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マンデラさんの思い出

  • 2013-12-06 (Fri) 19:47
  • 総合

 南アフリカの伝説的英雄、ネルソン・マンデラ氏が5日、ヨハネスブルクで死去したという。95歳。彼が政治指導者として目指した、肌の色で差別されない自由公平な国づくりの大切さは末永く語り継がれることだろう。
 マンデラ氏は生涯忘れ得ぬ人だ。1918年生まれ。大学卒業後弁護士となるが、やがてアパルトヘイト(人種隔離政策)打倒を目指す黒人解放組織のアフリカ民族会議(ANC)に参画。地下組織で活動していた62年に逮捕され、64年に国家反逆罪で終身刑の判決を受ける。27年間に及ぶ投獄生活を経て、90年2月11日、当時の白人政権により釈放され、その後の南ア民主化の過程でANCを率い、94年全人種参加の初の総選挙で圧勝、大統領に選出される。99年に1期で大統領職から勇退。
 1964に終身刑の判決を受けたレボニア裁判でマンデラ氏が自ら行った最終陳述が知られている。"I have fought against white domination, and I have fought against black domination. I have cherished the ideal of a democratic and free society in which all persons live together in harmony and with equal opportunities. It is an ideal which I hope to live for and achieve. But if needs be, it is an ideal for which I am prepared to die."(私はこれまで白人支配に対して戦ってきた。そして黒人支配にも戦ってきた。私が大切に思ってきたのは民主的で自由な社会を作るという理想であり、すべての人が仲良く平等の機会を手にして生きる社会だ。その理想こそ私がそのために生き、実現したいと願っているものである。もし必要とあらば、私はこの命を捧げることを厭わない理想でもある)
 私は1990年2月19日、約1週間前に釈放されたばかりのマンデラ氏に、ヨハネスブルク郊外のタウンシップ(黒人居住区)にある自宅で単独会見した。日本人記者としては初の単独会見だった。
 私が(当時)部数1400万部(朝夕刊の総計)の日本の新聞社の記者であることを告げられたマンデラ氏は “Gee whiz”(わお、それはすごい!)と子どものように驚いた。さらに私にお茶を勧め、私が「お茶よりもあなたとのお話の方が大事だ」と伝えると、満面に笑みで納得してくれた。最初の質問。あなたが釈放されたことにより、南アはこれから対立(conflict)と不信(distrust)から、「ああ、えーと」といった感じで私が言葉に詰まると、彼は「(君が意味しているのは)話し合い(negotiations)だね)」と助け船を出してくれた。「そうです。話し合いに移行するのでしょうか?」。その後も順調にインタビューは進んだ。
 このインタビューで最も印象に残っているのは、マンデラ氏が敵対する政治勢力が交渉の場に臨む際、「妥協」の大切さを訴えたことだ。“ To me, a compromise is possible…If one is not prepared to compromise, then you must not enter into the process of negotiations.” (私にとって妥協は可能だ。交渉当事者はもし妥協する用意がなければ、話し合いの場に臨むべきではない)
 妥協する、という言葉は日英ともに若干ネガティブなニュアンスがあるが、交渉の場では常套手段であり、何ら恥ずべきことではない。国と国の紛争などで交渉当事者に最も求められているものこそ、このコンプロマイズの姿勢だと思う。
 NHKの現地報道では、マンデラ氏の「偉業」に感謝し、それを継承していきたいという若者の声が報じられていた。そうであることを心から願いたい。犯罪や腐敗、政治不信が渦巻く今の南ア、そしてアフリカ大陸一般の現状は、マンデラ氏が命をかけ、夢見たものとは程遠い。

Comments:2

たかす 2013-12-08 (Sun) 04:31

君が読売新聞社の海外在中特派員になるとき、南アフリカに行くか、韓国にいくかと相談を受けました。君は南アフリカ共和国に行くことにしました。マンデラさんとのインタビューは英語でしたから全部報告してもらうことは和訳をつける必要もあって無理でしょう。記者の仕事としてすばらしいものです。ケニヤを根拠地にした君に、南アフリカ共和国よりケニヤのほうが民主的でいいのではと聞きましたら、ケニヤには言論の自由がありません、マンデラさんを投獄している南アフリカは政府に対する異論が際限なく出ています、その意味ではケニヤは民主主義から遠い国ですと私を啓蒙してくれました。民主主義は言論の自由がないと成り立たないんですね。マンデラさんのことばはマンデラ名言集のようなものがあるそうです。君がきいたコンプロマイズどんなに自分が正しいと思っても相手の言い分も生かす余裕。いいことばをインタビューでもらってくれました。君のマンデラインタビューを誇りに思います。

nasu 2013-12-08 (Sun) 10:38

たかす先生 コメントありがとうございます。ご指摘の通りです。20分近いインタビューはフロッピーに残して「朽ちない」ようにしています。今聞き返しても、自由の身になった喜び、家族と再び一緒になった嬉しさが彼の言葉からあふれ出てくるようなインタビューです。彼はあの時には少なくとも、獄中でもこよなく愛し続け、彼の生命を支えていたとも言える、ウィニー夫人の不貞はまだ知らされていなかったのですから。南アや多くのアフリカの国々の情けない現状は以前にこのブログで「マンデラ氏の誕生日」で書いた通りです。残念ながら。

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