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英語でさるく 那須省一のブログ

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declutterの好機

20251216-1765881687.jpg 記憶力の劣化にあきれるほどである。授業に活かそうと昔書いていた原稿や海外で撮影した写真を探そうとした。そうしたものが大切に保管してあるUSBメモリーやメモリーカードが確か、滅多に使わないデスクの引き出しにあるはずだ。一番あって欲しかったものがなかなか見つからない。不思議だ。他の場所に移した記憶はない。いろいろなところを漁った果てに、普段座って事務作業をしている居間のテーブルの上、あまたのガラクタの中からそれが出てきた。捜し物が見つかったことにほっとするとともに、あきれた。
 続いて困ったことは海外で撮影した写真が残っているメモリーカードをデジカメに入れて見ようとしたが、全然、反応しなかったこと。デジカメは新聞社を辞める直前に購入していた。当時としては本格的なデジカメだったが、仕事の場ではあまり使うことなく早期退社した。アフリカの旅には携行しなかった。いいデジカメなので本当なら持参したかったのだが、誤解を恐れずに言えば、高級品のデジカメを持ってアフリカの街々をほっつき歩くことは「盗んでもらって結構です」というようなものだ。手のひらに収まるようにコンパクトで手頃な値段のデジカメ携行で我慢した。(実際にはそのデジカメは盗まれることなく全行程を無事終了したが、その後故障したので廃棄せざるを得なかった)。
 さて、メモリーカードを残った今のデジカメで「再生」しようと試みたが、できなかった。デジカメ自体の操作方法が分からなくなってしまっていた。長く勤務した新聞社を早期退社してはや15年。当時は問題なく使いこなしていたように思うが、今は全然分からない。情けないことこの上ない。天神の近くにある、かつて勤務していた新聞社に足を運び、写真部の誰かに教えを請おうとさえ考えたほどだ。いや、それはさすがに恥ずかしい。親しい記者が残っていればまた話は変わるが、そういう人はもはやいない。
 それでしかたなく近くにある家電の量販店に行き、カメラ売り場にいた店員さんに尋ねた。いずれにしろ、新しいメモリーカードを購入する必要もあった。そのついでに店員さんに色々教えてもらい、凄く助かった。よく分からないが、アフリカで使っていたデジカメはパナソニック。今手元に残っているのはニコン。compatiblity(適合性、互換性)と言うのだろうか、ニコンのデジカメでは他社のデジカメのメモリーカードを再生することができないようだ。
 パソコンなら大丈夫ですよとのことで、帰宅後、トライしてみた。これも量販店に行く前にトライしていたが、だめだった。再度トライしてみると、あら、不思議、これまで再生できなかったものが次々に現れてきた。そんなこんなで今手元にあるデジカメは問題なく使えることが分かった。普段の生活では旅先での写真も含め、スマホで十分事が足りるので不便はないが、スマホ以外にしっかりしたデジカメがあるのは心強い。
 とにかく、部屋中が散らかりまくっていることに改めて気づいた。世間で言うゴミ屋敷ではないが、とても胸を張れるものではない。それで決意した。年末年始は遠出する予定はない。せいぜい、部屋の片付けに精を出そう。仕事の準備もソファーに座ってやるのではなく、きちんと机を前にイスに座って心静かに手がけることができるようになりたい。このマンション(アパート)に住んで13年。一頃流行した英語表現で言えば、declutter(物を減らしてすっきりさせる)には絶好の機会到来だ!

prepper とは?

 寒いと動き出すのが億劫になる。第一、朝目覚めてもなかなか温かい布団から抜け出せない。実兄は仕事のために毎朝3時半ごろに起きていると言っていたが、同じ兄弟ながら、私は朝は全然弱い。毎朝起きるのは6時頃。スマホのアラームを6時にセットしており、6時になるとチャイムみたいなものが鳴り出す。それでさあ起きようと思う。思うのだが、ついつい惰眠をむさぼり、6時15分頃になってようやく起き出す。情けない。
 それでもかつての自分から比べたら早起きになった方である。新聞記者時代には何時頃起きていただろうか。夜遅くまで飲み明かしていたので、8時頃だったかもしれない。東京勤務で通勤ラッシュを回避する時には早く起きていた可能性もあるが、私にとって早朝とは何となく8時前後か。だから今、中学校の非常勤講師となり、朝1限の授業に間に合わせるため、朝6時に起床する日々は「画期的」であり、自分で自分をほめたくなる。それが大半の人にとっては当たり前のことであってもだ。
 いかん、また詰まらないことを駄弁ってしまった。まあ、これも備忘録、後年、この項を読み返す時、嗚呼、俺は毎朝6時には起きようとしていたこともあったのだなと懐かしく思う日があるかもしれない。
                  ◇
 ズームで定期的(月2回)に催している英語短編小説を読む教室。オー・ヘンリー賞を受賞した作品を読み進めていることは先に書いた。アメリカを中心に最新の短編を読んでおり、古典とは異なる味わいに受講生よりも私の方がはるかに勉強になっている。先夜に読んだのは “Countdown” という小説。ロシアのウクライナ侵攻を背景にしており、クレムリンの徴兵策でそれまでの平穏な日々が瞬時に奪われるロシア人家庭の窮状が淡々と描写されていた。ウクライナの前線に送り込むためにクレムリンが徴兵制を敷く。徴兵の役目を担った二人の兵士が中年の男性宅に強引に押し入る。男性は外出中。兵士たちは怯える妻と幼い娘をからかいながら、自分たちが後で食べる食料品を冷蔵庫から強奪していく。こういう光景が日常茶飯事なのだろうか。
 ウクライナ戦争関連以外で気になる語があった。prepper という語で、敢えてカタカナ表記すると、プレッパー。普通の辞書には出ていないので、ネットで検索すると、大意次のように説明されていた。舞台はアメリカ。――自然災害や経済恐慌などで発生する世紀末的苦境に対処するため、生存術や物資の備蓄、避難訓練などに日常的に取り組んでいる人々のこと。prepareという語に由来し、「備える人」を意味する。中央政府や地方自治体の公的支援を当てにせず、自力で生き延びることを信条としている。2017年時点では全米に250~450万人のプレッパーがいると言われ、自給自足で生活するための農場や家畜を所有していたり、自宅の地下を核シェルターに改造していたりするとか。彼らは政府やメディアを信じず、支配階級の力が及ばないローカルなラジオやインターネット、身近なコミュニティなどを情報源としている。隣人であっても敵とみなすライフスタイルの実践者とも――
 アメリカにプレッパーの人々が本当に数百万人もいるのか知らない。そうだとしたら、私には彼らがアメリカの闇を暗示している存在に思えてならない。

早くも師走

 あれよあれよという間に師走となった。ほどなく新年2026年を迎えるとは。ときの流れが速過ぎる? 早過ぎる? あれ、この場合どっちだったかと今また迷う。ネット検索すると、「AI による概要」として次のような説明がある。「時間の流れが早く感じるのは『ジャネーの法則』によるもので、年齢を重ねるごとに、経験する出来事の相対的な価値が低くなり、時間が早く過ぎると感じられるようになる。また、大人になるにつれて新しい体験が減り、日々の活動が単調になりがちであることも原因」と述べてある。『ジャネーの法則』は知らないが、表現は「早過ぎる」でいいのか。ともかく、新しいことに挑戦すれば、打開策はあるらしい。なかなか新しいことは見つからないが・・・。
 私にとってはずっと自分に課していることを新たな高みに引き上げたい、それが挑戦になるかと思っているが、なかなか難儀だ。中国語と韓国語の学習。いっそのこと、中国(台湾)か韓国に短期でいいから、語学留学でもしたいが、諸事情からそれは甚だ困難。それで毎朝、NHKラジオの語学講座に耳を傾けるのが精一杯だ。だが、これとても右の耳から左の耳にすらすらと理解できるものでは、私の場合はない。頭の中に??がいつも浮かんでいる。つい最近も「ごめんなさい」と謝罪するときの表現、カタカナ表記だと「バオチエン」ということは覚えていたが、中国語では大切な声調はうろ覚え。チエンは下がり調子(四声)かなと思ったが、バオの声調は全く自信ない。耳でネイティブ話者の発声を聞いてもよく分からない。ネットで調べて、ああ、これも四声かと知った。中国語では「抱歉」(bàoqiàn)。普通の会話では「抱歉、抱歉」と2回繰り返すのが一般的らしい。
 これで謝罪の言葉は完璧に覚えたとはゆめゆめ思ってはいない。しばらく時間が経過すると、またうろ覚えに逆戻りしてしまう。難しい漢字はもちろん、声調もあやふやになってしまう。老化現象の一つだろうか。情けないけど仕方ない。不思議なのはいつまでもよく記憶している語もあれば、何度覚えたつもりでもすぐに忘れてしまう語もあることだ。外国語の語彙にも相性の良し悪しがあるのだろうか。
                  ◇
 大リーグやプロ野球がシーズンオフとなり、一喜一憂することが格段に減った。もっと嬉しいのは、毎朝、テレビやパソコンの前に釘付けとなることがなくなり、自由な時間が増えたことだ。そういえば、この時期をストーブリーグと呼んでいたなと思いだし、これは海の向こうでも通じるかなと、調べてみたら、ちょっと異なることを知った。
 英語では hot stove league と頭に hot を付けて使うのがスタンダードのようだ。オフシーズンの冬の期間、ファンの人たちがストーブの回りで暖をとりながら、各チームの来季の戦力、選手のトレードの動きなどを噂し合ったのが語源らしい。hot が付くか付かないかで意味が正しく伝わるか伝わらないかが決まるとはいかにも英語らしい。
 それにしても、噂されているプロ野球の有力選手たちが来シーズン、大リーグに移籍することになれば、ますます大リーグに関心は移る。ここ福岡は地元チーム、ソフトバンクホークスの熱狂的なファンが跋扈しているが、ジャイアンツの衰退とともにプロ野球への関心自体が薄れてしまった身としては野球は早朝に見るスポーツとなってしまった。

今年も無事発送!

 金曜日。仕事を終えると、一目散に自宅に戻った。イギリスの友人2人にクリスマスプレゼントを送る必要があり、自宅にその小包を取りに戻り、郵便局に走らねばならなかったのだ。郵便局の受付は午後4時まで。高校の授業が終わって残務作業に追われていたら、午後1時を過ぎていた。早く戻らねば。
 国際郵便はパソコンで必要な書類を作成、印刷しておく必要がある。これがアナログ人間の私にはとても厄介。この日は書類と一緒に、箱詰めにした小包を持ってえっさほいさと郵便局に。係りの人が書類をチェックして小包の重さを計り、送料を計算。手渡された請求書は16,300円。1個の送料はほぼ8,000円かかったようだ。中に入れていたのは大半がチョコや日本でしか味わえないようなお菓子類。おそらく8,000円ぐらいの品々だっただろう。送料とほぼ同じか。私は年金生活者であり、もうおしまいにしたいのだが、友人一家にはまだ成長途上の子供がおり、異国から贈られてくる年に一度のお菓子を楽しみにしていると知ると、その楽しみをこちらの都合で奪うわけにもいかない・・・。
 ふと思った。昨年の今頃はこのブログ上でどんなことを書いているだろうかと。日記は付けていないが、ブログをやっていると、こういう時の振り返りに役立つ。次のように書いていた。12月11日の項だ。――またクリスマスのシーズンがやって来た。クリスチャンの端くれを自認している身だが、私はクリスマスだからと気分が高揚することはない。それどころか、気分がふさぐ。こう書いたら神様の罰が当たりそうだ。許してくださいませ! 海外に住む友人にプレゼントを購入して郵送するのが一苦労だ。
 愚禿凡夫の悩みはいつまでも尽きない。古希を過ぎても変わりはないようだ!
                   ◇
 ズームで行っている英語教室。日本の短編小説を読み終え、アメリカのオー・ヘンリー賞を受賞した短編をまた読み始めた。先週取り上げたのは韓国系アメリカ人の作家の作品 “The Arrow”。fuckというfour-letter word が頻出する作品で、ニューヨークで少しでもいい暮らしを手に入れようともがく30代の韓国系アメリカ人の女性の悪銭苦闘の日々が描かれている。彼女は一週間の間に元彼、職場の既婚者の同僚、知り合ったばかりのタトゥーの彫り師の男とセックスにふけり、望まぬ妊娠に至る。このあたりは何だかなぁと思わないでもないが、寂しさゆえの愚行だろう。
 彼女は結局、西海岸に住む母親に電話して助けを求め、母親は自分自身も事実婚で娘を産み、独力で育てた経緯があり、出産を決めた娘の世話に勤しむ。二人はそれまで関係がぎくしゃくしており、母と一人娘の理想的な間柄ではなかったが、娘の妊娠を機に二人の関係は一気に深まっていく。娘はお腹に宿した命が彼女の人生の転機になってくれるのではないかと期待しているが、ある朝、目覚めると流産していることに気づく。母親は西海岸に戻ると告げる。娘は来てくれてありがとうとお礼を言う。そこで作品は終わるのだが、以下のように記されている。… and that the only thing to do in the meantime is to keep on living.
 私の好きな英語表現の一つを思い出した。Life just goes on. 私を含め誰が明日命を落とそうと、地球が滅びない限り、世の中は続いていくと私は解釈している。諸行無常かな!

neoteny(幼形成熟)

20251123-1763873090.jpg 他愛ない話を一つ。忘れる前に書いておきたい。高校の英語のテキストにneoteny という見慣れない語が出ていた。発音も少し難解で意味合いもそう簡単に覚えられそうもない語だ。辞書をひくと、「幼形成熟」という訳語が載っており、「発生が一定の段階で止まり、幼生形のまま生殖腺が成熟して生殖する現象」とある。テキストには、人類に特有の現象であり、大人になっても子供のような特徴を留めているとも説かれていた。人類は他の哺乳類と比べ、大人になった後でも子供の特徴を多く残しているようだ。我々が生涯、好奇心と遊び心を持ち続けているのはその証左だとか。
 私はこのneoteny という語に初めて接した時、妙に納得できた。古希を過ぎても中高生相手に親自虐いや親父ギャグを放っている私は人一倍、幼形成熟の度合いが強いのかもしれない。他の哺乳類との「違い」を感じたのは10年以上前のこと。新聞社を早期退社後、アフリカやアメリカなどを旅していた時、持ち家のない私は家財道具をトランクルームに預け、帰国後は今のアパートからそう遠くないところに住んでいた一人暮らしの高校・大学時代の先輩の社宅に居候させてもらっていた。
 その家に家猫が住まっていた。ハッピーという名だったか。生来の猫好きの私はハッピーともすぐに仲良くなった。当時私はほぼ一日中、パソコンに向かい、旅の最中に書いていたブログに手を入れ、紀行本を出版する作業に精を出していた。そのかたわら、ハッピーの餌やりも任されていた。こちらが餌やりを忘れていると、ハッピーが私のそばに来て、ニャアーと鳴く。「おい、居候よ、俺様の食事の時間だぞ。早く餌を用意しろ」とでも言うように。
 私はもちろん、腰を上げ、餌の入った袋の所に行き、餌を小皿に取り分けていた。だが、時々、いたずら心が沸き、ハッピーがいくら催促しても無視する挙に出た。少しくらい腹を空かさせた方が猫の健康にいいかもしれないと。ハッピーが段々といらついていることが分かった。私が全然動き出さないことにしびれを切らした彼は最後には諦めてふいっと私から離れて行った。その時にハッピーの口から出た音は「フギャッ」という感じの初めて耳にするような鳴き声だった。人間だったら、「くそっ、この野郎め」という強烈な苛立ちの発声だったろう。
 私は心中思っていた。「おいおい、ハッピーよ。冗談だよ。戻って来いよ。さあ、餌をあげよう。ちょっとからかってみただけだよ。俺も一日中部屋に閉じこもっているから退屈してたんだ。お前さんとじゃれあいたかっただけなんだから。そう怒るなよ。俺はお前さんが大好きだよ。お前さんだって俺のこと、嫌いじゃないだろ!」
 その時、何となく感じた。もし猫が人間のような遊び心を少しでも持っていたら、猫と人はもっと仲良くやっていけるのでないだろうか。猫じゃらしを振ったり、畳や壁に日の光を反射して猫がそれを追いかけ回る・・・それ以上の遊びが楽しめるのではないか。遊び疲れた猫が懐に飛び乗ってきて、「おい、今の面白かったぞ。また、一緒に遊ぼうな!」と身体をすり寄せてくるかもしれない。
 いたずらに年齢だけを重ねたような我が人生。この先、どんな歩みが待っているのか。どうなろうとも、「遊び心」はいつまでも持っていたいと願う。

美味い酒と肴

 本当に寒くなってきた。昨夜は、いや正確には本日の未明、明け方にさすがに寒さに我慢できず、掛け布団を引っ張り出した。それまでは温かい羽毛の毛布と普通の毛布の2枚で寝ていたが、はや、掛け布団が必要な季節となったようだ。本日は仕事休みの日で自宅でのんびりできる。ガスストーブを出そうかと考えている。台所から長いガスケーブを引くので、狭い我が家が一段と窮屈になるが致し方ない。その代わりスイッチ一つで部屋がすぐに暖まるのは壁のエアコンの比ではない。大好きな秋を十分に楽しむことなく初冬に入るのは残念だが、今年もそう大きい秋の台風に見舞われることなく初冬を迎えることができるのは幸いとすべきだろう。
 この時期になると頭を悩ますことが一つ二つ。といっても独り身の私ではたかが知れていると言えよう。一つは海外に贈るクリスマスプレゼント。正直に書くと、もうやめたいと思っている。お金がかかるからでは決してない。郵便局の窓口に行って、持ち込んだ小包に送り状を貼り、送料を計算してもらい、お金を払う。これが実に厄介なのだ。去年は何回、足を運んだことだろう。
 要するに覚えの悪い私だからの悩みなのだが、実に面倒くさい。パソコンで送り状とやらを打ち込むのだが、幾度となく失敗する。どこかで手っ取り早くやってくれるなら、多少の追加料金がかかっても喜んで頼みたい。だが、そんなサービスはまだ存在しないようだ。しかたなく、今年もまたほどなくパソコンに向き合うことになる。おっとその前に先方の住所の確認。突然転居していることがあり、送り返されてくると、二度手間になり、割高の送料を再び払わされることになる。これも何度か経験した。私の贈り先はせいぜい二三人だからどうということもないのだが・・・。
                  ◇
 仕事が忙しいこともあり、最近はもっぱら自宅飲みの日々でそれもノンアルのビールばかりを飲んでいる。昔はノンアルなど馬鹿にして手をつけなかったが、今は違う。よくできている。喉越しが本物のビールと変わらないように感じる。週に一度のペースでのぞいている焼き鳥屋でも生ビールや焼酎のロックをやりたい気持ちを自制してノンアルを選択。
 昨夜は久しぶりに小料理屋をのぞいた。この店は本当に肴が美味い。現役の頃、こんな店が会社や自宅近くにあったなら、足繁く通っていたことだろう。安くはないが、超高くもない。まあ、今の私の稼ぎでは週1ぐらいが精々となるが、たまにはこういう店で美味い酒(焼酎)を飲みたいと願う。それで昨夜は本日が仕事休みだったので、臆することなく、ノンアルではなく、日本酒1合と続いてイモ焼酎1合を頂いた。やっぱ美味い! 
 お店の名前を書いても差し支えないのだろうが、控えよう。あて(肴)で頼んで予想以上に良かったのは、うーん、あれはなんという品だったか。確か「自家製豆腐にウニとイクラ乗せ」みたいな一品だった。出てきたのは豆腐というより上品なチーズのような味わいの品。私は乳製品は極力食べないようにしているが、これはチーズとはおそらく別物だろう。焼酎にもよく合っていた。美味い酒(焼酎)に極上の肴が味わえるのはやはり、プロの料理人が仕切っているお店しかない。とここまで書いて、しまった、写真を撮るのを忘れていた! 

Tomorrow will worry about itself!

 大学で非常勤講師をしている時は学期の終わりに際し、期末考査的な試験問題を作成することがあり、パソコンでそうした問題を作っていた。自分一人の講座であり、好きなように問題を作成していた。特段の苦労もなかった。
 今教えている中学校では正職員の先生が問題を作成しているので私はノータッチでよい。高校でもこれまではそうだったが、今学期は期末考査の問題を作成する仕事を任された。問題自体を作成するのはできるのだが、問題用紙や解答用紙をパソコン上で作るのは私にはできない。罫線を引いたり、何と表現したらいいのだろう、問題や解答のスペースをきちんと作ることはできない。作ったことがないからだ。
 新聞記者時代に英字新聞部でも長く勤務した。英字新聞部ではスタッフ記者が自ら紙面のレイアウトから記事や写真の配置に至るまで職場のパソコン上で自由自在にこなしていた。私はデスク、後に編集長という立場にあったため、そうした現場の作業には一切タッチしなかった。少しでもかかわっていたなら、試験問題などの作成はおそらく何とか一人でこなせていたかもしれない。残念ながら、できあがった紙面を見て、見出しの修正とか記事中の誤りとかの指摘はできても、キーボードを操作することはできなかった!
 今にして思う。やっておけば良かったと。やらずとも職務怠慢とは見なされなかったのでやらなかったのである。元来がものぐさ、不器用なため、かかわらなかった。こうやってパソコン上で原稿を書き、自分のブログにその原稿をアップして、時に写真も添付していることぐらいしか、私にはできない。時々写真が天地が逆さまになることがあり、いくらトライしても正常にアップすることができず、写真のアップを断念することもしばしば。前項でも書いたが、これも自業自得の好例だと言えるだろう。深く悔いている自分がいる。
                  ◇
 毎朝、キリスト教の祈祷書を読んでおり、新たな気持ちで一日をスタートさせている。本日(土曜日)の頁は次の言葉で始まっていた。Therefore do not worry about tomorrow, for tomorrow will worry about itself. ネットで検索すると、次のような説明が出てきた。新約聖書マタイによる福音書の一節で「だから明日のことまで思い煩うな。明日のことは明日が思い煩う」とある。実に明快な言葉だ。大いに勇気づけられる。
 もちろん、キリスト十二使徒の一人、マタイは我々に刹那的に生きよと命じているのではない。凡人には予測もつかない明日や将来のことなどに思い悩まず、いまのときを精一杯生きよと諭しているのだろう。そういえば、私の好きな聖書の言葉に似たようなものがあったなとついでに検索をかけてみると、すっと出てきた。そう上記の言葉の少し前にある次の一節だった。 "Look at the birds of the air: They do not sow or reap or store away in the barn, yet your heavenly Father feeds them. Are you not much more valuable than they?" これもネットでは「空の鳥を見よ。まくことも、刈り取ることも、倉に集めることもない。それらも、天のあなたがたの父が養ってくださる。あなたがたは、それらよりも、はるかにすぐれた者ではないか」とある。
 こういう聖書の言葉を読んで励まされない者はいないだろう。

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