投手。これなら何とか勝利し、明日の第7戦にまで持ち込めるかも!
                 ◇
 新聞を読んでいてAI(人工知能)という表現に出合わない日はない。日常生活にすっかり溶け込んでしまった。AIなかりせば生活が成り立たないような感じだ。AIがやがて人間に取って代わる時代がやって来るのだろうかと思ってしまう。そんな折、ネット購読している米誌ニューヨーカーのニュースレターに興味深い記事があった。
 “Are we helping to destroy the planet every time we ask ChatGPT a question?” という見出しが付いていた。私もChatGPTはよく利用している。ひょっとしたら毎日使っているかもしれない。学校で英語の講師をしているので生徒に正確な英語表現を教えたい。迷った時はChatGPTに尋ねている。ChatGPTに出合うまでは関西に住む英語ネイティブ話者の友人(大学講師)にメールで尋ねていた。このところ、彼に問い合わせることは皆無に近くなっている。
 この記事で知ったこと。多くの人には既知情報なのだろう、きっと。AIは凄く電気、というか電力を食うものらしい。一つのデータセンターだけでフィラデルフィア(米ペンシルベニア州の大都市)が使用している電力が必要だとか。これからさらにデータセンターが増えていけば、電力事情がますます逼迫していくのは素人にも分かる。データセンターは言わばAIの工場であり、データ(data)が搬入されてintelligence(知能、情報)が生産されていく。そのためには膨大な電力が必要なのだという。
 記事の中で記者がAIに精通している専門家に尋ねる。”Are we going to completely destroy the planet with A.I.?(人類はAIで地球を完全に破壊することになるのですか)。これに対する返答は “Yes.” だった。
 記事は末尾でAIが人間に取って代わる世界についても触れている。最終的には人間がこれまで手がけてきている仕事の大半は廃れてしまうとか。次のような文章がある。“I think that in the future, all forms of labor will at least conceptually done by a computer. “ ロボットの進化やAIのさらなる発展が加われば、人間の仕事(labor)はすべてAIが主導することになるとか。重労働がなくなるのはいいことだろうが、うーん、私の頭脳ではよく分からない・・。
                 ◇
 さて冒頭の文章の続き。この項をパソコンで打ち(書き)ながら、NHKテレビの大リーグ生中継を見ていた。山本由伸投手が期待通りの力投を見せてくれた。6回投げて1失点。7回まで投げて欲しかったが、1失点だから十分だろう。8回9回(途中)を任されたのは佐々木朗希投手。リードはわずか2点。大変なプレッシャーだったろう。危なかったが、とにもかくにもドジャースが勝った。嬉しい! 明日の最終戦につないだ!

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