- 2019-10-28 (Mon) 13:21
- 総合
週明けの月曜日。朝から好天だ。東日本では先週も豪雨被害が続いていた地区もあるようだが、日本は南北に細長いことを実感する。私が住む福岡はこのところ雨の被害はない。それにしてもこれからは毎年のように豪雨被害のことを案じることになるのだろうか。地球温暖化の深刻な被害は先のことと思っていたが、どうもすぐ軒先に来たようだ。そうでないことを心から願いたいが。
さて、ソウルの旅もあって、このところスロージョギングから遠ざかっている。本日は申し分のないジョギング日和だ。短パンからトレーナーに切り替え、ウインドブレーカーも着込んで香椎浜に出かけるとするか。
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明石市に住む知己のU先生から秋の実りが届いた。新米とピーナッツ、それに頂き物と書かれている本場丹波の枝豆。英語学者のU先生は農家の人でもあり、暇を見ては田畑で働いておられる。新米は彼の田んぼで収穫したばかりのものだ。昨晩有難く炊飯器にかけ、頂戴した。いつもスーパーで購入している米よりずっと美味く感じたのはなぜだろう。
生の落花生を目にするのもあまりない。どうしたものやら。ネットで調べて、塩を振った水で湯がいて食べてみた。これも美味かった。丹波の枝豆は冷凍した。今週末、湯がいて焼酎の肴にしよう。食欲の秋。うまくいけば、間もなく、東北から松茸が届くかもしれない。松茸取りの名人、Sさんから毎年のように届いている。こう書くと催促しているようで気が引けるが、Sさんはブログは読まれない方だからその心配はない。今宵はジョギングの帰りに魚屋さんに立ち寄り、頂いた新米と一緒に食べるサンマでも買おう。
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折口信夫(1887-1953)の『死者の書』(岩波文庫)を読んだ。正確には途中で読むのを放棄した。どこかでこの本のことを称賛しているのを見かけた記憶があって、いつか読みたいと思っていたのだが。この国文学者・歌人は広辞苑によると、民俗学を国文学に導入して新境地を開き、歌人としては釈迢空の名で知られた、とある。カバー折りに「古代を舞台に、折口信夫が織り上げる比類ない言語世界は読む者の肌近く幻惑すると紹介されている。
併録されていたもう一つの小説『口ぶえ』は読みやすかったので問題なく読めた。読んでいてどこか違和感があって、改めてこの歌人のことを調べると、同性愛者であったことが分かり、合点が行った。15歳になる主人公の少年と同級生の少年はお互いに淡い思いを抱いている。人里離れた山中の寺で夜、床を並べて語り合うシーン。同級生の少年が主人公に語りかける。「みんな大人の人が死なれん死なれんいいますけれど、わては死ぬくらいなことはなんでもないこっちゃ思います。死ぬことはどうでもないけど、一人でええ、だれぞ知っててくれて、いつまでも可愛相やおもててくれとる人が一人でもあったら、今でもその人の前で死ぬ思いますがな、そやないとなんぼなんでも淋しいてな」
この歌人は若い時に幾度か自殺未遂をしている。自叙伝的な小説の上記の独白は歌人の本心であったのだろう。いかに最期を迎えるかの問題はともかく、独り身の私は少しく考えさせられた。私には「だれぞ知っててくれてる」人は夢のまた夢だ。
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