英語でさるく 那須省一のブログ
鏡の中の誰でアリンス?
- 2025-08-10 (Sun)
- 総合
霧島神宮温泉郷のホテルには結局二泊した。線状降水帯による豪雨で日豊本線の電車がストップしたからだ。バスも動かなかった。タクシーを確保するのも絶望的だった。それで本来なら宮崎に出る日は近くの霧島神宮を参拝してホテルに引き返し、終日、温泉に浸かり、ぼおーと過ごした。霧島神宮は近くといってもそう近くはなく、小雨の降りしきる中、たっぷり30分以上歩かされた。
ホテルは山の中の一軒家といった風情で近くにはコンビニや飲食店はなく、陸の孤島といった印象さえ抱いた。ホテル自体の居心地は悪くなく、泊まり客が自由に使える共通の書斎といった感じの広い部屋もあった。よく事情は分からないが、悪天候が災いしたのだろうか、泊まり客は私の他にはあまりいないようで、温泉をほぼ独り占めできた。こんな経験は初めてのこと。私ごときにはもったいないとさえ感じた次第だ。
そして昨日朝、頼んでいたタクシーで霧島神宮駅に立ち寄った。ひょっとしたら日豊本線が復旧しているのではと願っていたが、だめだった。残る選択肢は一つ。各駅停車の電車ならば走っているというので隣県の都城駅までタクシーを走らせた。料金は12,000円。運転手さんがよくしゃべるお方で、都城駅まで退屈しなかった。
都城駅から宮崎駅への電車はスムーズに動いた。宮崎駅前のカフェでしばしくつろぎ、妹の車に乗って西都の山里深く抱かれた郷里に戻った。実家のお墓に手を合わせ、両親や兄姉に心の中で声をかけた。本来なら懐かしき家の畳に寝転がり、両親の遺影を見上げながら惰眠を貪りたいのだが、事情があってそれはできない。
宮崎市内に戻り、いつも泊まっているホテルにチェックインした。このホテルの大風呂は温泉ではないが、鉱泉湯で電気風呂もあり、私は凄く気に入っている。福岡のアパートの近くにこんな感じの銭湯があるなら、毎日でも利用するのにと思うが、福岡は残念ながら、銭湯文化はない。さて、宮崎にいるのだから、楽しみにしていたホルモン焼きに出かけたいところだが、この一週間以上、美食を重ね、おまけに運動(散歩)不足もあり、体重がちょっと恐ろしくなりつつある。先ほどホテルの大風呂に行き、鏡の前に立ったら、美味そうに肥えた豚が2本足で立っている。驚いて思わず後ろを振り返った。誰も何もいない。鏡をよく見ると、オマガ! 私ではないか。やばいぜよ。そろそろ節制せねば!
それでいつものホルモン焼き店には行かず、疲れていたこともあって、ホテル一階にあるレストランで我慢した。宮崎には3泊ぐらいして別府経由で帰福したいと考えているが、ホルモン焼き店を素通りしていいものか、そんなことができるのか、悩ましい。ホルモンを食べれば当然のことながら、生ビール1杯に焼酎のロック2杯ほどは欲しいところ。ますます豚化が進むではないか。アルコール抜きも可だが、それなら、何のためにホルモン焼き店をのぞくのか。
かくして煩悶しながら、今この項を打っている。世俗の垢にまみれた小人の悩み事。少しは見習いたいと願った山頭火先生に申し訳ない、などと思い、句集を開くと、次の句が見えた。イラストには遊郭とおぼしき所に立つ女が見える。この句は何を意味するのか?
水をへだてて をなごやの灯が またたきだした
- Comments: 0
霧島神宮温泉郷
- 2025-08-08 (Fri)
- 総合
南大隅町から鹿屋市に出た。一旦鹿児島中央駅まで戻る必要があったので、錦江湾をフェリーで鹿児島市内に出るのだが、鹿屋にまで上がっていれば、フェリーに乗るのに便利。鹿児島中央駅から、日豊線に乗り霧島神宮駅駅で下車した。霧島温泉郷に足を運びたかったのだ。(実際には霧島神宮温泉郷)
霧島温泉郷は遠い昔に一度訪れたことがあった。読売新聞社に就職して、国際部に配属されていた頃、お袋や妹、姪っ子と一緒にとある夏の休暇に足を運んだ。私はナイロビ支局勤務を終えて東京本社勤務に復帰、仕事に燃えていた時代だった。母や姪っ子と一緒に温泉でのくつろぎを楽しみにしていた。食事を終えた頃だろうか、残念ながら明確な記憶が残っていない。覚えているのは東京本社から連絡があったこと。35年前のこと。携帯電話はまだなかった。どうやって連絡がついたのか分からない。東京本社から私の実家に電話があり、私の休暇先を知り、電話があったのかもしれない。国際部の下っ端の私が国際部に休暇先の連絡方法を届けていた可能性もなくはないが・・・。
とにかく、電話口の向こうから上司が「悪いけど、直ちに東京に戻って来てくれ。そしてすぐにイラクに飛んで欲しい」と言う。私は中東担当ではなかったが、幸か不幸か、当時、なかなか手にできないイラク訪問のビザを所有していた。実は当時、イラクのサダム・フセイン政権がクウェートに侵攻して発生した湾岸危機で、イラクには日本人の耳目が集まっていた。米英政権はフセイン政権が大量破壊兵器を隠匿しているとも非難し、追い詰められたフセイン政権はイラク在住の邦人を人質にする暴挙に出ていたからだ。
上司の言い分はこうだった。国際部のベテラン記者のTさんがイラクに取材で飛ぶ。彼は体調が心配だ。君はまだ若い、彼の側にいてあれこれ手伝って欲しい。そう頼まれれば断れるわけがない。私は中東取材の経験もなく、イスラム社会のことも分かっていないが、貴重な取材経験となる。とはいえ、せっかくの夏休み。一緒に過ごすことを楽しみにしていたお袋や姪っ子をホテルに残したまま、東京に戻るのは心苦しかった。どういう経路で戻ったのか覚えていない。辛うじて覚えているのは深夜タクシーを呼び、駅に急いだこと。間違いなく霧島神宮駅だったのだろう。ただそこからどうやって上京したのか全然思い出せない。
センチメンタルジャーニーではないが、昨夕、霧島神宮駅に降り立ち、タクシーで霧島神宮温泉郷のホテルに投宿した。名物の泥湯を顔に塗り、温泉を堪能。泊まり客はなぜか少なく、ゆっくりと憩うことができた。まだこの時には知る由もなかった。この後、霧島地区に線状降水帯がかかり、未曾有の豪雨に見舞われることを。私の平屋の和室は庭に面しており、雨音が直に聞こえる。あまりの雨音に何時か分からないが、目覚めてしまった。朦朧とした頭にも尋常ならざる雨であることは分かった。
朝ご飯を頂いていると、食堂のテレビのテロップが霧島地区は未曾有の豪雨で電車が運行を停止していると伝えている。嫌な予感。この日、チェックアウトした後、霧島神宮駅から宮崎に向かう予定だった。ホルモン焼きが恋しい。バスも運休になっているみたいだ。嗚呼、タイミングが悪い。どうすんべ?
- Comments: 0
私も一人!
- 2025-08-06 (Wed)
- 総合
今回の九州湯巡りはできるだけ身軽な旅にしたいと考えていた。キャリーバッグは持たず、背中に背負うリュックだけ。着替えも最低限にとどめた。短パン2つにポロシャツ2枚。パンツは3枚に半袖下着3枚。書物は毎朝読む英文の祈祷書と山頭火の文庫本1冊だけ。これにラップトップのパソコンと電子辞書を入れれば、リュックはほぼパンパンの状態。
海外の旅でも時にそうだが、短パンやポロシャツ、下着類は機会があるたびに自分で洗濯し、清潔さを心がける。今回も宿に洗濯機があれば、夜には洗濯に精を出した。乾きの早い乾燥機がついていることが多く、私のような旅行者には大助かり。ポロシャツもずいぶん年季が入ったものとなった。どこかで新しいものを購入しても罰は当たらないだろう。今の旅の日程だと宮崎に入った時点で買うことになるのかもしれない。郷土に金を落とすのも悪くなかろう。たいした金ではないが。
福岡の自宅を出てから一週間近く経過した。携行した山頭火の句集はほとんど開いていない。作った句もない。いや、一つだけある。嬉野温泉の宿近くの木陰を散歩している時に蝉時雨を耳にして読んだ句だ。たいした句でないことは重々承知している。私の友人の一人に新聞社勤務時代の同僚で、見識豊かな俳人がいるが、彼にはこのような句など恥ずかしくてとても見せられない。ただし、山頭火は季語や五七五の定型にこだわらない自由律俳句で知られた俳人。私のような俳句の基本などわきまえていない無粋な男の作にも微笑んでくれることだろう。
さて、嬉野温泉の木陰を歩いている時に私の頭に浮かんだのは次の一句。――せみしぐれ 耳にするのは あといく夏―― 古希を過ぎ、来世がにじり寄りつつあると時に感じている身に浮かんだ切ない感慨。山頭火は微笑んでくれることだろうと書いたが、いややはり、一笑に付されるか。
一年ほど前のこのブログで「咳をしても一人」という句について書いている。山頭火の作かと思っていたがさにあらず、尾崎放哉という俳人の作だった。彼も晩年を山頭火のように放浪流転で過ごした俳人だった。山頭火の作で言えば次の句が知られているかと思う。――分け入つても分け入つても青い山――。味わい深い句だ。私が今手にしている句集では次のように説明されている。「大正14年2月、いよいよ出家得度して肥後の片田舎なる味取観音堂守となったが、それはまことに山林独住の、しづかといへばしづかな、さびしいと思へばさびしい生活であった」と。
「分け入つても・・・」の句には「大正15年4月、解くすべもない惑ひを背負うて、行乞流転の旅に出た」との前置きがある。そうするとこれは「解くすべもない惑ひ」を憂える句なのであろうか。俗物の私には文字通り、いくら歩を進めても人家が見えず、目の前に広がるのは草木が茂る山また山ばかりであり、旅人にとってはため息の出そうな光景を詠んだと思えたが、人生のあるいは芸術の深淵を探ろうとする決意、迷いをも描いているのだろうか。この句の三句後に「放哉居士の作に和して」と前置きして次の句があった。――鴉啼いてわたしも一人――
気ままな一人旅にある私などからは想像もつかない俳人の孤独・寂寥がうかがえる。
- Comments: 0
懐かしき南大隅町へ
- 2025-08-05 (Tue)
- 総合
私は本当におっちょこちょいだ。「おっちょこちょい」は標準語だったかなと不安になり、辞書でしらべるとちゃんと記載されている。今回の旅でも自分のこのおっちょこちょい、すなわち落ち着きのなさを改めて認識させられている。
おっちょこちょいは自慢できないことであり、「公言」などしたくないのだが、このブログは備忘録でもあるから記しておきたい。まず、嬉野温泉の宿にスマホの充電器を忘れた。部屋を出る際に忘れ物がないか入念にチェックしたのにもかかわらず、ドアの近くのソケットに差し込んでいた充電器のことを忘れていた。後刻かかってきた宿の人の電話で初めて気がついた。それで玉名温泉のホテルに宅急便で届けてもらった。届いたのはホテルをチェックアウトする直前。スマホの充電が切れかかっていたため、ホテルのロビーで急ぎ、充電させてもらった。タクシーを呼んでもらい、新幹線の新玉名駅に向かった。駅に着いた直後に充電中のスマホをロビーに忘れたことに気がついた。再びタクシーに飛び乗ってホテルに引き返し、スマホと充電器を回収して駅に戻った。あほとしか言いようがない。
そして指宿に到着した昨日。指宿は何度か訪ねたことがある。名物の砂蒸し温泉も。指宿駅から砂蒸し温泉まで歩いた。入浴料金は1,500円。普通は10分も熱い砂をかけてもらえば十分らしいが、欲張りの私は30分ほど我慢して砂の下に横たわった。砂蒸し温泉を堪能した後に近くのビジネスホテルにチェックインした。ホテルの人に勧められた寿司屋さんに夕食に向かう。海の幸を堪能した後、会計を済ませホテルに戻る。ホテルに戻って再び自分のおっちょこちょいさに気づく。入れ歯を忘れたのだ。私は左下の奥歯にかぶせるような小さな入れ歯をしている。最近作り替えたばかりのこの入れ歯がどうもしっくりこず、痛いと思うこともしばしば。それで食事するときには時々、外すこともある。この夜もそうした。その外した入れ歯をティッシュに包んでカウンターの脇に置いたまま忘れてホテルに戻っていたのだ。寿司屋を出る際、板前さんに「お忘れ物のないように」と言われていたことを思い出す。この後のドタバタ劇まではここに書きたくない。入れ歯をホテルまで届けて頂いたタクシーの運転手さんがとても親切だったことだけは記しておきたい。
さて一夜明けた火曜日。指宿からどこに向かおうかしら。新幹線のターミナルの鹿児島中央駅に引き返し、そこから宮崎方面に進む手もある。指宿のある薩摩半島の対面は大隅半島。新聞記者時代に何度も取材した南大隅町がある。地元のTさんに会いに行く手もある。指宿の港からフェリーも出ている。よし、南大隅町の根占港に向かうか。近くにネッピー館という宿泊施設があり、そこの温泉もサウナも大好きだ。フェリーが出るのは山川港。指宿駅前から出ているバスで340円。山川港から根占港まで800円。フェリーに乗るのは滅多にない経験だから少し気分も高ぶる。50分程度で根占港に到着した。
Tさんは地元の町役場に勤務されている。港から役場までとぼとぼと歩き、Tさんに挨拶してしばし懇談。その後、ネッピー館までTさんの車で送ってもらった。とりあえず、温泉に浸かり、身体を癒やしたい。Tさんからは今夜はぜひ我が家で一杯やりましょうと誘っていただいた。朋あり遠方より訪ねる、又嬉しからずや!
- Comments: 0
大牟田から玉名へ
- 2025-08-03 (Sun)
- 総合
嬉野温泉のひなびた宿には二泊した。素泊まりなので食事は近くの寿司屋と居酒屋で。十分に満足した。嬉野温泉の次にはどこに行こうかと思案した。JR鹿児島本線を利用するなら大牟田かな。大牟田も嬉野同様、足を運んだことがない。大牟田にも土地勘が全くない。どこか温泉地はないかとネットで検索していたら、「大牟田天然温泉・最高の湯」という名称の温泉場が飛び込んできた。素晴らしいネーミングではないか。電話をかけると、お一人様でも歓迎との由。ただし、予約はネットでクレジットカードで済ませて下さいとのこと。何とかネットでの決済を済ませて大牟田に向かった。
ここで残念な報告を一つ。実は嬉野温泉の項ではアップしたい写真があった。百聞は一見にしかずだ。例えば投宿した宿屋のお風呂。肌に優しいお湯までは写真で伝えることはできないだろうが、清潔感漂う小さい湯船の写真を載せれば、この宿のアットホームな雰囲気がよく分かるのではないかと思った。だが残念ながら、これまではそう苦労することなく私でもできていた写真のアップができなくなっていた。何度も何度もトライしてみたが、どうしてもだめだった。嬉野には以前パソコンの技術的なことで指導を仰いでいたS君が移住しており、彼に急遽連絡を取り、カフェで相談したが、彼にも解決策は見いだせ得なかった。万事休す。しばらくは写真なしで、駄文だけで綴っていくしかない。
さて大牟田天然温泉の「最高の湯」。温泉そのものは幾つものサウナ設備があり、ゆったりと温泉を楽しめるようになっていた。大勢の人たちで賑わっていたのも宜なるかなだ。夜の食事も温泉内で済ませた。今夜は早めに就寝しよう!と思っていた。実は知らなんだ。ここの宿泊施設は通常のホテルや宿屋のようではなかった。キャビン方式というのであろうか。半個室にベッドが置かれ、仕切りはアコーデオンカーテンのようなもので、かぎはかからない。カプセルホテルみたいでちょっと心許ない。
このキャビンを利用するためにはフロントでカードをもらう必要があり、不特定多数の者が自由に出入りできるわけではない。そんなことより、土曜日夜というのにどうも私以外に宿泊客がいないようなのだ。半個室のベッドに一人の利用者が収まれば、楽に70人ぐらい、あるいはもっとそれ以上の泊まり客を収容できるのではないかと察せられた。しかしこの夜は宿泊は私一人だけ。心細い。幽霊が出たらどうしよう。怖い。何だか水の流れるような不思議な音もさっきから聞こえてきた・・・。田舎の言葉が心に浮かんだ。きぼせぇー。
備え付けのテレビとパソコンのYouTubeで気を紛らせ、情けないことに結局一睡もできずに翌朝を迎えた。嗚呼疲れた、身体もきつい。それでも「最高の湯」の名誉のために付記しておきたい。ここの従業員の方々は親切でとても良心的に遇してくれた。悪い印象は少しもない。眠れなかったこと以外は。いや、一つあった。温泉宿なのに、翌朝は確か10時オープンとなっており、早朝の湯浴みができなかったことだ。残念!
今、私は玉名温泉に来ている。玉名も初めての地。チェックインして早速湯に浸かった。ここもいい湯だ。夜は温泉近くの高級レストランでちょっと豪勢に食事した。パンフレットには玉名極上焼肉と載っている。確かに美味だった。上半期、一生懸命に働いた自分へのご褒美だ。さて明日はどこに向かおうかしら?
- Comments: 0
嬉野温泉
- 2025-08-01 (Fri)
- 総合
うだるような暑さが続く夏休み。本来なら久しぶりに台湾に遊びたいところだが、懐が心許ない。ならば近場を選択。本日から九州管内を旅することにした。二学期の授業を前にせいぜい鋭気を養いたい。もう一つ。背中に背負った帯状疱疹の違和感はまだ完治していない。痛みはないが、嫌な感覚は残っている。温泉場の湯治が役立つかもしれない。
普通はマイカーかレンタカーで旅するのだろうが、ハンドルを握らなくなって久しい。まあ、鉄道かバスでも旅することは可能だろう。歩くのは苦ではない。たるみきった身体を鍛え直すには好都合だ。人生初の日傘も購入した。とりあえず目指したのは佐賀・嬉野温泉。土地勘などないから、ネットで適当に漁っていたら、良さそうな宿が出てきた。湯も良さそうだ。電話を入れてみる。一人でも素泊まりOKとのこと。有り難し。
最寄り駅で嬉野温泉までの切符を購入。博多駅から武雄温泉駅まで特急電車に乗り、そこから新幹線の自由席に乗り換えて嬉野温泉を目指すのが一般的な行き方らしい。わざわざ新幹線という気がしないでもないが、まあいいか。博多から熊本方面への旅は九州新幹線で幾度も経験しているが、佐賀方面はない。第一乗車しているこの線が何線なのかもよく分からない。冷房も効いていて乗り心地はすこぶる良い。車内サービスがあれば申し分ないが、今のご時世、そんなものは廃れてしまったのだろう。しまった、缶ビールとは言わない、水ぐらいは買って乗車すべきだった!
そんなことなど考えていたら、あっという間に武雄温泉駅に到着。ここから新幹線に乗り換えて嬉野温泉駅を目指した。嬉野温泉駅から歩く手もあるのだろうが、さすがにこの暑さではタクシーを選択せざるを得ない。予約していた宿屋はこじんまりしたところでひなびた温泉宿といった風情。全然悪くない。チェックインして早速一風呂浴びた。掛け流しの温泉で湯船は小さいが、肌に優しい湯であることはすぐに分かった。なぜか分からないが、泊まり客はあまりいないようだ。私には好都合。宿の人たちも親切で初っぱなから気分良し。これから段々下り坂とならないことを願うばかりだ。
初めての土地での楽しみは食。地酒(焼酎)が加われば言うことなし。福岡ではほとんど寿司屋をのぞくことがないので宿の近くにあった寿司屋をのぞく。生ビールで喉を潤した後に地酒をたずねると、虎之児(とらのこ)とかいう日本酒があり、冷酒が美味とか。刺身をあてにやってみる。ちょっと甘い気もするが、日本酒は久しぶりだから嬉しい。お寿司も美味い。ほろ酔い気分になった。
宿に戻って再びお湯に浸かる。先述した通り、猫の額ほどの小さいお風呂で洗いの椅子も左右に4つほどしかない。私の他には誰も浸かっておらず、独り占め。気持ちが悪いわけがない。行き当たりばったりの旅ゆえ、翌日もう一泊することにした。さて、明日夜はどこで何を食べようか。同じ寿司屋でも構わないが、せっかくだから別のお店を探そうか。
実は嬉野温泉駅に着いた途端にスマホに着信があった。私のスマホはほとんど着信がないのでちょっと驚いた。まさか仕事関係の電話ではあるまい。スクリーンを見ると、懐かしい名前が見えた。米ジョージア州に留学していた遙か昔、親しくしていた友人のJではないか。彼から電話があるのは何年ぶりだろう? 何の用事だろうかしら?
- Comments: 0
再び "out of this world"!
- 2025-07-22 (Tue)
- 総合
参院選で自公政権が目標としていた議席に達せず、石破首相が退陣の危機にあえいでいるようだ。参政党というこれまで耳にしたことのない政党が躍進するなど、国政に激震が走っている。かといって日本の政治が根底から新しくなるわけではなく、既存政党に取って代わる政治が実現するかは全くの未知数。当選を果たした議員たちの一喜一憂には何の感慨も持ち得ない。これも日本の政治の貧困か。いや、我々有権者の不作為の結果と憂うべき問題かもしれない。
参政党のことは何も知らないし、興味もないが、仄聞(そくぶん)したところによると、「日本人ファースト」を掲げる党首の言動は米国のトランプ大統領を彷彿とさせるものがあるらしい。参院選の大躍進で表舞台に登場したことで党の真価が問われていくことになろう。距離を置いて注目していきたい。
◇
苦境にあるのは石破首相だけではないようだ。米国でもトランプ大統領がスキャンダルの沈静化に躍起となっている。スキャンダルの震源地は親友だったと言われる実業家のジェフリー・エプスタイン氏(故人)。彼は未成年者に対する性犯罪で起訴された人物だが、大統領はかつて署名入りの「下品な手紙」を送るなどの親密さだったとか。大統領はエプスタイン氏は過去の人物であり、彼との親しさを真っ向から否定しているが、米メディアは二人の関係がのっぴきならないものだったのではないかと疑っているようだ。確かに今後、新たな疑惑が浮かび上がれば、大統領にとって命取りになる可能性だって否定できない。
米国発のYouTubeを眺めていると、トランプ大統領の政治生命の終焉(?)を予告したようなものが目白押しだ。眉唾ものが大半かもしれないが、ぜひそうなって欲しいものだと願いたくなる。果たして・・・。
◇
個人的にも「夏休み」に入った私は基本、午前中はパソコンに向かい、あれこれ調べたり、ブログの文章を練ったりと、「書斎」にこもったような時間を過ごし、午後になると、散策を兼ねた買い物に出ている。「書斎」にこもってもテレビはつけていることが多い。ケーブルテレビで生中継されている大リーグの試合を見るためだ。そんなに根を詰めて見ているわけではないが、大谷の打席だけは手を止めて見守っている。胸のすくようなホームラン見たさだ。
火曜日朝はそんな一発を見ることができた。自身が投手としも先発したホーム球場でのミネソタツインズ戦。初回にソロホームランを浴びたが、その裏の攻撃で見事、逆転の35号ツーランホーマーをセンター後方のバックスクリーン(和製英語:英語ではcenter field screen またはbatter’s eye screen)に放った。打球が飛ぶとほぼ同時に向こうのアナウンサーが “He is out of this world. One of a kind.”(大谷はこの世界のものとは思えない=とびきり素晴らしい。他に類のない人間だ)と絶叫していた。最大級の誉め言葉だろう。
ドジャースはナリーグ西地区の首位の座にはあるものの、このところ、負けが込んでいた。大谷の投打にわたる活躍でこの日は連敗をストップさせた。Thank goodness!
- Comments: 0