英語でさるく 那須省一のブログ
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無事帰福!
- 2025-03-30 (Sun)
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昨土曜日。釜山の空港に早めに行き、搭乗と出国の手続きを済ませた。搭乗を待ちながら、今回の旅を振り返った。ソウルと釜山では春休みに入ったからか、日本人観光客の多さが印象に残っている。見た感じでは日本人と韓国人、あるいは中国、台湾人は見分けがつきかねることがしばしば。すれ違った際の会話のやり取りが耳に飛び込んできて、ああ、日本からの観光客なんだなと気づく。私が独り言でも言えば、彼らもああ、この人、日本人なんだなと思うことだろう。
とまあ、そんなことはどうでもいいのだが、今回の旅の最中に、時々自分が台湾を旅しているような錯覚にとらわれることもあった。台湾はもう4、5年行っておらず、ノスタルジアにとらわれることもある。なぜ?と考えてしまう。正直に書くと、居心地が違うのだ。一人旅だと特にそう感じることが多いのかもしれない。私はさまざまな国を旅してきているが、旅先で出会う現地の人の視線を意識せざるを得ないことがしばしば。好意的な視線は嬉しい。無関心な視線はそう気にはならない。問題は若干の反感をその視線の中に感じるときだ。そういうときはできるだけ自然に振る舞い、その場を立ち去るようにしている。
台湾と韓国を比較すると、圧倒的に台湾の方が居心地の良さを感じてしまう。現地の人々の視線も気にならない。敵意や反感がまずないことは承知しているからだ。それと言葉の問題。韓国では日本と同様、英語を解しない人が若者でも多い。彼らと会話を試みると虚しさだけが募ることも。台湾ではどうだったか? 記憶もおぼろげだが、まずは初歩の中国語で格闘し、こちらが懐に秘めている「武器」が尽き果てた後は、英語で「応戦」する。これで結構なやり取りが成立したような記憶がある。
いずれにしろ、韓国の旅は今回で当分打ち止めにするかなと思っている。韓国語が奇跡的に上達すれば話は別だが、まあ、そういうことはないだろう。台湾は当面あと1回は訪ねたい。その後はどうするか。訪れたことがないアジアの国々は多い。ベトナムやタイ、インドネシア・・・。英国も絶対再訪したい。再会を果たしたい友人がいる。アイルランドもそうだ。B&Bに泊まり、近くのゴルフ場でまたプレーしたい。もっともゴルフも長いことやっておらず、その前に練習場通いが必須だ。アメリカも行きたい。東海岸に住む恩師と再会したいし、可能ならば、大谷翔平君がプレーする球場で生観戦してみたい。
とここまで打って(書いて)きて、まだまだ手がけたいことが沢山あることに改めて気づく。これからも当分は働き続け、資金を貯めなければならない。うーん、それはそれでよだきぃなぁ。よだきぃなぁが分かる人は宮崎県人。
疲れた身体で我がマンション(正しい英語表現はapartment)に戻ると、4月から非常勤講師として(継続)勤務する学校から所定の手続き用紙が届いていた。締め切りはとっくに過ぎている。改めて健康診断も受けなければならない。血糖値が心配だから、旅行の後半は断酒していた。視力も心配。今かけている眼鏡はずいぶん昔に作ったもの。これでは視力は合格基準に達しない。嗚呼、これも新しい眼鏡を急ぎ作ってもらわなくては!
さあ、とりあえず、洗濯だ。スーパーに行き、無調整豆乳を買ってこよう。ずいぶんご無沙汰している。健康のため、きな粉を入れてまた飲み続けることにしよう!
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木浦から釜山へ
- 2025-03-28 (Fri)
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私は木浦が大好きな町になった。正直に書くと、ちょっとうら寂しい感じがする町であり、韓国の他の都市、地区からは若干取り残されているような感覚も抱いたが、それでも機会があればまた再訪したいと思った。この町が日本とゆかりの深いことも何となく知ってはいたが、実際に町を歩いてみてそうした歴史的事実を改めて知らされた。不明を恥じ入るばかりである。
最も印象に残っているのは日本がこの国を植民地にしていた時代に領事館として使われていた建物が国家史跡として保存維持されており、「木浦近代歴史館」として内外の観光客に公開されていることだった。レトロな味わいの各部屋を歩き、そうした歴史の一端を学ぶことができるようになっていた。当時の朝鮮総督府が朝鮮の人々に日本式の名前を名乗るよう義務づけた創氏改名運動なども紹介されていた。日本人が大手を振って闊歩していたと思われる木浦の当時の街並みもパノラマで展示されていた。こうした施設を見学すると、いつも複雑な心境にならざるを得ない。どうして当時の日本人は彼我の間に差異を見いだそうとしたのか、そうした施策がやがて子孫を呪う禍根となると想像できなかったのか?
ところで、駅前にあるこの地の観光案内所の職員Mさんのガイドで上記の歴史館などを見学することができた。1時間以上も割いて丁寧に案内してもらった。こんな親切なスタッフがいる観光案内所は他のどこを探してもないのではないか。
思い出に残る木浦を出て釜山に戻った。明日土曜はいよいよ帰国の途につく。あっという間の二週間だったような気がする。思わぬ出会いの連続の二週間でもあったが、最後まで驚きが用意されていた。本日早朝、木浦を出てKTXで釜山に戻ったのだが、韓国語読みでオソンという駅で乗り換えることになっていた。どういう漢字で書くのかということは分からなかった。私は漠然と南西部の突端にある木浦から東南部の釜山に行くのだから、当然韓国南部を縫うように走るのだろうと勝手に想像していた。
私の観光案内書は何しろ2013年の刊行ということもあってか、地図がお粗末で鉄道路線図は載っていないに等しい。いくら地図を見つめても途中の経過駅が??だった。オソンは乗り換え駅だったので、下車して駅舎内の表示を見て初めて漢字では五松と書くのかということを知った。その五松駅から乗り込んだ電車では私には席はなく、車両と車両の間の通路に立たされた。私の他にも数人同じような乗客がいた。朝8時10分に木浦を発ち、午後零時16分に釜山着。私の脳内では明確な路線図が引けなかったので、釜山駅で観光案内所に行き、どういう路線で来たのか私の観光案内書の大まかな地図を見せながら尋ねた。女性の職員もよく分からないようだった。鉄道担当の職員の席に行き、尋ねてくれていた。戻ってきて宣わく、五松は韓国中部の要衝で、お客さんは木浦から一旦北上し、五松から南下して慶州を経て釜山に来られたようです。私も木浦からの釜山への鉄道路線のことは今日初めて知りました。勉強になりましたとお礼を言われた。
要するに、私は三角形の形で言えば、左辺と右辺を走って木浦から釜山に到着したようだ。最短距離は底辺なのだが、そこを走る路線はないということか。木浦が発展から取り残されている「理由」の一端が分かったような気がした。
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木浦(モッポ)着
- 2025-03-26 (Wed)
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一晩アルコールフリーにしただけで体調はずいぶん良くなった。今夜はソウル最後の夜だからJさんと食事をして別れるが、今夜も酒は控えよう。Jさんも理解してくれるはずだ。そう思いながらソウルの繁華街を歩いていたら、スマホが鳴った。Jさんだ。声がおかしい。聞くと、彼は昨夜、自宅で奥様の手料理で私を接待してくれた後に急に体調が悪くなり、未明に何度も吐いたという。病院にも行ったが、まだ体調は回復しておらず、今晩の会食は無理とのことだった。
最後の夜はソウルの日本式居酒屋で私がご馳走したいと思っていたのでキャンセルとなったのは残念だったが、こればかりは致し方ない。また近い将来の再会を約して電話を切った。いずれにしろ今夜も断酒。昨日、春川からの帰途の車中、私のスマホが鳴った。新学期からも英語を教える予定の学校からの電話で、帰国次第、病院で健康診断を受けて欲しいとの由。
去年の記憶が蘇った。血糖値が危なかった。今回も間違いなく危ういだろう。何とかパスするためには断酒、節制が大至急で求められる。ソウルの後には南下して漁港で知られる木浦(モッポ)を目指すことにしている。木浦の海の幸を前にしてビールや焼酎の誘いを拒絶できるものだろうか。せざるを得ない。悠長なことなど言っておられないが、気が滅入る。
水曜朝、ソウル駅の二つ先の龍山(ヨンサン)駅に向かう。ここから一路南の木浦を目指す。釜山に戻るまでの最後の訪問地だ。Jさんからも木浦の珍味の良さを何度も聞かされていた。比較的早い時間に龍山駅に着いたつもりだったが、切符売り場で木浦行きのKTXを求めると、あるにはあったが、発車は二時間後のことで少しがっかり。午前10時40分発で午後1時11分着とか。約2時間半の乗車だ。木浦に到着して急げばランチは食することができるか。節制を誓ったばかりなのに情けない!
木浦着。午後1時を少し過ぎたばかりだ。急げばランチを食するのに十分だろう。駅舎を出ると、インフォメーションセンターが目に入った。駆け込む。どこで海の幸を味わえますか。女性の職員がうーんと言いながら、ここからすぐ近くではタコが有名な食堂がありますけど。あ、そこそこ、そこでいいです。何と言う名前ですか。ハングル読めますか。読めます。ここを出てこう行って、ここをこう曲がると、「ドクチョンシクタン」という食堂があります。了解です。行ってみます。ありがとう。
目指す食堂はすぐに分かった。地元の人々に愛されていそうな古びたたたずまいのお店だ。飛び込んでメニューを見やる。よく分からないが、ナクチビビンバというのがある。あ、これが有名なテナガダコビビンバかな。15,000₩。値段も手頃だ。ビールと一緒に食したいが、ビールはやめておこう・・。美味かった。夜もこれでいい、私は!
お腹がいっぱいになったので、すぐそばの喫茶店でコーヒーを飲んで、これまたすぐそばのホテルで空きがないか尋ねた。あった。一泊70,000₩。問題なし。2泊分の支払いを済ませ、5階の部屋に向かった。部屋に入って驚いた。私には不要だが、ダブルベッドに大きな窓。見晴らしは最高。今回の韓国の旅では最上の部屋だ。というか、アフリカや米英を含め、過去の一人旅でも最上の部類に入る部屋だ!
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春川(チュンチョン)訪問
- 2025-03-25 (Tue)
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ソウルに着いて何日? 韓国の旅も一週間が過ぎると曜日の感覚もおぼろげだ。今週の土曜日には帰国するのだが、もうあまり何もする気にもならない。台湾だったら、さあ今日はどこで何を食べようと胸が弾むのだろうが、ソウルの一人旅ではそういう気にも・・・。
もう一つの要因。これは自業自得なのだが、日曜日に友人のJさんと再会して、その夜は彼が案内してくれたお店でしこたま飲んだ。最初の店ではマッコリと焼酎。次の店ではワインをたっぷり。これがいけなかった。彼と会食するときはいつもこうなる。彼は私の6歳ほど年下。自転車やウォーキングで普段から身体を鍛えていることもあり、私から見たらかなりの酒豪だ。同じペースで飲んでいては私はくたばってしまう。いや、その夜にくたばればいいのだが、夜はなんともない。辛いのは翌日だ。昨日の月曜日、仕事が休みだったこともあり、彼は私を春川(チュンチョン)観光に誘ってくれた。「冬ソナ」の舞台となった江原道(カンウォンド)の観光地だ。
本来なら張り切って出かけたであろうが、私はきつい二日酔いに苦しんだ。ホテルで目覚めた時に彼に春川行きはキャンセルしましょうかと電話したくさえ思った。だが、せっかくの好意で案内してくれるというのだから、自分からドタキャンするのははばかられる。暗澹たる思いを抱えて電車にのり、待ち合わせ場所に向かった。
春川は気持ちの良い好天だった。名所の湖も目の保養になった。ランチは名物のタッカルビが味わえるお店で。ネットから引用すると、タッカルビのタッ(닭)は鶏、カルビ(갈비)はあばら肉を意味し、甘辛いヤンニョム(양념:薬味だれ)に浸けこんだ鶏肉を野菜と一緒に鉄板で焼いて食べる「鶏焼肉」のこと。Jさんにおごってもらったのに、失礼なことだが、正直な感想を書くと、そうは美味いと思わなかった。二日酔いが抜けず食欲が全くなかったせいでもあろう、きっと。
食事の後には地元の新聞社「江原日報社」に足を運んだ。JさんはG編集局長と懇意の仲。Jさんに通訳してもらいながらの懇談となった。発行部数は6万部ほどだが、200万を超えるネット読者がいるとか。記者の数は70人ほど。驚いたのは彼は23年間ずっと編集局長の座にあるのだとか。いかにも物腰の柔らかい人物であり、社内外で尊敬されている人物であることがうかがえた。
Jさんと会うと、いつもジャーナリズムや日本語、韓国語、中国語のことで興味深い話となる。本当は私の拙い韓国語で話したいのだが、それはまだ無理でいつも英語で会話することになる。春川への行きと帰りの車中で話題となったのは、AI(人工知能)とどう付き合いながら生きていくかということ。Jさんによると、韓国の新聞社で例えば社説を書くのは経験を積んだベテラン記者の役回りだが、AIを活用していない新聞社はないのではということだった。最終的な校閲というか判断は記者の手(目)を通してなされるが、複数のキーワードを与えさえすれば、瞬時に驚くようなレベルの高い記事(社説)を提示してくれるとか。アナログ人間の私にはついていくのも覚束ない世界の話だった。
ひょっとしたら、海外旅行もこれからはAIが引き受けてくれ、人間は現地に行かずとも、旅の醍醐味を味わえるようになるのかもしれない。いや、もうなっているのかも?!
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ソウル着
- 2025-03-23 (Sun)
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東海への電車の車中は特段車窓からの光景に見とれるものはなかったようだ。今首都のソウルで一夜を明かし、散策途中に朝食を食べた小さなカフェでこの項を打っていて、東海に着くまでに見た光景を思い出そうとしているが、ほとんど思い出せない。ということはあまり印象に残る風景はなかったのだろう。確か途中で「未老」という駅を通過したことは覚えている。各駅停車だったら、きっと下車して「長寿」を願ったに違いない。
東海はわずか数時間の滞在。タクシーの運転手さんにお願いして、駅から一番近くて景観がいい海水浴場に連れていってもらった。10分ほどぶらぶらして写真を撮って、美味そうな焼きイカに抗しきれず、それを買い求めて駅にUターンした。タクシー代は20,000₩。小さいが綺麗な海水浴場だった。シーズンには多くの人々で賑わうだろうことが見て取れた。私も夏だったら游がせてもらったかもしれない。なるほど、これが韓国の人たちが言う東海であり、我々には日本海となるんだなと納得した。
東海からはKTXでソウルへ2時間40分。まあまあ快適な車中だった。東海駅で見た立て看板には過去にはソウルへは7時間もかかっていたが、現在のKTX路線が開通した2020年からは2時間40分となり、地元住民の悲願がかなったと記されていた。
かくしてソウルに。到着した率直な感想は、ソウルは人であふれている。福岡という「田舎町」に慣れた身には大都会だ。かてて加えて、この国は今、尹錫悦(ユンソンニョル)大統領の罷免の是非が大団円を迎えている。ソウルで見る限り、国民は賛成反対の真っ二つに割れ、それぞれの支持派が熱気に満ちた集会を開いている。多くの警察車両、警察官が警備に配置されていて通りも混み合い、私が乗ったタクシーの運転手さんは「嫌になっちゃうねえ。え、私はどっちを支持するかって?勘弁してよ」といった感じで顔をしかめた。年齢を伺うと、御年81歳とか。壮健さをほめると、彼は「いやいや。髪の毛は薄くなるばかりだし、薬のお世話にもなっている」とぼやいた。80歳過ぎても働く姿勢は私もお手本にしたいと思った。
週末のソウルで行き当たりばったりでホテルを探すという離れ業は無理がある。それで安東からネットでホテルを予約していた。週末のレートを考慮すると、手頃な値だった。チェックインしてみると、さすがに高級感はないが、気ままな一人旅には何の問題もない。しかしながら私はまさか大統領の罷免の問題で揺れている状態の中でソウル入りするとは思わなかった。新聞記者時代ならいざ知らず、今は心静かに旅を楽しみたいだけなのに!
さて、現地通貨が尽きてきたところだ。日本円を両替したい。また、大きな市場にある両替商でも尋ねるかと考えながら、カフェを出て歩いていて、たまたま店外に出てきた商店の人に近くに両替商がないかと尋ねた。教えられたままに近くにあったホテルに入ると、入り口にATMのような両替機があった。パスポートをかざすと簡単に両替できて一安心。
ところで、昨夜からソウルの韓国人友人に連絡を取ろうとしているが、スマホを買い換えたためか、ラインメールがうまくいかない。うーん、どうすんべヨ?(ヨは韓国語の聞き手に対する敬意を示す語尾のヨです!)
その後、連絡はついた。タヘン(多幸)イネヨ!
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河回村(ハフェマウル)
- 2025-03-22 (Sat)
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本日は金曜日。先週の土曜日に釜山に到着して以来、毎日が旅(移動)の連続で少々疲れている。かつて手がけたアフリカやアメリカの旅に比べれば楽ちんとはいえ、年齢を重ねた今は正直、今日は一日ゆっくりしたいと思う時もある。そういう次第で本日はどこにも出かけず、ホテル近辺をうろつくだけにするか。一旦はそう思ったのだが、一つ気になることがあった。まあ、どうということでもないのだが。
安東(アンドン)に着いている。日本人の名前のような地だ。到着してすぐに西にある河回村(ハフェマウル)に向かった。ガイドブックには「穏やかな洛東川のほとりに藁葺き屋根の古い家屋が並ぶ。朝鮮王朝を代表する両班の村」と紹介されている。私も「両班」が当時の特権的な貴族階級を指す語彙であることぐらいは知っている。到着した河回村はのどかな農村地帯といった感じで、私の生家がある村と似ていた。もっとも私の愛する村は今は限界集落となり往時の面影は薄れてしまったが・・・。
村の工芸品を売っているお土産店でこの地の名物、仮面劇のミニお面を購入した。夏場にはループタイとして使えるような代物だ。お店のおばちゃんに50,000₩札を渡すと、お釣りとして48,000₩を手渡された。ホテルに戻ってしげしげとお面を見つめた。どう見ても、2,000₩(200円)では安すぎる。ひょっとしたらおばちゃん、何か勘違いしていたのでは。実はこれを購入した時、市内に戻るバスが到着していて、私もおばちゃんも焦っていた。
それで日課の祈祷書を手に、朝市のテーブルに座り、店主のお婆さんが温めてくれたチャプチェ(春雨料理)を食べながら決めた。もう一度河回村に行こう。河回村には路線バスで1時間ほど。お土産店におばちゃんはいず、娘さんがいた。事情を説明すると、いえ全然問題ありませんよ。普通なら4,000₩ですが、古い商品なので母は2,000₩にしたのでしょうとのこと。それではせっかく出直して来たので、2,000₩足しておきますと申し出ると、いえ、それはいいです、どうしてもとおっしゃるなら、新品がありますから、それと取り替えましょうとの由。気分がいいので、似たような別のループタイも買った。
河回村を再訪したかった理由はもう一つあった。タルチュム(仮面劇)と呼ばれる、この国の国宝に指定されている有名な仮面劇を見たかったのだ。午後2時から50分程度の公演で前日は間に合わなかった。この日は存分に楽しむことができた。河回村に入る時に5,000₩の入村料金を支払うが、観劇料もこの入村料金から賄われているようだ。
ガイドブックによると900年以上前から伝わる庶民劇で、旧正月の村祭りや巫女の祭礼で奉納されていたとか。一時途絶えていたが、1970年代に村の青年たちが再興し、今では一年を通して定期公演されているようだ。この地で両班が支配階級として君臨していた時代の村人たちの暮らしが皮肉たっぷりに描かれていた。韓国語が分からない来訪者のために英語と中国語の簡単な字幕も付けられていた。日本人の観光客はそう多くなさそうだったが、日本語の字幕も添えられていたのが印象に残った。娘の放尿シーンの描写や男性器の連呼など、ちょっと危なっかしい内容もあったが、私は全く気にならなかった。心から笑えた。
一夜明けて本日は土曜日。今日は安東から電車で東海(トンへ)を訪ね、数時間後にはソウルに移動する強行軍だ。疲れそう。
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大陵苑(テルンウォン)
- 2025-03-20 (Thu)
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慶州は高校時代に習った古代朝鮮の王国・新羅(356-935)の首都が置かれていた地。手元のガイドブックには、慶州には紀元前の頃から古代国家が築かれており、約一千年の長きにわたり、新羅の王都として栄えたと載っている。新羅はその後、中国・唐と結んで敵対していた隣国の百済や高句麗を倒した史実も述べられている。歴史好きの人々にはここはきっと垂涎の地なのだろう。
投宿したホテルからすぐ近くにあるのが大陵苑(テルンウォン)という古墳公園。広大な敷地に大小23の円形の古墳が点在している。歩いていて郷里の西都市にある有名な西都原古墳群を思い出した。大陵苑は西都原古墳群とは比べるべくもないが、周囲には心地よい空間が広がる。肌寒ささえなければ、ベンチに座って読書したい思いがした。遺跡を紹介したビデオ室が一角に設けてあり、英語の他にも日本語でその紹介を聴くことができたのは嬉しかった。
大陵苑には新羅第13代味鄒王(ミチュ王)(在位262-284年)が祭られているとか。この人物が新羅の金氏の始祖だとか。こう書いても私には意味するところ分からないが、要するに慶州が由緒ある地であることだけは想像がつく。味鄒王の陵墓を写真に収めようと近づくと、その前でチマチョゴリを着た若い女性が二人写真を撮っていた。思わず、私も写真撮っていいですかと声をかけてみる。最初は韓国語で最後には英語を交えながら。快諾してくれた。韓国南部の都市から来ていた友人二人で共にスターバックスで勤務。チマチョゴリのレンタル料金は2人で140,000₩とか。もっと安いのもあったんですが、高級のものにしましたと微笑んだ。そうですか。韓国語で辛うじて聞き取れた。
◇
正直に書くと、韓国の一人旅は結構切なく感じるときが少なからずある。レストランなどで夕食を食べようとする時は特にそうだ。この国はお一人様歓迎からはほど遠い。大好きな台湾とは雲泥の差がある。その台湾では朝ご飯が待ち遠しい。朝食付きのホテルに泊まっていても、朝はホテルを出て裏通りを徘徊し、街の朝食屋さんで食べる。安いがとても美味い。韓国ではそうした楽しみは残念ながらない(ようだ)。
朝ご飯は我慢するとして、お昼と夕食は美味いものを食べたい。慶州最後のランチは良かった。大陵苑を見学して近くにある、いかにも若者が好みそうなレストラン街を物色しながら歩いた。ビビンバの写真が目に入った。そういえば今回はまだ食べていない。外から店内をのぞくと混んでいる。人気のお店のようだ。カスはやめて、久しぶりにコーラでも飲むか。注文したのは英文表記だと Korean Raw Beef Bibimbapで14,900₩。値段に違わず、期待通りに美味かった。満足!
木曜日は安東(アンドン)に移る。高速バスターミナルでチケットを買い求めた。15,500₩。午前9時発。そして今、安東のホテルにチェックインしてこの項をアップしようとしている。ちなみにこのホテルは一泊50,000₩。段々と安くなっている印象だが、平日だからか。週末になるとまた上がるのだろう。安東では有名な河回村(ハフェマウル)を訪ねるつもりだ。天気が段々と良くなってもいる。楽しみ。
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